記憶羽ばたく寝物語子守任務のお昼寝当番をしているテバを目撃するリーバルの話。
『黎明を追う鳥』の話を前提にしている二人。
※捏造100%
◇
おや、聞きなれない声がする。リトの村は昼下がり、任務を終えて一息つける場所を探していたリーバルは、知己であるはずの低い声に誘われて、ぱちりと瞬いた。
風の音、鳥のさえずりヤンマの羽音、つむじ風なんて当たり前に動じず少し声を張って売り買いをする人々の会話、板張りの階段通路をきいきい鳴らす往来の音。村の穏やかな喧騒のなかで、さほど目立つでもないその低い声音を拾い上げてしまった自分の聞き耳に内心少し首をかしげる。
しかし、一度拾い上げた声音は耳から離れない。理由を深く考え始めたら墓穴を掘る気がするのでナシだ。後に詰めている仕事もない、他に仕方なしと興味の向くまま声音をたどって、リーバルは風に揺られる編み髪を押さえながら村の階下を見下ろした。
赤い屋根、青い屋根、煙突とばして松の木数えたら声が遠い、行きすぎた。視線を戻って身を乗りだし、首を伸ばして足元真下までぐるりと覗く。
──居た。やっぱりテバだ。でも、なんで子守り部屋?
白い大柄なリトが、子供たちの昼寝用の釣床に囲まれた部屋の中央のラグに座り込んで、目を閉じている。けれど寝ているわけではない。嘴が忙しなく動いて、喉が張っていて、何より膝や背中にくっついてるリトの子達がみな、白いリトのゆるい手振りと呼吸の抑揚に合わせてわあっと目を輝かせているのだ。
「それでそれで?」傍らの子が白いリトに話を急かす。
「戦士さまはどうなったの?」もう傍らで別の子が催促するように白いリトの翼をぽんぽん叩く。
「ああ、戦士さまは諦めずに羽ばたいた、雲を越え、ヘブラの御山が真っ青に見下ろせるほど髙くを飛び、そこから大地の亀裂が産んだ沼の竜の鼻先に目がけて、急降下一直線……」
よく隣で聞いている低い声が、聞きなれない声音をして何事か語っている。歌ではない。戦士の凱歌ほど激しくはなく、わらべ歌のような長閑さもない。お説教や授業の類いでもなさそうだ。
リーバルの知る中では“自慢話”というのが一番近い。それも、酒の入ったリトの戦士のがなるような管巻き武勇伝ではなくて、もっと静かで丁寧な、我が子を誇る親のそれみたいな。
リーバルは螺旋づくりの村の上階の欄干から身軽に飛び下りた。あの白いリトが森で子供を背に乗せたまま身を屈めて降り立った時みたいに、風を制御して身体に力を込め、音を潜めて着地の勢いを殺し、ごく静かに階下の床板に足をつける。欄干横の風車だって半回転もしないくらい、そうっとした着地。
おかげで子守り部屋の中までは気付かれず、低い声音は話し続けている。
「……そうして、一条、二条。疾風の戦士の放った矢は、まるで流れる星の軌跡のように渓谷を渡って飛んだ。光の尾を引く矢が、ぐんとスピードを落として鏃の先を決めた時には、ちょうど歩きの星屑売りの持っている星取り籠の真上だった」
「星くずうり?」テバの白い後ろ髪を押し退けて肩口に頭を出した子が訊いた。
「村の灯籠の中身にもある、“星の欠片”を拾い集めて売っている商人たちだ。星の流れる空中で取らないかぎり、地面に落っこちて転がる間にどんどんと欠けくずれて、拾うときには“屑”しか取れん。彼らは屑を集めて、粉にしてから形を整え直して売るんだ」
だから“星くず”売りだ。リトは夜目の効く奴が空中で捕まえるから大きな欠片を灯籠に入れて灯りとして使うが、外の人々にとってはそうじゃない。輝く粉末になった星くずを、高級な薬や料理の材料にしたり、装飾品の塗料に使うのだ。……テバに、そう説明していたのは彼がよく行く飯屋で働きながら、星取の仕事を兼業しているリトだ。
リーバルは後からその話をテバに聞いた。『俺の知る100年後では、もう星取をするリトはいなくて、灯籠の中身が星の欠片だったことも知りませんでした』と忘れ去られた灯籠の手入れの仕方や星取を業とするリトたちの仕事ぶりに感嘆し、リーバルにとっては当たり前の知識をどこか申し訳なさそうに報告してきたものだった。
「ねえっ戦士さまの矢はどうなったの?星のかけらにささったの?」傍らの小さな嘴がまた急かす。さっきのと同じ子だ。
「おっと、話がそれていたな。もちろん疾風の戦士は、自分の矢が、星屑売りの星取り籠めがけて鏃の突き進むこともわかっていた、狙って射ったんだ、なにしろ……」
リーバルは部屋の入り口近くまで来ておきながら、声かけるでもなくぼうっと立ち尽くして、その話を聞いていた。なにせ、いつもは爪弾いた弦のように威勢よくぼんぼん大きく響く声が、そうっとそうっと抱卵する鳥の羽毛のごときやわらかさを纏って、声音を変えているのだ。
──テバのやつ、あんな静かな声も出せたのか。
驚きと困惑が耳を澄ます。子供らは話に夢中で、語り手は目を閉じたまますらすらと寝物語をして、でも順に頭や肩をよじ登ろうとする小さな頭をぽんと撫でて止める手は僕の弓矢みたいに正確だ。堅実な仕事ぶりと言える。
テバは戦士だ。それもリトの戦士のなかでも血の気が多い方で、戦場での鬨の声のなかでもすぐ彼の声が分かるくらい猛々しい。
そんな男が、ふわふわと声に羽毛を生やしてやわらかく努めているのを聞くのは、なんだか服の表と裏を間違えて着てしまっているのに気づいた時みたいな気持ちになる。ぎょっとして、気恥ずかしくて、なぜこんなことが起こったのか信じがたいような。
テバという奴に、戦場での意気軒昂とした喧しさに比べて普段の生活では物静かな一面もあることは知っていた。弓の手入れだとか、鍛練だとか、なにかに集中し始めると、うんともすんとも言わずに寝食を忘れるくらい黙々と目の前のことに熱中して、息をしているのを忘れているみたいになるのだ。その肩を岩肌かなにかと勘違いしたホタルがとまるくらいに静かなのだ。
でも今のテバは、集中の岩になっているわけでもない。眠気に抗って話の続きをねだる子供たちの様子に気を配って、転んだり倒れたりしないように支えているし、おそらく耳を澄まして風を読み、外側への警戒もしている。
証拠に、話の切れ目を頃合いと見たリーバルが少し身じろぎをして中に踏み込もうとした寸前、鋼色の目蓋はすいと開き、金の目がこちらを捉えた。
「ああ、リーバル様でしたか」
柔い羽の声は、名前を呼ぶところでいつものきりりとした硬度を取り戻した。
「やあ、テバ。君、今日は非番の筈じゃなかったかい?」
リーバルは努めて今来たばかりのように取り繕った。声音のやわらかさに驚いて異物のように感じていたのに、自分の名前でそれが消えるところをまざまざ聞くと、少し惜しい気がする。いや、まあ気のせいだ。
テバはリーバルの態度を気にした様子もなく、「休みでしたよ、村からは出てません」と軽く頷いた。
「弓の手入れも終わって手空きでぶらついてたところを、子守の当番に駆り出されましてね。今しがた下のチビたちが寝付いたところですよ」
「子守りの当番?君が?」
「こういうのは、子持ちの戦士が得手でしょう?何しろ実の経験は替えがたいもの。人好きのする戦士も居ますが、やはり若い戦士は戦場の殺気を落としきれなかったり、子供にナメ……あー……子供の心と同調しすぎて上手く行動を諭す威厳が足りなかったりするもんですから」
「ふうん。たしかに、忘れそうになるけど、君も父親だったね」
「チューリはもっと素直な子ですがね。ま、これからやんちゃになっていくところか」
テバの話によると、戦士たちに村の子たちの子守の任務が回ってくると、やたらとお昼寝当番に駆り出されるのだという。やっぱり、意外な頼られ方だ。リーバルの不思議に思う気持ちが顔に出ていたのか、テバは「家でも息子の寝かしつけは俺の仕事でした」とちょっと念を押すように続けて、胸を張った。
「飛び回ってよく運動させて、あっつくなった身体を湯浴みで洗い流して整えたほどほどの体温を用意する。そんで、水をはらって丁寧に羽を繕ったら、いよいよこの翼の出番です。雛鳥よりもすこうし低い温度の手で、ふかふかと良いはずみをつけてやって、子守唄をひとつ。これで落ちない目蓋はありません」
ぽふぽふとご自慢の翼でやわこい柏手を打ってテバは言う。「じゃあさっきまで遊び相手に飛び回ってたの?」と訊けば「この村での鬼ごっこやかくれんぼで俺を撒けるやつァいませんよ」とニヤリと笑っている顔は悪童っぽい。進路を塞いではいけないルールはないのだから、抜け道や逃げるルートをあらかじめ大きな荷物で塞ぐとか、上層階のヒマそうな大人に目くばせして位置を教えてもらうのだとか、あれこれコツを語るテバは武器を語る時に似て生き生きとしている。なんだか自慢話というより、商品の売り文句を聞いているみたいだ。
「それでも、大人しくしてくれない子だっているだろう?」
「だから、こうして“冒険の舞台”を用意してやっているワケです」
膝にくっついて目蓋の重そうな子の背中をぬくい手で撫でてやりながら、低く穏やかな声がとある故郷想いの戦士の冒険を紡いだ寝物語をする。
リーバルはにわかにむず痒いものが背筋を上った。
──もしかして、あのときの僕もああやって寝かされたのか。
あのとき、と言っても幼少期のことではない。そうだったらリーバルは別に背筋をくすぐられてそわそわするような心地になっていない。
思い出したのは、厄災復活の夜のことだ。ガノンに乗っ取られかけた神獣に閉じ込められて、テバと出会って、姫付きの小さな白いガーディアンの力で脱出して。戦場をいくつも跨いで撤退と奪還を繰り返して、二晩も夜通し戦って、命からがらへブラの拠点に戻ってきて、戦士たちがようやく泥のような眠りについたあの時。
紅い月夜を逃れたリーバルは一人だけ、飛行訓練場に隠れるように身体を休めた。
そこで白い翼は火を焚いて、手を取った。鍋にはまた白いミルクが煮立っていて、かき混ぜる翼の黒い模様に似たのか少し焦げ臭かった。
星の話を聞いた。夜明けを羽ばたく鳥の話を聞いた。
それは、一人の戦士が戦場の緊張から解き放たれて、ようよう眠るためのおとぎ話だった。
──あれだって、寝物語……と言えなくもないし。
尋ねてみようか。どうしようか。照れ臭いような、気になるような。
リーバルが逡巡して嘴を薄く閉じたり開けたりため息ついたりしている間に、後ろから「あ!テバおじさん!」と先んじて溌剌とした声がした。部屋で寝ている子らより少し歳上の子供達だ。
「今日の当番テバおじさんだったんだ!やりい!」
「ねえ!こないだのお話の続きしてよー」
「シッ。声が大きい……昼寝の時間だ、このこっくり頭が見えないのか?」
にわかに目つきをきつくしたテバの小声の叱責が飛ぶ。白い翼がさっとひざ元の子の耳を塞いでいるが、うるさかったのか、むずがっている。他の場所にくっついていた子たちも、話の中断と急な来訪者に眠気とおどろきとでぽやぽやした顔だ。
後から来た年長の子供達は、ごめんなさい、と素直に声を細くした。
そのまま息を殺した差し足でそろりと部屋に入り、テバの周りでぽやぽやしたままの雛リトたちにそれぞれ付き添った。だっこをして、あるいはおんぶをして、霧散しかけた幼子たちの昼寝の眠気を揺り戻す。よちよちと足元のおぼつかない子の背をそっと押してそれぞれの釣床まで誘導する。少数民族ゆえに同族内での結びつきの強いリトにおいて、歳が上の子たちが下の子たちの面倒を見るのは日常だ。それが出来ない子は、大人の手伝いも任せてもらえず、ひとり立ちを認めてもらえないから、誰もが積極的に世話を焼く。
「ふとん、ぜんぶ埋まったね~」「いい?落っこちないようにね」
雛リトたちを無事にちいさなハンモックへと寝転がした子らがまたわらわらとテバの周りに戻ってくる。ご苦労、とテバは軽く頷いて、しかしその顔がふと外の日時計代わりの村の巨塔の影を見やると、すぐに怪訝そうな表情を浮かべる。
「おまえたち、今はまだ座学の時間のはずだろう。勉強はどうした?」
「きょうは先生がおなかコワして休み」
「きのう、ポカポカ炒め食べすぎたんだって~」
「ヤケ食いだぜヤケ食い。また歌姫のねえちゃんにおひねり投げて、アンコール終わりのキスがこっちに来なかったってグチグチさわいでたの見たし」
「……道理でいつもより拘束時間が長く伝えられてたワケだぜ……」
テバがため息をついて眉間を押さえた。かわいい盛りの雛鳥たちの相手はともかく、生意気な嘴が育ってきた悪戯小僧たちを相手取るのは御免だという戦士も多いらしい。テバも嫌とはいかないまでも、苦労が増えるには増えると見えて、渋面でつく息も重い。
「はあ……子守部屋を無人で空けるワケにもいかん、誰か代わりのヒマそうな大人を呼んでこい」というテバの指図で、慣れた様子で頷いた年長リトの子が一人、ぱたぱたと居住区の方へと駆けて行った。
子守当番に駆り出されるというのも、年長さんの子供たちとの連携ぶりも、たしかに先ほどのテバの自慢げな言葉通りである。
「ね、ね、伝説の戦士さまのお話!まだあるでしょ?」
「あるさ──そうら、おまえたち。場所を変えるぞ。話の盛り上がりで騒いだら、せっかく寝付いた”ちび“たちが起きちまうからな」
「はあい」
「きょうは東の見張り台の下の部屋が空いてるって」
「フム、じゃあそこにするか」
「おれ、菓子屋のやっちゃんたち呼んでくる」
「そんならついでに見張り番への差し入れだと言って、いくつか菓子をもらってくるといい。あとで俺が払おう」
「やったっ」
リトの子毛玉の群れを連れて、テバが移動する。好きなようにじゃれつかせている後ろ姿は……あまり戦士らしくはない。父親らしいのかどうかは、父を知らないリーバルには判断がつかない。リーバルは少し腑に落ちない気持ちを抱えながら、テバたちに着いて子守部屋を後にすることにした。
入れ替わりに、さっき代わりの子守り番を探しに駆けていった子に呼びつけられたらしい黄橡色の羽の大人とすれ違う。
ふわりと甘い匂い。テバの代わりに雛リトたちの眠りを預かることになったらしい“ヒマそうな大人”は、どうやら件の菓子屋の子の兄貴分だったようだ。リーバルよりは歳上だが、テバよりは若い。
急な要請だったはずだが、代番の黄橡羽のリトはあくびしながら慣れた様子で歩いてくると、入り口に背を預けていたリーバルを見て、はたと首をかしげた。
「あれ?リーバルじゃねえか。おまえも子守の当番だったか?」
「いや、僕は任務帰りで………見学、というか」
「ああ、そっか。テバだもんな」
──いや……“テバだから”ってなんだよ?
ヒマそうなリトは一人で勝手に納得した風に頷いて会話を打ち切ってしまったが、リーバルは腑に落ちない気持ちを新たに追加されて、ムッと眉を寄せた。
「リーバル、いかないの?テバおじさんの話おもしろいのに」
胃の腑の坐り悪さに気を取られていたリーバルに、こどもたちがじゃれつく。すっかり一員に数えられてしまっている。それもまた不服だが、子どもに言うことでもない。
リーバルは不平を言う嘴をごくりと飲み込んで、もう一つ気になっていたことを訊いた。
「……さっき、菓子屋に友達を呼びに行った子、あれはいつもやるのかい?」
「えっ、どうしてそんなこと聞くの?」リトの子がくるりと丸い目を瞬いて尋ねる。
「だって、わざわざ遠い見張り台の空き部屋を借りるのも、差し入れついでに“お菓子を奢ってもらえるから”、だろ」
淡々とリーバルがカマをかけると、リトの子らは顔を見合わせてから「……バレちゃった?」とぺろりと舌を出した。
「ね、ね、テバおじさんには黙っといてよう、みんなたまにオゴりで高いお菓子にありつけるの楽しみにしてんだから!」
「こんな回りくどいことしないで、素直に“買ってくれ”とねだればいいじゃないか。断るような男じゃないし」
「そうやると母ちゃんたちが『他人様にタカるんじゃないよ!』って怒るんだもん」
「はあ……」
ぷわっと羽を膨らませて必死におやつのチャンスを潰されないように抗弁するリトの子は一人や二人じゃ済まない。テバのやつ、過去に来てからのこの短い間にどれだけ彼らにおやつを奢ったんだか。我が子に限らず、子どもに甘いのだろうか。さすがのリーバルも根負けする。
「わかった、わかったから。テバにも母ちゃんたちにも黙っとくよ。ほらっ、君らも置いてかれないように行ってきたら?」
リーバルが背中を押すと、リトの子らはニヒヒと笑ってあっさりと小さな翼をぱたつかせてはテバの方へと駆けていった。甘えるにも愛嬌を振るにも手慣れている、抜け目無いことだ。
「ねえー!オイラは谷渡りのときの飛行レースの話がいい!」
「山の奥で妖精さんの泉を見つけた話はー?」
どうやら雛リトだけでなく、生意気盛りの子リトたちにも、テバの“お話”は高評価を受けているようだ。先ほどから前の方では次々とお話のリクエストが飛び交っている。へブラ山脈の斜面に雪崩を起こした話だの、東のラネールやオルディンに出向いた話だの、ずいぶん多彩な引き出しがあるらしい。
「飛行がーでぃあんと戦ったときのやつ、前は門限で途中で帰っちゃったから、もういっかい聞きたいー」一人の子がテバの腕を引いた。
「あ!おれもそれ聞いてないやつー」
「ふうむ。いいだろう。どこまで話したか、覚えているか?」テバが尋ね返す。
「夜の雨のなかでゾーラと一緒にハイリアの騎士の実力テストをして、もっと強くならないと!って特訓を始めたとこは聞いた!」
「谷の縦断飛行訓練でぶっちぎってもぴんぴんしてて、今度は横断訓練も行こう!って、ヘブラの外まで修行に行ったんだよね」
リーバルは片眉を跳ねあげた。なんだかすごく覚えのある話だ。聞き覚えを通り越して、身に覚えがある。
子どもたちのリクエストを受けたテバは、フッと格好つけたように目を伏せて笑った。
「よしよし、じゃあ今日はリトの皆でラネールに修行遠征に出て襲撃された戦士が『やれやれ……戦いに来たわけじゃないんだけどね……』と肩を鳴らして飛び上がり様にモリブリン2体を射程に収めたところから、続きを話そう」
おい、完全に僕の話じゃないか。
「ねえちょっと!君、いつも僕の話を寝物語にして子供たちを寝かせてるのか?」
思わず嘴を挟んでしまったリーバルに、テバではなく子供たちが返事をする。
「え~?リーバルじゃないよ、“伝説の戦士サマ”の話だよ」
「100年前に生きてたすっごい戦士サマなんだから、リーバルじゃないよう」
「いやだから、それが僕……」
リーバルは真剣に反論したが、子供たちはきゃらきゃら笑って「いっくらリーバルが自慢しいでも、そこまで“シュッセ”してないじゃん!」「まだ“末のひよこ”って呼ばれるくせに!」と全く聞く耳を持たないどころか、減らず嘴を叩く始末。
テバは100年後の未来からきたリトで、そのテバからした100年前の伝説の戦士というのは十中の十点中央ぶち抜きでリーバルのことに決まりきっている。
だが、テバの加入した戦場のことを知らない子供たちは、そんなお伽噺みたいな事情を知らないから、テバの話とリーバルとがまるで結び付いていない、らしい。
リーバルはずいと大股で子供たちを追い抜かし、テバの顔を覗き込んでやった。もちろん冷ややかな眼差しと指先をつきつけて。
「……種も仕掛けも丸見えの手品なのに、ずいぶんと人気者になったね?」
ちくちくと嫌味を込めて言ってやれば、テバは長い眉を山の斜面みたいに下げて苦笑する。まるで僕の方がわがままを言う子どもみたいな扱いだ。リーバルはますます眦をきつくして、察したテバの方は目を泳がせた。……まあ、いいだろう。
ふん、とリーバルが鼻を鳴らして腕を組み、追求の手を止めると、テバはほっと息をついた。
「俺だって、寝物語のバリエーションはそう多くはないんですよ。その辺りは詩人を呼ぶ方が早い。だから、自分がガキの頃に聞いて育った話が、一番効き目があるもんだと知ってるだけで」
「効き目?」
「目蓋の裏に見る星は、子供の翼には遠くって、夢中で追っかけているうちに眠ってしまうもんだから」
星。夜盲のリトの目には夜空を見上げてもぼやける輝き。リーバルはまた背すじにそわそわくるのが戻ってきたのを感じた。知っているからだ。この戦士が、星と語る憧憬のお伽噺がいったい誰を指すものなのか、赤い月の晩に聞かされた。
そんな、ついさっきも思い出したところの新鮮な“記憶”が、知れずリーバルの気を焦らせた。低い声の語り。よく知ってる誰かさんの話をする寝物語。
そもそも、“これ”を尋ねるためにわざわざ声をかけたんだった。
ぽんと問いが嘴をついて出る。
「じゃあ、僕が君から聞かされたやつは?」
しん、と沈黙が降りた。唐突な静けさだった。リーバルはテバからすぐ答えが返ってくるものだと思っていたから、戸惑った。わあわあ続きをねだっていた子供たちまで空気を飲んだのか飲まれたのか、ぴたりと黙ってしまって。
なんだよ、僕はそんなにおかしなことを聞いたか、そんなはずはないだろ。どうして答えない?
「リーバルもテバおじさんと一緒にお昼寝したの?おもしろい話してもらった?」
ぽつりと子が問う。すぐさま他の子達がぱっと振り向いた。
「え!リーバル兄ちゃんだけ、なんか珍しい話聞いたのか?!」
「ずる~!テバおじさん滅多に村まで帰ってこないのに!」
「え。……いや、その……別に昼寝は、してない」
たじろいで、リーバルがぼそりと正直に言える部分を答えると「なぁんだ」と子らはすぐに興味を失った。彼らにとって面白い“お話”の時間は眠る前とおやつの時間に聞くものであって、戦場に飛び立つ前の空や、買い物での行列や火を囲んで鍋の煮立つのを待つ時間は想像の外なのである。
だから、彼らがそのチャンスを見つけたら「つづきは?」「新しい話をして!」「もっと面白い話はある?」の大合唱が飛んでくる。作家がストレスで胃を痛めるくらいキラキラの声とくりくりの目で。今もそう。
子どもたちの“お話”をねだる声はにぎやかに戻った、だがテバは、その間も依然とだんまりのままだ。
「ねえ、テバ」
リーバルは声をかけようとした。しかし名前のあとは声がつづかなかった。何故かって。
「とっておき」
と、それだけ言ってちょいとこちらを流し見た男の顔が、見たことのないひ弱そうでこそばゆさを耐えるような表情をしていたからだ。失敗した福笑いで出来た顔みたいな、パーツがぎゅっと寄って厳めしそうなのに情けなく下がった眉とちぐはぐしていて愛嬌があるように見える。
「は?……何が?」
リーバルは尋ね返したが、テバは二言はないとばかりに踵を返して、のしのしと東の見張り台へと行ってしまった。ぽんぽん跳ねる子リトの群れを連れて。
立ち尽くすリーバルには、「とっておき」という不思議な言葉と、羽毛の声に胃の裏を撫でられてすごく居心地が悪いみたいな、落ち着かなさだけが残された。
なんだ?さっきの顔。なんだ、何故だ。よく分からなくって坐りが悪いのに、なぜだか忘れてやっちゃいけない気がする。
納得がいかない。もやついた思考が晴れない。
戦士の勘、狩人の習慣が、違和感を逃すなと脳裏にサイレンを鳴らしてる。僕の意地が“射貫く的を見逃すな“と何かを予感している。でもそれが何なのか、わからない。
──わからない、のに。
嘴を薄く開けて立ち止まったままのリーバルを、横をすれ違ったリトが見つけて、ぎょっとする。
「あれ?なんだいリーバル、ぼっ……と立ち尽くして。テバの方についてったんじゃなかったのか?」
おおい聞いてるか、などと色々ヒマそうなリトは声をかけたが、もちろんリーバルの耳には入らなかった。今日の午後から彼の耳は、低い羽の声しか拾えないように状態異常がかかってしまっている。早急に何か専用の料理を食べて予防耐性をつける必要がある、しかしいったい、火傷か凍傷か雷傷のどれを対策したものだろう?いっそへブラのイチゴをふんだんに使ったクレープを食べて、数多の素材から“レアもの”を見つけるくらいの集中力が回復するように糖分補給をした方が良いものか?
リーバルの思考は短い間にぐるぐると回った。ヒマそうなリトはその短い沈黙の間に、早々にコミュニケーションを諦めて離れていった。この青年が何かやりたいことを見つけると、絶対に成し遂げるまで河岸を変えない意地っ張りなのは、へブラで周知の事実である。
──“とっておき”。とっておきって、なんだよ。
リーバルも言葉の意味は知っている。とっておきと言えば、思い浮かぶのは僕の技、ケーキの上のひと粒イチゴ、焼きたての魚のムニエル、酒場の舞台の上で聴衆の中に誰か特別な聴き手を見つけた歌姫の十八番。リトなら誰だって同意に頷くだろう。
それに並ぶものが、あの“お話”だって?
文脈は正しく通せても、できあがった文章の意味がわからない。おかしい。だって、僕も忘れちゃいないけど、そんなに特別な話でもなかったはずだ。父と子と、空のバケモノのアクセントがきいた、小さな思い出と後悔の話だ。よくあるしくじり話で、教訓だ。あの男にとってもそのはずだ。
でも、そうじゃなかったら?
じゃあ。とっておきなのは、話の内容ではなくて。
たとえば──僕だけが、その“とっておき”を聞いたってこと?
「……そんなまさか、ね」
呟いて、ようやくリーバルはふうーっと大きく息をついた。
やれやれ、少し振り回されすぎた。好奇心は猫をも殺すというが、鳥を射落とすには切れ味の鋭さが足らない。
肩を竦めて歩き出す。東の見張り台までは少し歩く、リーバルを待って幕間を引き伸ばそうとするテバが子どもたちの「つづきは?」の合唱にへこたれてしまわないうちに、追いついてやった方がいいだろう。
──けど、何だか僕の話ばっかり吹聴しているのがイケ好かないから、僕も仕返ししてやろう。
子守当番だって、子持ちの戦士にばかり回ってくるわけじゃない。今は英傑として、リトの戦士たちを率いる頭領として、前線に出るのが忙しいリーバルにも、いずれそういう任務の機会もくるだろう。これは確実だ。
──“はるか未来あるところに、一人の戦士がいた”……と君の話をしてやったっていいんだぞ。
惜しむらくは、その場をテバ本人に見せつけて、あの金の目が丸く見開かれて大慌てですっ飛んでくる様を見るには、一緒に過ごせる時間が足りないことだ。せいぜい、聞き耳を立てたリトの馴染みの戦士たちが、誰かさんの話に察しがついて大笑いするので溜飲を下げるくらい。
──君は忘れているらしいが、“御伽噺”ってのは本人のいないとこでやらなくっちゃ。
とっておきに返すとっておきの悪戯を心に決めて、ニヒルに笑んだ青年は、今やいっぱしの語り部のタマゴであった。
リトの英傑リーバル、紅い月夜を越えたリトの星。
彼は英傑伝説以外のテバの寝物語バリエーションを聞いた稀少な人物だが……彼自身がその稀少さを知ることは、この度の「未来からの救援者たち」の“御伽噺”の内には、無いのであった。