これ以上好きになったら 魔法舎の裏手の庭にたどり着くと、ネロは力尽きたように、木の根元の草にごろりと横になった。秋の高い青空が天気良く、午後の日差しは暖かだ。きらきら眩しい世界とは裏腹に、自分の陰気な気持ちにさらに影が落ちるようで、忘れたくてネロはそのまま、少し眠った。
何分か、何十分か。
目を覚ますと、ネロの視界の隅にこちらを伺う猫がいた。ベージュの毛並みで、耳と身体の一部が濃い茶色をしている。紫の瞳で、こちらをじっと見ていた。
ネロは手をそちらに伸ばして、ちょいちょいと誘う。
「こっち来る?」
小さく笑顔でそう呟くと、猫はそろそろと脚を動かして寝転がったままのネロの顔の横に丸くなった。猫の身体に頬を擦り寄せると、あたたかい。
「なぁ、悩み相談していい?」
甘える声音でネロが尋ねると、猫は「いいよ」と返事をするかのように、なぁ、と一つ鳴いた。
「俺、久しぶりに友達出来たと思ってたんだけど、嫌われたかなぁ」
ぴくん、と反応するように猫の身体が震える。
「晩酌誘ったんだけど、もう二日も連続で断られてんの……この間まで、毎日一緒に酒飲んで、喋って、笑ってくれてたんだけど……」
猫は動かない。
「なにしたか、全然わかんなくてさ……普通に、談話室でかち合っても、避けられるし……正直、もう誘いに行くの怖いんだ」
猫は項垂れた。
「凄い、一緒にいるの、楽しかったんだ。あっちも、楽しく思ってくれてたらいいな、って思ってたんだけど。俺だけだったのかな。先生は優しいから、俺に付き合ってくれただけだったのかな、とか考える」
猫はそれ以上聞くのが耐えられなくなったのか、ネロから離れて太い木の裏側に行ってしまう。
「ちょっと、話終わってねえって、ファウスト」
そう言ってネロが追いかけて四つん這いで木の裏側を覗き込むと、猫の変身をといたファウストが座っていた。
「……君のことが、嫌いになったわけじゃないんだ」
ファウストは帽子を抑えて、気まずそうにそう言うが、ネロは余計悲しくなってしまう。
「……じゃあ、なんで?」
「……アーサーに」
ひどく、言いたくなさそうにファウストが切り出した。
「僕たちが、『シノとヒースくらい、一緒にいる』というようなことを言われた」
ネロはびっくりして、目を見張った。
「……自覚が無かったとはいえ、その、僕らはもう若い魔法使いでもないし、彼らのような親しい主従関係でもないのに……そんなことを言われてしまうなんて、付き合い方を、改めなければならないと思った」
「……なんで」
ネロの問いに、ファウストは緩く首を横に振った。
「きみとはまだ出会って日が浅いからわからないかもしれないが、僕は……たぶん、情が重すぎるから。きみのことしか見えなくなって、きみに依存して、きみしか欲しくなくなる。きみのことが好きになりすぎて、きみのことしか考えなくなる。そうなる前に……」
「……」
「……。それも、詭弁かな。本当は、そんな僕をきみに知られて、きみに嫌われるくらいなら、少し、冷静にならなければいけないと、思った。……友人、が出来たのも、四百年振りなんだ。僕は、舞い上がって、のぼせ上がっている」
ネロは倒れ込むように、座っているファウストの太ももに頭を乗せた。
「……俺のこと、嫌いになったとかじゃないの?」
「そんなわけない。きみのことは好きだよ。それに……きみは、優しくて、すぐ気がついて、居心地を良くしてくれるから。きみのことが嫌いなやつなんて、いるもんか。もし君を『嫌いだ』なんて言う奴が居たら、僕が呪ってやる」
物騒だなあ、とネロは笑う。
「でも、先生に避けられたら、俺悲しいよ」
「……すまない。きみの迷惑に、なりたくなかった」
ちら、と太ももの位置からファウストを見上げる。
「迷惑って?」
ファウストが、ネロの唇を撫でる。
「きみのここに、キスしたい、とか」
か、と思わず顔が熱くなる。
「きみに、触りたい、とか」
「いいよ、触って」
ネロがそう言うと、ファウストが、ネロの頬をぺたりと手袋越しに撫でて、そして、髪を撫でる。髪をすくようにして、現れた耳の、耳たぶを指先で触る。
「ん、ちょ、耳、だめ」
「え、すまない」
「……感じちゃうだろ」
「す、まない……」
ネロがそっと身を起こして、座っているファウストに、正面から抱きつく。
「キスも、いいよ」
「……友達、は、キスしないよ、ネロ」
「親しい友達なら、良くない?」
そんな事を言い合っているうちに、キスしていた。
ファウストから、唇の隙間、舌に侵入されて、『あ、ファウストもそういう知識あるんだ』とぼんやり舌を受け入れていたら、キスしながら強い力の両手で尻を鷲掴みされる。
「んっ……!?」
「……ごめん、いや?」
「ちょ、っと、おしりは、いきなりやりすぎ」
「ごめん」
唇を合わせたままそんなやりとりをすると、するり離れた手がネロの背中に回る。
は、と息を吐いて唇を離して、ぽすりとファウストの肩口に頭を乗せる。
「ふたりきり、の、部屋でなら、いいから」
「……うん」
「それだって、雰囲気作ってから、だからな」
「努力する」
ネロの肩口に、ファウストの額が擦り付けられる。
ネロはそっと尋ねた。
「今夜、一緒に晩酌してくれる?」
「……僕と、一緒にいて、いいの?」
「先生だって、優しいよ。あんたは否定するけど、みんな先生のこと、好きだよ」
「そんなことない」
「ほら、否定した」
顔を見合わせて、二人で笑った。
「俺、夕食の仕込みしなくちゃ」
裏庭は、いつのまにかオレンジ色に染め上がっていた。
「夕食終わったら、美味いつまみ作って、先生の部屋行くから」
「うん、ネロ、ありがとう」
離れる間際に恋しくなって、またひとつ、木の影でキスをした。