「…誰だい?君は」
よく見知った顔がいたので、早足で駆け寄った。
腕を掴んで、それからホッとしたんだ。
顔見知りが誰もいないこのカルデアで、唯一誰よりも忘れられない男を見つけたから。
「え……?」
それなのに。
それは紛れもなく彼だった。
すこしばかり大人びて、悪いものでも見たかのような顔をして、目つきが少し鋭くなったようだった。
服装が変わっていて、真っ白に身を包む彼はどこか神聖なもののように思えたのだけれど、彼の目元の青色はまるで私自身を否定するかのように冷たい色だ。
「……あぁ、どこかで会っていたのか。悪いが私はその時の私ではない。期待させたら悪いと思って、先に言っておくよ」
「わ、わたし……?モリアーティ、君なんだよね?私のこと、覚えていないのかい」
「しつこい、何度言えばわかる」
彼は私の手のひらをぐい、と押し除けた。
「ここでの私は、君が思うような人間ではないだろうネ」
「そんな……」
友達に否定されたような気になって、いや実際そうなんだろうけど、私はだんだん力が抜けていった。
気づけば床に膝をついて、頭を上げる力もなくなり始めた。
「……」
彼の漆黒の瞳が私を見下ろす。
微動だにしない彼は私に対して何を思うのだろう?疎ましい?厄介?存在が嫌?そんなこと、自覚はしたとてどうしても彼だけには言われたくない。
私は彼の顔も見れないまま、もつれる足を無理やり動かしてそこから逃げ出した。
文字通り、彼から逃げた。
あんな冷たい目をこれ以上向けられたら、私は耐えられない!
「な、泣きそう……」
はあ、はあ、と息切れを起こしながら長い長い廊下を駆け抜けて割り当てられた部屋に傾れ込む。
まさかこんなことになるなんて。
マスターにどんな顔を向けたらいいのだろう。
「まあ……そうだよね、みんながみんな、私みたいに何もかも覚えてるわけじゃないか……」
枕に顔を埋めていると、じんわりと目元があたたかく、湿り始める。
あ、私は今泣いているのだなと知覚した。
悲しい、というよりは切ない、寂しい、といった感情の方が近いらしい。
わんわん声をあげて泣きだしてしまいたい気持ちよりも、心が冷えていく感覚のほうが急速に進んでいく。
ここに召喚された時私は本能的に思った、ここには彼がいると。
だから、ここの施設の案内もそこそこに彼を探しにいったのだ。
マスターが微妙な顔をしていたのは、きっとこれをわかっていたからだろう。
「……ぐすん」
しばらくはこのまま泣いていよう。
きっとここにきた私を気にしてくれる人など誰もいないのだから。
気が済むまで、私は寝転がりながら涙を流していた。
気づけば廊下の喧騒は鳴りを顰め、夕が過ぎ、夜が訪れていた。
「……ダンテくん?ここかな?……入ってもいい?」
「えっ、誰……」
ドアの外から聞きなれない声が聞こえてきた。
敵意は微塵も感じられないが、少なくとも私が知っている人間ではない。
部屋に足を踏み入れてきた人物は、人間というよりメカとかロボットに近い存在だった。
「自己紹介からだね、僕はアヴィケブロン。マスターの……相方?相棒?のようなものだ。兎に角、常に彼の側にいるだろうから一言挨拶をと思ってね」
「わあ、驚いた。君はマスターの伴侶なのかい」
「!?違うよ!僕はそんな……兎に角、君の様子を見ようと思って!マスターが心配していたんだ、彼は今頃泣いていないかって」
「フフ……バレバレかぁ。なんか、ちょっと目も開きづらい感じだね、今は」
「あぁ可哀想に…」
アヴィケブロンと名乗る彼は、どうやらマスターの〝お気に入り〟らしかった。
それも、一番の。
彼の魔力を感じればわかる、これ以上施しようのない程注ぎ込まれたリソース、洗練された身体の構造、そして何よりも感じるマスターの魔力。
ふんふん、なるほど。
「目を冷やすもの、持ってこようか?」
「あるなら欲しいな……」
「すごい、なんかしょもしょもしてるね」
一見堅物のような外見をしているのに、話してみると案外口調は砕けていた。
今度マスターにあったら、彼の話を聞いてみよう。
何か話の参考になるかもしれないし。
しばらく待っていると、彼は保冷剤を包んだタオルを持ってきてくれた。
泣いて腫らした目元は熱く、冷たいタオルが心地よい。
「…君は、随分人間らしいね」
「え?」
「いや、その……気を悪くしたならすまない。違うんだ、僕の周りにいる人は皆んなサーヴァントらしい人というか……」
「ああ、私が人間味あふれる存在と言うわけか。フフ……それは確かにそうかも……」
話しているうちに色々なことがわかってきた。
彼は今頃ゴーレム業がメインだけれど、詩を書くと言うことも。
同じ物書きとして、話しているうちに私たちは少しずつ意気投合していった。
仮面で表情は見えないけれど、声音でわかる。
彼はそんなに怖い人ではないし、テンション高いタイプでもない。
「君の様子をマスターに伝えてくるよ。暫くは休むといい」
「うん、ありがとうアヴィケブロン」
「どういたしまして」
かつん、かつん、と足の先を鳴らしながら彼は去っていった。
沈みに沈んでいた気持ちが彼のおかげで少し紛れた気がする。
もちろん無くなったたわけではないけれども、それでもこの瞬間は気を逸らすことができたし、知り合いができた。
部屋に引き篭もりながらひたすら出動要請を待つだけの日々になるかなと思っていたけれど、それは杞憂になってくれたようだ。
「……」
それでも、1人になればあの冷たい視線を思い出してしまう。
カルデアで、サーヴァントとして一番会いたかった相手にあんな言葉を投げられ、私の心はぶっちゃけた話、だいぶ傷ついている。
「……寂しいよ、モリアーティ」
……もう一度、友達にはなれないだろうか。
今の2人が他人だと言うのならば、もう一度友達になり直せばいい。
今の私に必要なものは立ち直るための時間。
君ともう一度話をするために。
保冷剤が柔らかくなってきた頃には、目の熱さも引いていた。
そして私は泣き疲れてそのまま眠り、くう、と鳴ったお腹の音と共に目を覚ますのであった。
食堂に足を運ぶと晩御飯の時間だったようでわいわい、がやがやと様々なサーヴァント達が食事を楽しんでいた。
もちろん、カルデアからの電力供給のおかげで食事はしなくても力を保持できるけれど、やはり食べた方が美味しいし、楽しい。
よほど苦手なものでなければ。
「……あ」
ぱちん、と目があった。
思わず言葉が漏れた。
先ほど私に悲しい言葉を投げかけた彼はふい、と目を逸らして席に着いてしまう。
白い服も似合うんだなぁ、とぼんやり思った。
「そりゃあ、いるよね……」
晩御飯はパスタらしい。
赤い弓兵は歓迎の意を込めてこっそりミートボールを増やしてくれた、嬉しい。
「ソースが跳ねないように気をつけるんだ、これで痛い目を見ている人が何人もいるからな」
「まぁでも、私の服この色だし…フフ、ギリギリセーフかな」
席に着く。
料理の内容がパスタというのがまた嬉しい。
できるだけ彼を視界に入れずに済む場所を選んだつもりだったが、それでも彼の後ろ姿は見えてしまう。
丁寧な所作、ソースが飛ぶことなんてないんだろうなぁ。
「隣、いいかい?」
「アヴィケブロン!勿論いいとも!フフ……!誰も知り合いがいなくて、静かなディナーになるところだったよ」
唐突に現れた彼を歓迎しつつ、どうやって食べるんだと疑問が湧く。
食べていた。
兎に角、どうにかして食べていた。
うん、仮面を外すことなく、彼は食事を楽しんでいた。
どうやってるのかはわからないけれど。
「マスターの隣じゃなくていいの?」
「彼は人気者だからね」
マスターの周りには人だかりができていた。
デザートを狙う悪者たち、野菜をこっそり皿に移動させようとする子供たち、それを咎める大人達。
まるで彼を中心に、輪が出来ているみたいだった。
そして私の心の中に巣食う彼もまた、自然でマスターを追っていた。
「……少しは落ち着いたかな?」
「……少し、はね」
「何となくの経緯はマスターから聞かせてもらったよ、君があまりにも悲しそうだったから。……ごめんね?僕としてもこんなことは無粋かなと思ったのだけれど」
「ううん、ありがとう。……私は、存外あの時の彼に焦がれていたようだ」
「!」
「え?」
フォークを持つ彼の手が止まった。
人形のような関節がかちりと擦れる音がしていたのが止まった。
そして……気のせいだろうか?彼の仮面の温度が上がっているように見える。
「アヴィケブロン?君、顔が熱いんじゃないかな」
「い、いや……そ、その……僕、結構直接的な言葉に弱くて……」
「へ?」
「好きなんだろう?彼のことが」
指先で指先をいじいじと弄る彼は照れているように見える。
というか照れている。
今はそんなことどうでもいい、私の頭は色んなものの処理をいっぺんに始めたせいで脳みそがこんがらがって顔が真っ赤になって熱くなって、なんなら若干汗もかき始めた。
「い、いやいやいやいや!何を言ってるのかな、君は!」
「えっ!違うの!」
「違うだろう!?私が好きなのはベアトリーチェ、ただ1人で……」
「でも焦がれてるって」
「言ったなぁ……」
2人して頭を抱えた。
食事の手が完全に止まった私たちを、キッチンの方から不思議そうな顔をして眺めている人たちがいる。
違うんです、料理は美味しいんです、と弁明するかのように私は慌てて残りのパスタを平らげた。本当は照れ隠しだったのだけれど。
「好きなのかなぁ」
「そうなんだと思うけれど」
「フフ……好きなものが多いなぁ、私は」
「いいことだと思うよ」
口の端にソースがついてる、と指摘されるまで私達は2人でお喋りを楽しんだ。
そうか、私は彼が好きだったのか。
それも一言で表せるような好き、ではない。
きっと複雑に曲がりくねって、彼を必要としていて、それでいて恋愛的な好きだけではない、何か。
それを人は運命だとか、縁だとか、複雑な名前をつけたがるのかもしれない。
食堂を離れる前に、もう一度だけ彼がいた方向を見る。
彼はとうにいなくなっていた。
(……モリアーティはソース、飛ばさなかったのかな?)
あの白い服に赤い色がついたら、それはさぞかし目立つことだろう。
擦っても落ちなくて、つけたことを後悔するような赤色は、今の彼には存在しないのだろうから。
彼が召喚されたと、風の噂で聞いた。
僕の頭の中に、彼との記憶がふわりと現れ、どこかで過ごした〝僕ではない僕〟がどうも楽しそうだったことを知る。
ならば出迎えてやるぐらいは道理だろう、と思ったけれども、今の自分の立場を思い出す。
真っ白な服に身を包む僕は悪のカリスマ。
そうあれ、と願われた存在。
そして、そうならなければいけない。
悪を被り、演じるルーラー。
ふと、今の僕に、彼を迎える権利はあるのだろうか?と思う。
あの日あの時彼と並んでいた僕は〝善〟の僕、若かりし頃の、まだ何にも染まっていない真っ直ぐな学生の頃の僕。
(今の僕を見たら、彼は失望するんじゃないか)
そんなことを思っていたら迎えに行く前に、息を切らした彼は僕のところを訪れた。
だから、僕は突き放した。
「……誰だい?君は」
最初から無かったことにしよう。
記憶がないふりをして君を傷つけないようにしよう。
弁護人として法廷に立った僕はもういない、僕はもう大人になってしまった。
悪を知ってしまった、何よりこのカルデアで未来の自分を見てしまった。
それは世界を揺るがすような力を持つ大悪党で、それになる未来はどうやったって動かない。
だから、僕は。
「モリアーティ……?」
君が傷ついて、揺れる銀色の瞳を慰めるなんてことはしない。
わからないふりをして、最初からやり直そう。
「私のこと、覚えていないのかい」
震える声ごと押しのける。
そうだった、彼は寂しがりやで不安症で、初めて会った時もこんな感じだったなぁ。
床にへたり込んだ彼を眺めながら、あの時みたいに手を差し伸べようとした。
その時だった。
彼は地面を蹴るように走り出した!
「えっ、ちょ、ダンテ」
僕の言葉は届かないようだった。
慌てて追いかけようとした。
けれども、それはできなかった。
彼が泣いていたから。
「ダンテ……?」
彼を呼び止めようとした時点で僕は破綻していたのだ、初対面の彼の名前を呼んだのだから。
しまった、と思ったけれど、今の彼にそんな事を読み解く力はないだろう。
文系とは思えない足の速さだった。
すぐに僕の視界から消えてしまい、どこにいったのかもわからなくなる。
「嘘、だろう……?」
しまった。最悪だ。
これでは僕が彼を拒絶してしまったみたいになってしまったではないか。
いくら悪のカリスマといえど、大切な存在を傷つけていい理由にはならないのに!
慌てて探しにいったけれど、結局見つからなかった。