関に外堀を埋められて逃げられなくなったynの話 好きです、と言われた言葉に俺は首を傾げた。
好きか嫌いかと言われれば好きだけど、多分こいつが言ってる好きはこういう好きではないと思う。ライクとかラブとかそういう話。俺には関係ない話なんて思ってたのはついさっきまでの話。
咄嗟に頭に浮かんだのは、こいつを手放すのは少し惜しいなということ。ガタイもいいし、ITもできるし、なんだかんだと使えるやつだ。俺はうーんと頭を悩ませる。その間にもこいつはそわそわおどおどと目の前で体を揺らす。
よしわかった。まずはお試しだと俺は奴に人差し指を突きつけて言った。お試しで1ヶ月、どうだ?1ヶ月付き合ってみて、その後に結論を出す。奴は俺の指を見つめて、わかりました。と答えた。
よしよしと俺は内心喜んだ。1ヶ月も付き合ってやればこいつも満足するだろう、そうしてやっぱそういうふうには見えねーわ、ごめんなんて言えば仕方ないと諦めてくれるはず。そしてこいつも1ヶ月付き合ってくれたんだから……と俺から離れることはないだろう。我ながらなかなかの計画なのではと思わず口元が緩んだ。
よろしくお願いします、と目の前の男が頭を下げる。おう!よろしくな、関口〜と叩いた背中は少し熱かった。
1ヶ月しかないですから、と関口は色々なところに俺を連れて行った。映画も見に行ったし、水族館にも行った。男同士ということもあってか、関口は俺と手を繋ぐようなことも唇に触れることも一切しなかった。なーんだなんて少し拍子抜けだったが、おかげで思ったよりも楽しい時間を過ごすことができた。
ただ、ふたりきりになったら抱きしめてもいいですか、なんて言われることはあった。まぁ別にそれくらいならいいか……なんて思って両手を広げてやると、ありがとうございますと言って関口は俺の体を抱きしめて、しばらくそのまま俺の髪に顔を埋めていた。普通にくすぐったいし、たまに耳を指でなぞられるのがちょっとだけ嫌だったけどまぁ1ヶ月だし……と思って特にとめたりはしなかった。関口は体温が高いから、抱きしめられると俺まで熱くなってくるのは少しだけ困ったけど。
そうして過ごして、もうすぐ1ヶ月が経とうしている。俺はいつ関口におーわーりー!と伝えようかと考えていた。そんな時、ボスから連絡があってちょっとした集会が開かれることとなった。
集会は、だいたい誰かがやらかした時か、新しく誰かが組に入った時、あと年末年始とかによく開催される。今回は、時期的に誰か新しいのが入って来たか、誰かやらかしたかのどっちかかななんてため息をついて俺はネクタイを締め直した。
集会は、正直苦手だ。ボスに会えるのは嬉しいけど人も多いし、ドブさんも来るし……。だからさっさと行って、さっさと挨拶して、さっさと帰る。これに限る。
行くぞ関口〜と珍しくスーツを着た関口の肩を叩いて俺は車を降りた。はい、ヤノさんといつも通りに俺の斜め後ろを着いて歩く関口に、自然と口角が上がる。
集会が終わって、ヤノさん喉乾きませんか?俺飲み物買ってきますと関口は足早にどこかへ行ってしまった。おいおい、いくらなんでもそんな急がなくてもいいじゃねーかと口を開けようとして、がっと肩を掴まれる。
よお、元気にしてたか?なんて肩を組んでくる人に心当たりなんてひとつしかない。眉間による皺、下がるテンション、ドブさんだ。うえっと思わず出そうになった言葉を咄嗟に飲み込んで、なんとか答えた。オヒサシブリデスドブサン…。ここで何か事を起こしてみろ、関口のいない俺には勝ち目はない。耳元でガハハと笑うドブさんに、ピキピキとこめかみが震えるのを感じる。耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ。
そういえばお前ら、ようやくだって?なんてドブさんに言われた言葉に、俺はうん?と首を傾げた。ようやく?何が?何の話だ?そんな俺に、ドブさんはにやりと笑って言う。お前らついに付き合ったんだろ?
は?え?何?誰と誰が?いや、お前と関口が。え?ドブさんに言われた言葉に、思考がピキリと音を立てて止まる。俺もついさっき知ったんだけど、ようやくかー!関口、お前のこと大好きだったもんなぁ。俺もいつくっつくんだと思ってたんだが……ヤノ〜お前も良かったなぁ、あんな尽くす奴そうそういないぞ。なんて言葉が右から左へと流れていく。
ドブさんは反応のない俺にんん?と少しだけ首を傾げたが、ふと前からやってきた関口を見て慌てて肩を掴んでいた手を離した。俺は軽くなった肩にふうと息をつく。
せ、関口と震える声で俺は名前を呼ぶ。途端に、ドブさんに向いていた視線がこちらを向いた。なんですか?ヤノさん。口を開こうとして、関口の後ろから現れた人を見て慌てて口を閉じた。
ようお前ら、元気そうだな。ボス!お疲れ様です。慌てて頭を下げると、ボスはハハハと笑って俺の頭を撫でた。ボスに撫でられるのは素直に嬉しい。今日はいい日だな……なんて俺はにこにこボスの話を聞いていた。
そういえば関口から聞いたけど、お前ら付き合ったんだって?なんて言葉が耳に入った時は、一瞬ボスが何を言っているのかわからなかった。
え、え、え、なんて言葉を紡ぐこともできない俺を見て、ボスは笑って口を開く。大丈夫、偏見とかしないからな。むしろ、お前ちょっと心配だったから関口が一緒にいてくれるなら安心だな。なっ関口。なんてボスの言葉に、いつの間にか俺の隣に立った関口がはい!なんて威勢のいい返事をする。
よかったよかったと笑うドブさんに、式挙げるなら言えよ、金ならあるとボスが言って、隣の関口はありがとうございますなんて返事をする。
ただ俺だけが、何が起きているのかがわからなかった。関口……?と隣を見上げると、関口はにっこりと笑ってなんですか、ヤノさんなんて返事をする。
そういえば、ヤノさんなんか俺に言いたいことありましたか?そう言って、関口は微笑んだけどサングラスの奥の瞳はまったく笑っていなくてギラギラと熱を帯びていた。俺はそれを見て、ああやられたと頭を抱えた。将棋で言うと詰んでいる。完全に詰みだ。いつからこいつはこんなに戦略ゲームが上手くなったんだ、いや、俺が油断しすぎたのか?もはやどこからしくじったのかわからない。
仲良くしろよ、なんてボスの言葉に俺ははい。と震える声で答えた。それじゃあ行きましょうなんて関口に手を伸ばされて、大人しく手を繋ぐ。扉までの道のりが、ひたすらに長く感じた。手を繋いで歩く俺たちに、誰かがおめでとう!なんて口にして手を叩く。手を叩いたやつ、全員後で呪ってやると俺は奥歯を噛み締める。ふと視界の隅に映ったドブさんは、こちらを指差して馬鹿みたいに笑っていて、ああちくしょう知ってやがったなアイツなんて怒りで足が震えた。ボスは何故か泣いていた。え?本当になんで?
助手席に乗って、遅れて運転席に乗り込んできた関口に、おい!と俺は声を荒げようとして──口を塞がれた。
「なっ、何を」
「……正式にお付き合いすることになりましたし、もういいかなと」
関口はぺろりと唇を舐めて、車のエンジンをかける。あ、そういえばこれどうぞなんて片手で俺に缶ジュースを渡しながら口を開いた。
「ヤノさん、これから……いや、これからもよろしくお願いしますね」
「いや、俺は!」
「なんですか?それとも何かご不満でも?」
ご不満でも、なんて関口の言葉に俺は声を荒げる。いや、俺は断る気でいたんだって!!
「じゃあ、断る理由を教えてくださいよ。それで俺が納得したら別れましょう」
どこか楽しそうな関口に、俺はぐっと拳を握って断る理由を叩きつけようとした。けれど、
「──、?えーっと」
1ヶ月。こいつと付き合ってみて色々なことをした。ふたりで何度も出かけた。最初は男ふたりで…なんて思うこともたくさんあったが、思い返してみるとその思い出はどれもとても楽しくて……俺は、すっかり黙り込んでしまった。
どうしました、ヤノさんなんて関口の声に俺は顔を俯かせる。どうしましたもこうしましたもねーよ、ただ困ってんだよ俺。だってお前を断る理由が見つからねーんだもん。
「じゃあ、それでいいんじゃないですか?」
「いや、でも……」
「まぁ、これで別れたらボスは悲しむでしょうけど」
楽しそうな関口を、俺はぎっと睨みつけて缶ジュースを開ける。そうさせたのはどこのどいつだよなんて愚痴りながら一気に中身を煽った。缶ジュースは冷えていて、火照った体によく染みた。
こうして俺は関口と付き合うことになって──車の到着地が、見慣れた埠頭のアジトでも、俺の家でも、関口の家でもなくて、小綺麗なホテルだったことに気づいて、泣きそうになった。関口は車に乗ってからずっと楽しそうだったし、ホテルについてからもずっと笑っていた。ホテルに着いた俺は、ろくな抵抗もできずに関口にベッドに押し倒され隅から隅までぺろりと食べられてしまって、掠れた声で呟いた。一生呪ってやるから覚悟しろよ……。関口はそんな俺の言葉を聞いて、はい!と嬉しそうに笑っていた。俺の完全敗北だった。
後日、ホテルを手配したのはボスだったと聞いて少しだけ泣いた。