【SPN】神の悪戯にご用心【C/D】 小屋の中はヴァンパイアの住処になっていた。状況を把握するため、カスティエルは少し離れた柱の影に身を隠す。寝床を襲おうとしたのか、中は半壊しハンターらしき男は追い詰められていた。群れで行動するヴァンパイアは、侵入した人間を捕え、殺すか血を飲ませ仲間にするか揉めていた。
「そいつは、綺麗な顔をしている。仲間にして馴らせば新鮮な食事を持ってくる」
ヴァンパイアの一人が言い含み笑んだ。
ヴァンパイアが掴んでいる人間の首元は、あと少し力を籠めれば骨が折れる。苦痛に歪む表情の中に生への執着を諦めた瞳は虚ろだ。そこには、死を求める虚無すら覗かせている。カスティエルは目を細めた。ヴァンパイアの腕の中で苦しむ男の魂を確認した。正義の男ディーン・ウィンチェスターだ。
人間の魂は指紋と同じでそれぞれ異なる。カスティエルは無数の魂を見たが、死を直面しても尚、美しく煌めく光を他に知らない。
特別な存在だと認識した後、自身の命令を思い出したかのように体が動いた。ヴァンパイアの男が下卑た笑みを浮かべ、血を注ごうとする寸前、天使の剣で腕を斬り落とす。床に腕が転がるとヴァンパイアは叫び、周囲を取り囲んでいた者たちは突然現れたカスティエルに動揺した。
ヴァンパイアは数えた限り6人いる。床に倒れたディーンは唖然としてカスティエルを見上げた。慄くその瞳は脅威として映っているようだ。
しかし、カスティエルもまた、不審にディーンを見やった。ヴァンパイアの巣窟にたった一人で乗り込めばどうなるか分かっていたはずだ。無謀というより、死を望んでいるすらある。眉を顰めたが、詮索するのは後だ。顔を上げれば、一斉に襲おうとヴァンパイアがカスティエルに殺気立てた。
単体ずつ相手をするのは面倒だったので、ディーンを守るように背後に体を寄せると恩寵を爆発させる。背後にいる彼に「目を閉じろ」と伝えた。
眩い光が照らされ、悲鳴が木霊した。その場にいたヴァンパイアは皆両目が焼き爛れる。小屋にいたヴァンパイアを一掃した。両目を焼かれたヴァンパイアの死体が転がる光景に、ディーンは怖気立つ。
「お前……ッ、何者だ!?」
カスティエルから咄嗟に離れたディーンは、新たに現れた脅威に警戒する。素早く隠し持っていたナイフを取り出し、カスティエルの胸に突き刺した。ヴァンパイアより恐ろしい魔物のように扱われ、心外だが説明もなく現れた存在は恐怖の対象だろう。
カスティエルは器の負傷を治癒し、胸に刺さったナイフを抜いた。平然とこなしたカスティエルに対してディーンは間合いを取る。警戒心を抱く彼に、カスティエルは真摯に向き合う。
「ディーン・ウィンチェスター、君を地獄から助け出すために降りた天使だ」
予想しなかった正体に、硬直したままディーンは目を細める。
「……天使は存在しない」
カスティエルは首を傾げ周囲の状況を確認するようにディーンを促した。恩寵でヴァンパイアを焼いた現場を目のあたりにしても尚、天使の存在を否定する人間がいることが理解できない。視線を巡らせたディーンは肩を揺らす。
「俺の知らない魔物かもしれない。それに、俺を助けに? 今さら? 何しに来た?」
少しずつ冷静さを取り戻したディーンは、最後に放った言葉には軽蔑の念が含まれる。彼に宿る怒りはカスティエルの理解が及ばぬところだ。しかし、助けた相手に拒絶されたままでは動きが取れないのはカスティエルの方だった。
ディーンを見つめたまま、カスティエルは自身の翼を影に映しだす。壁一面に広がる巨大な翼の影に、ディーンの視線は釘付けになる。しかし、どういうわけか彼の怒りは増した。
「助けに来るならもっと早く来るべきだった。俺の家族がどうなったのか知ってるだろ」
もっともな言い分だ。怒声に近い声色で放たれたそれは、悲痛な叫びとなりカスティエルを諫める。
ウィンチェスターの運命は全て神が告示されたものであり、背くことは許されない。今の彼に何を言ったところで理解されないだろう。余計な蟠りを生むだけだと悟り、カスティエルは黙する。
「何とか言えよ!」
苛立ったディーンは叫んだが、遠くからパトカーのサイレンの音が近付いてくると、言葉が途切れた。
「早くここから離れないと」
舌打ちするディーンは、足元に転がるヴァンパイアの死体を見ながら呟いた。けれども、足を一歩動かした途端、その場に崩れ落ちる。ヴァンパイアに襲われた際、足首を捻ったのだろう。ディーンは自ら叱咤し無理やり立ち上がろうとした。
「怪我をしているのか」
痛みに耐え苦痛に歪める表情を浮かべるディーンに対し、カスティエルは肩を掴む。
「俺に触るな!」
吠えるディーンを無視し、振り払う動きを止めた。カスティエルは恩寵を籠めた指先をディーンの額に押し当てる。
足首だけでなく、全身の不調を治癒した。すぐさま、異変に気付いたディーンは畏怖を滲ませた瞳でカスティエルを見つめた。
「お前……本当に天使なのか?」
「そう言っている」
首を傾げるカスティエルは眉を顰め「どこに行く?」と問う。 踵を返すディーンの後を追った。
「とにかく面倒なことになる前に逃げる!」
「場所を言えばそこまで飛んで行こう」
「飛ぶ? どういうことだ」
ディーンは眉を寄せ窓の外から見える脇道に停めていたシボレー・インパラを見やった。咄嗟に思考を読んだカスティエルは肩を掴んだままインパラの運転席と助手席へと瞬時に乗り込む。
「は!?」
「もっと具体的な場所を言えば今のように飛んで行ける」
「お前!」
運転席に座りハンドルを握りしめている状況を理解したディーンは、信じられない、とでもいうようにカスティエルを凝視する。
首を傾げるカスティエルは、困惑と苛立ちの交じり合った視線が意図するものが理解できない。ディーンもそれ以上、言葉を続けず、早々にこの場から離れることを優先させ、車を走行させる。
結局、具体的な場所を告げず飛んで行く方が早いにも関わらず、運転を続ける彼に不可解さを感じるもこれ以上関係を荒立たせるのは不利益だ。カスティエルもまた黙って彼の運転に身を任せる。
市街地の道路に出てしばらく走行したのち、ディーンが口を開く。
「……それで、ちゃっかり助手席に座ってるけど、このままずっと俺についてくる気か?」
「私は……君を地獄から引き上げるはずだった」
ディーンにそう告げたカスティエルは、何故、この時代の地に降ろされたのか天の指示をまだ理解できずにいる。
「俺を助けに来たって意味か?」
「少し違う。四年後の君を助けに向かうはずだった」
ディーンの顔がますます怪訝に歪み、カスティエルへ向ける眼差しは疑念に揺れる。これには、こちらもうんざりだ。
「私は未来から来た。本来なら私は、ここに居るはずのない存在だ。最初は天界の意図的な指示だと思ったが、手違いが起きたのかもしれない」
カスティエルもまた今の状況を疑り始めている。わざわざ天界が四年前に時を巡らせる理由がない。悪魔の所業とも考えられなかった。
「……地獄から救うために、ってそれは文字通りの地獄ってことか? 俺は四年後、地獄に堕ちるのか?」
「私がいた時代の君はそうだ」
「……そっか、俺は死ぬのか」
「……あまり驚いていないようだが。普通は死ぬ未来を知ればもっと動揺する」
ディーンの横顔を見つめると、彼は前方を見つめるだけで問いには応えない。ただ、一人でヴァンパイアの巣窟に乗り込んだことを考えればディーンが死ぬつもりでいたと考えられる。
「死のうとしていたのか? 何故だ?」
「……俺が死んでも世界は回る」
「答えになっていない。それに君は、今は死ねない」
「天使が俺の死に時を決めるのか?」
それは事実であるが、今の彼に言うべき言葉ではない気がしてカスティエルは口を閉ざす。
鋭い視線を向けていたからか、ディーンは前方を向いたまま溜息をつく。
「……一週間前、弟が出て行った。そんなことで、と思うだろうけど。突然、生きる意味が無くなった気がした」
サム・ウィンチェスターを守ることを父親から命じられた兵士だった。ディーンは、生きる目的を弟の全てに注いだ。
カスティエルが共有した情報によれば、四歳の頃から刷り込まれた生き方だ。まるで命令に忠実な盲目な天使のようだと思った。同志の中には命令の対象が無くなった途端に、虚無感に襲われる者がいた。
「親父は俺を置いて単独で狩りに行ったまま戻ってこない。保護する弟もいない今、俺は必要のない存在だと思った」
「ディーン、そんなふうに自分のことを無下に扱うことはない。何故、救われない存在だと感じる?」
「さあな、お前らが高みの見物をしていたからかな」
嫌味は適格にカスティエルの心情を揺さぶった。
「……私は、」
口から出る次の言葉は言い訳じみていて、公言する気になれなかった。ディーンの魂が地獄に堕ちるまで手を出すなと命じられ、カスティエルもまた命令通りに従った。ディーンの祈りを無視し続けた天使が、今さら彼に諭すのはお門違い。カスティエルは俯いた。
「……そうだな。君の言う通りだ」
「……お前が凄まじい光を放ったり、怪我を治したり、一瞬で場所を移動しなかったら蹴り落とすところだ」
「そんなことをしても無意味だ。私はびくとも動かないだろう」
天使だから、と言い返せば、ディーンは一瞬、目を丸めてから小さく喉を震わせる。
「真顔で返すなよ、変な奴だな……えーと、名前は?」
「カスティエル」
「カスティエル……キャスだな」
口元を緩める彼の表情には、会って初めて見せる笑顔が浮かび、カスティエルはじっと見つめて魅入ってしまう。そんな熱烈な視線に気付いたのか、ディーンは居心地悪そうに顔を背けた。
「とにかく、どこか休める場所に行かないと。わりぃけど、お前の言っていることは半分も頭に入ってこない」
天使というところまでは納得したらしいが、未来から来たという部分が半信半疑だという。
天使の通信も途絶えたこの時代では、カスティエルは孤立無援だ。助け出すはずのディーンの魂は当分、地獄に堕ちることはない。今のディーンは不安定で危なっかしく目が離せないが軌道修正はカスティエルより上の天使が指示する。
重い溜息をつき、ゆっくりと流れる景色を車内の窓から眺める。しばらくすれば、モーテルに辿り着くとディーンは部屋を取った。
部屋に入ると、ベッドが二つあることに気が付く。カスティエルは睡眠を必要としないことを告げた。
「男二人がベッド一つだけの部屋を取ることの意味分かってんのか?」
扉に近いベッドに荷物を置いたディーンは、呆れたように言い放つ。もちろんカスティエルは理解できるはずもなく、首を傾げては怪訝に眉を寄せる。
「俺とお前がセックスすると思われる」
「それは神の戦士への冒涜だ。私は君の守護天使。守護する対象に性行為を促すなど、不謹慎だ」
セックスという単語に反論し、突如、饒舌に反論してしまうカスティエルは自身の顔が赤くなっているのに気付かない。
「……天使は皆、堅物か童貞なのか?」
思わず苦笑するディーンは、途中でテイクアウトした中華の餃子と炒飯が入ったパッケージをテーブルに置く。食事を促されたカスティエルは、こちらも不要だと伝える。
「睡眠も性欲も食欲も無いなんて、天使は損な生き物だな」
「神は人を愛せよと啓示した」
「そこに性欲は含まれないなんて詭弁だ」
ディーンは箸で器用に餃子を挟んで口に含みながら言った。地上を見守る兵士としてカスティエルは何度も地上に降りた。過ちを犯す天使を幾人も見たこともある。
「……人間と交わることは禁忌とされている」
「異種姦だから?」
「ネフィリムが生まれる可能性があるからだ」
「ネフィリム?」
「人間と天使の間に産まれた子のことだ。忌むべき存在で、その子に宿る力は多大で危険だ。天使はネフィリムが産まれたことを感知すれば抹殺しに出向く」
「産まれたばかりの赤ん坊を殺すのか?」
鋭い視線に睨まれたカスティエルは躊躇するも、厳しく言い放つ。
「……君も父親に命じられれば幼いモンスターを狩るだろう」
言葉を詰まらせたディーンは、それ以上カスティエルに突っかからなかった。まだ何か言いたげだったが、目を細めるだけで黙々と目の前の炒飯を食する。
「それで、お前はこれからどうするんだ?」
未来から来た天使。というカスティエルの言い分にディーンは耳を傾けた。
「元の時代に戻ろうとしているが、恩寵が足りない」
恩寵は天使のエネルギーだと説明した。カスティエルは一室を見て回ったが、付近に悪魔の気配はなく脅威は見当たらない。サム・ウィンチェスターが離れたということは、悪魔たちの動きが活発になるはずだ。天界の啓示では、過去を変えたところで運命からは逃れられない。天使が四年間、手を下さなかった理由だ。サムの周辺は警戒すべきだが、天使にとってディーンの方が重要だった。
しかし、今のディーンに救済は必要ないだろう。
カスティエルは窓際から離れ振り向く。
「恩寵の補充が必要だ。手伝って欲しい」
「……未来に帰るのか?」
それは、奇妙な言い方だった。カスティエルは怪訝に眉を寄せる。最初こそカスティエルを煙たがり拒絶していたが、今では歩み寄りを見せた。
「今の君に脅威が差し迫ることはない」
四年後の君を助けるのが先だと、カスティエルは言い放つ。
「……お前が戻らなければ、未来の俺は」
「君の魂は地獄に堕ちたままだ」
息を飲むディーンは、俯きボソリと呟いた。
「俺は……どうして地獄に堕ちた?」
地獄に堕ちるほどのことをしたのか? と、声を絞り出す。
「君は……尊いことをした」
カスティエルの声は驚くほど柔らかいものだった。ディーンは視線を上げた。
「弟のために自身の命を差し出した」
悪魔に魂を売った。そう言い放ったカスティエルは、ディーンの瞳に光が宿るのを見た。驚いたことに、彼は安堵して微笑む。
「俺は、サムを救ったのか?」
「……そうだ。弟を助ける為に地獄に堕ちた」
「そっか……。良かった」
「良くはない」
心底ホッとしたディーンの返答に、カスティエルの方が不可解に苛立ちを含んだ言葉が放たれる。
「俺が死んだことでサムが助かったんだろ? 無駄死にじゃないってことだ」
ディーンはそう言って、食べ終わった空箱を捨てた。
「今日の俺が無駄死を免れたのは、お前が助けたからだ。きっと、四年後もまた救ってくれるんだろ?」
「もちろんだ」
カスティエルは頷いた。