待てができなくなった君に、.
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チク、タク。カタカタ。
壁掛け時計の針の音とキーボードの機械音がリズミカルに混ざりあうが、そのどちらも僕には届かない。
『オレは勇者ペガサス!ここで悪さをしていた魔物はお前か!?』
パソコンから頭上の三角の猫耳に続く線があり、その先端から出ている愛しい人の声だけを耳に入れていく。モニターには司くんが演技をしている録画映像と、ノートソフトが映っている。今二人で作っている冒険もののショーの台本と演出案をまとめたノートだ。映像を見返しながら、直すべき所をどんどん変えて、よりいいものへブラッシュアップする。
「……かわいいなぁ」
不意に漏れた感想も、イヤホンの音に遮られていた。
「だ~~れがかわいいだぁ~?」
「わっ!!?!」
後ろから急に手が回ってきて、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。耳元でおよそ九十デシベルで響く声はビデオのそれと同じもので。ビデオを止めたりイヤホンを外したりするのが忙しく、自分の尻尾を確認する余裕なんてなかったが、それは恐らく今、
「おっ、しっぽたわしになってるぞ~」
……たわしのようにぶわっと毛が逆立っているそうだ。それをそんな風にさせた張本人は妙に失礼なコメントをしては、「よしよし」と言いながら逆立つ毛並みを撫でていく。尻尾は敏感だからあまり触らないようにと言ったのに。
『……司くん、もう寝たんじゃなかったのかい?』
後ろへ振り向き、どこか様子がいつもと違う司くんの手をどかしながら、夜中の十二時近くに急に訪ねてきた理由を、ピアスを通して確かめてみる。様子が違うと言えば、いつもなら必ずノックで僕の返事を待ってから部屋に入ってくるのに、それもなかったので、やはり何か変だ。
「猫はチョコを食べちゃいけないと聞くが、るいはチョコ平気か?」
「え??『うん、まあ。人型なので……??』
「アルコールは?」
『まぁ大丈夫なんじゃないかな……?』
まさかそれらの質問のためだけに、こんな時間に僕の部屋に突撃したんじゃないよね?予想外の返答すぎて間抜けな声が出てしまったじゃないか。
「それで?チョコがどうし……ん!?」
目の前の恋人があーっと口を開いたかと思えば、首に手を回されたのと同時に口づけをされた。口に広がるのは甘いチョコの味と、ほんのりの……
「…っ はっ、『司くん、こんなチョコどこから……!?』
……ワインのような、アルコールの匂い。
「ん?今日学校でもらったんだ!おいしーから、るいにも食べてもらおーと思って、な!」
『……司くん、酔ってるね??』
なるほど、さっきから感じた違和感の正体はこれか。よく見れば頬はほんのり赤くなってるし、目もどことなくとろんとしている。たまに喋りにしゃっくりが挟まれるし、テンプレのような酔いっぷりである。まだ飲める年齢じゃない司くんだから酒に酔われた所を今まで見たことがなかったけれど、酔うとこんな風になるんだね。無防備にボタンを一個開けられた空色のパジャマから見えそうな胸元が目に毒だから、無言で留めてあげた。
「酔ってらいぞ」
『見事なまでに酔っているではないか。ピアスがない時の僕より滑舌悪くなってるよ?チョコは美味しかったよ、ご馳走様。だからもう寝よう。歯磨きを忘れないようにね』
いつもは司くんが僕に言ってくるようなセリフを、こうして僕から言う日がくるとは。僕が話をしている隙を狙ってか、また尻尾へと伸びてきた手を止めながら、司くんを部屋へ戻るよう促した。
「やら!」
『やだじゃないよ。本当にかなり酔ってるね。他に用事がないのならもう戻ろう?』
「よーじある」
『なんだい?』
「……るいとえっちしたい」
『?』
???????
「……るいとえっちしたんんんぅ」
『待って、ちゃんと聞こえたから二回も言わないで』
爆弾発言を予告なく落としてきた恋人の口を素早く手で覆いながら、思考を目の前の状況に追いつかせる。恋人がこんなに可愛くおねだりしてきたのだから、そのリクエストに応じない訳が……ある。
『……酔っ払いとはしないからおかえりくださーい』
「なんで!!」
『後になって後悔されると嫌だからでーす。ほら、肩持ってあげるから一緒に顔を洗いにいこう?』
そういうことだ。煽られて今すぐベッドへ運びたいぐらい体がうずうずするけれど、普段絶対に口にしなそうなはしたない単語を、躊躇いなく言えてしまうほど司くんが酔っているのなら、事の後に記憶が残らなかったり、止めなかった僕を責めたりするかもしれない。それは……嫌なんだ。
司くんとはもう何度か体を重ねてきた。所謂本番とまではまだ行けてないのだけれど、一回一回、それを上回るはずの体験を届けてきたつもりだ。司くんの気持ちよさそうな声で、満たされたような表情で達成感という名の快感を得ている僕には、「忘れた」、「本当はしたくなかった」なんてコメントは、とても耐えられそうにない。
「……っ 嫌だ!後悔なんてしない!」
『酔っ払いの言うことは信用しませーん。ちゃんと歩かないとだっこで無理やり洗面所まで運んでいくからね?』
「…………」
『司くん?』
「酔ってない」
『だから……』
「酔ってないと言ったら、してくれるのか?」
さっきとは別人のような真剣な顔つきでそう聞かれて、またもや僕の理解は置いていかれてしまった。
「…………っ? 司、くん?」
「酔ってないのなら、最後まで、してくれるのかって、聞いてるんだ」
『え、演技……!?』
「答えてくれよ、類」
どこから?まさか部屋に入られた瞬間から、ずっと演技だったというのか?何のために?
聞きたいことは山ほどある。なのに、僕を射抜くような眼差しに見つめられていては、口に出せるのは質問への答えしかなかった。
『……最後まではまだできないけれど、』
「じゃあいつになったらできるんだ」
『えっと……っ??』
投げられた質問の意図がいまいち汲み取れない。それはまるで、早く僕と、体で一つになりたいと、言っているようなもので……? そんな、司くんがそんなことを求めてくることがあるのかい?いや、例え本当にそうだとしても、だめなんだ。
まだ。
『……それは……
ごめん、僕にも……
その、
ちゃんと準備をしないと、』
「……そうか」
「!?つ、つかさくん、」
どう伝えようか言葉を選んでいたら、司くんは諦めたように肩を落とし、さっきまでの強気を包み込んだ滴を目尻に浮かべた。
「………こんな惨めな茶番で作業を邪魔して悪かった。おやすみ」
「ま、まって、司くん!」
何か言葉を間違えてしまったのだろうか。急いで手を掴んで引き留めたけれど、顔は逆方向に向かれたままだ。
『な、何か勘違いをしていないかい?違うからね?決して司くんとするのが嫌な訳じゃ、』
「それは……分かってる」
『なら……』
「……類がどうとかじゃなく、自分がだめだなと思って。毎回類に任せてばかりで、自分だけ気持ちよくなって…… こんなに沢山、してもらったのに、未だに類をちゃんと受け入れることすらできない。 ……類は沢山我慢してくれているのに、オレは…っ」
表情は見えないままだけれど、蜂蜜色の目に溜まっていたであろう水分が重力に負けて、ぽたりと落ちていったのが見えた。
僕は司くんのことを思って次に進めないようにしているけれど、それが返って彼を傷つけることになるなんてだれが予想できただろう。
『……僕の大好きな司くんのことを、随分と好き勝手言ってくれたね?』
「……っ 類…?」
竦められた肩を軽く掴んでこっちに振り向かせ、今にも落ちそうになっている二個目の滴を袖で拭い取る。
『司くんに駄目な所なんて一つもないし、僕だってちゃんと毎回司くんと同じぐらい気持ちいいんだ。本当だよ?そして、それを口からも、頭からも、行動でも、沢山伝えてきたつもりなのに、司くんには何一つ届いてないみたいで、僕のほうが惨めで駄目駄目だよ』
「…………」
さっきと違う意味で申し訳なくなったのか、更に小さくなった恋人の頬を、包むように両手で支えた。
『……ねぇ、司くん。僕は猫で、司くんも知っているように、発情期なんていう体質もあるけれど、獣みたいに繁殖目的や性欲解消のためだけに司くんとしてないんだ。最初の時も含めて、一度もね。司くんが好きだから、それはもう、好きで好きでたまらないから、好きを伝えたくて、司くんを抱いているんだ。分かってくれるかい?』
「わ、分かってる……」
愛をたんまりと囁かれて恥ずかしくなったのか、目は逸らされたけれど、構わず続けた。
『だからね。僕もできることなら司くんと奥の奥まで繋がりたいけれど、もしそれが司くんの体に傷をつけることになるなら何よりも嫌だし、司くんに痛い思いをさせて、苦しむ姿を見ながら興奮なんてできないよ。そうなるぐらいなら、僕は今のままのほうがいい』
「……類……」
ねぇ。僕なりに、伝えられることを全て伝えたけれど、今度こそちゃんと、君に届いたかい?
やや逡巡させた後に、まだ微かにワインの甘い匂いが漂う口が、ゆっくりと開いた。
「……む……!!オレの尻がもっとゆるかったらこんなことには……!」
「は……???」
僕の恋人はやはり酒に酔われてしまっているのかもしれない。
『な、なんてこと言い出すんだい……??えっとね?一応真面目に説明するとね?司くんは男の子だから、今のが普通だからね?最初からゆるゆるのほうが僕は怖いよ……!!』
「そうなのか……???もう何日もかかったのに……?」
『そうだよ……!!もっと掛かる人もいるよ……!多分……!』
僕はあんなに真剣に、まるでもう一度告白したかのように頑張って気持ちを伝えていたのに、なんだか力が抜けてしまったよ。本当に君にはいつも驚かされるね……
「はぁ……『そういう訳だから、もう僕が入れるか入れないかで悩まないでくれると嬉しいな。悩む司くんって、色んな意味で心臓に悪いから』
一つため息をしながら、どうしようもなく愛おしい金色を腕の中に収め、ぎゅうっと抱きしめた。反抗もせず大人しくしてくれてるから、思わず頭も撫でてみた。これじゃあどっちが飼い主か分からなくなっちゃうね。
「……類の気持ちはよく分かったが、」
『それはよかった』
「オレ……やっぱりもう……ほしい。ま、前をいじってもらったりするのも、指でしてもらうのも、すごく気持ちいいが……
できれば、早く類と一つに、
……なって、……
みたい…………」
途中から段々羞恥に耐えられなくなったようで、顔は僕の服へと埋められていくし、声も小さくなっていったが、何とか最後まで聞き取れた。
ああ……好きだなぁ。
『…………司くんは明日も学校があるから、今日は控えようと思ったのに、今のは少しキちゃったなぁ……』
「お、オレはそこまでやわじゃないから……!!」
「はいはい」
本番だと君がどれだけ大変なのか、ちっとも分かっていないだろうに、そんな大口たたいて… と、心の中でまた一つため息を漏らす。でも、もし指で満足できなくなっているのなら、そろそろ、次のステップへ進んでもいいのかな。
『明日立てなくなっても知らないからね?』
「の、望む所だ!!?」
「ふ、ふふふっ…『その返し文句はちょっと違うんじゃないかな?』
威勢を張ろうと腕の中でジタバタする司くんを解放し、目を真っすぐ見つめた。
『では、お望みの通り、今日から次へ進んでみようか』