Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    itono_pi1ka1

    @itono_pi1ka1
    だいたい🕊️師弟の話。ここは捏造CP二次創作(リバテバリバ)も含むので閲覧注意。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🌟 🌸 🍬
    POIPOI 33

    itono_pi1ka1

    ☆quiet follow

    2020~2022のTwitterSSログ。だいたいリーバルの話。テバとカッシーワの話が少し。モブリト青年の話と勇者の話とめどりばの話が一つ。

    #ゼルダの伝説
    theLegendOfZelda
    ##リト師弟
    ##リ

    リトSSログ◇憧れ映すは琥珀の眼
     風の便りというのは、時にどんな吟遊詩人よりも早く市井しせいの出来事を戯曲に仕立て上げる。たとえばリト族の詩人の元にとある伝説の幕切れを伝えたのは、言葉でなく青い閃光と轟音、そして風が運んできた青い花びらの群れだ。それは彼の友が大切にしていた花で、名前を姫しずかと言った。
     それから昼日、近頃リトの村へと帰郷した吟遊詩人を訪ねて、ハイリア人の旅人がやって来た。かつて村の窮地を救ってくれたその旅人にリト達は戦士も商人も深く謝意を示し、詩人の待つ広場へとすぐさま案内をして、後は静かに風の吹くまま彼が過ごせるよう計らった。
     吟遊詩人は旅人の青年の姿を認めると、楽器を奏でていた手を止め、他のリト同様に深く一礼した。そして用向きを尋ねてみると青年は「旅の終わりを報告に来たのだ」と言う。吟遊詩人もかつては旅がらす、その道行きの最中で青年と知り合った。旅を終えて故郷の村へと帰ってきたのは、ひとえに旅の目的、すなわち古の唄の研究と完成が果たされたからだった。
     そして同じく旅がらすだった青年がその終わりを告げに来たと言うのなら、青年もまた、遥かな旅路を結ぶ何かを果たしたのだろう。

    「あなたの旅が終わるということは……姫巫女と退魔の剣の騎士の伝説はついに、決着を見たということなのでしょう。不肖の詩人にも、その物語をお聞かせいただけますか?」

     詩人の願いに青年は頷いた。「もちろん。そのために来たんだ」
     詩人はこの青年が世界をさすらうよりもさらに遠く100年もの時の流れを旅してきたことを知っている。そして、自分が今は亡き師の意志を受け継ぎ研究してきた詩が、彼のためにこそあったということを。
     ──青年の語る旅路は、時を越えずともハイラルのすべてを巡り歩くような長い長い物語だった。

    「翼も無く、渓谷を越え海を渡るほどの冒険を?」「風と知恵、そして妖精達の力を借りて、ヒトに行けない場所はないと教えてくれた」
    「ここから遥か東のアッカレに、ハイラルのどの種族もが共存する小さな村ができたんだ。きっと今に広がってウワサになる」「それは素晴らしい」

     尋ね、頷き、パズルのピースを埋めるように、最も新しく最も長い伝承の物語が進んでいった。
     中天の日が赤く山の際に沈みゆくほどの時間をかけて旅物語を聞き終えた詩人は、深く息をついて言った。

    「よい旅をしてこられたのですね」
     詩人の言葉に、青年は笑った。

    「そうかな」
    「ええ。旅の話をする貴方があまりにも楽しそうでしたから」

     ありがとう、とはにかんで、伝承の騎士最後の仕事を果たした青年は詩人のもとから去った。
     あとに残るは、完成されたゆえに役割の絶えゆく詩を紡いで、旅の終わりに一抹の物寂しさを覚える旅がらすが一人。

    「──で、本音・・は?」

     いや、もう一人いた。どこから話を聞いていたのか、見ていたのか、方々へのびる白い冠羽をぷわりとゆらして、詩人の隣に立った一人の戦士が、そう尋ねた。
     不躾で、無骨で、一歩間違えれば無礼なその短い呼びかけがしかし、今の詩人にはとても好ましく聞こえた。
     だから正直に応える事にした。

    「──伝承の勇者も、伝承そのものより面白い話は出来ないものですねえ……」
    「ははっ!ハッキリ言うなあ」

     詩人は気取ったように肩を竦め、戦士はおかしそうに笑った。

    「ま、あんた程の聞き手が退屈だって言うんなら、余程良い旅だったんだろう」
    「ええ。きっと」

     良い旅と言うものは、旅をした本人にしかその良さがわからないものだという。
     確信を込めて頷く詩人の顔は、夢を見るように穏やかで、きっと旅の話をしていた青年もこんな顔をしていたのだろうと戦士は思う。

    「旅……か。俺もいつか、人が聞き飽きるような旅をしてみたいもんだ」

     戦士の冗談めかした言葉に、詩人は、おや!と声を上げて、強い興味を示した。

    「そのときは、是非お声掛けください。新たなリトの英雄の旅路の第一歩とあっては、素晴らしい詩の一篇も浮かびましょう」
    「えらく乗り気だな」

     思ってもみない積極さに戦士がたじろぐと、詩人はそれはもう、と微笑んだ。

    「冒険譚の開幕を飾る詩ばかりは、我が師も為し得なかったものですから」
     静かに続けられた言葉には少しの哀愁が尾を引いていて、戦士は詩人の師がそれを為し得なかった理由を察した。そして引きずられるように少しの間黙って、自分の夢を思い返した。──惜しい、と。
    「……あんたはまた語る側か?」
    「ええ。こうなってはもう、性分ですので」
    「あんたの旅路だって、きっと良い物語になるだろうに」

     ヘブラの地を飛び立ち、英雄の集った雪山を、女王の支配する砂漠を、打鉄の音が燃える火山を、王女に試練を与えた大海を、詩に紡ぎ。この詩人は自らが語り継ぐ伝承の一部となったというのに。

    「だって詩の受け取り手は見つかったんだろ?」

     ええ、と頷いた詩人は不服そうな戦士の顔を見て少し笑う。

    「私の詩は英雄を追う為のものではありませんから。いえ、私にとっての彼は英雄と称しても間違いはありませんが……彼は最後まで己を表舞台に上げることはしなかった。ならば私も彼と同じように、語り手で居たい」
    「それが、あんたの師匠か」
    「はい。私の旅、私の詩──私の約束は、師匠への憧憬が始まりですから」
    「──憧憬ね。そう言われては俺も引き下がる他あるまい」
    「引き下がらなくとも。そのまま一歩、この谷から飛び立って頂ければ、と」

     おどけるように言う詩人に戦士は頬を掻いた。

    「まいったな」

     満更でもない様子の戦士は少し言葉を躊躇って、試すかのように詩人に問いかけた。

    「伝承は決着を見た。あんたの師匠の研究も果たされた。なら、あんたのやるべきことはこれからハイラルに新しい秩序を取り戻そうとしてるあの英雄の末裔たちを詠うことじゃないか?」

     詩人は怯むことなく嘴を開いた。

    「あなたが、私が語るに相応しい英雄となって頂ければ、何も問題ありません」
    「それは“救世の勇者と同じだけの偉業を果たせ”と?」
    「まさか。あなたはリトの戦士。空の支配者を束ねる英雄を追う者です。我々の誇りが何を果てに見るものか、神の獣にさえ挑んだあなたが一番よく分かっているのではありませんか?」
     常に穏やかな詩人にしては珍しい、してやったり、という好戦的な顔をして、詩人は言い切った。戦士は少し目を瞬かせた後、おかしそうに吹き出した。
    「悪かったよ。そうか、あんたもリトの男だったな」
    「そうですとも」

     詩人は満足そうに大きく頷いて、戦士の答えを待った。琥珀の瞳は同じ筈なのだ。

    「我らが英雄の遺志は挑み続けることだ。挑んで挑んで、挑みながら死んでいけばいい」

     夕日に照らされ足裏から伸びる黒い影を振り返る。戦士の背には弓が、詩人の手には楽器がある。それはどちらも受け継がれ、伝え継がれた夢の証だ。

    「“空に果てはない”と証明するために、俺たちの翼があるのだから」

     師を追い、夢を追うリト達の琥珀の眼に映る憧れは、いずれにも果てなき空の姿をしている。

     
    ◇飴細工のお姫様
     銀作りのティーセット、赤いイチゴのショートケーキ、白いテーブルクロス。
     それらを乗せた小さな机を間にはさんで向かい合うのは青い鳥と、青い目の騎士。
     ケーキのてっぺんのイチゴをつまんで、青い翼のリトの戦士はうそぶく。

    「あの姫は皿に乗せられた生菓子みたいだ。スポットライトに照らされて一等綺麗なのに、傍にナイフとフォークがなきゃ認めて貰えない。あるいは乱暴にたかられ齧られ穴ぼこになってお仕舞い。近頃はナイフとフォークの方が使い手を選んで追い払っているようだけれど、いったいどこまで保つのやら」

     ひょいと放り投げられたイチゴは見事な弧を描いて嘴の中に消えた。咀嚼し呑み込み、にんまり嘴の端をあげて笑った彼は、次の瞬間にはケーキのひと切れすべてを指先で掴んでその長い嘴の中にすっぽり収めてしまった。
     ナイフもフォークも、ケーキの載っていた皿さえも、全てつるりと綺麗なまま。まるで華々しい生菓子なんて初めから無かったかのように、テーブルの上は静かになった。

    「……でもね、ナイフとフォークが無くても、菓子は菓子だ。そこにあるだけで甘い香りがするし、その見た目の美しさに心の張り合いを持つ者だっているだろうよ」

     リトの戦士の言葉に、沈黙の騎士は青い目をすっと閉じて、フォークを手に取った。

    「彼女は菓子ではない。誰かに食べられてしまうことなど、あってはいけない」
    「もちろん、そうさ!」

     騎士の反論を受けて、リトの戦士はますます笑う。フォークを手に取った騎士の腕を取り上げ、騎士の前の皿に美しく形を残したままのケーキの一切れに、そのフォークの先を突き刺した。

    「そう──肝心なのはね、スポットライトが当たっているのは彼女だけだってこと。伝説のあるじは僕でも、君でもない。ああ、まったく。こんな簡単な事に気が付くのに、100年もかかってしまったよ!」

     生菓子は、早く食べてしまわなければ溶け落ちてしまうよ。そう言って、青い鳥は風のように消えたのだ。残された騎士は、夜が明けるまで、一切れの欠けたケーキを見つめていた。


    ◇弔い合戦
     退魔の剣の一振りが、厄災の化身の喉笛を切り裂いたその瞬間に、彼が思ったのは一つの安堵だった。──これで、ようやく自分は死ぬ権利を手に入れた、と。
     すべての記憶を思い出したと言っても、まっさらに世界を歩み直してきた自分はやはり、仲間たちが頼り求めた100年前の退魔の騎士と完全に同じ存在ではない。
     世界の隅々を巡り、走り、眠りにつくそのときもずっと、そういう意識が少しの罪悪感となって首の後ろに付き纏っていた。首の後ろにその重しがあって漸く、かつての近衛騎士のように背筋を張り、真っ直ぐと立つことができていた。たいした演技力もないのに、ただそれだけで皆は自分をあの騎士だと受け入れてくれた。
     けれど、厄災との決戦のとき。幾多の屍を越えて開かれた血路を進み、怒りとも愁嘆とも分からぬ滾りに燃える鼓動に突き動かされ、身命のすべてをかけて剣を振り下ろしたあの瞬間。そのたった一瞬だけは、自分が完全に100年前の近衛騎士と同じになれた気がしたのだ。

     ──弔うべくは何も仲間たちだけではない。かつて悔恨の中で膝をついたまま死にきれずにいた自分自身をこそ、葬ってやる必要があるのだ。

     怨敵は倒れ、赤い月夜が明けた。彼は草原を咲き誇る青い花に導かれて歩んでいく。一歩、また一歩と進みゆくうちに、自分がまるで皮を、さなぎを脱ぎ捨てる虫のように誰か別人になっていく気がした。
     視線の先には一人の少女が佇んでいる。傷だらけの手足、ほつれた髪、白い服裾は血泥に濡れて、まるで記憶と寸分たがわない。振り返って、此方を認めた彼女は笑う。その笑顔もまた。

     ──ああ、あなたもなのか。

     自分は知っている。これは死にぞこない、舞台を降りそこねた役者の目だ。自分と同じ、死ぬ権利を無くしている者の目だ。一つ違うのは、彼女は自分よりもはるかに役者っぷりが様になっている。それが少し悔しい。

     ──俺では、あなたの死になることはできませんか。

     そうと尋ねるには、まだ100年早い。だから、もう少しだけ走り続けてみる気になった。騎士のふり、勇者のふり、友人のふり、そのどれかが、いつかこの人の張りつめた糸を切るつるぎになれるといい。それまでは、大根役者らしく棒きれでも鍋のフタでもなんでも振り回してみよう。まずは、おいしい朝食の作り方からだ。


    ◇意地っ張りに雨ふり
    「おい、おおい。“英傑様がお泣き”だぜ、さあ、さっさと家に入んなァ」
    「そら、火入れろ……鍋はあるな?」

     滅多に雨の降らないタバンタ地方に珍しく、厚い雲から小さな泪の粒のような水滴が落ちてきた、ある日のリトの村。雨音を弾いて響き渡ったリトの兵士たちの声に、ゼルダは思わず振り向いた。

    「あの、“英傑様が泣く”とは?」

     傍にいた金髪の青年に買ったばかりの小麦を包んだ袋を押し付けて、ゼルダは兵士たちに駆け寄った。

    「ああ、ハイリア人のお嬢さん達は知らねえか」
    「この“雨”のことでさァ」
    「雨?」

     言ってリトの兵士たちはちょっとその翼の先を屋根の向こうに出して見せた。撥水性の高いリトの羽毛の上に落ちた雨粒は丸い粒の形を残したまま、新しい模様のように乗っかっている。

    「俺たちはリトはこの通り、雨も雪も身体にくっつかねえように羽毛があるわけなんだがね。それを恐れたか何なのかこのタバンタには雪も雨も滅多に降らない。すぐ傍には万年吹雪のヘブラ山脈があるのに、ここはいつでも長閑な晴天だ」
    「だもんで、この辺りじゃ雨降りは“英傑様が泣くくらい珍しいこと”なんだってェ言い伝えだよ」
    「雨降りなんて本当に一年に一度あるかないかっていう話なんだ。それと合わせて我らが誇り英傑リーバル様は、何でもそりゃあじゃお方だったらしい」

     追い付いた金髪の青年が大いに賛意を示すように頷いた。

    「弱音も吐かなけりゃ泣くこともない。泣く姿なんて誰一人見たことがない。不撓にして不屈不絆。百年経っても言い伝えられる筋金入の意地っ張り」


     肩を竦めてリトの民は詠うように軽快に語る。
    「そう伝えられる英傑様なんだがな。──時折、一人で雲ん中に突っ込んで飛び回っては、ぶすくれた面を引っ提げて全身びしょ濡れで帰ってくることがあったとさァ」

     リトの民はいとおしげに笑った。

    「だから、リトじゃ雨が降ったらとっとと家へ帰って、温かいシチューでも煮込んでやるのさ」
    「リトのシチューは何を入れるのですか?」
    「マックスサーモン、マックスラディッシュ、穀類、ついでにハチミツをすこうし。あとは普通のシチューと一緒。辛いのが平気ならポカポカ草の実もちょいと入れてやると良い」

     聞いたゼルダが金髪の青年を振り返ると、しっかと頷き返される。
     そして二人はせっかく雨を避けて入った店の軒から出て行こうとする。

    「おや、入ってかないのかい?」
    「ええ。たまには、雨の日のピクニックもいいかと」
    「そうか。じゃ、リーバル様によろしくな」

     目を丸くして黙り込んだゼルダを見て、リトの兵士達は可笑しげに言う。

    「なに、冗談さ。雨に濡れてシチューを食おうなんて、リーバル様とも肩を並べる意地っ張りだ。あんたたちが一緒に食うなら、英傑様も機嫌を直してお天道様が早く見えるかもな」

     風邪引くなよ、と陽気に見送られ、二人は顔を見合わせて笑った。
     

    ◇少数民族の恐ろし伝承(ちょっとホラー)(人体を焼く描写があります)
     ハイラルを襲った大厄災の悲劇も間もない頃。英傑の死後に、彼らの生き残り・・・・はたまた生まれ変わり・・・・・・を騙る悪辣な詐欺師たちがいたという。かの尊き英傑たちの犠牲によってその命を救われていることを知らぬ存ぜぬと無礼をはたらくこの輩達は、悪事がバレたが最後、当然ながら英傑達を敬慕する一族郎党からそれはもう手痛いしっぺ返しを食らうものだ。そうして次第に命と差し引きでは割に合わぬと、自然と淘汰されゆく木っ端な悪徳者たちばかりで、今ではもう見かけることもなくなったものなのだが。

     ──ところで話はその火事場の頃。タバンタ辺境に、余所の種族の詐欺集団にたぶらかされて、リトの英傑の騙り役を受けてしまったとあるリト族の青年がいた。

     田舎故郷の古臭さに嫌気がさし、一人意地を張って外の世界を夢見るも、鳴かず飛ばずのうちに大厄災の動乱に追われて落ちぶれた。時勢に珍しくもない、至って普通の若者だった。
     それが運の悪いことに、自棄っぱちで借金でもこさえたのか、博打にでも首を突っ込んだのか、厄災どころか金にまで追われて食うにも困っていた。そこで恥を忍ぶを嫌って、おめおめと故郷に帰ることもできぬと犬の糞のようなプライドが捨てられぬ、そんな青年だ。
     そんな不運と悪い巡りに囚われてか、今まで盗みやたかりの一つもしたことがない半端な高潔者のリトの青年は、とうとう悪徳者の甘言に乗せられてしまった。

    「ひとつ、英傑の名誉をお借りして、我ら若者の未来への投資を願ってみようじゃないか?」と。

     早い話が、厄災に抗して再起を目指す英傑の名を騙って、食い物だの軍資金だのをかっ払おうということだ。

    「向こうだって、為す術無く死んだと言われた英傑様に何か貢献できるという気持ち良さを受けとるわけだから、ほらな、誰も損はしないのさ」と詐欺師達は言う。

     そんなに上手いこといきっこない、と青年は胸中で嘲るも、なぜか周到に英傑と同じだけの種族の仲間をこさえて、あれこれ騙しの技を教え合う詐欺者たちとの輪に入ると、何だかできそうな気がして、ずるずると抜けられなくなった。
     初めは、各地の馬宿を巡って流浪の旅人を相手に、一度ごとに場所を変えつつ用心用心それぞれの役を試してみた。これが意外なほど上手く行った。行く先行く先で、英傑英雄様と拝み崇められ、いい気分になって、小金やただ飯にありつけた。青年の故郷リトの村では、青年のように外へと出ていく者は極僅かしかおらず、この旅の間も青年が同族と顔を合わせることは無かった。それはひとときの余裕、安穏といったものを青年にもたらして、まだいいじゃないか、もう少し、と抜け出す気力を奪っていった。
     しかし根無し草の旅人たちがその稼ぎを日々の潰えにするので精いっぱいの暮らしをしているように、そんな相手から巻き上げた金ではやはり大きな稼ぎにはならない。

     そこで、調子づいた一団は「次は集落を訪ねてみよう」と言って、その狙いを田舎の山村に定めた──青年の故郷、リトの村である。

     青年はもちろん反対した。自分の顔が割れている土地など、どうやったって騙せないに決まっている。
     だが悪徳者たちはそんなもの気にするなと言って、心配するならこれでもつけておけと粗末な仮面と包帯を押し付けて、まったく取り合わなかった。「顔を少し隠して、大戦で怪我をしたとでも言えばいい」と。
     駄目だ、無理だ、と言い抗う半端な高潔者の青年と、騙し唆しに百戦錬磨の詐欺師たちとでは、舌戦の勝敗のゆくえは語るまでもない。

     結局、丸め込まれた青年たち一行が訪れたのは、青年の故郷の村落からなるべく遠くはずれたところにあるリトの集落だった。遠いと言っても、ヘブラの大地の内側にある以上、リトの翼ではほとんど近所と言える場所だ。少なくとも親類縁者が住んでいてすぐに出会ってしまうという危険がないだけの、青年としても苦肉の選択だ。
     どうあれ、半端者の青年がとうとう同族の前でかの英傑の名を騙ることになったのである。何者かになりたいと故郷を飛び出した青年は、あっぱれ立派な悪党になって故郷へ凱旋した。いやまったく見事な話だ。
     さて初めは後ろめたさに気が気でなかったものの、他種族を集めて英傑達を再現したのが効いたのか。

     ──いざとなってみれば、リトの村では、疑われるどころか歓迎の宴が開かれる始末だった。「英傑様、英傑様」と呼ばう声は、今までと何ら変わりがない。「お怪我をなさっていると聞きました、どうぞこの薬をお持ちください」とあれこれ薬湯や湿布まで受け取って、青年もようやく、なんだ大したことはなかったのだと安心したように宴を楽しんだ。
     そうして次々と運ばれてくる料理を上機嫌に平らげていると、村のリトから「次の一品はこんな日の為の特別な料理だから作るのに時間がかかる。少し待ってくれないか」と告げられた。故郷にそんな料理があったとは初耳だったが、酒も心地好く酔いが回ってきていたので笑顔で頷いた。特別扱いはやはり気分がいい。
     待っている間に仲間の首尾でも聞いてくるかと立ち上がると、流れる血全部が肩から下に集まってしまったかのように視界が白んて、ぐらりと身体が傾いだ。少しの浮遊感と背中への軽い衝撃。

    「おいおい、あまり飲みすぎるなよ」

     振り返ると、戦士の一人と思われるリトが自分の体を支えてくれていた。
     慌てて礼を言うと、戦士は肩を竦めて「まだまだこれから盛り上がるってのに、これ以上主役が倒れちゃ冷めちまう」と言った。「これ以上? 」尋ねると戦士は中央の焚火の向こうの人影を指さした。炎の揺らぎに目を凝らすとどうやら誰か寝転んでいるらしい。

    「お連れ様にはリトの地酒が合わなかったのか、早々に潰れちまってね」

     皆もっと話を聞きたかったんだが、と残念そうに言う戦士に冷や汗をかきながら、青年は持っていたカップを置いた。
     他の面子が沈んでしまったということは此方に人が来る。ただでさえ寄せ集めのような集団だというのに、酔いが回った頭一つで上手く誤魔化し続けられる自信はない。
     何とかして宴を切り上げ床に付き、リト達の目が効かない夜のうちに適当に“土産”をもらって逃げるに限る。酒に潰れた仲間達については自業自得だ。お互いそこまで面倒を見るほどの義理も人情もない。

    「あの、僕ちょっと…」

     意を決して顔を上げると、すうっと底冷えするような細い瞳孔が此方を見ていた。
     どきりとして息を呑むと、氷のような空気はぱっと消えて戦士は気さくに「どうした?何か食べたいものがあればとってきてやろうか」と声をかけてきた。やはり少し良いが回りすぎているようだ。ほっと息をついて、

    「いや、もう十分だ。そろそろ……」
     休みたい、と最後まで口にする前に、戦士が何か了解したように大きな声を上げた。

    「ああ!そろそろアレが来るな」
    「アレ?」
    「今日一番のとっておきだよ。そろそろ焼き上がる頃だろう」

     先程のリトが言っていた“こんな日の為の料理”だろうか。興味はあるが、それよりも此処を抜け出す方が優先だ。「あの、」と声をかけようとしたが、戦士は「まあまあ、待ってろよ」と楽し気に言うばかりで取り合ってくれない。
     それどころか、両の肩をつかまれ座らされてしまう。右も左も、屈強な戦士が詰めていて、後ろ首から踊り子のリトが腕をからませ微笑んだ。逃げ場がない。それほどこだわりの品ならば馳走に預かるのも悪くはないか、と青年はとうとう気を弛めた。ここまで何も問題はなかったのだ、だったらきっと大丈夫だ。

    「さあ、来たぞ。“お客人”。きっと気に入るはずだ、ああ、きっと──」

     ごとん、と青年の前に大皿が置かれた。四つの大きな肉塊がてらてらと油を滴らせている。しかし妙に血生臭い。きちんと血抜きをしていないのか、と首をかしげた青年は、渡された食器で肉をつついてみて──ごろり、と転がり落ちたものがあった。咄嗟にそちらへ目をやれば、それは、まるで目玉のこぼれ落ちた眼窩のような──……そんな、まさか。
     慌てて後ろを振り返る。踊り子は優美に笑んでいる。左右を見渡せば、戦士達は変わらず陽気そうに笑っている。

    「どうした“お客人”、食べないのか?」戦士が尋ねる。
    「いや、でもその、これ……」青年は言い淀む。

     そこで、はたと気がついた。……“お客人”?彼らはずっと、己のことを“英傑様”と思って、そう呼んでいた筈なのに。
     青年は立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。だが、その身体は左右の戦士に痛いほど強く肩を押さえ込まれて、立ち上がることは叶わなかった。

    「なあ遠慮することはないさお客人──我らが英雄を騙るその腐った舌には、同じ腐った同輩の肉がさぞ旨かろうよ!」

     ──とまあ、やってきた料理はつい昨日も喋った仲間の首の丸焼きで。慈悲を請う先を探し見渡しても、そこには女も男も獰猛な微笑みを浮かべる猛禽ばかり。一族の英雄の誇りを汚した愚かなリトの青年は、逃げ出そうとした翼を焼き落とされて狂い死ぬか、目の前の“料理”を食って侮蔑に塗れた余生を送るか、二つに一つってね。


    ◇青い眼
     あの大厄災の日、自身の翼を撃ち抜いた怪物の無機質な無慈悲な青い一つ目に覗き込まれた瞬間に、リーバルは思い出す。

    「──空を見つめても空が見つめ返してくることはない」

     空が自分の思い通りになることなんてない。だから空に自由と誇りが歌われる。だから我らの翼に同じものを背負う。だから、その果てを夢見て焦がれたのではなかったか。
     ではこの、己の心の臓を狙い澄まして離れない青はなんだ?
     こんなものは空ではない。
     では、この青の目が、の青の瞳と同じだと言うのか?
     否、否!
     ああ、ああ、あの茫洋として此方を見ない青は間違いなく空であったのだ。
     空であるならば、この翼を広げた末に指先が届くものであった筈なのだ。
     それを、見誤った。いいや、きちんと見えていたのに理解することを拒んだ。
     翼が届かなかったときのことを恐れたのではない。自分の翼が必ず届くと確信していたからだ。
     空が、手を伸ばせば掴めるやもしれぬ空がそこにある。
     けれどこの翼が届いてしまったら、この空は間違いなくになってしまうのだ!
     あの空がほしい。両の眼に宿した空に、空の支配者たる自分を認めさせたい。永久に広がる蒼穹を超えるための我が翼であるのだから。
     けれどあの空が此方を見つめ返してくるならば、それはもう空ではなくなってしまう。掴んだ瞬間に崩壊する理想なぞ認めてなるものか。それだけは、それだけは、たとえこの身が死の炎に焼かれようとも頷けない。孤高の英雄、その名に背負ったプライドに──いったいどれほどの瑕が付くと思っている?


    ◇師弟は音楽性の違いで解散できない(カッシーワと捏造師匠)
    「師匠。どうなさったのですか。ふみを急に寄越すなんて。驚いて荷づくりに三日もかかってしまいましたよ」

     ドアベルを二つ鳴らして、二分の間待って、また二回ドアベルを鳴らして、私の家を訪れた弟子はそう口をきいた。

     ──隠居中の師からが入ったにしては、ずいぶんと落ち着いているな。 

     私は訝しげにドアを睨んだ。もちろん、危篤というのはだ。師である私はこの通りぴんしゃんしていて、今に弟子の敬心不行き届きなところを見つけてキツツキのように軽快に嘴を突っ込んでやろうと待ち構えている。いやきちんと用件があって呼んだには違いないのだが、あの弟子は以前から師の扱いが何かとのだ。この機会に、一度礼儀と言うものを試してやろうと私が画策することも何ら無理のない事なのだ。

    「師匠?起きていらっしゃるのでしょう?窓に水差しがあるのを見ましたよ、……師匠?」

     ──良い案配に不安になっていますね。もう少し引き寄せて、あの慇懃無礼者の心配面を拝んでやりましょう。

     しめしめと思いつつ、私はベッドで布団を被る。病床に臥せっている老人らしく見えるようにだ。気分はまさに童話の赤ずきんを待つ老婆。もっとも狼に食われてやるようなか弱い老人ではなく、賢く罠を張り猟銃を取り出して迎え撃つ気概に満ちている古兵なのだが。

    「師匠!師匠!どうなさったのですか……ま、まさか、本当に……」

     弟子の声色が真剣なものに変わった。ほう、ようやく師を心配する気持ちを思い出したか。
     玄関口で今さら顔色を真っ青にして突っ立っているだろう弟子の姿を思い浮かべて、私はほくそ笑んだ。いやアレの顔はもともとで覆われているので青いのだが、気分の問題だ。
     そうこうしている内に、玄関から移動した弟子がざくざくと家の周りを走っている音がする。そろそろ痺れを切らした弟子が、窓でも割って飛び込んでくる頃合いだろう。もちろん割られてはあとで困るので、窓の鍵はあらかじめ外してある。
     さて、ここからが私の演技力の見せどころ、宮廷一の劇作家兼詩人として王よりお褒めにあずかった七色の美声をとくと味わわせてやるとしよう。病人老人女人の役だってお手の物だ。
     どんどん、とベッドサイドの窓が叩かれる。大柄な弟子の影が日差しを遮って窓を曇らせた。
     そら来たぞ。私はいっそう布団を目深にかぶり病人のフリを──……

    「師匠!また食事を抜いて起き上がれなくなったのですか?! あれほど食事と運動だけはしっかりしてくださいと申し上げましたのに……!!師匠はご存じないのかもしれませんが、身の回りの世話を弟子に任せきりで一人きりではまったく自堕落な人間になってしまうというのは、才能あふれる文人の振舞いでもなんでもなく、ただの幼稚さを捨てきれない奇人変人の類でしかありませんよ!!」
    「だッ……誰が一人で家事も出来ないズボラジジイか?!ちゃんとマトモな生活くらいしています!!!」

     ──がばりと跳ね起きて、窓を開け放ち、弟子の鼻面に文句を叩きつけた。

    「──ああ、起きていらっしゃったじゃありませんか」

     先ほどの焦り声はどこへやら、そこには余裕そうに手を組んで立っている弟子の姿がある。

     ──やられた。思わず声を張って反応してしまった。しかも窓までぶち開けてしまった。これではとても危篤の老人には見えない。後悔するも時は既に遅し、誠に遺憾ながら演技勝負では弟子に軍配があがったようだ。

    「付き合いのある人間の信頼を試そうとするのは、師匠の悪い癖ですよ。私はそんな幼稚さも嫌いではありませんが」
    「……お前のその慇懃無礼は相変わらずですね、!!」」 

     「師匠の方もお元気そうで何よりです」と言って私の弟子──リト族の詩人カッシーワは優美にほほ笑んだ。


     
    「さあ、紅茶が入りましたよ、師匠」

     目論み外れた私が意気消沈しながら玄関を開けてやるなり、弟子はぐるりと部屋を見渡してのち「まずは紅茶を淹れましょう」と言って台所に直行した。そして勝手知ったる何とやらと言わんばかりに、迷わぬ手つきで私が普段愛用している茶葉と茶器を取り出して、温かいハーブティーの香る一席を整えてしまった。
     玄関口でぼうっと立っている私に向けて、客間の椅子を引いて着席を促す弟子は、もはやどちらが客でどちらが家の主なのか分からない有り様になっている。

    「お前、この家に呼んだのは初めてでしょう。なぜ茶器の場所を知っているのです?」

     私は素直な疑問を口にした。弟子は小首をかしげてさも当たり前のように応える。

    「師匠の物の考え方はよく知っておりますから、間取りさえわかれば大体の物の位置は分かります。文机からの最短動線で紅茶だけは入れられるようになっている、以前のお部屋と全く変わってませんよ」
    「……分かったように言われると何だか癪ですね」
    「弟子とはそういうものですよ」

     さっき師をからかって一芝居打ったことを棚に上げて、弟子は澄ました顔だ。やれやれ、とため息をついて私は席に着いた。ちょうど大声を出して喉が渇いていたのだ。
     ほこほこと湯気の立っているカップを手に、一口すすると故郷カカリコの茶葉を加工した紅茶の香り高い風味が広がって、少し気が落ち着いた。

    「……美味しいですね。こちらの腕前もあがっているのではないですか?」
    「お褒めにあずかり光栄です。私もこんな高い紅茶を淹れるのは久々で、少し不安に思っていましたので」
    「わざわざ一番高いとっておきの茶葉を選んでおいて、よく言いますね……」
    「特別な日には、特別なお茶が相応しいものでしょう」

     弟子は自分も紅茶を口にして、その出来栄えにか満足そうににこりと笑んだ。
     ──特別な日、か。たしかに特別には違いない。知人に別れを告げて故郷を離れ、この弟子にさえも消息を絶って隠居した私が、わざわざここまで呼びつけたのだ。ただ茶飲み話をするために呼んだわけではもちろんない。

    「分かっているようなら、さっさと本題に入りましょう。用件は一つです。──以前より進めていた“古の詩”の研究を、お前に託します」
    「……師匠、それは」

     咎めるように嘴を挟んだ弟子を私は視線で黙らせる。

    「ここぞに及んで、私に皆まで語らせる気ですか? リト族のお前を弟子に取るとき、既に伝えた筈ですよ。私はお前に詩楽を教える。対価として、お前はいずれ老いる私の研究の継ぎ人になる──約束を果たしてもらう日が来ただけのことです」
    「……例の、回生の技術を応用した延命措置のお話は、考えなかったのですか」
    「ああ、あの変人研究者プルアが言っていたアンチエイジとかいうアレですか……たしかに近々実用に至りそうだという話は来ていましたね。まずは自身で実験をするとか言っていましたが、研究する当人が事故にでもあったらどうするのか、まったくあの研究者どもの博打好きには理解に苦しみます」
    「その結果を待ってからでもご判断は遅くないのではありませんか」

     弟子の声は固い。だがこの程度の問答は想定していた範囲内だ。私も静かに答えを返す。

    「私は、もう老いた。この世界は、もう私が立つべき舞台ではないのですよ、カッシーワ」
    「師匠……」
    「私は逃げたのです。あの厄災の復活した日、一目散に。そのときに、あの人の立ち向かう姿を見てなお、私は逃げる足を止めなかった。それでもう私の命運はつきていた、いや、尽きるべきだったのです。今まで生き延びてしまったことこそが、私がかつての私自身を裏切った天罰と言えましょう」

     これは本心であり、真実だ。ハイラル王家最後の姫君ゼルダ、彼女に仕え、彼女に恋焦がれた宮廷詩人である私は、彼女が厄災と対峙していたあのときに逃げてはならなかったのだ。女神の騎士、世界を救う退魔の剣の勇者のために残された古の詩の研究は、たしかに貴きあの人のために始めたことだった。けれども、私は、私の献身は、到底あの人の目に触れさせて良いような潔白のものでは無い。

    「……師匠のご意思は固いのですね」
    「私の弟子ともあろう者が、そんな顔をするものではありません。死に損ねた私が、今さほど後悔の無い人生を送れたのは間違いなく、お前という弟子がいたお蔭でもあるのですから」

     そう言っても弟子の顔は浮かない。

    「……もし、お前がこんな師を憐れむというのならば、この楽譜を持ってお行きなさい」
    「……これは?」
    「私の罪。私の愛。私の贖罪の詩です。かつて赤い月に呑みこまれ、とうに人々が忘れてしまったハイラル王家最後の伝説の、その真実を語るもの──とでも、言いましょうか」

     私は懐かしい思いで手に取った紙面をなでた。これは厄災が復活し、世界が混乱に陥ったあの日に私が見たものを綴った歌。近衛のシーカー族以外に、辛くもほろびを免れた人々が知りもしない貴き人々の活躍を記した詩だ。
     もし仮に厄災の怨念に怪我された城の書庫にハイラルの歴史を記した書物が残っていないとしても、この詩がいつか復興するハイラル王家の伝説の始まりを支えるものとなるように作った。
     たとえこの身がおかした不忠が許されることはなくとも、あのお方とあのお方が信じた騎士の尽力によってこの世界には平和があったのだと伝える償いくらいはできるのだ。

    「あの騎士であれば……きっとお前の言葉を疑うことは無いと思いますが。これを伝えるかどうかは、カッシーワ、お前が判断なさい。その結果として、この詩が誰にも受け取られず絶えようとも、子々孫々歌い継がれることになろうとも、私はお前を恨みません。好きにしなさい」
    「……分かりました。いずれ私がその方にお会いすることがあれば、私はその方の真贋を、この詩を届けるに値するかを見定めます」

     言って、弟子はうやうやしく私から楽譜の紙束を受け取る。

    「……ふう。湿っぽい話になるのが嫌だから一芝居打ったというのに、結局このような未練がましい話をしてしまうとは」
    「師匠は喜劇を語るのは不得手ですからねえ」くすりと弟子が笑う。
    「何か言いましたか?」私が目を吊り上げて睨む。──これも、懐かしいやり取りだ。いつもこの弟子とはこうだった。
    「我が師の紡ぐ悲劇の哀歌は世に並ぶものなしと申し上げました」
    「まったくこの弟子の嘴はよく回る……」

     呆れて肩を竦めながら「それから……あちらを」と私は部屋の隅を指し示す。
     そこには特別なプレゼントが用意してある。大人でも一抱えはあるような箱型のそれは、蛇腹のふいごの両端に鍵盤のついた、広くアコーディオンと呼ばれる楽器だ。ただし普通のものと違って、その鍵は一つ一つが大きく数が少ない代わりに、上下には音程を調節するための仕掛けが多く施されている。リト族であるが故に持てる楽器の幅が少ない弟子のために用意した、特別な楽器なのだ。

    「餞別だ。きっとお前の旅路の役に立つでしょう。持っていきなさい」
    「師匠、これは……!」
    「ふっ……礼など不要ですよ」

     と言っても感激のあまり声も出ないか。私はつり上がる口元に手をやり、鷹揚かつ厳かな表情をたたえて見せた。
     隠棲する師の意志を継ぐという少年の憧れ三大シチュエーションに、オーダーメイドの専用楽器というサプライズまで仕込んだ。これはもう慇懃無礼の弟子も感涙にむせび泣くほかあるまい。おお、我ながら私はなんというよく出来た師だろうか。
     私が一人悦に浸っている間に、弟子は楽器を手に取りその出来栄えを確かめている。

    「私の手にぴったりと収まります……師匠と言えど、これほどの楽器を用意するには多くの費えが必要だったのではありませんか?」
    「我が研究の価値を思えば、それくらい些事にすぎません。さあ、受け取りなさい」

     そして私に深々と感謝をするがいい。今までの無礼を反省して謝罪をするのでも良いぞ……との本音はきちんと胸にしまっておいた。なぜなら私は出来る師なのでね、ここまで上げてきたシリアスなバイブスも最高潮になってこの感動的な師匠ムーブ!完璧です。流石は私、玄関での失敗を取り戻して有り余る華麗な挽回だ。

    「師匠……」

     弟子が大事そうに楽器を抱えて立ち上がる。うむ、よく似合っている。少し衣装の華やかさに欠けるのが気になるが、旅装束となればこの程度が限界だろう。

    「楽器の扱いは以前一通り教えましたね。弾いてみなさい」
    「はい」

     神妙な面持ちで弟子がアコーディオンの両端を抱え、蛇腹のふいごを拡げる。木管楽器の重奏のように軽やかだが重なりの豪奢な和音が鳴り響き、その後は弟子の手がふいごを操るに合わせてきらびやかな旋律がとめどなく流れる──エクセレント。

    「どうやら腕がなまっていないようで何より。私も教えた甲斐があったというものです」

     私は期待を胸に膨らませて、鷹揚そうに腕を組んで弟子の反応を待った。
     ──さあ、弟子よ。今こそこれまでの不遜な態度を恥じ入り私に深く陳謝する絶好の機会です。さあさあさあ。
     すると、不肖の弟子は黒い嘴の下に手をやって気取った評論家のようにその嘴を開いて言った。

    「ところでこれ、調律がおかしくありませんか?」
    「は?」

     私は我が耳を疑った。詩学を志して数十年、我が耳を疑ったことが無いとは言わないが、これほど自分の耳がおかしくなったのかと疑ったのは初めてだ。それが旅立つ弟子に花を用意してやった師への感謝よりも前に言う事か。

    「何だか音が妙に派手で綺羅綺羅しいですし私の声に合わないような……?」

     ──この弟子はまあ、いけしゃあしゃあと言いよるわ。
     私はわなわなと肩を震わせ、

    「お前……ッ!!お前は、本ッ当に田舎者ですね?!!」
    「リトの村が田舎であることは私にも否定はできませんが……」
    「そういう問題ではないのです!!」

     そこに直りなさい!と一喝すれば、弟子はすぐさま素直にしたがった。やたらと筋肉質で図体の大きい上半身が、背筋を張ってすらりと立って小憎いことこの上ない。なんなんだその騎士か戦士のような逆三角形の肉体は?騎士に恋敗れた師への当て付けか?私だって、私だってなあ!平民からコツコツと詩人としての名を上げて王にお認め頂くまでの長きにわたる下積み時代には皿洗いも荷運びも厩番も護衛の真似事で剣や槍を振ることもあったのです、ただ何故か幾ら身体を動かし鍛えようとも一向に筋肉がつかなかったというだけで──いや、そんなことはどうでもいい。関係ないったらない。宮廷詩人たるもの常に優雅に上品にあるべきもの。男らしい筋肉など羨ましくなんてない。
     ごほん、と一つ咳ばらいをして私は立ち上がり、弟子の嘴先に指をつきつけた。

    「いいですか。これからお前は我が研究の完成の為……吟遊詩人として各地を旅して回ることになります。お前が今まで歌ってきた田舎村の素朴な音楽も、宮廷のような閉鎖的な場所では物珍しく響くこともあるでしょう。ですが、お前の舞台は外!そして聴衆はお前と同じような田舎者たち!」
    「リトの村ほどの田舎は早々無いと思いますが」
    「だまらっしゃい。とにかく今日明日を生きるのに必死な者達にとって、常日頃聞いているのと変わらない音楽にわざわざお金を払う酔狂はいないのですよ。仕事中でもないのに田植え歌を聞きたい農夫などいないのです」
    「ですが、ここまで派手にする必要があるのですか?」
    「あります。厄災によって多くの街々が滅んだ今……かつて城下で贅を凝らしていた貴族たちの文化は一つの伝説として機能しています。古の高貴な宮廷社会への憧れを持つ者は少なくありません。無名も無名である上にリト族という少数民族であるお前が“売り”にするべきは、その綺羅きらしい宮廷イメージです。聞き馴染みの無い雅で豪奢な音は必ず人々の注目を集めるでしょう」

     ですが、とまだ弟子は首を傾げて言う。

    「旅には何かと入り用になることは承知しておりますが、私にもある程度の蓄えはあります。獣を狩るための弓や剣の扱いも、野草やキノコの鑑定もリトの男として学を収めております。研究と詩作にに身を捧げるとはいえ、吟遊詩人として歌を売り歩くことはそれほど重要でしょうか?」
    「……カッシーワ、」

     私は侮蔑をはらんだ目で弟子を睨んだ。

    「──お前は、妻子を養うために稼いだ金を、私の研究のために使うと言うのですか?」

     それは侮辱だ。私の愛への、私の贖罪への。そして何より、これまでお前自身が歌ってきた詩への侮辱に他ならない。
     そう言ってやれば、弟子はひるんだように弟子は嘴を閉じる。

    「……いえ。今のは、失言でした」
    「分かればよろしい」

     うつむき目を伏せて非を認めた弟子に軽く頷いて、話を続ける。

    「それに何より私がお前に教えた詩楽は宮廷で通じるものばかりです。お前の感性に合わなかったとしても、私の教えた詩を奏ずるのであれば此方の音の方が合っている。……この“音”はお前に背負わせた研究以外に私が遺せるの唯一の物なのです」
    「師匠……」
    「まだ何か文句がありますか?」
    「いいえ。私は……私も師匠の宮廷楽曲に異論があるわけではありません。むしろ、私のような見習いにこんな立派な楽器は相応しくないのではないかと、少し怖じ気づきました」
    「……私は稚拙な未熟者に師と呼ばれることを許すような安い詩人ではありませんよ」

     フンと鼻を鳴らして皮肉ってやったが、弟子は至極嬉しそうに頷いた。まったく、この察しの悪さはいつまでも直らない弟子だ。

    「はい、分かっています。師匠がそんな高慢……いえリトの戦士にも通ずる誇り高さを持つ詩人だからこそ私は教えを請うたのです」
    「いま高慢と言いました??」
    「師匠のように高潔でひたむきに詩と、人々の心と向き合う詩人に出会い、共に学んだことは私の生涯における一番の誇りです」
    「カッシーワ……」

     ささいな言葉の綾はさておいて、ようやく見ることのできた弟子の殊勝な態度に、私も深く感慨を覚えた。やはりちゃんと言えるではないか。今のは少し胸にぐっと来たぞ。
     しかし誉めてやろうかと口を開きかけた私に先んじて、弟子が要らぬ二の句の嘴を開く。

    「とはいえ、コレは幾らなんでもピッチずらし過ぎだと思います。これじゃ調律の域を超えて調子外れですよ。後で詳しそうな技術者を捕まえて診てもらいますね」
    「こっ……この弟子……!!まだ言うか!!」

     せっかく感動していたというのにこの落差である。おお、やはり無粋な弟子は無粋なままなのか。憤慨に肩を震わせる私を、弟子は笑顔でスルーして「まあまあ落ち着いてください我が師よ」といなして座らせる。そういうところなのだぞ弟子よ。

    「師匠は偉大な詩人ではありますが……“発明家ではない”のですから。この楽器に不備があるのは致し方ないことです」
    「……何だと?」
    「我が師のお心遣いは十分に伝わったと言ったのです。あとはこの不肖の弟子にお任せを」
    「そうではない、お前、なぜ……!」

     知っている、と問いかけることはできなかった。すっと真剣な表情したこの弟子の眼差しの強さを、私は初めて知った。いや──長い隠棲で忘れていただけだったのか。

    「この楽器は、我が師が私の為だけに御作りになった品でしょう。そんなことは見ればわかります。私も、いつまでも“察しの悪い弟子”ではありません」

     この楽器は、リト族である弟子にも扱えるように、特別規格のものを発注した。しかしそれだけでは古の詩を奏でるには不十分だった。どんな荒れ野、どんな天候にも耐えて旅を続けることができる頑丈さ、弟子の体格に合わせた大きさの調整……それらは、技術者に頼もうにも既に金が足りなくなっていた。いやたとえ金があっても、そんな精密な物を作れる技術者はこの荒廃の世に何人もいないのだ。
     ──だから、自分で設計するしかなくなった。幸い、私も腐ってもシーカーの研究一族の出の者だから、物作りの基本は理解している。時間に明かして、店売りに出されるものと遜色ない程度の物には仕上げたつもりだったが……どうやら、私の技術も感覚も、衰えていたようだ。
     あるいは、研究の成果を一でも多く遺すよりもこの楽器を作るために時間を費やすと決めた時点で、私はもう己の天分に見切りをつけていたのかもしれない。
     ──そう、それだけのことだ。

    「……言うようになりましたね。カッシーワ」
    「ええ。師匠に似たのでしょうね」
    「まったく。かわいくない上に態度の大きい弟子ですよ!」

     ふふふ、と弟子は笑っている。のん気者め。私は深々とため息をついた。もうこれ以上この弟子の調子に付き合っていては、こちらの気もぼけるというものだ。とっとと送り出してしまうとしよう。

    「準備に三日もかけたのでしたか。ならば、この家を離れた後のことは、当然分かっていますね」
    「──はい。既に故郷とは別離の挨拶を済ませております」
    「ならば……行きなさい。私から語ることはもうありません」

     ふいと弟子に背中を向けて、それきり私は黙った。「師匠」とまるで頼りなげな声が投げかけられるが、しっしっと手だけで払ってやる。小さなため息が聞こえて、きい、と床板が軋む音がした。きいきいと弟子が玄関に歩みを進める度に音が鳴る。もっと早くに音が鳴らないように床を張り替えておけばよかった。そのまま行けばいいものを、弟子がドアの前で止まったことが分かってしまうじゃないか。

    「……見送りまではしてやりませんよ。私にはもう時間が無いのです」
    「わかっています、ただ、一つだけ。師匠──窓を、開けておいてくださいね」
    「何?」

     思わず私は振り返る。弟子は既にドアの方を向いていて、私の目にはその憎たらしいほど広い背中しか映らない。

    「いずれ……いずれ古の詩が完成して、それを伝えるべきお方に巡り合った暁には。私はきっと、ここに戻ってきますから」

     「それだけです」と言っておいて、弟子は動かない。もうそのドアを開けて、出ていくだけじゃないか。この家を離れたが最後、古の詩が完成したその時には私の返事など、何の意味も持たないというのに。本当に──いつまでも、師に気苦労をかけさせる弟子だ。

    「──だから、私は……」
    「──師匠?」
    「いいえ。もう、分かりましたよ。窓は開けておいてやりましょう。お前の望み通り、隙間風にぶるぶる震えてね。まったく老体に寒暖差は厳禁だというに我儘な弟子を持つと苦労が多い……さ、ほら。行きなさい。私が師として見栄を張れている内に……」

     「……──我が弟子ならば、察しなさい」この慇懃無礼で、しかしどこか抜けたところのある弟子に何度となく言ってきた言葉だ。だがもう、言うことは無いだろう。──旅立つ詩人を引き留めるのは、無粋な観客のすることだ。遍歴を知らぬまま吟遊詩人を名乗る詩人もまた同じく無粋。私も、彼も、このハイラルにおいて命よりも誇り高く詩に身を捧げて生きると決めた者なのだから。


    ◇詩と伝説
     ハイラルの音楽神は、叶わぬ恋をくびり殺して残った憧憬その先に佇む美しい姫君の願った未来を繋ぐための詩に全てを捧げた宮廷詩人の姿をしている。詩を。音を。魔の者には奪わせぬ。この世界の音楽という愛は、我々ヒトの領する誇りである。世界に流れる全ての音は、決して魔の者に味方することはない。
     音楽神の加護は姫君にあり、彼女の願いを叶える。姫君の祈りは世界を抱擁し、彼女の願いを受けて目覚めた勇者は、走り、眠り、生きていく程に世界のどこに居ようとも、己を導き鼓舞する旋律の聞こえてくるのを感じるのである。
     ──そして古より受け継がれし退魔の剣を携えた勇者は、その誰かの想いを運ぶ為に音を奏で歌い続ける者を、詩人と呼んだのだ。


    ◇方舟の姫と青い鳥
     世界が紅い泥に満ちる未来を知ったハイラルの姫巫女は木の檻籠から青い鳥を放った。
     鳥は、一度目は何も持たず直ぐ籠に戻り、二度目は一枚の書状を携えて戻った。書面を見た姫巫女は空色の布を編み鳥の首にかけた。三度目に姫巫女が木の檻籠を開け放った時、青い鳥はいつまで待っても帰ってこなかった。
     方舟の鳩は過ごしやすい大地を見つけて帰ってこなかった、ノアは水が引いたことを知った。
     木の籠から外へ出た青い鳥は紅い泥を食い止めて死んだ、姫巫女はまだ終わりではなかった希望を知った。
     もう一度紅い泥が溢れてしまうまでに、勇者が目覚めると信じて、姫巫女は泥に塗れた方舟の中で一人。


    ◇夢を見る鳥
     飛行訓練場で鍛練に疲れ果てたリトの戦士たちは、いつも決まって渡り鳥の夢を見るという。愛しくも苦しい故郷の雪山を離れて、どこまでも空を無限に羽ばたく夢を見るのだ。遥かな空を爽快に飛び抜けた先で、どこか誘われるように暖かな南の大地に降り立って「嗚呼この場所こそ求めていた安寧の地だ」と草原に寝転がって空を仰ぐと、そこに一羽の大鷲が渦を巻いて飛んでいる。
     地に背を着けて翼を温んだ砂にまみれさせて寝転んでいるリトの目の前で、たった一羽の大鷲が中天の陽へ、陽が沈めば中天の月へ、空が雲に覆われたなら一声鳴いてハイラルの龍が空を割って降臨するが如く雲壁を突き抜け真っ直ぐ羽ばたき続けている。あるとも知れぬ蒼穹の果てを目指している大鷲の姿が見えるのだ。
     飛び続ける大鷲を呆然と眺めている間に、大鷲の姿は見えなくなるほど遠ざかってしまう。渡り鳥の夢を離れた戦士が、大鷲よ待ってくれと慌てて身を起こせば、そこで目が覚める。見慣れた天井、聞きなれた気流の唸り声。眠りにつく前と違うのは目に焼き付いて離れない大鷲の姿。
     ──飛行訓練場で大鷲の夢を見た戦士は将来に腕の立つ立派な戦士になると言われている。夢を見た戦士に大鷲について尋ねると、誰しも決まって「大鷲は空の青より深く青い翼で、天上の星を掴まんとしていたのだ」と応えては、彼らもまた空の向こうの星々を目指して羽ばたいたと言うのだそうだ。戦士は夢を見て、またその夢に青き翼を思い夢を追い続けるのである。
     あるいはこんな話もある。後進の育成をする年配のリトの戦士の間では「どうしても無茶な訓練をしようというときは必ずリノスの飛行訓練場で行う」という暗黙の了解がある。一つ間違えば命が危ういような訓練でも、その飛行訓練場では不思議と死者が出たことがない。リトの人々はきっと英傑様が見守っていてくださっているのだ、と語る。
     これらの話が我々に伝えてくれることは、リト族達が抱く彼らの思慕する英雄へのある種の敬虔さと、そして翼というハイラルにおいて他にない能を持つ民ゆえの神秘的な連帯である。
     ──リト族は翼の民、そしてその翼をもって夢見る民だ。空の果てに、星の向こうに、夜の隙間に、風の始まりに、彼らは色鮮やかな夢を見て翼を羽ばたかせる。命尽きるまで翼は夢を追う。時に歌い、時に弓弦を打ち鳴らし、蒼穹の神秘を追いかける。空の支配者の夢は尽きず、欲は果て無く、翼下に収めるべき久遠くおんの空を求め続けるのだ。


    ◇怒れる翡翠
     リトの英傑リーバルは「伝承の運命を背負った勇者」に対する挫折を認めたくなかった。
     今まで全てに打ち克ってきた自分を唯一切り伏せるものが、神とやらが選んだ運命、などと。それは今まで自分が打ち克ち乗り越えてきたものたちをも侮辱する、理不尽な暴虐だった。
     伝承に存在し得ない自分には世界を救う資格がない、などと。納得できる筈がない。認められる筈がなかった。だが、怒りを滾らせど滾らせど、ぶつける相手は居もしない。回り回った神への悪態は、ちょうど、その寵愛を一身に受けた得たいの知れない勇者様に向かったというわけだ。
     そう。あいつが何を考えているのかが分からなかった。伝承に選ばれ退魔の剣を振るう勇者。運命を持ち得る彼こそは、名もなき鳥が威勢を飛ばすのを笑っていやしないか。それとも空しい努力を重ねる鳥を哀れんでいるのか。あの、わけの分からない神とやらのように!
     一度、そう思ってしまったら近づく気も失せた。この世界はお伽噺のままだ。脇役には舞台の中心に上がれぬように仕掛けがある。そして、自分にはそれを覆す力がない。あの姫が嘆くように。
     ──本当に?
     ふつり、と怒りが煮える。
     ──否。
     燃えるような激情が、一心に叫んだ。
     ──負けてたまるか!
     リトの戦士リーバルは、それを認めない。伝承に名の無い鳥は世界を救えない?運命を持たない鳥は勝利できない?──否、否、否!僕は証明してみせる。空の支配者こそが悠久の勝利を果たすものであると。僕は抗ってみせよう、神などというまやかしに頼らずとも、己の翼で勝利の運命を掴んでみせる。
     ──僕は証明してみせる。この翼は、引き続けた弓は、貫き通したプライドは、運命の方を振り返らせてやるものだと。
     ──伝承の勇者。伝承の姫巫女。剣に選ばれし者。光に選ばれし者。この世界を形作る、運命の象徴たち!神とやらの代わりにこのリトの英雄の勝利を、しかと目に焼き付けさせてやる。
     神の愛し子、運命の御子たちよ、僕の翼を畏れ、その目に戦意を燃やせ!この僕を、リトの英雄を、己が運命を脅かす強大な好敵手であると知るが良い!


    ◇星に盲目 
     月が夜の帳を下ろしにやってくると言うだろう? だが我らが英雄、リトに名を轟かす旋風の射手は、悠々と辿り着いた月に弦を張り、力の限り引き絞って天に矢を放ち、夜の帳を引き裂く流星を生んでみせる。リトの目を奪う宵闇の中に、星という灯りを作り出した英雄だ。手を伸ばし、羽ばたき、目指すべき頂きを自ら星となって示したのだ。ああ、まったく見事な偉業だよ。彼は振り向かなくっていい。俺たちを見なくっていい。俺たちが勝手に星を見上げているだけなんだから。星、星、ああ、天の星たちそのどれよりも彼が飛ぶ姿が夜を支配する。夜の闇も目蓋の裏の暗がりも閃光のように切り裂いていくのは彼の人の翼に他ならない!夜さえも翔る青き翼の軌跡!天空をほしいままにする孤高の英雄よ!
     あの輝けるリトの英雄を、世界で最も勇猛で、颯爽と輝く存在だと憧れ続けていたい。ゆえにこそ、ゆえにこそだ。我らリトの掌中には決して収まらぬこのハイラルでは──かの“勇者”にこそ、完璧なまでに美しく完成された運命の物語を背負い貫く最も優れた存在であってほしいと願うのだ。そうとも、くだらないエゴの押し付けだ。
     ──だってそうでなけりゃ俺は、あの人が認めたあの人の敗北を、いつまでも受け入れられない。
     “勇者”よ。あの英雄に勝ったお前は。あの英雄がとうとう掴めなかった生き延びる運命を、世界を救う運命を手にしたお前は。誰よりも何よりも強く勇ましく高潔であらねばならないのだ。そうあってくれなければ俺はあの英雄の誇り高き決断を心から称えることができなくなっちまう。とんだ押し付けだと分かってても恨んでしまうのさ。
     お前の背負ってる剣はそれほど重たいものなんだ、お前が言葉を交わさなかった事であの人につくった瑕はそれほど大きなものだったんだ、俺たち皆が夢見る最高に格好いいあの人を切り伏せたお前は、誰もが敵わないと認めるような運命に選ばれ運命を掴み取った最高でなくとも最善の勇者様でなけりゃ、俺はお前を恨んでしまうんだ。
     なあ勇者殿、お前は、それはそれは高潔で心優しくかっこいい英雄さ。お前のことは、きっと取り戻した平穏な生を謳歌していく姿に心から安堵を向ける慈しむべき一人の人間だと思っている──そう思っているからこそ、こんなくだらないことで恨んでしまいたくはない。そうさ、お前に何も非は無く、ただ己を信じきれぬ俺の心が弱いだけ。
     俺はお前を恨みたくないと恨み続けて死ぬのだろうさ。何もかも失われた世界を背負い、何もかもは無理でもあの日求めた温かな光の続く明日を取り戻してみせた勇者様に、感謝ではなく恨み節を吐こうって不義理で罰当たりな愚か者だ。どうか感慨も無く切り捨てちまえ。きっとそれが一番良い選択だ……。


    ◇神様になった鳥(めどりば)
    「僕がお前をかみさまにしてあげる」

     彼はそう言って青いスカーフをたなびかせた。

    「だからお前も僕を英雄にしてくれよ」

     頼むというよりも挑発するような声で囁いた彼に、メドーは一つ鳴いて肯定の意を返した。
     メドーは兵器であり、彼は兵器を操り戦う戦士であり、一基と一人は共に勝利の名誉を分かち合う間柄だ。
     大厄災、紅い月夜の仇敵ガノンという、かつて彼とは別な繰り手と共に下した敵をもう一度倒し、野心に燃える彼は今に英雄と名を残して、メドーは今度こそ空の守護神として人々に愛される。ごく簡単な契約だ。
     過去の記録に倣えば、約束は果たされる筈だった──それなのに、今この世界にはもう何度、紅い月が昇ったことだろうか。
     虚空を彷徨う絡繰りの鳥の背にはもう、生きているものの気配はない。号令はなく、役目は霧散した。紅い月が昇っては落ちるのを見続けて、時が機体を侵食していく様を待つだけの歳月。いつしか存在すら忘れられていくだろう。前回と……一万年前の戦いの後と同様に。
     「お前を神様にしてあげる」と彼は言った。神とは何を為すものだったか。メドーは神との交信機能を持たない。
     この身は敵を打ち倒し、人を護れと造られた兵器ではあった。だが兵器が神として祈りを受けて何ができるというのか。兵器は命令なくして動かない。そして命令さえあれば、それが誰のもので、どんな意図を持っていようとも兵器は動く。──彼の同胞を撃ち落とせ、と紅い泥が命じるならば砲門は開くのだ。
     一度、地に撃ち落とした。二度、空を追い落とした。かぼそかった神への祈りは一夜にして爆発しそうなほどの憎悪に変わった。
     見上げる視線が、詠われる呪詛が、「お前は悪魔だ」と訴えていた。
     彼が与えてくれた「神」の名すらも失ったことが、こうして災厄に支配されながらも、磨耗した記録から消えかけていた約束を思い出させた。

     ──かつて、彼は絡繰りの鳥を神へと仕立て上げた。空の支配者たちは天上を征くこの鳥を歓迎と共に称えた。

     その頃の鳥は「英雄が従える兵器」だったからだ。そう。彼は兵器を神に仕立て上げるよりも前から英雄だった。射る矢は細を穿ち天翔る姿は疾風の如し、と空の支配者すべてが彼を誇り、称え、詠った。
     メドーの繰り手は英雄だった。英雄は兵器に居場所と名前を与えた。名を付けたのは研究者たちであったが、実際にこの兵器に名を呼び与えたのは彼と、彼の言葉を信じた彼の同胞たち翼の民。約束は端から成立する筈もない、言葉遊びだった。

     ──彼から与えられたもの。美しい夜。動く機体。人々の憧憬。遠く荒ぶ風の音誇り高き戦いの舞台。共に空を駆ける者がいる喜び。この自我そのもの。

     ──彼から奪ったもの。美しい朝。動く肢体。人々の憧憬。渦練り起こす風の技。誇り高き戦いの舞台。同胞と空を駆ける喜び。彼の、命。

     彼の死を定めたのは厄災に侵されたメドーの機能だ。彼の未来を壊したのは、メドーを操り戦うという繰り手の職務だ。

     ──一心同体の筈の繰り手の彼を殺したのは、他ならないメドーなのだ。

     それでも、彼は言った。「お前と一緒なら死出の旅路も悪くない」と、その命を燃やしきる間際にそうメドーに告げた。
     彼の死を閉じ込めたこの空の檻、もう翼も動かせない地に落ちた兵器を、彼はまだ空の神と呼ぶのだ。
     だからせめて。せめて。

     ──あの月を、打ち砕こう。
     ──彼の名を、この空に刻み付けよう。

     なぜならば──彼が私を神と呼ぶのだ、彼が私を神であれと許すのだ。
     だから、メドーは空の神であらねばならぬ。
     己の明晰な思考回路がその存在を否定しようとも、メドーは、ただ彼の為によって、空の神であり続けるのだ。


    ◇帰郷(やくもく)
     繰り手の任を承諾して姫に同行しヘブラを出ていったリーバルだったが、故郷の防衛戦線が気にかかり、たまの休みに帰って来てみれば、なんと意外と皆つつがなくやっていた。
     忙しい市場、広場で駆け回る子ら、客引きに熱心な店番に、買い物客。水場へ洗濯へ出掛けていく者に、起きたばかりなのか寝癖だらけの頭でえっちらおっちら駆けていくリトが並ぶ。
     僕がいなくても村は大丈夫そうだと安心したと同時に、リーバルは何故か寂しさを覚えてしまった。自分はこれほど心配じていたのに、皆はまるで変わった様子がなく過ごしていたのか、というちくちくした気持ちだ。
     そうして輪にも入らず佇んでいたリーバルの背に「リーバル?」と窺うような声がかけられる。
     振り返ると驚いた顔をしたリトの戦士が、ぽっかり嘴を開けて指をさしている。
    「リーバルじゃねえか!!」
     その大声を皮切りに「ええっリーバル様?!一体いつお帰りに?!」「リーバルだって?」「何!リーバルが帰っただと?!」「ヘブラの英雄リーバル様のご帰還だぞ!」「おい!宴だ!倉庫番ケチってねえで酒出せ!肉もだ!」「リーバル様!先日の襲撃で採用した陣形についてリーバル様のお考えをお聞きしたく…!」とまあ戦場の喊声もかくやという大声が喜色と驚愕を伴って飛び交い、リーバルはあれよあれよという間にリトの仲間達に囲まれ、いつの間にかできあがった宴席の中心に据えられた。
     右も左も皆が、リーバル様リーバル様、リーバル!と親しげに己の名を呼んでいる。嗚呼どうして懐かしいと込み上げる想いを胸に一つ一つ応えてやるうちに、リーバルは何だか心配していた自分がおかしくなった。
    「やっぱりリトの村は僕がいないとダメだねえ!」と言って、「なんだと?!お前が可愛い姫さん達に囲まれてる間ちゃあんとリトの村を護ってきたのは俺達だぞ!」といきり立った戦士達と笑い合いながら明かした夜は、いつもと変わらぬ愛しい故郷のものだった。


    ◇夜を望む(やくもく)
    「夜の空は美しい色をしている」とテバは言った。
     その口ぶりが彼の無骨な人柄に似合わず詩人めいていて、リーバルは思わず「鳥目の僕らに夜の色が見えるもんか」と反論した。
     丁度ちろりと囲炉裏の火が風に吹かれて、火を囲んでいるテバとリーバルの二人にその影がぶわっと躍りかかり、リーバルの棘っついた声に空気が揺らされたような具合になった。

    「見えないこともないじゃありませんか。月の光に透ける夜の青さと灯火の奥に落ちる深い闇の違いくらいは、俺たちの目だって違うものと分かるでしょう」

     テバはその黒い指先でリーバルの背の向こうの外の夜闇と、囲炉裏の火にあぶりだされている室内の隅の暗がりとを指さし比べて見せた。外に繋がるバルコニーを背に座っているリーバルの目からは、どちらの闇も彼の指先の黒と溶け合って、とても見えない。
     だのに、テバはまるでその闇の区別がつくようなことを言うのが、リーバルには面白くない。

    「へえ……君の知っている“夜”は青いんだ。はきちんと仕留めたかい? 」

     リーバルは少しからかってやるつもりで言った。明けの烏はリトの気取った詩人が、誰ぞ良い人と寝所を共にすることをほのめかすときの常套句だ。夕を過ぎれば次は朝のリト族が、夜っぴて言葉を手繰るなら、それは一つににきまっている。
     普段ならばそんな下卑た揶揄はきつく眉を寄せて睨むような側に自分は立っているはずだったが、どうしてかこのときばかりは、何か子供の癇癪のような意地がテバのきりりと形の良い眉をくずしてやらねば気が済まないと、リーバルを急き立てた。
     しかしながら目論見は外れて、テバはすっと目を閉じて「そうですね。は床で灯りをつけるのを嫌うのです。ハイリア人のように目の青いのが人よりも夜目が利くのか、すぐ蝋燭の火を消してしまう。すると、の青い目は、夜のように色味が深く見えるのです」と澄ました顔で言う。

    「それは、……惚気、かい? 」ふいをつかれて、リーバルは恐る恐る聞き返した。
    「なんです、先に言い出したのはリーバル様でしょう」テバは不思議そうにリーバルを見やる。
    「だって、君が今までそんな風に君の伴侶のこと話したことなんかなかったじゃないか。噂好きの女将さんやお節介な爺さんたちがアレコレ聞き出そうとしたって何にも云わなかったのに」

     大厄災の夜に未来から飛んできたと言ってリトの同胞のなかで一人ぽっかり浮いている彼は、年頃もよい案配、実力と気骨の確かな戦士なお蔭で、誰ぞはいないのかと周りが放っておかない。その中にはもちろん、相手がいないならうちに来ないかと虎視眈々と探っている者さえもいるものだ。リーバルも何度となく、テバの身上について教えてくれと袖を引っ張られたことがある。テバが話さぬのならリーバルが知っている道理も無い筈なのだが。
     しかし当のテバは首をかしげて、「……そうでしたか?」とのたまう。
    「そうだよ……」テバには自覚がなかったらしい。リーバルは調子を外されて大きくため息をついた。
    「まあ……俺も、リーバル様が相手で、少し嘴が滑りました」 

     宴で根掘り葉掘りと聞いてくる戦士達に毒されましたかね、等と言って彼の金の目は夜の藍色を見つめている。誰を思い出しているのか、リーバルは問い詰めたくなったが、しかし彼の嘴から知らぬ名前を聞くことが恐ろしかった。
     リーバルの言葉を止めさせた、ぐわりとのどに詰まったように湧き上がる意地っ張りの気が形を成したようなもの──それが、ひどく独りよがりの憧れの内のものだということを知るには、リーバルの胸には恐れが勝ったのだ。
     夜の空は、空の支配者たるリトの目からただ一つ逃れていく景色。空の支配者として守ってやることも、空征く戦士として未知の果てを追いかけて飛んでゆくこともできはしない。恐れ嫌うのが当然で、褒めて喩えるなど恐れしらずもいいところだ。

     ──ああ、でも。たったひとつ星を見ているのだと、この男は言っていたな。

     大厄災のその日、雷雨の夜を戦い抜いたリトの英傑の伝説が、100年先の未来のリトでおとぎの星と語り継がれていることをリーバルに教えたのは、この男だ。鳥目のリトが見えない夜闇に眼を凝らすのは、愛しい人を腕に抱く他に、消えぬ戦士の誇りを探しているのだと伝説を囁いて悪夢を祓ったのは、未来から来たこの男だけでしかありえないのだ。
     険しい顔をして物思いに黙り込んでしまったリーバルを、窺うようにテバが嘴を開く。

    「リーバル様の翼も、夜の色をしていますよ」

     その嘴ぶりはやはり、彼に似つかわしくない詩人めいている。喉元まで来た意地がまたさっきのようにリーバルの嘴を心外に動かそうと鎌首をもたげた。
     けれども二度も同じ意地の想念に押し流されてしまうことが、彼に言い宥められることよりも我慢のならない格好悪いことのように思えて、リーバルは努めてその意地を振り切り、あっけらかんと振る舞い、声を出す。

    「なあに。だから、このうつくしい僕と同じに夜は美しいって、取り成したつもり?」
    「駄目ですか」
    「うーん、全然ダメ」
    「あなたが美しいのは本当じゃありませんか」
    「僕が美しいなんて、そんな当たり前の事の確認で僕への讃辞になると思ってるんなら、明日の訓練は取りやめにして、代わりに詩人のところへでも勉強に行ってもらおうかい? 」
    「それはまた、手厳しいな……」 

     口ぶりとは裏腹にテバはからりと笑う。嫌味が応えない相手は、調子が外れる。リーバルがふんと鼻を鳴らすだけでとっとと寝床に上がり込むと、それを待っていたようにテバが燭台の明かりを吹き消した。
     ふっと室内が暗くなり、リーバルにはまばたきをしても暗闇の見分けがつかない。しかし少し離れて、軋む棟木と寝具の布の擦れる音がたしかに聞こえてくる。

     ──暗くて見えないのは僕と同じだろうに、器用な奴だ。

     リーバルは一人胸にごちて、自分の両の翼で顔を覆うようにして寝床に丸くなって目を閉じた。
     目蓋の裏にはまだ、夜を語るテバの目に映っていた炎の光がある。他人のリーバルの目にさえこれほど眩しく残像が焼き付くのだから、テバの目はリーバルよりももっと光ばかりが映って仕方が無いのかもしれない。
     夜が美しいと言えるのは、美しく見せている光があるからに過ぎない。陽の光で夜に月が白く浮き上がるように。炎のゆらめき、星月の輝き、命をともしびに燃ゆる蛍籠。それらがなくなってしまえば、鳥目のリトに限らずともヒトは皆、陽の昇らない時間を震えて過ごすに違いない。そして目蓋を開けても閉じても続くその闇の色を恐れるだろう。ヒトがヤマガラスが横切るのを嫌うのは、その昏い羽根の色を恐れる故だ。

     ──あの男は、夜の色が黒いだなんて思ってはいないんだろうけど。

     彼の妻の藍の瞳がなぜ美しいのか。彼の友だという男の濡羽の髪がなぜ美しいのか。
     なぜ、リーバルの翼の色を夜の色だと言って、美しいと思うのか。
     きっと、あの男に言っても分からない。だが、彼の妻と言う人も、彼の友という人も、彼が分かっていないことを知っていて、黙っているのだ。リーバルが今そうしているように。

     ──夜を好むリトはいない。当たり前だ。誰もかれも、自分の弱みは隠しておきたいものだから。

     だが──リーバルは夜を嫌うことができない、彼もまた夜は美しいと思ってしまうからだ。彼がともすれば命を落としていた運命を呼び寄せたのは夜の暗い洞だが、その運命を覆したものもまた夜のお伽噺だったから。
     共に生きていくには遠すぎた。けれどもその遠さのおかげで、今ここで隣り合っていられる。指先にひっかかるくらいの距離が動かない──僕らは、そういう運命なのだ。


    ◇御伽にたずねる(やくもく)
    「どうしてお逃げにならなかったのですか?」

     可能不可能、誇り高き戦士の信念は脇に置いて、テバはリトの英傑その人に尋ねずにはいられなかった。
     テバは知っている。自らの憧れたリトの英雄の物語、その始まりが同胞たちの死から語られることを。100年後の未来で両手両足指を二巡もすれば数えきるほどに数を減らしたリトの同胞たちが、かつては皆ただ一人の愛する家族を救い出すために夜の空へと死に果てて行ったことを知っている。それほど彼らを急き立てたのは、いったいどれほど輝く英雄だったのかと興味を引き立てるところから、リトの御伽噺は始まるのだ。

    「逃げる?考えたこともなかったな……」

     果たしてリーバルその人はまるで虚をつかれたように目を丸くして首をかしげた。

    「おそらく、僕の翼を持ってしてもメドーのバリアから脱出することは出来なかったろう。端から逃げるという選択は潰されていたんだよ……と、そう言っても、君は納得しないんだろうね」
    「たとえあのバリアが無くとも、あなたはあそこで戦い果てるおつもりだったでしょう。俺はあなたを知って日は浅いが、あなたがそういう戦士だということは確信をもって言えます」
    「君だって同じことをしたじゃないか。それなのに、君は僕に尋ねるのかい」
    「俺とあなたでは、負っているものの大きさが違います。俺が死ぬことは俺の生で閉じる出来事に過ぎないが、あなたを失うことは、リトのすべてにとっての傷だ。……そのことを、あなたはご自分でも知っている筈だ」

     テバは食い下がるように言った。御伽の英雄、憧れの偶像。その人に問いかけたいこと、確かめてみたいことは幾つもある。だが、この問いかけに先んじてそれらの微笑ましい興味を満たすことは、リトの戦士の末席に並ぶものとして到底できはしない。
     リトの英雄は変わらず「否定はしないよ。僕は、僕が守ると決めた誇りにかけて愛する仲間を護り抜くだけだもの」と言う。
     だからテバも言った。

    「あなたが皆を護るために命を懸けるのと同じように、俺達も皆もあなたを護りたいと命を懸けてしまうんですよ」

     リーバルはテバの方を見た。その顔には責めるような色があるわけではなく、ただただ相手との意見が折り合わないことに歯がゆそうに顔を歪めている。

    「これじゃ平行線だね」「あなたも頑固な人だ」「君ほどじゃあない」

     静かな言い合いには先が無い。テバは俯いた。同胞たちの屍にやはり答えは見つけてやれないのか。この人の孤高は、どこまでも俺たちを置いていくものでしかないのか。認めたくはない。この人を星と呼んだことは本当だ、だがそれは、届かないことを承知して諦めるためではない。いつまでも輝いて見続けるためだった筈なのに。

    「──じゃあ、一緒に飛んでいくしかないよな?」
     弾かれたようにテバは顔をあげる。リーバルはその目に強い意志を宿して訴えかけているようだった──君のプライドはそんなものか?と。

    「君では僕を止められない。分かりきっていることだろう? だから、僕が聞くのは一つだけ。──君は、僕についてこられるかい?」

     ああ、とテバはかつて同胞たちが夜の空へとその翼をくべていった気持ちを理解した。きっと彼らは死体を探していたわけでも、伝説の終わりを見ようとしていたわけでもない。──ただ同じ空を飛んで生きてみたかったのだ。

    「そんなの──腕が千切れたって飛びついていくに決まってる!」
    「良い返事だ、後輩。リトの戦士はそうでなくっちゃね!」

     
    ◇リトの英雄という人
     リトを護りし孤高の英雄、リトの男として勇ましき戦士になるよう誇りあれ強くあれと教えられ、それが目立ちたがりで傲慢な性格にぴったり合って、めきめき伸びた。のびのび育って期待され、応えてみせたら喝采が起きた。それがとても彼の性に合った。それだけで腹がくちくなる程とびきり嬉しいことだった。
     期待されると気分が良くなるので応えてやって、成果に喝采を受けたらまた気分が良い。期待されることに苦もなく不可もなく、応えることにもまた苦もなく不可もなく。そしたらば期待されたらされた分だけ彼はぐんぐん強くなる。また大きな喝采が起こる。嬉しくなってこう聞いた。

     「どんな英雄がほしいか?」と。

     期待の声はあちこち膨らんだ。とびきりかっこいいのが良い。とびきり強いのが良い。勇ましくあらねば戦士にあらず。気高き誇りを持たねば戦士にあらず。美しくあればなおのこと良い。彼がうんうんと頷いて聞いてやっていると、一人がこう言った。

     「だがお前は今も昔もずっとそのままのお前で最高の英雄だ」と。

     これには大いに驚いた。期待の偶像を用意してやらずとも、ただ己がそのままあるだけで彼らの期待は叶うと言う。彼らの夢は己が気儘にあることそれそのままだと言う。これまで期待の偶像を壊す努力の姿を見られることに嫌気はさしたが、努力をすることに苦はなかった。だがその嫌気すら無用の気苦労だと彼らは言う。
     なんともまあ面白きこと。気の向くまま強きを求めて月に弓引き、誇りに胸張り星へ羽ばたけば、その姿だけで彼らは称揚の唄を届けんと自らも翼広げて奮い立つのだ。これが愛しくなくってなんとする。己の翼が向かう先が彼らの信じる夢の果てであり、己の弓矢が射落とすのは彼らが抗う不可能の壁である。

     「それでいいのか」と彼が問えば、民は応えた。
     「お前は星だ。リトの民が唯一見上げる夜空の星だ。この両の目では夜闇の先は見えぬものと諦めていた俺たちを、此処に空があるぞと導く星だ。真っ暗闇に他の何も光は見えやしない。だがお前がいる限り、俺たちは向かう空を、目指すべき果てを見失うことはない」

     誰かが言った。──へブラの英雄は孤高の英雄、誰の手にも届かず誰を振り返る事もない孤高の星。
     また誰かが言った。──だがの英雄に孤独はない。リトにの星を見上げぬ者はいない。届かぬと知っても彼の星に手を伸ばさぬ者はいない。愛すべき英雄、まばゆい星への憧憬は、尽きずリトの翼を空へ駆り立てるのだ。

    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👍👍👍😍
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works