ごほうび ガチャリ、少し重たい音が暗い廊下に響き渡る。その音が鳴るのと同時に僕は振り返り、ドアを開けた人物の目線に合わすよう腰を下ろした。
「陛下。就寝なさいますか」
「うむ」
「では、着替えの準備を致します」
「たのんだ」
無論、成人(で、間違いない)している我が王に着替え一つもできない訳がない。僕も陛下が一人で着替えられないからと手伝いを申し出た訳ではない。こういった陛下の身の回りの世話は一種の儀式に近いもので、光栄な仕事であり、僕にとっては幸福な一時でもある。
艶のある毛並みで覆われた尖った耳の横には、赤と青を包んだ金枠の王冠がある。それを丁重に外し、専用の台座に載せる。同じ棚の引き出しから同じ色系統のナイトキャップを取り出そうとする所、陛下に呼び止められた。
「あ、それはきょうはつかわん」
「畏まりました」
いつもナイトキャップを使っている陛下の指示に少し疑問に思いながらも、大人しく従い、キャップを引き出しに戻した。続いてベルトにジャケットコート、長靴に白ズボン、そして白シャツと一枚一枚脱がせてもらう。
白い肌が大変目に毒だけれど、ここで一つでも不躾な真似をすれば、今まで築き上げた信頼も粉々になるので、何とか真面目な表情を保てながら、寝間着を羽織らせた。
寝間着は肌触りのいい素材を使った白いロングシャツ仕様で、袖口に赤い折り返しがついている。同じデザインの替えを何枚か用意しているが、予備があるからといって洗濯を怠ってはいけない。陛下の肌に触れる衣類を毎日丁寧に清潔にするのも僕の大事な仕事の一つ。
ボタンを一つ一つ留め終え、きゅっと裾を軽く引っ張り整えたら、着替えは完了だ。小さな体に上質な衣服を纏う姿をつま先から上まで確認し、達成感に満たされるこの瞬間は生きがいとも言えよう。
「いつもありがとう、ロゼ」
「とんでもありません」
尻尾が下敷きにならないよう慎重に天蓋つきのベッドに座らせ、陛下が横になればすぐに羽根布団を掛けられるよう待機するが、そのような素振りはない。
「ロゼもきがえてきてくれ」
「? 陛下?」
「ここでまっているぞ、るい」
「!」
陛下に……司くんに、急に名前で呼ばれると、思考が上手く回らない時がある。今だってそうだった。幸い、耳はちゃんと指示が聞こえたようで、気が付けば僕も寝間着に着替えて、また同じ場所へ戻ってきた。
「そうあわてることないだろう。にげないからな」
「ま、待たせてしまう訳には、いきませんので」
「む。けいご」
「あっ、ごめん」
「まあいい。こっちへすわれ」
走って往復した僕は速まった呼吸を整えながら、小さな手でぽん、ぽんと触れられた彼の横に座った。その途端、司くんは猫のように――確かに彼は猫耳と尻尾を持ち合わせているが、普段は二足歩行なので――膝へ登ってきて、背中を僕に向けて座った。バスタイムに、僕がゆっくり髪一本一本に染みこませたシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
「つ、かさくん」
「きょうもいちにち、たいへんごくろうだった! ぞんぶんに、たんのーするがよい!」
「……!」
そう言いながら両手を左右に伸ばした彼の柔らかい体を、潰してしまわないように気をつけながら抱き締めた。温かさが体中に染み渡る。王宮での仕事や陛下の手伝いで疲れを感じることは滅多にないけれど、それとは別で、こうして彼に触れられると、体も心も軽やかになる。
「よしよし」
金糸に顔を埋めた僕の紫を、彼の手が優しく触れる。横目に覗いてみれば、重力に負けた赤い袖が少しずり落ちていて、白い手首が露になっていた。それに見蕩れていると、ほんわりと時間の概念が頭から抜け落ちてしまったが、暫くして耳に入った彼の声で我に返った。
「だきしめるだけでじゅーぶんなのか?」
「っ、えっ、と……」
不十分があるかというと、勿論ないのだけれど、満足したかと言えば、そうでもなく。ただ、どこまで求めていいのかも分からず。
不甲斐なく回答に困った僕が頭を上げると、司くんは振り返って、「仕方ないやつだ」とでも言うように、ぴょこ、と耳を一つ跳ねさせ、にっと笑った。
「るいさえよければ、いっしょにねてもいいか?」
「! も、勿論、喜んで」
「きまりだな!」
回答が口から出た瞬間、それをとうに予想していたかのように彼は僕の腕からすり抜け、四つんばいでベッドの奥へと移動し、いそいそと羽根布団の中へ潜り込んでいっては、ひょこっとまた黄金色を覗かせた。
「さあ、あしたもはやいんだ、もうねるぞ!」
「ふふっ……お邪魔するよ」
温もりがなくなり、少し寂しく感じた懐を一刻も早く再び彼の体温で満たすべく、僕も同じ羽根布団の中に入った。