醒めない酔いをお好きなだけ 豪華な箔押しのラベルにはどこの国のものなんだか分からない文字が書かれている。色のついたビンの中の液体にぷつぷつと綺麗な泡が広がっては、上に上がって消えていく。
「これって……」
クリスマスの準備で賑わうカルデアで、わたしの部屋は相変わらず盛り上がったサーヴァント達に飾り付けられ、赤と緑のクリスマスカラーに染まっていた。
そして目の前にあるのは細長くてお洒落な装飾のついたシャンパングラス二つと、冷えたビンの中に入った飲み物。持ってきたのはキッチンからお酒を盗んでは酒盛りを始めるキャスターの一員。……正直この見た目で酒盛りなんてしないでほしい。
「クリスマスには少し早いが……まぁこれくらいならお前にも飲めるだろう」
「またキッチンから盗んできたの? 怒られても知らないよ」
「なに、飲むのは俺だけじゃない。死なば諸共、隠蔽工作には協力しろ」
「怒られたら嫌なんだけど……」
とは言っても、せっかくお酒を飲める歳になったのにカルデアではそういう機会はなかなかなくて、目の前のシャンパンはとてもすごいものに見えてしまう。どんな味がするんだろう。初めて飲んだお酒がシャンパンだなんて、セレブみたいだ。
「……バレたら一緒に謝ってよね」
好奇心に勝てない。
「あの厨房の連中にか? まったく面倒だな」
そう言いながらもその手はすでにビンの注ぎ口あたりのキラキラした包装を破っている。ビンの栓が手早く開けられて、ポンと音を立てる。
「炭酸が抜ける前に飲みきるべきだろう。今日は1本空けるまで、付き合ってもらうぞ」
グラスに注がれたシャンパンの綺麗な琥珀色を見ながら考える。気がつけばカルデアへ来て随分と時間が経った。
シャンパンなんてものが飲めるような歳になったのに、ちっとも大人になったような気はしない。毎日レイシフト、種火集め、素材集め……こんなんじゃ自分が成人したなんて実感する瞬間がない。
それでも彼があえて一緒に飲もうとお酒を持ってきてくれたから、少し大人になった気がしてくる。
渡されたグラスの中身を見つめる。……苦かったりしたらどうしよう。意を決してグラスを煽る。炭酸の泡が口の中で弾けて、その後にふわりと甘い味がした。
「美味しい!」
わたしでもすんなりとジュースのように飲めてしまうのは、初心者向けのお酒だからなんだろうか。調子に乗ってグラスを傾ける。
「情緒のカケラもない飲み方だな」
目の前でグラスに口をつける彼はいつも馬鹿騒ぎしながら酔っ払っているのに、今日は静かだ。飲み方一つで印象がすごく変わる。いちいちシャンパンにはしゃいだりしない。一緒にお酒が飲めても、やっぱりどうにも彼の方が大人なのだ。
そんな考えを紛らわせるためにハイペースでグラスを空ける。もう何杯目かのおかわりに、何だかクラクラしてきたような、ぼんやりしたような頭の中。今すぐ眠ってしまいそうな浮遊感。今なら何でもできる気がする、謎の自信。
静かにお酒を嗜む隣の彼の横顔がやたら格好良く見える気がする。そういえば酔っ払うと目の前の異性が何割り増しかでよく見えるなんて聞いたことがあったっけ。
「お酒慣れてないから…なんか酔ったのかも」
「そうか」
ふわふわした気持ちのまま、ふと彼の小さな肩に目をやる。何だかどうしようもなく甘えたくなるのは、きっと酔っているせい。肩を目掛けてそっともたれかかって、首元に顔を埋める。
そのままおとなしくしていると、そのうち頭に小さな手が乗せられたことに気がつく。温かい手のひらが頭のてっぺんから髪をとかすみたいに行ったり来たりしている。ーーこんなふうに甘やかされたことはない。酔っ払いには、優しくしてくれるんだ。クラクラしながらちょっと得した気持ちになる。
「はぁ……人の頭が何キロあると思っているんだ。俺が潰れたらどうする」
そう言ってもわたしの頭を退けたりしない、遠回しな優しさに甘えてしまう。肩から頭をよけて、そのまま膝の上に転がり込む。
「……膝に移っても重さはまったく変わらんぞ」
聞こえないふりをしながら、ごろりと体勢を変えて小さな膝小僧を見つめる。……細身の彼の膝の上はあんまり寝心地が良くない。
「骨が当たってる気がする」
「文句があるなら交代しろ」
「いやだよ。もう少しだけ、頭なでてほしい」
普段は言えないセリフがスラスラ出る。きっと、酔っているから。
「注文が多い。五分経ったら強制交代だ。」
再び頭の上に乗った手が髪をすいて、心地がいい。うとうとまどろみながら夢心地になって、あっという間に時間が過ぎてしまう。彼が時々シャンパンを飲む姿を見ながら、こんなにのんびりできる時間は最近少ないな、と考える。
「おい、ここで寝るなよ。それにもう五分経った」
「やだっもうすこし、」
「ところで。これはシャンメリーだぞ、マスター」
彼の口角が上がる。……ロクでもないことを考えていそうな顔。
「……しゃんめりー」
「そうだ、お前のご希望のアルコールは零パーセント、健全なお子様御用達のクリスマスセットだ」
シャンメリーなら知っている。クリスマスに家でも良く出る炭酸飲料。
まるで悪い夢でも見て飛び起きた時みたいにまどろみから一気に抜け出す。それじゃあ、一体私は、
「一体何に酔っているつもりなんだ? 立香」
「!」
「『酔っ払う』と随分甘えるようになるんだな」
まずい。本能的に危険を察知してここから離れようと反射的に身体を起こす。
「おい、いきなり起き上がるな。……酔いが回っても知らんぞ」
起こしかけた身体をぐっと手で押さえつけられる。膝の上に逆戻り。逃げられない、ずっと心臓が危険を訴えている。……酔う原因なんて、どこにもないと知ってるくせに。
「なに、無理をすることはない。お前は『酔っている』のだから」
こういう顔をしている時の彼からはすぐに逃げるべきだと、知っている。
「さて、酔うと人格が変わるなどと言う輩もいるが…それは違う。本質は理性を剥ぎ取ることにある。ただの液体がその者の本質を変えるわけもない」
いつもより数倍楽しそうな様子。
「理性の蓋をこじ開けるだけだ」
逃げようと力を入れても、この小さな体のどこにそんな力があるのか押さえられていてまったく起き上がれない。
「お前は酒もなしに簡単に理性を手放す。まったく、どうしようもないやつだな」
どうしようもないと言うその声がいつもより優しくて、この空気が恥ずかしくて耐えられなくなってくる。酔ってもいないのに散々甘えたことを思い出してどんどん顔が赤くなっていく。
「だって、シャンパンだと思って、」
「思い込みでそれだけ理性を削れるのなら、アルコールは必要なさそうだ。そんなに顔を赤くして、まだ酔っているのか?」
「……いじわる」
「それはお前の男の趣味が悪いせいだろうよ」
残念だったな、そう言いながら上から私を覗き込むキレイな顔。ああもう、本当に悪趣味なんだから…!
彼の膝の上で顔を手で覆いながら身悶える。
「何だ、もうギブアップか? まだ中身は残っているぞ」
ビンの中身はもう残り少ない。
「俺はもう充分飲んだ、飽きるほどな。残りを全て片付けられるのなら、お前に褒美をくれてやろう」
「褒美って……?」
「ーー頭を撫でる程度で、満足か? 立香」
とんでもないセリフに息が詰まる。
今のわたしには正しい判断力がない。だってまだ、酔っているから。都合のいい言い訳をしながら、琥珀色のシャンパングラスにそっと手を伸ばした。