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    mazetamagohan

    妄想を吐き出します

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    mazetamagohan

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    フィガロが愛について考える話、になる予定の冒頭部分です……

    これは愛かと君に問う 魔法舎から箒で南下し約二時間。街道を外れ森の中を流れる川のほとりに降り立った晶とフィガロは、川岸に打ち上げられた流木に並んで腰かけ一息ついているところだった。
     「いい天気ですねぇ」
     「ようやく春らしくなってきたね」
     雲一つなく晴れ渡った空は鮮やかな青。降り注ぐ太陽の光はぽかぽかと暖かく、フィガロの言う通りに春の訪れを感じさせる好天だった。
     せっかく良い天気なのだからと遠出に誘われたのは今朝のこと。二つ返事で誘いを受けた晶はフィガロの操る箒に乗せられ、特に目的地のない気楽な空の旅を楽しんでいた。
     「ずっと飛びっぱなしだったけど、疲れてない?」
     「はい、大丈夫です」
     暖かな春の日差しの下を飛んでいるのはあまりにも心地よくて、疲れなどまるで感じていなかった。昼食をとるために一度地上に降りてはいるが、もっと飛び続けていたかったくらいだ。
     「さて、お昼にしましょうか」
     晶は膝の上に乗せていたバスケットをフィガロに軽く掲げてみせる。魔法舎を出る時にネロが持たせてくれたものだ。
     『ありあわせのもんで作ったから、あんま期待しないで』
     ちょっと恥ずかしそうにネロは笑って言っていたけれど、バスケットの中には厚切りのベーコンや鮮やかな黄色の卵、青々としたレタスの挟まったバゲットサンドが並べられていて、晶は思わず「わぁ」と声を上げてしまった。
     おいしそうだね、と隣からバスケットの中を覗き込んでいるフィガロにバゲットサンドを手渡し、晶もずっしりと重いそれを両手で取り出す。「いただきます」と一言断ってから思い切りかぶりついた。
     (ありあわせなんて言ってたけど、めちゃくちゃおいしい……!)
     硬めに焼かれたバゲットは香ばしく、ベーコンの旨味と柔らかな卵の舌触りに思わず頬が綻んだ。ネロの言った『ありあわせ』は、どうやら晶の知っている『ありあわせ』と意味が違うようである。夢中になってバゲットサンドを食べながら、帰ったらネロに必ずお礼を言おうと晶は心の中で思った。
     ほぼ同時にバゲットサンドを食べ終えて、フィガロが魔法で淹れてくれたハーブティーで一息つく。
     「ほんとに、今日はいい天気ですね」
     晶やフィガロの髪を揺らした穏やかな風が土や草木の匂いを運んできて、深呼吸をすればその匂いで胸がいっぱいになる。高層ビルとコンクリートに埋め尽くされた土地で長く生きてきた晶にとって自然の匂いは新鮮で、なにより安らげるものだった。
     「賢者様」
     完全に気が緩んでいたところでフィガロに声を掛けられて、晶は口をつけていたカップから顔をあげた。「なんですか?」とフィガロへ向き直り、ぴたりと硬直する。予想外にフィガロの顔が間近にあってびっくりしたのだ。
     (え?)
     何が起こっているのか分からない晶の唇に温かく柔らかなものが押し付けられる。それがフィガロの唇だったことを、晶はその温もりが離れてからようやく気が付いた。
     完全に思考が停止してしまった晶に、フィガロはただ静かにほほ笑むばかり。やがてすっと立ち上がると「そろそろ出発しようか」と手を差し出してきた。晶は頷くことすらできず、そっと指先を重ねることが精いっぱいだった。

      ♢

     あのキスは何だったのか。フィガロにその真意を聞くことができないまま、一週間が過ぎていた。
     フィガロとはあれからまともに話をしていない。二人で遠出した翌朝、廊下でフィガロにばったり会ってしまった晶は、どんな顔をすればいいのか分からくてその場を逃げ出してしまったのだ。そのことが気まずさに拍車をかけ、姿を見かけるや否や踵を返す癖がついてしまい、顔すら合わせない日々が続いている。
     「はぁ、やっちゃった……」
     ばたりと勢いよく閉めた自室のドアにもたれかかり、晶は自己嫌悪に陥っていた。朝食を終え食堂を出たところでフィガロにばったり鉢合わせ、声を掛けられたにもかかわらずそれを無視して部屋まで一目散に走ってきたのである。
     (さすがに感じ悪かったよね)
     接触を予感してその場を後にするならまだしも、顔を合わせてからあからさまに避けるのはいかがなものかと自分でも思ってしまう。それでも逃げ出してしまうくらい、あの日のフィガロのキスに晶はいまだに動揺していた。
     会って早々の「籠絡したい」なんていう台詞を裏付けるように、フィガロはたびたび意味深な言葉で晶を誘惑し囲い込もうとしてきた。初めの頃は律義に反応して笑われていたけれど、だんだんとその人となりを理解していくうち、適当に笑って流してしまえるようになっていた。『デート』なんて言って買い物や遠出に誘われても、それは気の置けない友人に対する冗談のようなものなのだと本気で思っていたのだ。
     けれどあのキスは、そういうものではなかった。少なくとも晶にはそう感じられて、冗談だと流してしまうことはできなかった。唇を離したフィガロの優しい微笑みに滲んでいたのは、からかいでも、親愛の情でもない、初めて向けられる未知の感情だった。
     「ずっとこうしてるわけにはいかないのに……」
     ずるずるとその場にしゃがみこんだ時、コンコンとドアが叩かれた。
     「賢者様、いらっしゃいます?」
     (カナリアさん?どうしたんだろう)
     魔法舎唯一の同性であり、顔を合わせれば立ち話に花を咲かせる仲ではあるが、カナリアが部屋を訪ねてきたことはほとんどない。珍しい来訪者に首を傾げつつ、晶は立ち上がってドアを開けた。
     「賢者様、突然すみません。今日空いてらっしゃいませんか?」
     廊下に立つカナリアは見慣れたお仕着せではなく、春らしい色合いのブラウスとスカートを身に着けていた。手にはなにやら布をかぶせた大きな籠を持っていて、普段とは全く異なる装いに晶の返事は自然と歯切れが悪くなる。
     「今日、ですか?空いてますが……」
     少し前までは任務が立て込んでいたが、今は魔法舎への依頼は落ち着いていて、今日は書類仕事もなく本当に何の予定も入っていない。
     晶からの返事にカナリアは明らかにほっとした様子を見せる。不思議に思って「何かあったんですか?」と訊けば、カナリアの目がきらりと光った。ように見えた。
     「街に出かけませんか?私と賢者様、二人で」
     予想外の提案に、晶はぱちぱちと目を瞬かせる。
     「たまには女同士、気兼ねなく買い物をと思ったんですが……。どうですか?」
     「嬉しいです、ぜひ」
     女同士、気兼ねなく。その言葉に惹かれて、晶はすぐに大きく頷きを返した。買い物に出かけること自体はそう珍しくないが、私的な買い物に魔法使いたちを付き合わせるのは気が引けて、思うように店を見て回れないことが多かったのだ。
     晶の快諾にぱぁっと表情を明るくしたカナリアが、「それじゃあちょっと失礼しますね」とドアの隙間から部屋の中へ体を滑り込ませてきた。
     「せっかく出かけるんですから、賢者様もおしゃれしなきゃ」
     すたすたと部屋の奥へ入ってきたカナリアは、晶の机に手に持っていた籠を置き、その中を探っている。そうして取り出したのは、クリーム色のシンプルなワンピースだった。
     「一目ぼれして買ったんですけど、着てみたら私には似合わなかったんです。賢者様にどうかと思って」
     広げたワンピースを晶の体にあてがって、カナリアは満足そうに頷いた。
     「丈もちょうど良さそうですね。――着替えたらお化粧もしましょう。道具も持ってきていますから」
     「えっと……」
     「もしかしてこういう色は嫌いでしたか?」
     「いえ、そういうことではなくて」
     カナリアからの提案は嬉しかったが、晶の心の大半を占めるのは彼女がなぜそこまでしてくれるのかという純粋な疑問だった。
     どうして、とだけもごもごと口の中で呟く晶に、カナリアは優しい笑みを浮かべる。
     「ずっと悩んでいるのは疲れちゃいますから。おしゃれをして街へ出かけたらちょっとは気晴らしになるかと思って」
     (カナリアさん、気付いて――)
     驚きに目を瞠る晶に、カナリアはそれ以上言葉を重ねることはなかった。晶にワンピースを手渡すと、籠の中の化粧道具を漁り始める。
     「さ、賢者様。早く支度をして出かけましょう」
     「はい。……ありがとうございます、カナリアさん」
     気遣わせてしまった申し訳なさとさりげない優しさに感謝の言葉を伝えれば、籠からひょいと顔を上げたカナリアは「私がそうしたいだけですから」と嫌みのない謙遜で返した。

     ♢

     「賢者様、気になるお店とか他にあります?」
     カナリアの案内のもと一通り店を回り、街の中心部へ戻ってきたのどことなく空が夕方らしい色合いに染まり始めた頃だった。
     「いえ、もう十分です。奮発して色々買っちゃいましたし……」
     「私もですよ。夫と来るとゆっくり見て回れないものですから、ついつい買いすぎてしまって」
     くすくすと笑い合う晶とカナリアの腕には、戦利品の入った紙袋が抱えられている。晶自身はどちらかというと財布の紐は固い性質だったのだが、気になった服や装飾品を試しに合わせてみるたびにカナリアが似合う似合うと絶賛するものだから、乗せられるままあれこれ買ってしまった。
     「少し休んでから魔法舎に戻りませんか?」
     「賛成です。こんなにたくさん歩くことがないから、実は足が痛くて」
     任務であちこち飛び回っているものの、魔法使いたちと一緒にいると長い距離を歩くことはそう多くない。箒に乗せてもらうか、空間移動の魔法で転移するか、どちらにしろわざわざ歩く必要長いのだ。
     「それならあの辺りに一度座りましょうか」
     紙袋を抱えなおしたカナリアが指し示した先には、ざぁざぁと音を立てて水の流れ出る噴水があった。広場の中心に位置するその噴水の周囲には露店が並び、恋人同士らしい男女や家族連れなど、思い思いに過ごす人々の姿があちこちに見受けられる。
     滔々と水をたたえる噴水の縁に腰かけて、晶はほっと息をついた。
     「少しは息抜きになりました?」
     さらりと訊かれて、晶ははっとした。カナリアから外出に誘われたきっかけを今の今まですっかり忘れていたのだ。
     晶の反応から大体を悟ったのだろう、カナリアは軽やかに笑って、「私もいい息抜きになりました」と大きく背伸びをしている。
     「それで、なにがあったんですか?」
     「えっと、大したことでは……」
     「無理にとは言いませんが、話すだけで少しは楽になるものですよ」
     反射的に首を振ったが、そう言葉を重ねられると突っぱねることはできなかった。ずっと誰かに相談したくて、でも誰に相談したらいいのか分からなくて一人で悶々と考え続けていたのは事実だった。
     「ずっと、分からないことがあるんです」
     「ええ」
     「恋人でもない男の人からの、その、キスって、どういう意味なんでしょう……」
     自分から口にしておきながら、『キス』という言葉に心臓がどくりと跳ねた。ぱっと脳裏に浮かんだフィガロの顔を振り払うように首を振りカナリアを見れば、驚いたようにぱちぱちと目を瞬かせている。
     「もしかしなくても、賢者様ご自身のお話、ですよね?」
     「あー、えっと、その……。そうです」
     相談しておきながらそこを濁すわけにもいかず、晶は言葉にもならない曖昧な音を口の中でもごもご言わせながら、観念して小さく頷いた。
     「相手の方は――あっ、魔法使い様のどなたかですか?」
     「は、はい」
     「まぁ!賢者様はその方のことをどう思われているんです?」
     どう、と小さく反芻して、次の瞬間には顔がかっと熱くなっていた。カナリアが「あらあら」と口元に手を当てて目を輝かせるものだから、晶はなおさら恥ずかしくなる。
     「ち、違うんです。そういうのじゃなくて、私は、私はただ……」
     どうしてカナリアに言い訳じみたことを言っているのか晶自身もよく分からない。それでも意思とは無関係に、唇は晶の本心を次々と紡いでいく。
     「フィ――、その人はいつかどこかへ行ってしまいそうで、でもどこにも行ってほしくなくて。だから手を握っていなきゃと思っているだけで」
     そこまで一息に言いきった晶の手に、カナリアの暖かな手のひらがそっと重ねられる。
     「隠さなくていいですから」
     「カナリアさん……」
     「その方を、慕われているんですね」
     確かめるような問いかけに、晶はとうとう観念してこくりと頷いた。いつの頃からか自分の中に芽生えていた感情をずっと認めたくなかったけれど、誤魔化すように口から出た言葉で、認めざるを得なくなってしまった。
     (私、やっぱりフィガロのことを……)
     はぁ、とため息をついてうなだれる。自分のことながらいまだに信じられない。いや、信じたくない。まさかあのフィガロを好きになるなんて。
     「どうしてそんなに暗い顔をなさるんです?両想いだって分かったのに」
     「りょ、両想い、なんでしょうか……」
     「キスするっていうことはそういうことだと思いますよ。いたずらや気まぐれでそういうことするような方なんです?」
     「うーん、それはない。と、思うんですが……」
     きっちりと否定できるのであれば晶もこんなに悩んではいないのだ。なにせ相手は出会って早々に籠絡したいなどと言ってきたフィガロである。純粋な好意からではなく、晶をその気にさせるための策である可能性だって十分考えられるのだ。
     「その方は何もおっしゃっていなかったんですか?」
     「はい。ただ笑っていただけで何も。その後は私が避けてしまって、全く話をしていないんです」
     「……そういうことであれば、やっぱりご本人と直接話すのが一番だと思います。ここでどれだけ考えても、それは私たちの想像でしかありませんから」
     「そう、ですよね」
     半ば分かりきっていたことではあった。それでもカナリアにもそう言われてしまっては返事にどうしたって落胆の色が混じる。
     「そんなに気負わなくても、きっと大丈夫ですよ。――そうだ、ここで少し待っていてください。近くにおいしい焼菓子のお店があるんです。買ってきますから、ここで食べて帰りましょう」
     肩を落とす晶を見かねたのか、カナリアがそう言って慌ただしく立ち上がる。
     「それなら私も一緒に――」
     「いえいえ。賢者様はもう少しここで休んでいてください。すぐ戻りますから」
     引き止めようとする晶の言葉をものともせず、カナリアは軽い足取りで去っていってしまった。カナリアへと伸ばしたものの虚しく宙を掻いた右手をすごすごと引っ込めて、晶は膝の上に揃えた両の手の甲を眺めながら、どうしたものかと途方に暮れる。
     (フィガロと話をしない限り、あれがどういう意味なのかは分からない。分からないけど、でも――)
     「怖いなぁ……」
     カナリアは、晶とフィガロは両想いだと言っていた。晶だって、そうであってほしいと思わないわけではない。でも、もしそうでなかったら?「本気にしちゃった?」なんて、笑われてしまったら?そう考えると怖くて、話をしなければと思うのに、どうしても決心がつかなかった。
     盛大にもう一度ため息をついた時、「お嬢さん」と、鈴を転がしたようなきれいな声が耳に届いた。最初、晶はそれが自分に向けられたものだとは気づかなかった。けれど「もし、そこのお嬢さん」と再び声を掛けられて、晶はようやく顔を上げる。
     「えっと、私ですか?」
     晶の前には艶やかに波打つ黒髪を持った美女が、こちらの顔を覗き込むようにして立っていた。まるで高価な宝石のように透き通った紫の瞳と視線が交わって、不思議と目が離せない。
     「お嬢さん、恋に悩んでいるのね」
     白く滑らかな肌によく映える真っ赤な唇から発せられた問いかけに、晶は「えっ?」と表情を曇らせた。
     晶の反応を待たず、その女性はカナリアが座っていた場所にすっと腰を下ろした。揺れた黒髪から、甘い、花のような香りがふわりと漂ってくる。
     「想い人がお嬢さんを好いているのかが知りたいのね」
     「えっ、と……」
     「そうよね。知りたいわよね。誰だってそう思うわ」
     戸惑う晶を置いてきぼりにして、突然現れた女性は勝手に話を進めていく。
     「私に良い考えがあるの。それをすれば想い人がどう思っているのかを――」
     「待って、待ってください!あなたは一体……」
     わけが分からなくて、晶は立ち上がって謎の女性と距離を取った。一方の女性はというと、怪訝そうに自分を見てくる晶に不思議そうな顔で首を傾げている。
     (私とカナリアさんの話を聞いていたんだろうけど、何なんだろうこの人)
     とにかく距離を取ろうと後ずさる晶を見て、女性はすらりと長い人差し指ですっと宙をなぞるようなそぶりを見せた。その行動の意味を疑問に思う前に、晶の背中が何かにぶつかった。はっと後ろを振り返るがそこには何もない。けれど確かにそこには『何か』があって、晶がこの場から離れようとするのを阻んでいる。
     「あなた、魔女ですね?」
     「ええ、そうですわ。けれどそれは些末事。そんなことよりも、あなたの想い人のことを教えてくださいな」
     歌うように紡がれる言葉とともに、あの甘い花の香りがだんだんと強くなっていく。
     「さぁ、隣に座って。もっとお話ししましょう。『賢者様』」
     乞われるまま、晶の足は魔女のもとへと勝手に歩いていく。元の場所にすとんと腰を下ろすと、魔女は肩が触れ合うほど近くに体を寄せてきた。むせかえるような花の香りに頭が霞がかったようにぼんやりとして、うまく物事を考えることができない。
     「想い人はどんな方なのかしら?」
     「……フィガロは、おおらかで優しい、とても頼りになる魔法使いです。それから――」
     会ったばかりの魔女にこんなにもぺらぺらと話すなんて絶対おかしい。意識の片隅でもう一人の自分が声を上げている。そしてその理由は明白だった。十中八九、何かの魔法だ。そう気付いても、ただの人間である晶にそれをどうこうする力はない。
     フィガロの人となりを、彼との関係を、ひそかに抱いていた恋心を、晶の口はあっさりと明かしてしまう。
     「私にキスをしたフィガロの本心を知りたいんです」
     そこまで話してようやく晶の口は好き勝手するのをやめてくれた。
     時折相槌を打ちながら楽しそうに晶の話を聞いていた魔女は、「なんて素敵なのかしら」と恍惚とした笑みを浮かべた。
     「長くを生きた魔法使いと異世界からやってきた賢者様の恋模様。あぁ、なんて素晴らしいんでしょう」
     胸元で手を組んで空を仰ぐその姿は、まるで神を崇める敬虔な信徒のようだ。
     敵意があるわけではなく、しかしただの良心で恋愛相談に乗ってくれるわけでもない、全く意図の読めない魔女の存在に心がざわついた。身の危険は感じないが、何かが起きるような不安が拭えない。
     「私に任せてくださいな。想い人の心を知る、とっておきの方法がありますから」
     甘い花の香りが強くなって、頭の中が真っ白になる。
     「とっても簡単ですよ。それは――」

     「賢者様!賢者様、どうかされましたか!?」
     肩を強く揺さぶられて、はっとした。噴水の縁に腰かける晶の顔を、心配そうにカナリアがのぞき込んでいたのだ。
     「あれ、私……」
     大きな石が乗っているかのように頭が重くて、こめかみを押さえながら思わず顔をしかめる。カナリアではない誰かと話をしていたような気がするのだが、記憶を辿れば辿るほどずきずきと頭が痛んで、何も思い出すことができない。
     「何かあったんですか?声を掛けてもずっとぼんやりされていて」
     「すみません、なんだか頭が痛くて……」
     頭痛よりももっと大変なことが起こっていたはずなのだが、それを伝える余裕などない。
     「顔色も良くありませんね。お菓子は元気になってから頂けばいいですから、早く魔法舎へ帰りましょう」
     「はい……」
     肩を支えられて立ち上がる。荷物を持たなければと思うより先にカナリアが晶の分まで細腕に抱えるのを見て慌てて奪い返そうとするも、「今はご自分のことだけを考えてください」と言い切られてしまった。
     「お疲れなのに無理に連れ出してしまった私が悪かったですね。すみません、賢者様」
     「違うんです、今日はすごく楽しくて、全然疲れてなんていなかったんです。どうしたんだろう、私」
     自分の身に起こっていることが一つも理解できない。思い出せない空白の時間にいったい何があったのだろう。
     カナリアが拾った辻馬車に揺られ魔法舎に戻っても、晶の体調は変わらなかった。とにかく頭が重くて、少しでも気を抜けば意識を失いそうだった。
     「賢者様はここで待っていてください。誰か人を――」
     「おかえり、二人共」
     玄関ホールに晶を残して走り出しかけたカナリアがぴたりと足を止めるのがかすむ視界に映る。こんな状態でも、声を掛けてきた人物を間違えるわけがない。
     「ああ、フィガロ先生。賢者様の体調が思わしくないみたいで」
     「それは大変だ。――賢者様、大丈夫かい」
     足早に歩み寄ってきたフィガロと目が合った時、突然耳の奥で知らない女性の声が蘇った。
     『想い人に会うこと。それが始まりの合図ですわ』
     ぐにゃりと視界が歪んだ。とても立っていられなくて、膝からかくりと力が抜ける。
     切羽詰まったフィガロとカナリアの声を聞きながら、晶はついに意識を失ったのだった。

      ♢

     「賢者様!?」
     久しぶりに顔を見たと思った途端晶の体が傾くものだからフィガロは肝を冷やした。肩口にもたれかかるようにして倒れてきた晶を抱きとめてその顔を覗き込めば、フィガロの心配をよそに晶はすぅすぅと穏やかに寝息を立てている。
     「フィガロ先生、賢者様は……」
     「ただ寝てるだけ、に見えるね」
     傍らで心配そうに立ち尽くすカナリアを安心させてやれればいいのだが、現状ではまだ大丈夫だと言い切ることはできない。とにかく晶の容態を確かめなければ。
     ぐったりと力の抜けた晶の体を一度抱き上げて、その場に寝かせようと膝を折る。しかし彼女が見慣れた普段着ではなくこぎれいなワンピースを着ていることに気が付いて、フィガロは指先で肩の白衣を操り床に広げた。横たえる場所を確保してから晶を仰向けに寝かせ、すぐに診察を始める。
     (呼吸は正常。目立った外傷もなし。脈も……問題ないな)
     手早く容体を確かめていくが、特に気になる点は見当たらない。多少顔色が優れないようだが、膝をついて晶を見下ろすカナリアの方がよほど真っ青な顔をしている。
     「ひとまず大丈夫そうだ。ただぐっすり眠っているだけだよ」
     傍に膝をつき心配そうに晶の様子を窺っていたカナリアは、医者であるフィガロの言葉を聞いて表情をやわらげた。
     「あぁ、良かった。買い物が終わったあたりから賢者様の様子がどこかおかしくて、ずっと心配していたんです」
     「賢者様の様子が?」
     「はい」
     「その話を詳しく聞きたいところだけど、とりあえず賢者様をどこかに寝かせようか」
     よいしょ、と小さく掛け声を上げつつ晶の体を抱き上げる。晶にしては珍しく香水をつけているようで、甘ったるい花の香りが鼻先をくすぐった。
     「賢者様の部屋よりも俺の部屋の方が近いか。悪いけど、スノウ様とホワイト様を呼んできてくれるかな」
     「はい、分かりました」
     頷くや否や、カナリアはお仕着せの裾をからげて足早に魔法舎の奥へと走っていった。
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