lull もう日付も変わろうとしているこの時間。新開は視界に捉えたものを疑い、二度、三度と瞬きをした。
(見間違いじゃねえ、弥代だ)
寮から一番近いミミストではない、徒歩圏内ではあるけれど少し離れた場所にあるコンビニ。外出帰りに目的なく立ち寄って店内をふらついていた新開は、入店して来た客が同僚だと気付いて、思いがけない遭遇だと片眉を上げる。
お互いにひとりなのと、自身が知り合いに会って無視を決め込む人間ではないので、そちらに足を運んだ。
「弥代」
「え? ……ああ、新開さん」
顔を覗き込むように少し身を屈めて名前を呼ぶと、一瞬の警戒の後、呼んだのが新開だと理解した弥代は緊張を緩めた。
「こんな時間に買い物か」
「はい」
頷いた彼女は次の瞬間、何故か思い切り顔を背けてしまう。
「どうした」
「えっと、その、誰か知人に会うとは思ってなかったので……」
「……?」
「すっぴんだし部屋着だし、思い切りオフモードといいますか……」
「ああ、そういうことか」
言われてみれば仕事中ともトレーニング中とも違い、オーバーサイズのTシャツと脚が露わなショートパンツに、足元はサンダルで、髪もセットされていない。
(でも、ジムで会う時と……そんなに何か変わるか?)
そう思ったけれど、角が立つような下手なことを言うべきではないと、今までの経験上学んできた。
「確かにいつもの弥代とは違うけど、お前が気にするほど可笑しくねえよ。……で、何買うんだ?」
「こんな時間なんですけど、プリンが食べたくなって。新開さんのお目当ては……」
「俺は帰りに何となく寄っただけだ」
オフモードには深くふれず、話題を変えたのは正解だったようだ。弥代と目線は合わないけれど、顔はこちらを向けて話をしてくれる。それとなくデザートコーナーに移動して棚を見ると、彼女が小さく唸ったのが聞こえた。
「んー……」
小さな手が、ふたつの商品の間で彷徨っている。少し前に静が買って来てくれたとろけるプリンと、新商品のシールが貼られたマンゴープリン。ふたつとも買うという選択肢はないらしく、どちらにしようと悩んでいる様子が何だか微笑ましい。
「どっちもお前が好きそうなやつだな」
「だからこそ、悩みます。……あ、新開さん、気にせず先に帰ってくださいね」
「……は?」
何を言われたのか理解する前に、怪訝な声が出た。
◆
この時間に、女をひとりで歩かせるほど野暮じゃない。それに、自分がここで弥代を置いて帰る人間だと思われたのかと癪に障り、思わず顔を顰める。しかし、彼女の言葉に裏がないのは、短いながらも今までの関わりで理解している。そして、口調や体格や顔や雰囲気から、自分が威圧的なのも理解している。
(……怖がらせたらダメだろ)
プリンに夢中な彼女に気付かれないように、すっと息を吸うと、自分を落ち着かせるために長く、吐いた。深呼吸して頭がクリアになってから、口を開く。
「あのなあ……帰る場所は同じなんだし、ここで『ハイ、サヨナラ』ってのも可笑しいだろ。待っててやるから、気が済むまで悩め」
「……やっぱり新開さんって、面倒見がいいですね。ありがとうございます」
「おう」
意識したようにフラットに話せていたのだろう。彼女は新開の心の内を知ってか知らずか、ほんの少し口角を上げた。
「ところで、新開さんならどっちを選びますか」
「あ? あー……」
「……?」
「いや、お前がいいなら構わねえんだが……俺の味覚を当てにして大丈夫か」
セロリ味のプロテインが脳裏を過ったのだろう。恐る恐るこちらを見上げる弥代に、にやりと笑ってみせる。
「……この二択なら、セロリ味よりは間違いないかなと」
「それもそうだな。じゃあ、こっち」
そう言って指差したプリンを、弥代は嬉しそうに手に取った。
◆
自動ドアを抜ければ、梅雨特有の空気に全身が包まれる。気温がそこまで高くなくても、湿度のせいで息苦しい。
「この時間になっても蒸し暑いですね」
そう言う割に涼しい顔をしている弥代からは、いつもより気が抜けた印象を受ける。
(オフモードって、こういうことか)
月と街灯と、住宅街に伸びるふたりの影。隣を歩く彼女を密かに観察していたせいで、無灯火で背後から抜き去ろうとする自転車に気付くのが少し遅れた。
「あ……っぶねー……。怪我ないか?」
咄嗟に引き寄せた、頭ふたつ分も違う小さな体。背中にふれた新開の手のひらに、弥代の体温が伝わる。
(……お?)
ふと、前に彼女の背中にふれた時とは違う感触だと、おもむろにとんとんと柔らかく叩いてみれば、びくりと体が跳ねる。
「身体作り。いい感じだな」
「えっ」
「背中、前とは筋肉のつき方が全然違う。やっぱり素質あるよ、弥代」
「ゴリラの素質が......?」
「ハハッ、お前がゴリラになっても、それはそれで俺はいいと思うけどな」
新開の軽口に、弥代がくすくすと笑う。笑いながら歩くその様は、護身術講習の成果もあって出会ったばかりの頃のような隙はないけれど、以前よりも背筋がしゃんと伸びているからこそ夜道でも人目を引く。
「……なあ。またこのくらいの時間にコンビニ行きたくなったら、俺も一緒に行くからLIMEよこせ」
「滅多にないから、大丈夫ですよ」
「滅多にないからこそ、だ。無理な時は無理って言うし、遠慮はナシ」
「……」
大人しく聞き入れて貰えるとは思っていないが、またこうして出歩かれるのも心配だ。
◆
(心配……って、何でこいつのことこんなに気にしてんだ)
同僚で、上司で、知り合いで、同じ寮のメンバーで――ただそれだけの関係だ。自分の目の届く範囲に居る女だからとか、護身術を教えているからこそだからとか、幾つも理由付け出来そうだと思う一方で、どれも強引な気もした。それ以上考えるのを今はやめておこうと、らしくない先送りにした新開は、一度は離した手のひらで、とん、と彼女の背中を黙って叩く。
あやしているようで、あやされているのは自分の方だと思いながらふれた、その温かさが妙に心に残った。