出迎え狼、檻の中「やった! ホントにもらってもいいの?」
「構わない。俺では食べきれずに腐らせるだけだ」
メロン、桃、さくらんぼ。それから定番のビールにジュース。迷惑にも大量に送られてくるこの品物は、俺には捌き切れない。……それをいいことに、こいつを呼び出して処分させようとしている。俺も十分にこのお中元というシステムを利用しているのだ。
「うわ、これすっごい高いブランドのやつ」
果物を品定めしながら彼女が言った。
「気に入ったのなら何よりだ。それにしても……お前、カルデアで訳の分からない金額を稼いでいただろう? こんな果物くらい、食べた記憶があるんじゃないか」
「カルデアを出た後のことは、結構記憶が飛んでるの。少しだって記憶が残ってる方が不思議なんだけど」
少女がカルデアのマスターであったのはいつの話だったか。少なくとも、もう俺はサーヴァントではなく、こいつはマスターではなくなった。
少女への気持ちを自覚したのは、随分前のことだった。娘か孫のように思っているだけだ、決して愛してはいけない者だと。……なんてことはない。『いけない』だなんて言っている時点でもう落ちたと認めたようなものだった。
それでも、そんな途方もない心をついに打ち明けることはなかった。俺のことなど淡い思い出にも残らずに忘れてしまえと思った。ーー自分を覚えていてほしい、なんて言えるのは覚悟のある者だけ。俺にはそれがなかった。これはそれだけの話だった。
それが、どうだ。なんの因果か事態は第二の人生ときたもんだ。何のしがらみもなく、奇しくも再び再会を果たした二人。身震いするほど運命的じゃあないか!
いや、実際はそう甘くない。仲の良いお兄様のような存在です、だなんてトラウマ級のことを言われそうなくらいには何事も進展していないのだから。距離感を誤ったか、十分に、その、なんと言ったら良いか、彼女に好かれている、部類には入るはずだ。ーーそれが恋愛ではないかもしれないというのは無視した場合。ちなみに彼女に恋人はいない。
「でもホントに良かったの? こんなに高そうなのもらうのに、お礼が夜ご飯作るくらいで」
「構わない。まともなキッチンがついているのだから、たまには使わないともったいないだろう」
湯を沸かすのにしか使わないガス台は綺麗なままだ。久々に使った鍋の中にはまだシチューが大量に残っている。こんなにたくさん作ったら、全部消費するまで呼びつけられないじゃないか。
「そういえば、本棚にお前の好きそうな短編集が増えたぞ」
「本当? まだ時間あるし読んで行こうかな」
前から思っていた。こいつの他人との距離の近さと警戒心の薄さは、どうにかならないのか。……俺が帰る手段を断つように行動しているのが、分からないのか。だから数間後に計画通り、こいつは終電を逃すことになる。
「どうして教えてくれなかったの!」
「何を言っている? ここにくるまでは電車とバスを乗り継いだだろう。確認を怠ったのはお前の方だ。」
そうだ、そこそこ都心から離れたこの場所じゃバスなんてものは終電よりも早くなくなる。充電があるから大丈夫、なんて油断をしたら最後、気がつけばバスが途絶えている。
「どうしよう……」
もちろんタクシーを使うような出費は避けたいだろう。
「あの、アンデルセン。できたらちょっと、お金を貸してほしいんだけど」
「! ……ここに、泊まっていけ。明日は休みだろう」
「えっ」
彼女がもし『泊めてくれ』などと悪びれもせず言ったのなら、脈がないと諦めるつもりだったのだ。だというのに、同じ施設の同じ部屋で添い寝までしたことのある俺に対してそんな態度をとるのだから。
そうだ。気軽に泊まってはいけない、男の部屋だと思われている。泊まれと言われたら戸惑うくらいには、こちらの性根を認識できている。タクシーなんて選択肢を奪うくらい、したって許されるだろう。
「え、いや、お金を貸してくれればちゃんとタクシーで帰るし……」
「俺の部屋に押しかけて勝手にベッドを占領したこともあるくせに、今更何をためらっているんだ」
「もう、カルデアにいた時とは違うでしょ!」
「一体何が違う?」
「だ、だってもうわたしはマスターじゃないし、アンデルセンだってサーヴァントじゃないでしょ。おんなじ、普通の人間で……」
あぁ、そんな表情を見せたら帰り道は途絶えるだけだと分からないのか。
「まともな危機管理の認識だけはあるようで何よりだ。それでも、こんな一人暮らしの男の家に一人で乗り込んできている時点でどうかと思うが。それとも何だ? 兄のようなものだから異性にはカウントしないとでも言うのか」
「そんなことない……」
彼女の潤んだ目と、赤い顔。記憶の中のどこにもない、女の顔を記憶に焼き付ける。勝負をかけるなら、今日しかないだろう。もう充分だ。何だか分からなくなってしまったこの関係に、ケリをつけてやろう。
「何も女を送った男だけが狼というわけではない。世の中には罠を仕掛けて逃げられなくして、待ち構えるような輩もいる」
「アンデルセン、」
「お前にとって、俺は一体なんだ? 立香。もうお前のサーヴァントでも……お前の兄貴分でも、ないつもりだ。派手に抵抗しないなら、今夜は帰さない」
生憎こんな台詞が似合うような男ではない。これを言うのに、少しばかりの覚悟が必要だった。それなのに、真面目なこの場面で彼女はくすりと笑いながらこう言うのだ。
「派手に抵抗したら、帰らせるんだ?」
「茶化すな、真面目に……っ!」
こちらが喋っている最中だと言うのに、俺の思惑なんて知ったことではないらしい。首元に抱きついたまま背伸びをした彼女に、ついばむようにキスを贈られる。なんてやつだ。情緒もロマンも夢もへったくれもない。あぁ、それなのに。
「……抵抗しても、帰さないでよ」
こんな時に限って、その顔を見せるのは反則めいている。照れるなら、最初から言わなければ良いものを!
もう目の前の彼女に終電の心配は必要ない。ーー捕まえるはずが、こちらが捕らえられた気分だ。
「俺が帰そうとしても、帰らないつもりのくせして、よく言うな」
こうして、公共交通機関はとっくに機能しなくなった夜更のマンションの灯りは、あっけなく消えていくのだった。