夢の灯りを消さないで サーヴァントの自分が使える力は生前に書いた物語に由来する。生き物に限らない。――ちっぽけなマッチ一本とて、相手を惑わすアイテムだ。
「しつこい、俺は魔術師ではないと言っているだろう」
「そう言わずに! 私にも効くのか知りたいの」
彼女がせがんでいるのは『マッチ』一本の奇跡。都合の良い幻覚を見せる小さな灯り。作家に依頼するものではないだろう。だがしつこく頼まれると、さっさと願いを叶えて終わらせたい気持ちの方が強い。
「……仕方のないやつだ」
それにいざ彼女にねだられるとそう悪い気はしない。魔力を込めたマッチを一本、彼女の前で取り出す。
「何が見えるのかな……豪華な料理とか?」
「灯りはお前の心を映す鏡だ。ただ欲望を忠実に反映するだろうよ。叶わない夢を目の前に焼き付けるだけだ」
鮮明で分かりやすく、おぞましいほどの欲望、深層心理。……興味があるから彼女の要望を呑んだのだ。目の前で盗み見て構わないと許可が出ている。分からないほど見たくなる、世の中はそのようにできている。
人様には見せられないものが飛び出すかもしれないなど彼女は微塵も考えていない。
マッチが燃え盛り、あたりがぼんやりと歪みだす。さて、鬼が出るか蛇が出るか。形を変えだす幻想は思ったより大きい。食べ物ではなさそうだ。
ぼんやり人の形をしてきたのを見て、「会いたい人」だろうかとあたりをつける。鮮明になっていく背丈、髪、服装……。
「……待て、どうしてそうなる」
「あれ、アンデルセンだ」
どう考えても俺の姿。本物が目の前にいるのに会いたいも何もあるか。幻想の俺は目の前で遠慮もなく彼女の手を掴んでいる。
「――リツカ」
ひゅ、と彼女が息をのむ。
目の前で重なる二人の影。彼女はやり場のない腕を宙にさまよわせながら目線すら行ったり来たり。
「えっ! あの、これはそのっ!」
俺と目が合ってすぐ、言い訳を始める。無論その間も幻想は消えないまま。
「そういうのじゃなくて……」
要領を得ない。そうしている間に彼女に抱きつく幻想の手が背中から腰へと下がる。最早何が「そういうの」じゃないのか分からない。マッチの灯りは欲望しか映し出さないのだから。
忠実に俺と同じ背丈らしい幻想が身を乗り出し、爪先立ちを始めたのが見える。何をするのか想像は容易だ。近づく顔と顔に、勝手に目を閉じだす彼女に。
「幻想だと片付けるには少々行き過ぎだ。大体お前は何を勝手に目を閉じている」
開いたページを閉じるように、物語の使役を終える。途端に目の前にあった俺の姿は消えてなくなり、残るはマッチの燃え滓ひとつ。
あぁ都合のいい夢を見せるはずが、彼女の顔色を見るに良いことばかりではないようだ。
「それで? マスター。ご感想は?」
「か、感想って」
「あぁ分かりやすいように翻訳してやる。幻想などで満足か?」
「っ……! アンデルセン、」
彼女が叶わない夢と判断した数々。彼女を名前で呼び、勝手に手を引き抱き寄せそれから……まぁ見てはいないが予測のできるそれから先の事態。都合の良い夢を見ているのは俺の方ではないか、思わずにいられない。
少しばかりの夢を見る。――幻想の自分がああも許されるのに、本体の自分が許されないのはおかしいだろう。
「ちょっと、アンデルセン……!」
引き寄せて、腕の中に収める。まぁこの体躯ではどうあっても収めるよりは抱きついている、感が否めない。それでも幻想の時とは比べ物にならない彼女の赤い顔を見られたのだから気にしないことにする。
「幻想と比べてどうだ、違いはあるか?」
「…………!」
違いを冷静に比較できる心境ではなさそうだ。そう分かれば少しは満足感が出る。
「おい立香。どうなんだ?」
「な、名前っ……!」
こんなに動揺されては期待してしまうと分からないらしい。男の機微に疎い。
「幻想に先を越されるとは気に食わない」
名前で呼ぶくらいで面白いように表情を変える。欲を言えば幻想ではなく自分が先に知りたかった。
彼女の肩を引き寄せ、身を乗り出す。――ここから先ばかりは自分の幻想に先を越されるわけにはいかない。
わずかに爪先立ちして見つめれば、目を閉じる彼女のまつ毛は想像よりずっと長い。
幻想が体感できなかったこれからについては、責任を持って俺が実体験するとしよう。