幸せを願う日「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
座り慣れないベッドに腰掛けて、フィガロから湯気の立つカップを受け取る。何度か吹き冷ましてから口をつけると、混ざり合うミルクの甘さとコーヒーの苦みが口の中に柔らかく広がった。
「おいしいです」
「それは良かった」
にこりと笑ったフィガロは、机の上に残されたナイトパーティの名残りを片付けている。そしてその指先が、机の隅に置かれたプレゼント――南の魔法使いたちと晶で作った絵本の表紙を優しく撫でた。
(気に入ってもらえて良かった)
コーヒーをこくりと一口飲み、絵本に注がれる優しい眼差しに胸の奥が暖かくなった。
故郷を失った鹿の話。以前パジャマパーティでフィガロが教えてくれたのだと南の魔法使いから伝え聞いた時、晶はそれがただの作り話ではないとすぐに気付いた。あれは、ある人物が実際に体験した、想像しただけで胸が苦しくなるような悲しい過去の話だ。
あれは、フィガロのことですよね?
そうやってわざわざ確めようとは思わなかった。絵本を作っている最中、きっとレノックスも察しているのだろうなと感じたけれど、それも晶の胸の中に留めている。
「今日はフィガロの誕生日ですから、なんにでも付き合いますよ。コーヒーを飲んだら森を散歩して、それからどうしますか?」
晶が祝う側であるにも関わらず、フィガロが嬉しそうに提案してくれたから、まずはお手製のコーヒーをいただいていたところだ。もう一つの提案である森への散歩ももちろん快諾した。
いつもよりも遅く起きてしまったが、散歩に行って帰ってきてもまだまだ時間はたっぷりある。意気込んでたずねれば、フィガロは「そんなに張り切らなくていいのに」と軽く眉根を寄せて笑った。
「こうして君と一緒にゆっくり時間を過ごすだけで十分だよ。さっきも嬉しい言葉をもらったしね」
「でも……」
「なら、賢者様が行きたい場所に行こうよ」
「え、私のですか?」
それではどちらが誕生日か分からない。
怪訝な顔をする晶に、フィガロは「うん」と頷く。ふざけているわけでも揶揄っているわけでもない、本当にそう思っているのだと分かる顔で。
「だめかな」
「……フィガロがそれでいいのなら」
腑に落ちないまま了承して、コーヒーをまた一口飲む。
(本当に、それでいいのかな)
なんにでも付き合うと言った手前、それはだめですと断れなかったのだけれど。
そんな晶をよそに、フィガロは片付けを終えると、絵本を大事そうに持ち上げて机のの引き出しにしまった。そして軽く寝癖のついた前髪を手で梳きながら、嬉しそうに目を細める。
「楽しそうに笑っているきみの一番近くにいる。それって、とても幸せなことだなって思うんだ」
大袈裟な、と笑い飛ばせる声音ではなかった。だから晶は「任せてください!」と握ったこぶしを見せつける。
「私がフィガロを幸せにしますね」
「あはは、熱烈だなあ」
「それで、あの、城下町の東に、とてもおいしい焼き菓子のお店があるそうで――」
そこに行ってみたいのだとおずおずと伝えれば、フィガロは片目をぱちりと瞑ってみせた。
「任せて。フィガロ先生がどこにだって連れて行ってあげる」