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    あけみ

    @cocoapoko
    短いssをポイポイしていきます。後日に書き起こしてピクブラにupするかも。

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    あけみ

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    2014キャスディン。S4キャスがいる世界に2014ディーンが迷いこんで……??
    ピクブラ投稿作品ですが、お気に入りの話なので、こっちにも投下しました。
    少しでも楽しんでいただければ幸いです。スケベなことはしてないけど、デキてる2014キャスディンです。
    →web拍手http://clap.webclap.com/clap.php?id=cocoapoko

    ##SPN
    #C/D
    #キャスディン
    kasdin

    【SPN】君がいる世界が僕の全て【C/D】 キャンプ・チタクワを拠点にしてから一年が経った頃、コルトの捜索を始め情報を得た矢先ボビーが死んだ事、カスティエルがディーンを庇うように悪魔の襲撃を受け右足を負傷し一カ月動けなくなった事。どちらもディーンを守ろうとしたことで引き起こした出来事だった。
     痛みで気絶したカスティエルを基地まで連れて帰り、目を覚まさない彼にひと時も離れず枕元で佇んでいたディーンは居もしない神に何度も悪態をつく。サムがルシファーに器を明け渡してからドミノ倒しのように悪化する状況に、抵抗も空しくディーンの大切な人たちを次々と奪っていく。
     カスティエルの固定された右足には包帯が何重にも巻かれていた。今回は骨折で免れたが、恩寵が無くなった彼は人間と同じように怪我をすれば動けなくなるし、急所を刺されれば死ぬ。ディーンの傍に居る限り死神に刃を突き付けられているようなものだ。ディーンの傍にいる者は早死にする。そんな話も囁かれていた。
     ベッドで眠るカスティエルを見つめてから、額に汗で張り付いた前髪を撫でようと伸ばした腕を引く。
     天使だった頃は汗もかかなかった。眉を寄せ膝に置いた拳を固く握る。天使たちが地上を見限り天界を閉めた時にカスティエルも戻るべきだった。しかし、傍を離れない彼に執着を覚え親しみも感じていた。天界を裏切ったカスティエルが今更戻れないことも知っていたからだ。カスティエルの居場所をディーンの傍にしたのは自身だ。彼をもっと早く天界に帰るよう促せば、人間に成り果て惨めな生活をせずに済んだ。
     それでも、どうしても、掴んだ手を離せなかった。一人ではここまで歩けなかった。
     隣にカスティエルがいない未来は想像できなかった。
     ディーンはゆっくりと溜息をつく。
     サイドテーブルに痛み止めの薬と水を入れたコップを置いた。目が覚めたら痛みで眠れない日々が続くだろう。恩寵で傷を癒していた時とは違う。カスティエルは時々、無茶をして身体を傷つけてしまうことがある。どの程度負傷すれば死に至らない個所を知っている。そこが厄介なところだ。最近は特に酷い。
     ディーンは立ち上がった。
    「俺を庇う必要なんてなかった」
     そう呟いて苦渋に顔を歪めれば、カスティエルがゆっくりと瞼を開ける。
    「君の盾になるしかできない……今の僕は無力だ」
     こちらを見つめる青い瞳に、ディーンは一瞬息を飲んだがすぐに眉を寄せた。
    「もう二度と、こんなことするな」
     鋭く睨んで言い放つ。
     一室から立ち去ろうと踵を返すと、背後からカスティエルの「僕は足手纏いか?」と唸る声が聞こえたが何も答えなかった。コップが割れる音とドスン、とベッドから転がり落ちる音が聞こえ、肩を揺らしたディーンは咄嗟に振り返る。カスティエルの傍に駆け寄れば、サイドテーブルに置いてあったコップは割れて床を濡らしていた。ベッドから落ちたカスティエルはうつ伏せで拳を握りしめている。這うように動く彼の前にコップの破片が飛び散っていたので、取り除こうと手を伸ばすもカスティエルのか細い声に指が止まる。
    「……器がこんなにも脆いとは思わなかった」
     顔を伏せるカスティエルの表情は分からないが、身体を支えている両腕が震えている。ディーンはゆっくりとカスティエルの背中に腕を回し上体を起き上がらせるとベッドに横たわるように促した。
    「そうだよ。人間の身体は傷つきやすいんだ。だから」
     勝手に死ぬな。
     ディーンは言葉に出して言えなかった。視線を伏せ床に散った破片を片付けると、指を薄く切ったが一筋の赤い線が浮き上がるだけで血は出ていない。ディーンの傷を見たカスティエルが腕を伸ばしたのが、すぐに引っ込める。ディーンが怪我をすると咄嗟に腕を伸ばすカスティエルは、傷を恩寵で治していた時の癖のようなものだろう。その癖が未だに抜けきれなかった。
     引っ込めた自身の手を見つめ顔を歪ませるカスティエルに、大した傷じゃないと言ってきかせる。
    「水、持ってくるから、痛め止めの薬を飲め」
     ディーンはカスティエルの世話をキャンプ地にいる女性に任せ、できるだけ安静に過ごさせるようにした。
     その後、カスティエルの足が治るまで一カ月かかり、それまで物資の調達や周囲の警戒のためキャンプ地から離れる時ディーンの隣には常にカスティエルがいたが、以降ディーンはカスティエルを避けるようになった。
    「リーダー、僕は以前のように動けるまでに快復した。射撃の腕も上達しただろ。君の役に立てるよ」
     周囲に潜むクローツの警戒にあたるため外部へ車を出すディーンの腕を掴み、カスティエルが懇願した。
    「危険地区に出向く。病み上がりは留守番だ」
    「それなら僕を連れて行け。君を守るのは」
    「やめろ。俺は守られるお姫様じゃない! 自分の身は自分で守れる。それに……まだやるべきことがある。俺はそれまで死ねない」
     掴まれた腕を振りほどき、五人ほど仲間を連れて車に乗り込んだ。エンジンをかけバックミラー越しにこちらを見つめるカスティエルはまだ何か言いたげだったが、結局ディーンから視線を背ける。そうやって、理由をつけて傍に居ようとするカスティエルを躱し続ければ、カスティエルもまた割り当てられた自室のスペースに引きこもることが多くなり、女性と肉欲に溺れるセックスを繰り返す生活になってもディーンは何も言わなかった。己と共に居てつまらない死に方をするより、教祖気取りの乱交に勤しむ方がいいと思った。
     お互い干渉しない日が続くも、カスティエルが自ら距離をつめる唯一の事柄があった。
     ディーンはチャックから不足している備品や食料の在庫の報告を受け、物資の調達に向かう準備をしていた。単独で基地の外に出ることを禁じているため、同行できる者に声をかける。その日はルイズという最近入ってきた男を連れて物資の調達に出かける予定だった。出発の準備を整え、停めていた小型トラックの助手席を見ればルイズではなくカスティエルが鎮座しているのを見て、ディーンは顔を歪めるのだった。
    「おい、どうしてお前が」
     運転席に座ったディーンは隣のカスティエルを睨む。
    「彼は用事ができて来れなくなった。だから代わりに僕が」
     カスティエルはにっこり微笑んだ。
    「用事? ルイズは自分からついて行くと言ったんだぞ」
     目を細めてカスティエルを睨むも、彼は視線を背けとぼけた。「あれぇ? そうなんだ」などと言ってのけるので、ディーンは苛立ちながら口を開きかけたがすぐにカスティエルが言い放つ。
    「君を慕ってる男と二人きりにさせるわけないだろ」
     これだ。
     目を細め微笑むカスティエルにディーンは眉を寄せる。
    「早速ラリッてるのか?」
    「今日はやってないよ」
    「なら、その言い草はやめろ」
     何のつもりだと、言い含めればカスティエルは少し呆れるような表情でこちらを見やった。
    「ルイズは君に気がある」
     そんなわけないだろ、と口を開きかけたディーンにカスティエルは真顔で見つめ返したので口を噤んだ。
    「だとしても、言い寄る男くらい俺一人で対処できる」
     相手が変なことをしてきても抵抗する術は知っている。これが初めてのことでもない。ディーンは十代の頃にも大人の男が言い寄ってきた経験から身を守る方法は知っている。鼻で笑ってやると、カスティエルは突然ハンドルを握るディーンの腕を掴み取り、座席を素早く後ろへと引いて覆いかぶさった。
    「何をするッ!」
     エンジンをかける前なので危険はなかったが、カスティエルに押し倒される状況はディーンも歓迎しない。何を考えているのか分からない目の前の男に、ディーンは苛立ちと怒気を含んだ目で睨んだ。けれど、カスティエルの細く鋭い視線に息を飲む羽目になる。
    「人間の僕が簡単に君を取り押さえているのに?」
     これは油断ではなかったが、相手がカスティエルだったから簡単に押し倒されたにすぎない。これが他人なら、ディーンはもっと早く反応しただろう。当然、カスティエルに悟らせるつもりもないが、苛立ちを相手に伝えようと顔を殴るつもりで腕を引いたが振り上げる前にサッと身を躱され、ディーンはますます憤慨する。
    「お前、嫌な奴になったな!」
    「そりゃあ、お互い様」
     ディーンは車にエンジンをかけ目的の場所まで走行する。カスティエルが他の男とディーンを二人きりにさせない冗談のような理由で傍にいることに憤るも、気持ちのどこかで承諾する己もいた。天使だった頃にも見せていた嫉妬に、気分が良いのは否定できない。
     一時間ほど走行すると、古い病院が見えてきた。随分前にクローツの襲撃に合い窓ガラスが割れ雨風に晒され建物全体が老朽した病院だ。こういった廃墟となった施設にはまだ役立てられる資源が残っている。クローツの感染が広がりを見せる中、病院の他に廃墟となったショッピングセンターなども資源を求める者たちが押し寄せ強奪が相次いだ。
     車を停め、廃墟の病院に向かう。中に入ると電気は通っておらず、昼間だが薄暗い。銃を構えながらウェポンライトで辺りを照らす。
     ディーンが先導して歩むと背後でカスティエルが警戒を緩めず後に続く。それが二人の自然と共に行動するポジションだ。お互い言葉は交わさず視線を通わせ合図する。ディーンは指示することなくカスティエルが適切な動きを見せることに、安堵を覚える自身がいた。他人を連れて物資調達する時に味わうストレスが無く、目配せだけで通じる距離感が心地よかった。
     ディーンは廃墟となった病院の廊下を進みながら、背後を任せられるカスティエルの存在を感じ取る。いくつか病室を回り使えそうなシーツと薬品は手に入れた。途中、カスティエルが薬のケースに貼られているラベルを確認した後ズボンのポケットに入れていたのを視界に入るも何も言わないことにする。衛生用品は残っていなかったが、僅かに得られた物資だけでも充分だ。踵を返し戻るぞと合図をすると、カスティエルが怪訝に眉を顰める。
    「リーダー、僕らの他に誰かいる」
     薬棚につもる埃の跡を指さしたカスティエルは、何者かが棲みついていると指摘する。
    「クローツか?」
    「いや、人か魔物の可能性が高い」
     ディーンは眉を寄せた。カスティエルの洞察力は健在で信頼して良いだろう。先に到着している別のグループと物資の調達で交戦になるのは避けたい。この場合、クローツと対峙する方がよほど楽だった。
     どちらにせよ二人だけで対処するにはリスクが高い。ディーンはすぐに退却だ、と周囲を警戒すると地下から助けを求める声が聞こえた。
     警戒を緩めず地下室に通じる階段下へと歩みを進める。
    「リーダー、だめだ。戻ろう」
    「子どもの声だ」
     制止するカスティエルを無視し、地下へと降りる。声は遺体安置所から聞こえ、ディーンはカスティエルに顔を向ける。冷気も幽霊の気配も無いことを互いに確認すると頷いた。部屋の扉を開けると、そこは悲惨な現場だった。人間の死体がいつくも横たわり皆、腕に管を付けられている。腕全体に青い紋様が広がっていた。血が抜き取られ皮だけとなっている。このような現場をディーンは過去にも見たことがあった。
     ここは、ジンの住処だ。
     カスティエルはすぐにディーンの腕を掴み取る。
    「今すぐ戻るべきだ」
    「待て、」
     ディーンはベッドの下で震えている子どもを見た。膝を付き覗き込むと、目が合う。幼い子どもだと思っていたが、十五歳くらいの少年だ。
    「ほら、もう平気だ」
     そう言って腕を伸ばした。
    「ディーン!」
     カスティエルに名を呼ばれ、ディーンは顔を上げ振り向く。「リーダー」ではなく「ディーン」と名を叫んだのは危険を察知したからだ。反射で戦闘態勢に入ると、銃口の狙いを定めたがすぐに舌打ちする。カスティエルは背後から襲って来た男を取り押さえているが、力負けしている。長身で瘦せ型だが、護身術を身につけたカスティエルが取り押さえようと動きを鈍らせているのは、伸びる男の手を避けているからだ。襲ってきた男は魔物のジンだった。
     ディーンは咄嗟にジンの頭に銃弾を撃ち込んだが、普通の銃弾は通用しない。それでもジンは怯み隙を見せた。ディーンは、ジンから距離を取ったカスティエルに駆け寄る。目配せすれば、カスティエルは腕を振って平気だと合図した。ジンの毒は厄介でディーンも昔捕らわれた経験がある。町にうろつくクローツを警戒するのが精一杯で、他の魔物を相手にする余裕はない。退却するのが一番だが背後にはまだ救出できる子どもがいた。カスティエルも退かない意図を理解し、頷いた。
     ディーンはカスティエルと共にジンを取り押さえる。素早く銀のナイフを取り出し、ジンの胸に突き刺し確実に仕留めた。ジンの瞳から生気が無くなると、ナイフを引き抜く。
     肩を揺らしホッと息をつくと、ディーンは振り向いてベッドの下を覗き込んだ。そこには体を固くしてジッとこちらを見つめる子どもと目が合う。一瞬、子どもの目が光ったように見えたがディーンは気にせず腕を伸ばした。
    「もう大丈夫だ」
     子どもの手が触れた後、突然、視界が歪みディーンは意識を手放した。
     
                       ×               ×               ×
     
     ディーンは何度か瞬きをした。頭が重く、すぐに起き上がることができず混乱し始める意識は見覚えがない天井の景色に危険を察知する。しかし、背には柔らかい質の良いベッドに身を寄せていることで、安堵を覚え始めた意識は休息を求める。
     瞼が落ちる微睡みを無理やり追いやり、上体を起こした。手を付いて撫でたマットレスは柔らかくシーツは染みのない清潔なものだった。顔を上げると天蓋付きベッドだと気付く。
     ディーンが知っている世界は、清潔なベッドはどこにもなく、破壊された町は人が消えクローツで溢れている。安心して眠れる場所を探すだけで苦労した。
     しかし、ここは?
     ディーンは周囲を警戒する。ベッドから素早く降りると、隠し持っていたナイフがあるズボンに手を伸ばすも無くなっていた。眉を寄せる。銃も無い現状に焦燥を覚えると、同時に傍にいたはずのカスティエルが居ないことにも不安を煽る。
     落ち着け、と自身に言い聞かせても直前の記憶も曖昧だった。頭を振ってから室内を見渡す。ディーンはすぐに既視感を覚えた。
     窓が無く扉も無い密室。豪華な装飾が張り巡らされた棚と壁紙に掛けられた絵画は宗教的なものを感じる。それは天使の物語が描かれていた。部屋の真ん中にはテーブルがあり、その上にディーンの好物であるハンバーガーが山盛りに積み上げられ、隣には何本かビールが冷えて置かれている。
     眉を顰め、テーブルの上にあるビールを一本手に取ったがすぐに元の場所に置く。
     ここは、知っている部屋だ。
     五年前にミカエルの器になることを承諾させようと天使に軟禁された部屋だった。ディーンが何度も後悔した最初の分岐点だ。
     夢でも見ているのだろう。
     何故、今更そんな夢を見るのか訝しんだが、まだ自身の中にあの日の後悔があるのか。自嘲する。
     もしもあの時、「イエス」と言っていたら、こんな悲惨な状況に嘆き叫んで惨めな感情に押しつぶされずに済んだと。本気で思っているのだろうか。
     ディーンは答えが見いだせなかったが、ただ間違いなくカスティエルは天使のままでいられたはずだ。それは確かだった。ディーンの前では平素を装っていたが、見ていない所で薬に依存し幾人かの女性と傷の舐め合いのような性行為を毎日行っている事は知っている。青い瞳が濁りを見せるようになったカスティエルを真面に見ていられなくて、避けるようになりお互い口数も減った。堕天使と成り果てたのはディーンのせいだ。これは今も尚ディーンを縛る楔となり自身を呪っている。
     ディーンは突然、息の仕方を忘れたかのように息苦しくなった。胸をおさえ膝を付く。硬く瞳を閉じると、背後から翼がはためく音でドクリと鼓動が波打つ。久しく聞いていない音だ。そんなはずはないと、何度も否定するも近くまで寄る気配は無視できなかった。
     顔を上げて振り向く。目を見開くディーンは、夢だと分かっていながらも刃で身を傷つけられるような感覚に陥る。全ての後悔の念が具現化したような姿で現れた。ディーンはしゃがみ込んだまま身動きが取れない。
     トレンチコートを着た五年前のカスティエルが立っていたから。
     ディーンは大きく口を開けるも、うまく呼吸ができなかった。過呼吸だ。「キャス……」と、辛うじて囁けば、カスティエルは怪訝に眉を顰める。首を傾げるその姿はまさに最初に出会った頃のカスティエルだ。苦しく喘ぐディーンを無視し、カスティエルは冷たく言い放つ。
    「ディーン・ウィンチェスター。ミカエルの器として承諾するまで、待機するようザカリアから命じられている」
     ああ、そうだったな。ディーンは目を伏せる。命令に忠実で人間を蔑む。何も知らない天使のままのカスティエルだ。ディーンは震える唇を僅かに開けたが、ついに脳まで酸素が回らず床に倒れ込む。
     
     ディーンは寝返りを打ち、頬に触れる柔らかいシーツの感触に酔い身を沈めた。瞼を上げると、カスティエルが眉を寄せながらこちらを見つめている。
    「……人の寝顔を見つめるな。何度言ったら」
     分かるんだよ、と言いかけディーンは微睡みから意識をはっきりさせた。咄嗟に上体を起こすと、再びベッドの上に寝かされたことを知る。ベッドの傍に立ちこちらを見下ろすカスティエルと目が合った。
    「呼吸をし忘れた人間は初めて見た。……君はどこか具合が悪いのか?」
     心底、理解ができないというような表情でカスティエルが首を傾げる。そんな彼の仕草をぼんやりと見つめるディーンはうまく言葉が出てこなかった。
     何故、まだ夢から覚めないのだろう。そんなことばかりが脳裏を巡る。
     何も言わないディーンに不安を覚えたカスティエルは、表情を歪ませ、そっと腕を伸ばしディーンの額に指を添えた。
    「身体に異常はない」
    「……お前、どうしてそんなに他人行儀なんだ?」
     夢の中のカスティエルに感じる違和感をやっと口にする。まるで初対面のように話すんだな、とディーンは呟いた。
    「君とはこれが初対面だ」
    「は?」
     ディーンは目を丸めた。
     何かが可笑しい。そう思うも、まだ頭の中に靄がかかったようで思考が追い付かない。ディーンは自身の額を撫でた。
    「いや、違うだろ……お前は、俺を地獄から魂を引き上げた」
     だから、これが初対面なはずがない、と言葉を続ければ不可解に表情を歪ませたカスティエルは事もなげに訂正した。
    「君を地獄から救ったのは私ではない」
     冷たい、その声色に悪寒がした。
     ディーンは眉を寄せ震える指を押さえる。己の肩を掴んだ彼の手形は無い。あったはずの物が無くなっている歪みに気付くと、吐き気がこみ上げる。じゃあ、誰が?と、出かかった言葉はカスティエルに遮られる。
    「ミカエルが君を救った」
     ディーンは顔を上げた。
    「君はミカエルのお気に入りだ。だから全てが終わるまで保護するよう務めている」
     それが高貴な任務だと言うような口ぶりで話す彼は、知らない誰かになったかのようだった。いや、本来、これが正しい筋書きなのかもしれない。カスティエルは地獄からディーンを救わないし、ディーンの肩に手形を残すような所有欲を持ち合わせていない。ディーンの寝顔をストーカーのように見つめないし、パーソナルスペースは――と、ディーンは間近に迫るカスティエルの顔に驚いた。
    「近い!」
     思わず叫んだ。カスティエルは眉を寄せる。
    「人間の記憶はどうなっている?」
     ここで一番奇妙な存在は間違いなくカスティエルのはずなのに、彼はディーンを怪訝な視線で見つめていた。
    「君はミカエルに恩を感じているはずだ。だから、自らここまで来た。だというのに、何もかも忘れてしまったのか?」
     ディーンがどう答えたら良いのか言い淀むせいか、カスティエルの威圧的な態度は無くなり、今度は心底心配する表情になる。
    「ディーン・ウィンチェスター……報告に上がっていた情報と相違がある」
     言うと、カスティエルはディーンへと腕を伸ばした。
    「頭の中を調べる」
    「やめろ!」
     掌が触れる直前、ディーンはその腕を払いのける。今のカスティエルに記憶を覗かれるのは、どうしても嫌だった。現状を余計に複雑にしてしまうおそれがある。
     ディーンはカスティエルから一歩離れたが、どういうわけかカスティエルはディーンが離れた分、近付いてくる。腕を伸ばし、これ以上近付くなと合図する。
    「いろいろあって、少し混乱しただけだ」
     もちろん、ミカエルの器になることを承諾する。と、口に出す。これは、ずっとディーンの奥底にあった後悔だ。この時に「イエス」と答えていたら、カスティエルは天使のままでいられる。夢でも何でも良かった。カスティエルが自分なんかに肩入れせずに天使であり続けるため。この身体で済ませられるのならば安いものだ。
     青い瞳がジッとこちらを観察していた。その色はどこまでも澄んでいて純粋だ。薬物に溺れ惑わされ困惑に揺れる瞳を向けられるたびに、カスティエルを貶めたのは自分だと認めるしかなかった。
     元の道筋に戻そう。
     ディーンはこの幻に乗った。
    「しかし……」
     カスティエルは納得していないようだった。ディーンの言動に違和感を覚え始めた彼は、疑り深く探る視線を向ける。
    「しつこいぞ、キャス!」
     思わず名を叫ぶと、カスティエルはピクリと動きを止めた。
    「……それは私の名前か?」
     カスティエルを愛称で呼ぶことも久しぶりだったディーンは、当たり前のように零れた親しみに驚く。過去のカスティエルを前にすれば、己もまたあの頃と変わらない、潜んでいた懐かしさが蘇るのだ。対してカスティエルは何も言わなかったが「キャス」と、呼ばれたことで見慣れた柔らかさが宿る。
     名前を与えられたものには魂が宿る話が東洋にあるんだ。そんなオタクっぽいサムの言葉が聞こえたのも、この奇妙な夢か幻の光景のせいだ。ディーンは、首を振る。ただの愛称だ。愛称を付けるくらい皆やってるだろ?
     顔を上げれば、カスティエルは背筋を伸ばしどこか誇らしげに胸を張る姿が見える。
     単純馬鹿。
     ディーンは、クスリと微笑んだ。
     まだ笑い方を覚えていたんだな。そんな、自身の冷めた声が聞こえた気がした。表情を曇らせたディーンはベッドに寝転がる。カスティエルはまだ傍にいたようだったが、無視して背を向けた。
    「ディーン」
     低くしゃがれた声で名前を呼ばれる。ピクリと肩を揺らしたのは、カスティエルに名前で呼ばれるのも久しかったからだ。そんな自身の反応に小さく舌打ちする。握りしめるシーツは皺になり、ディーンの苛立ちを表していた。返事をせず無視を続ければ「ミカエルの準備が整い次第、声をかける」と、淡々と言い放ってから羽ばたく音と共にカスティエルは飛び去った。
     
     ディーンは、窓も扉もない一室から一歩も外に出ようとはしなかった。あの時に感じた焦燥感も苛立ちもない。ただ、早く全てを終わらせたいという諦めにも似た無常感があった。
     時計もないので今が朝なのか夜なのかも分からない。時間の経過も掴めず、空腹も感じない為、この一室が世界と切り離された空間なのだろうと察する。テーブルの上に置いてあるビールとハンバーガーは今もあり続け、ビールは最初に見た時のまま冷えている。一切手を付けないのは、ザカリアが用意した物であることと、中に得体の知れない呪いが含まれているのを知っているからだ。それに、空腹を感じないので、自身が奇妙な世界に入り込んだことをそろそろ疑うべきだろう。まやかしを見せられているのか。あるいはタイムトラベル。それなら好都合。
     ミカエルに「イエス」と言うことは簡単だと思ったし、ここに居れば順当に進むと考えていたが天使たちはディーンのことを忘れたかのように放置したままだった。しびれを切らしたディーンは天使を呼び出す。
    「カスティエル……キャス! どこにいる!」
     背後で羽ばたく音がする。
    「何だ?」
     カスティエルは不機嫌に言い放つ。素っ気ない言い方に突き放された距離を感じるも、ディーンは感情を押し止めた。
    「外の世界がどうなっているのか知りたい」
    「君は知らなくていいことだ」
     融通が利かない天使に戻ったようだ。思わず睨んだが、ディーンはすぐに首を振る。
    「そうか。なら、いつになったらミカエルが来る?」
     ディーンの問いに眉を寄せたカスティエルは視線を外す。
    「君は、ただ待てば良い」
     都合が悪くなったら目をそらす彼の癖を知り尽くしているディーンは、溜息をついた。天使は命令に従順なうえ疑うことすらしない。
    「……お前も知らないんだな」
     カスティエルの方に目を向ければ、「なぜ分かる」と言いたげな表情でディーンを見つめているので苦笑した。以前に、上官の天使から何も聞かされていないと漏らしたことがある。天界に疑惑を持っていると、ディーンに語った。誰にも言わないでくれ、と囁いた以前のカスティエルは真面目で誠実だった。
     自由意志を持たず命令通りに動いていた彼は、上官の天界の命令に不可解さと矛盾に気付きディーンに促されるまま天界を裏切ったのだ。
     けれど、ここではそれは起こさせない。
    「分かったよ、待てば良いんだろ?」
     ディーンは伸びをしてベッドに転がった。この部屋は娯楽も何もない退屈な場所だな、と頭の中で愚痴るとベッドの足元に液晶型のテレビが現れ、そこに映し出されたのはディーンがよく見ていたドクターセクシィだったので驚いた。
    「何? お前がやったのか?」
     カスティエルに視線を向けると、彼は頷く。己の心を読んだのだろう、ディーンは目を細め睨んだ。
    「二度と俺の心を読むな」
    「しかし、君はこれを望んでいた」
    「だからって、俺のご機嫌取りなんてしなくていい」
     強い口調で放った言葉はカスティエルを困惑させ傷つけた。ディーンは罪悪感に苛まれるも、突き放した方が楽だと自身に言い聞かせる。嫌な奴になるのは慣れている。こちらを観察するように見つめるカスティエルの視線を無視し、テレビに集中する。放送されているドクターセクシィは、ディーンの記憶にある話だと気付く。傍にリモコンが置いてあるのでチャンネルを変えていけば、アニメのスク―ビードゥやウエスタン映画、ポルノといったディーンの好みが溢れていた。カスティエルに苦言はあるが、テレビを見るのも久しぶりだったし、結局この状況に甘んじる。
     カスティエルは壁に寄りかかり無言でこちらを観察しているようだった。「邪魔だ消えろ」と言うのは簡単だったが、ディーンはそうしなかった。背後にいるカスティエルは無害に見えたしストーカーのように見つめられるのも慣れている。
     枕を抱えながら映画を鑑賞していくうちに微睡むディーンは、ベッドに沈む体に身を任せる。カスティエルが傍にいることも最後は気にならなくなった。
     カスティエルは気まぐれだった。目が覚めた後、カスティエルの姿は消えていた。不安を覚える自身に嫌気がさす。いつも傍にいるはずの存在がいないだけで動揺するのは馬鹿げている。
     結局、己が一番、執着しているのではないか?
     ディーンは拳を握りしめ、装飾品の天使の像を棚から乱暴に振り落とす。床に落ちて陶器が割れる音が聞こえるも、振り返れば元の位置に像がある。物に当たり散らしたところで、この部屋にある物は傷すらつかない。
     苛立つ理由は他にもある。天使たちは最終戦争の下準備に忙しいのかディーンは放って置かれた。ひたすら待つだけの時間に追われる羽目となる。これでは牢獄に監禁され無駄に生きながらえてるようなものだ。ミカエルがすぐさま現れ器を明け渡すものだと思っていたのに、どういうわけかミカエルは現れず、ザカリアもまた姿を見せない。
     ディーンは部屋を一瞥する。一見すれば豪華なスイートルームだが、全てが現実ではない。ディーンを閉じ込めておくためだけのまやかしだ。大暴れして全部壊してやろうにも、瞬きすれば元に戻る。ここに来てから何日たったのかも分からない。いや、何年たったのかも。ミカエルが現れる気配がないということは、サムはまだルシファーに「イエス」と言っていないのではないのか?
     それなら地上ではまだサムが抗い悪魔と戦っているのかもしれない。ディーンが全てを諦め手放せばサムは抵抗し、先にサムがルシファーに屈すればディーンが抗う。まるで兄弟を争わせるために仕掛けられたシナリオのようだ。
     冗談じゃない。己は操り人形ではない。震える方は怒気のせいかと思えば、呼吸がうまくできずにいた。膝を付いてしゃがみ込む。本当に気分が悪くなってきたようだ。「クソッ」と悪態つこうとするも、過呼吸に陥ったディーンは、肩を大きく震えさせただけだ。「キャス……キャス」と、無自覚に名を呼んでいたのだろう、床に倒れたディーンの前にカスティエルが不機嫌な表情で現れた。
    「ディーン、」
     名を呼んだカスティエルは、倒れたディーンの顎に手を伸ばす。乱れた呼吸は自ら息を止めていることすら理解できず、ディーンはカスティエルに促されるまま顔を傾けた。目を開けると、すぐそこに青い瞳がある。キスされるほどに近いと、気付けばカスティエルは無遠慮に口付けてきた。
    「は……っ? んっぁ……は、」
     突然の口付けに混乱しながらも、口を開いて従順にカスティエルの動きに合わせる。口内に舌が入り込むとビクリと肩を揺らすも懸命に息を整えた。快感を覚え始めた時、カスティエルはディーンから離れる。
    「……は? 今のは、何だ?」
     床に手をついたままディーンはカスティエルを見上げた。
    「呼吸がし辛かったようなので整えた」
    「……だからって、あんなやり方」
     口元を拭いながら眉を寄せ、あんなキスをしたのはいつぶりかと脳裏に過らせた。カスティエルの恩寵が無くなり人間になった時、お互いを慰め合ったことがある。あの時と違い、先ほどのカスティエルのキスに感情はない。情緒をぶつけ合い快楽だけを追い求めるだけの激しさはもうここには存在しない。胸が張り裂けそうになるのは、捨てきれないからだ。ディーンは苛立ちを拭う。
    「君は情緒不安定だ」
    「そりゃあ、真面でいられないだろ」
     こんな場所では。
     ディーンはいまだに立ち上がれずしゃがみ込んだままだ。器になることは承諾したが、いつまでも鳥籠に捕らわれるつもりはない。カスティエルのトレンチコートを掴んだ。
    「キャス、どこでもいい。ここじゃない所に連れて行け」
    「……それはできない。君をここから出せない」
    「出さなくて良い。場所を変えろ、と言ってる」
    「……顔色が悪い。どうした?」
     顔を上げたディーンの顎に指を寄せ、カスティエルが眉を寄せる。
    「キャス」
    「場所を変えれば良いんだな?」
     ディーンは頷いた。
     カスティエルが左腕を撫でるように揺り動かす。一振りすると、部屋の景色が一変する。ディーンは瞬きし、ゆっくりと立ち上がった。ここは、草原に変わる。どこまでも続く青い空と、足元には芝生が広がる。手入れが行き届いている花壇とベンチがあることから、庭のようだった。空を仰げば天井などない。取り囲む壁も無くなりどこまでも草木が続いている。感嘆と溜息をつく。
    「ここはどこだ?」
    「天国だ」
     カスティエルの返答に天国に移動したのかと疑ったが、彼は否定した。
    「部屋の景色を変えただけだ」
    「それでも本物に見える」
     傍にある大木の幹を撫でる。枝から枝へと鳩が羽ばたき移動した。ディーンは目を丸める。景色が一変しただけではなく、生き物がいることに驚いたのだ。鳥だけではない、花壇に視線を向けると蝶や蜂がいる。
    「すごいな。ここが天国?」
     ベンチに腰かけカスティエルを見やった。
    「正確には天国は個に存在する。ここはその一つだ」
     カスティエルはディーンの傍に立ち空を仰ぐ。どこでも良いから場所を変えろと言った返答が彼のお気に入りの場所だというのは意外だった。周囲を見渡すと、小鳥の鳴き声と風に吹かれた葉が重なりあう音、穏やかに揺れる花。平和で静かな場所だ。本来、カスティエルはこういう場所で佇むのが好きなのだろう。ディーンは眩しそうにカスティエルの横顔を見つめる。
    「それじゃあ、どこでも行けるのか?」
     問いかけにカスティエルは視線を合わせた。
    「理論上は」
     頷くカスティエルにディーンは笑んだ。

     
     大きく息を吸い込んだ。潮風に流れる海の匂いまで再現させるとは思いもよらず、ディーンは驚いてカスティエルを見やった。
    「これで良いか?」
     当の本人は、淡々と任務をこなすように答えるので反応に困る。
    「ああ、完璧だ」
     どこまでも広がる海と砂浜を目の前に満足して答えた。ディーンは一定のリズムで寄せては返す波を見つめる。最後に海を見たのはいつだったが思い出そうとした。自分の命が数カ月に迫った日、サムと見に行った。あの日も、お互い何も話さずただ水平線を眺めているだけだった。冷えたビールを片手に。そう思い出すと、足元に冷えたビールが入った箱とアウトドアチェアが現れる。
    「キャス、俺の考えを読むなと言っただろ」
    「読むなと言われても、聞こえてくる」
    「だからって、何でも願いを叶えすぎだろ」
     言い放ってから笑う。椅子に腰かけて冷えたビールを手に持った。
    「お前も飲むか?」
     ディーンが望んだ通りもう一つ隣に椅子が現れ、カスティエルに座るように促す。手渡したビール瓶を戸惑いながらもしっかり掴む天使は少し居心地悪そうに座る。そうしていると、出会った頃のままのカスティエルがまだ存在している幻想を抱いてしまい、懐かしさと寂しさが重く圧し掛かる。
     ディーンは首を振りビールを口に含んだ。カスティエルと二人きりで海を眺めている状況も奇妙だった。何も言わず隣にいる彼はすぐに飛び立つのかと思っていたが、そんな素振りを見せない。
    「お前も大変だな。上から俺の監視役を命じられたんだろ」
     一番面倒な役目を押し付けられたのだと言ってやると、カスティエルは怪訝に眉を寄せた。
    「お前は兵士だから、こんな所じゃなくて戦場に出たかったんじゃないのか?」
     海を見つめたままディーンはポツリと言い放つ。貧乏くじを引いたな、と揶揄ってやる。しかし、カスティエルは真面目に返答する。
    「この役目は光栄なものだ」
     ミカエルの器を守ることは名誉なことだと、言葉を繋げるカスティエルに鼻で笑う。つまり、傍にいる理由に特別な意味はない。己は器でしかない。僅かな苛立ちを吐き捨てる。唐突に立ち上がったディーンは、カスティエルから離れて砂浜を歩き始める。ここは部屋の中のはずだが、海と砂浜はどこまでも続いているように見えた。歩いて行けば最後は突き当たるのか試したかった。
     カスティエルは黙って後ろからついてきたが、やがて口を開いた。
    「君はよく分からない。機嫌が良いのか悪いのか」
    「へぇ、俺が怒ってるのが分かるのか」
     歩みを止めて振り向いた。ミカエルの器になることを承諾したはずなのに、カスティエルから「器」だと指摘されると不愉快に感情が歪んだ。今まで傍にいたカスティエルは少なくともディーンを正しく映していたはずだ。同じものを求めるのは間違いだったし、期待するのもやめたはずだ。ディーンは「どうでもいい」と溜息と共に吐き出した。
    「私はそうは思わない」
     カスティエルは言うとディーンとの距離を縮める。
    「この会話も全部無意味だ。俺はミカエルの器になる。そうなったら俺は俺じゃなくなる。ここでの出来事も全部消えるんだ」
     事実を綴れば綴るほど、何故、カスティエルがディーンに構う素振りを見せるのか不可解に思えた。
    「俺のことなんて放って置けば良いのにお前は上の命令に忠実なんだな」
    「ディーン・ウィンチェスターから目を離すなと命じられたのは確かだ」
     だから、そんなふうに俺を見つめているのか、とディーンは眉を顰めた。
    「それで分かったことがある。これは、君らしくない」
    「俺の何を見て判断した? これが俺だ。勝手に決めるな」
     ディーンはカスティエルを睨む。それで怖気づく天使ではない。カスティエルはディーンから目を逸らさない。それは体の隅々まで観察しているようだ。もしかしたら、魂を見ているのかもしれない。
    「何故、全てを諦めた?」
     カスティエルの問いに眉を寄せる。それは、天使にとって好都合なはずだ。ミカエルの器になることを受け入れたディーンに疑問を抱くことなど、あるはずがない。目の前の天使を注意深く見つめれば、明らかに困惑と不可解に苛まれる瞳とかち合う。
    「お前たちは俺が大人しく留まれば良いはずだ。疑問に持つことなんて何もないだろ」
     そう指摘すれば、カスティエルは固く口を閉ざした。
     ディーンは、ふと景色が変わったことに気付き、顔を上げる。海にいるのは変わらなかったが、青空は灰色の雲に覆われ日差しが遮られる。まるで今にも雨が降りそうな天候だ。
    「また景色を変えたのか?」
    「分からない」
     カスティエルは憤怒したような態度で肩を揺らし、ディーンから視線を外した。そうして、雨雲はポツポツと振出し頬に水滴が当たる。
    「キャス、どうしたんだ?」
    「分からないと言っている。すごく混乱している。これは……何か、間違っている気がする」
     そう言い放つカスティエルは額を撫でながら頭を振った。湿った前髪は額にくっつき、不快そうに顔を歪める。降り出した雨は小粒から大粒に変わり衣服が濡れだしたが、ディーンは気にせず腕を伸ばしカスティエルの肩を優しく撫でる。
    「難しく考えすぎるな。これは、俺が選んだことだ」
     こちらに振り向いたカスティエルは、表情を曇らせたまま顔を上げる。困惑はまだ拭えなかったが、彼の視線は真摯にディーンに注がれる。澄んだ青い瞳は鼓動を高鳴らせた。時が止まったように音が静まり返る。雨が降っていることも忘れ、カスティエルとの距離が縮まる。どちらが先に一歩を踏み出したのか分からない。ただ、気付いた時には互いの唇が重なり合った。それは優しく啄む口付けだった。過呼吸のディーンの息を整えた時に与えられた無感情なものではなく、そこには確かな情熱が潜んでいる。角度を変え何度か離れては重なる優しい口付けが続き、吐息交じりに「ディーン」と、カスティエルが呟く。
     ディーンは、ハッとしてカスティエルの肩を押さえ自ら離れた。
     動揺が押し隠せず目を丸める。カスティエルは僅かに眉を寄せたが、すぐに腕を伸ばしディーンの頬を優しく包み込んだ。距離を縮めるカスティエルに、ディーンは「待て」と、慌てた。
    「何故?」
     制止するディーンに、不快そうに顔を歪めたカスティエルは構わず顔を近付ける。
    「だから、待て!」
     カスティエルの口元を掌で覆い怒鳴る。雰囲気に飲み込まれそうになったが、冷静に考えればこの状況は頂けない。そうして、ふと気づけば降り続いていた雨は止んでいた。顔を上げると、夜空が頭上に広がり星が瞬いているのだから驚いた。カスティエルの腕が腰に回され、これ以上距離を取らせないという高圧的な態度を示す彼を睨んだ。
    「何故、離れようとする」
    「変なことになってるからだ」
     突然、キスしたり、見つめ合ったり、抱きしめたり。いつ、どこで、カスティエルがディーンへ向ける視線の意味合いが変わったのか。手を伸ばすその指に、泣きたくなるような優しさに溢れた感情を滲ませるのか。ディーンは顔を歪めた。
     記憶の奥底にいるカスティエルと目の前にいるカスティエルが重なり、肩が震える。ぼやける視線に自身が泣いているのだと知る。「ディーン」と、カスティエルが呟いた時、お互いを見つめ合う視線が途切れたのは、突然の部外者の非難する声だった。
    「これはどういうことだ?」
     部屋に踏み込んだザカリアが軽蔑するような視線を向ける。そうして、一室を見渡せばますます顔を歪ませた。部屋の景色をカスティエルが一変させたことに気付いたザカリアは鋭く睨んだ。
    「監視を命じたが、慣れ合えとは言っていない」
     カスティエルを一瞥し去るように言い放つのを、ディーンは間に割って入る。
    「俺はここに留まっている。それで充分だろ」
     カスティエルに非は無いと言い放つと、ザカリアは眉を顰めた。
    「お前こそ、どういうつもりだ? カスティエルに対して随分と執着があるようだな」
    「執着? 俺が?」
     指摘された途端、冷や水を浴びさせられディーンは硬直した。カスティエルはまだディーンを不安げに窺う素振りを見せたが、ザカリアの無言の威圧に反論しなかった。やがて、部屋を元の景色に戻すとこの場を去る。
     カスティエルが退室すると、ザカリアは溜息をつく。
    「お前の存在がカスティエルの意志を混乱させるようだ」
    「あいつは何も悪くない」
     目を細めたザカリアはディーンを睨む。
    「そうだな。だが、担当を外すことも検討しなければならない」
     ディーンは反論しようとしたが、カスティエルが自身の傍にいることで感情がかき乱されるなら、ザカリアの判断は正しい。しかし、胸に蟠りと苛立ちはまだ拭い去れない。ディーンはザカリアの前を通り過ぎベッドへと体を俯かせた。
     その後カスティエルの訪問が途絶えた。ザカリアが何らかの指示をしたに違いない。ディーンは溜息をつき、頬杖をつきながらベッドの上でリモコンを操作しながら備え付けのテレビを眺めていた。
    「ディーン・ウィンチェスター」
     突然、現れた気配に肩を揺らす。カスティエル以外の声に警戒心を抱き素早く振り向けば、そこには細身の青年が立っていた。ディーンは眉を顰める。青年はピザ屋の制服を着ており、胸元には店員の名札があった。
    「アルフィー?」
     名札にある名前を読み上げると、青年は訂正する。
    「僕はサマンドリエル。貴方の監視に来た」
    「キャスはどうした? あいつは大丈夫なのか?」
    「……カスティエルのこと? 彼は無事だよ。少し貴方から距離を取るようにしている」
     予想していた通りだと深い溜息をつき額を撫でる。
    「それじゃあ、あんたは貧乏くじを引いたな。アルフィー」
    「何故? 僕はこの通り戦闘向きじゃない。貴方の傍で監視役を任されるのは光栄なことだ」
     どうして誰も彼もが同じことを言うのか。ディーンは鼻で笑った。
    「勝手にしろ」
     そしてどうやら、ディーンの監視役に当たる天使は日替わりのようだった。サマンドリエルの次に現れたのはレイチェルだ。彼女はサマンドリエルと違って威圧的で人間を見下していた。ミカエルの器であったとしても、彼女にとって猿同然なのだろう。ディーンの問いかけに無関心で傲慢だ。こちらも無駄なお喋りをするつもりはないのでディーンもまた無視した。
     ディーンは部屋に閉じ込め続けられている日々に疲れ果て苛立ちも増していた。天使たちは己を器にする気はとうに無く、ここに一生閉じ込めて時間という地獄を与えているのかもしれないと思い始めた頃、ディーンの元に現れた天使は中でも異質なタイプだった。
    「キャシーが惚れた猿っていうのはお前か?」
     パーソナルスペースにずかずかと土足で踏み込み図々しさに眉を歪める。ブイネックのシャツをだらしなくボトムスから出し、ジーンズにサンダルといったスタイルの恰好で、カスティエルよりも年上だが天使に似つかず不真面目そうに見えた。男は、ディーンの顎に指を添え、顔が良く見えるように上げる。物の品定めをするような扱われ方に、ディーンはますます顔を歪めた。
    「……なるほど。こういうのがあいつの好みか」
     近い。と、嫌悪感に滲ませた表情をすれば、男はますます興味深そうにディーンを見つめる。
     馴れ馴れしい手を払いのけ、男を睨み上げたディーンは口を開きかけたが突然カスティエルが割り込んできたことで抗議の言葉を飲み込んだ。
    「バルサザール! ディーンから離れろ」
     バルサザールと呼ばれた男の肩を掴みディーンから離れさせようとカスティエルは声を荒げた。
    「おっと、別に取って食いやしねぇよ」
     バルサザールはヘラっと笑って見せ、カスティエルを揶揄った。
     カスティエルはバルサザールとディーンの間に入り、守るようにディーンの前に立つ。その様子を面白そうに見つめるバルサザールはクツクツと喉を震わせるも、顔を上げた次の表情は少し訝しむような真面目な眼差しでこちらを見つめた。
    「気を付けろよ、キャシー。ミカエルの器に余計な情を抱くと、ルシファーの前に消されるのはお前だ」
     そう言い残してバルサザールは姿を消した。ディーンは、信じられないような眼差しでカスティエルを見つめる。
    「どういうことだ? ルシファーの前に消されるって、お前、何やってるんだよ」
    「問題ない」
    「問題ないって、大有りだよ! 俺のせいでお前の立場が悪くなってるなら、もう、ここに来るな!」
    「嫌だ」
    「キャス!」
    「私のあずかり知れないところで君の話を聞くのは嫌だ」
     きっぱりと言い放つカスティエルの言葉に目を丸めた。
    「天界では君の話を聞かない日はない。サマンドリエルは君を好意的に話していたが、他の天使が君に興味を寄せるのも、レイチェルのように君を忌み嫌うのも耐えられない」
     いっきに捲し立てるカスティエルに、困惑を隠せずディーンは眉を顰める。
    どういうことだろう。何を繋ぎ止めているのか分からなかった。このカスティエルはまるで、自身の世界のカスティエルと同じだ。
    「私は君のそばを離れない」
     揺るぎない決意を隠そうともしないカスティエルは、こちらを見つめる。
     顔を上げたディーンはふと、彼の手元に目をやる。先ほどまで気付かなかったが、彼は何か袋を手に持っている。
    「それは?」
     視線を袋に移し促せば、カスティエルの表情が明るくなる。袋から取り出した箱をテーブルに置いた。突拍子もない言動に困惑したばかりだ。警戒心が過るディーンだったが、次のカスティエルの言葉で全ての思考が静止する。
    「パイだ」
     広げた箱からディーンが好きなアップルパイがあった。
    「どうして……」
     自身でも情けない声を出してしまい、唇を噛みしめる。ディーンは目に見えて狼狽えていたが、それは隣にいるカスティエルも同じだった。
    「分からない。君のことを考えていたら自然とこれが浮かんだ」
     少しは何かを胃に入れた方が良い、とカスティエルは言った。ディーンは顔を上げ、カスティエルを見やったが、彼は相変わらず眉間に皺を寄せて疑り深い視線を向けていた。空腹は感じていなかったが、パイを目の前にすれば断る理由もない。パッケージを見れば、カンザスにあるベイカリーの馴染みがある店のロゴがある。
    「パイを食べるの、久しぶりだ」
     ディーンはそう呟いてから震える手でフォークを持ち、一口サイズにパイを切り分け食べた。傍で見ていたカスティエルはどこか安堵したような表情を浮かべる。
     変な奴だと、ディーンはカスティエルを窺う。彼は命令に忠実な天使のはずだ。ディーンにアップルパイを与える命令が出ていれば別だが、そんなことはないだろう。カスティエルは自主的に行動したのだ。
     ディーンは眉を寄せた。
    「サムは……どうなった? 地上で何が起こっている?」
     パイを食べ終えると、ディーンはやっとこの世界の状況を把握しようと身を乗り出す。カスティエルは表情を歪めてから俯いた。
    「……君の弟は、まだルシファーに「イエス」と言っていない」
     ルシファーが地上に降り立った後、ミカエルが降臨し粛清する啓示がある。天使たちが一向に知らせずディーンを待たせている理由はそれだった。
    「クソっ」
     思わず舌打ちが出る。どう足掻いてもサムとディーンを争わせる道筋になる。はじめから定められているなら、無駄な抵抗だったというわけだ。
    「……ここは何かが間違っている」
     カスティエルは呟いてから怪訝に眉を寄せる。まるで、彼もまた彷徨い、ここに辿り着いたように。そうして、顔を上げたカスティエルは焦燥感を漂わせた。
    「ディーン、君が望むなら地上に戻そう」
     突然、言い放つとカスティエルは室内の壁に腕を伸ばした。
    「やめろ!」
     カスティエルの腕を咄嗟に掴む。ディーンは「何をするつもりだ」と問い詰める。
    「俺がミカエルを受け入れて、それで終わりだ。余計なことをするな!」
     カスティエルを振り向かせると、そこにはまだ迷子の子どものような瞳を揺らし混乱する天使がいた。彼は一体、どうしたのだろう。ディーンはようやくここが夢の中ではないことを悟った。
    「キャス、どうしたんだ?」
    「……分からない。ここは……私は、私が受けた本当の命令――目的はそうじゃない」
     零れた言葉にディーンもまた焦燥に鼓動が高鳴る。ここが、夢か幻か分からない空間だと気付いた時から長年のハンターの勘が赤信号を警告していた。現実のようで非現実な世界は、身に覚えがある。けれど、ディーンはずっとそれから目をそらし続けた。ここにいるカスティエルが、己と運命を違えるまで留まろうとした。
     ディーンは口を開いたが言葉が押し戻される。すると、知らない間に伸びたカスティエルの指がディーンのこめかみに触れる。「すまない、ディーン」という謝罪と共に意識が途切れた。
     

       ×   ×   ×

     
     「キャス」と、呼ばれた時、カスティエルは鼓動が高鳴るのを感じた。意識ははっきりとしていたが、頭が重く深い靄がかかったような曖昧な光景があった。闇の中に浮かび上がる淡い光。近付くまでそれが何なのか分からなかった。見覚えがあるそれは、人間の魂だと知る。手を伸ばそうとしたが、すぐに暗転した。困惑したカスティエルはゆっくりと瞼を上げる。そこで、先ほどまで意識が途切れていたことを自覚する。状況がすぐに把握できなかった。目の前には一室の扉がある。視界に現れた途端、脳裏で理解する。中にはディーン・ウィンチェスターがいることを漠然と知っていた。
     しかし、何故ここに来たのか何をすべきか思い出せなかった。目を細めたまま額を撫でる。そこでカスティエルに課せられた命令が聞こえた。
    『ミカエルの器を捕え保護せよ』
     そうだ。ディーンは自ら進んでミカエルの器になると申し出た。天使のまじないが施されている部屋から一歩も出られない。抵抗するだろうと予想されたが、彼は随分と従順で大人しかった。疲れ切った表情を時折見せるも、体に異常は見られない。ザカリアは上機嫌で作戦はうまく決行されるだろうと豪語した。しかし、カスティエルはあれからずっと違和感を拭えずにいる。
     自ら進んでミカエルの器になると申し出る?
     従順で無抵抗?
     だというのに、ディーンはカスティエルに向けて慈しむ視線を向ける。
     全てが異様だった。そうして、自身の手に握られている袋を見やった。袋の中を探ると、箱の中にアップルパイが入っている。ディーンの好物だ。
     カスティエルは眉を寄せた。会って間もない人間の好物を知っていたことは奇妙だった。だが、ディーンは用意されたビールとハンバーガーを一度も手に取っていない。体に異常はなくとも、一室に閉じ込めたことでディーンの精神的負担は大きいはずだ。こんなことは命じられていないが、カスティエルは飛び立ってすぐにパイを買いに行ったことは命令違反だとは思っていない。そう自身を納得させ、壁に手を伸ばし部屋の中に入った。
     バルサザールがディーンの顎に指を寄せた光景を見た途端、怒りが目の前を赤く染めた。自身でも戸惑い持て余すほどの怒りはカスティエルを動揺させた。
      ディーンがカスティエルの手にしている袋に視線を移した時、内に巣食う激情は鳴りを潜める。
    「パイだ」
     そう答えると、傍にいたディーンは目を丸めた。
    「どうして……」
     小さく呟いた声は震えているようだった。カスティエルは眉を寄せたが、すぐに視線を伏せる。
    「分からない。君のことを考えていたら自然とこれが浮かんだ」
     自然と零れたその言葉は真実だ。カスティエルは知っている。ディーン・ウィンチェスターがどういう人間か。その魂は美しく尊い。彼が好きな音楽も好きな食べ物も知っている。
     地獄から魂を掴み救い上げたのは、本当にミカエルだったのか?
     そう思った途端、カスティエルは今の状況がいかに間違っているか確信する。ディーンをこの場所に留まらせておくべきではない。そっと腕を伸ばし、彼の記憶に意思を繋げる。
     
       ×   ×   ×
     
     廃墟となった病院で物資を調達し終えた二人は、ジンの巣窟に辿り着いた。いくつもある人間の遺体は、全て血を抜き取られていた。襲って来たジンをひとり倒した後、隠れていた子どもを救出すると言ったディーンは、ベッドの下を覗き込んで手を伸ばした。
    「ほら、もう大丈夫だ」
     その声は、久しく聞いていない優しい声だった。全く、リーダーは子どもに甘い、と愚痴をこぼしカスティエルは苦笑する。しかし、次の瞬間、ディーンは意識を失い倒れた。
    「ディーン!」
     咄嗟に名を叫び駆け寄ると、ディーンの腕にはしっかりと子どもの手が握られ、血管を通じて紫色の文様が浮かび上がっていた。全てを把握したカスティエルは最悪な展開だと舌打ちする。後ろ手で手が付いた銀のナイフを握りしめた。
     ベッドの下から這い出た少年は面白くなさそうにカスティエルを見やる。
    「なんだ、もう一人いたのか。計画と違う」
     少年はそう言い捨て足元に倒れているディーンに視線を向ける。
    「この人の後悔の念は極上そうだ。味わうのが楽しみだよ」
    「……後悔の念?」
     カスティエルは懸命に冷静さを保とうとした。油断しているジンに間合いを詰めるのは簡単だったが、怒りと焦りで呼吸が乱れるのは抑えられなかった。
    「僕の毒は強力だよ」
     ジンは笑ったがカスティエルは冷酷に徹した。姿は子どもだったが人間の情を弄ぶ邪悪さは成熟した魔物と変わらない。ジンの足元に倒れたディーンの表情が苦渋に歪む。毒が回り始めたのだ。
    「良いね……この人は、とっても優しいんだね」
     ジンがそう言って「美味しそうだ」と、目を細めながらディーンを見つめる様子に怒りが沸き上がると、自身でも驚くほど素早く動いた。銀のナイフは迷いのない直進でジンの心臓を貫く。先ほどまで笑っていたジンの表情は驚愕し目を見開いた。
    「お前……人間じゃないのか……」
     カスティエルはジンが放った言葉の真意をその時は理解していなかった。とにかく、心臓を一突き、二突きと何度か繰り返し息の根を止める。返り血が頬と衣服に付着したが気にしなかった。ジンを殺せば、毒は消える。頭にあったのはそれだけだ。カスティエルはジンが息絶えたことを確認すると、ふと自身の手首に目をやればジンに掴まれていたことに気付いた。手首にはくっきりと手形がある。
     ああ、そうか。と、カスティエルは納得した。
    「そうだ。天使にジンの毒は効かない」
     静かに秘密を零す。カスティエルの恩寵は間違いなく枯れていたが、恩寵は無くなるわけではない。これは、実に長い間カスティエルを悩ます事柄だった。翼は骨組みだけに成り果てるも、未だにカスティエルは天使のままだ。もちろん、ディーンには話していない。話したところで意味はないからだ。
     息を付いたカスティエルはディーンの元へ跪く。首元に指を添え脈がしっかりあることを確認すると、溜息と共に肩を撫でおろす。
    「リーダー、早く起きてくれ。ジンは倒したよ」
     2体も潜んでいたことは調査不足だったと反省しなければならない。クローツばかりに注意を向けていたが、この世界に魔物がいなくなったわけではない。以前より狂暴になり理性が無くなったヴァンパイアや狼人間も増えた。クローツとなった人間を食したからだ。
    「……ディーン?」
     カスティエルは未だ目を覚まさず表情を歪めるディーンに違和感を覚える。強く肩を揺らすも、全く起きる気配がない。
    「ディーン! 目を覚ませ! そこは現実じゃない! ジンは倒した!」
     叫びは虚しく病室に響き渡るだけだった。カスティエルは何度もディーンの吐息と脈を確認する。ジンを倒しても毒が消えない。眉を寄せ、若いジンの亡骸を見やった。彼は往来のジンとは違い人間の後悔の念を引き出すと言っていた。毒はさらに強いと。舌打ちしたカスティエルはディーンの体を無理やり起き上がらせ、支えながら廃墟した病院から出る。キャンプ地に戻り、ディーンを戻す方法を模索する方が得策だ。
     キャンプ・チタクワに戻ってからが大変だった。カスティエルはディーンをベッドへ寝かした後も彼に話かけたが反応は無く、目を覚まさない。混乱するカスティエルにチャックとリサは「とにかく落ち着け」と言ったが、二人も不安の念は隠しきれなかった。これは、ディーンが怪我で運ばれ倒れることより深刻だ。
    「ジンの毒で目を覚まさない場合、普段の狩りならどう対処してた?」
     カスティエルは、チャックに目を向ける。彼は誰よりも彼らの狩りに精通している。これがいつもの狩りならボビーがいない今、知識はここにいる誰よりも豊富だろう。チャックは困惑したように表情を曇らせる。
    「……分からない。こんなジンは初めてだ。けど、他人の夢に潜入できる薬ならある」
     以前、夢に捕らわれたボビーをそれで救ったことがある、とチャックは話した。ドリームルーツの作り方を聞いたカスティエルは頷きチャックとリサに視線を交わす。
    「僕がディーンの夢に入って彼を取り戻す」
     皆が不安がらないように上手く誤魔化せと指示した。ディーンのキャビンには誰も近付かせないようにしてからカスティエルは、ドリームルーツが入ったグラスを片手に不敵に笑んでみせる。
    「どんな良い夢かは知らないが、君が行くところは僕も一緒だ」
    ディーンの手をしばらく握りしめ甲を指で撫でつけていたカスティエルは、優しく微笑んでからドリームルーツを一気に飲み干した。
     
                       ×               ×               ×
     
     カスティエルはディーンの額から指を離した。
     ディーンは驚愕する視線をカスティエルに向ける。記憶を覗いた時にディーンもまたカスティエルの記憶が流れたのだ。二人はまだ夢の中に捕らわれたままだ。
    「お前……、どうして」
     彼の困惑は理解できるが、カスティエルもまたディーン以上に憤りを感じた。ジンの毒の影響で夢の中に潜入したカスティエル自身も記憶が改ざんされていたが、根底からある情熱まで拭えなかったのだろう。
    「ここが君の後悔か?」
     やっと絞り出した声は震えていた。
     焦燥と困惑と怒りすら湧いてくる。ディーンがどういうつもりでジンが作り出した後悔の念が棲みついた分岐点に留まっているのか分からない。いや、充分すぎるほど知っている。
     カスティエルは奥歯を噛みしめた。
     サム・ウィンチェスターがルシファーに器を渡したあの日、ディーンは怒気を帯びた瞳で空を見上げた。何故だと叫び、そうしてついにミカエルを罵り自身もまた器を差し出すと懇願した。カスティエルは潜み隠れながら冷や水を浴びたように体が動かなかった。天使の剣を握りしめる腕が震えて、ミカエルに全てを渡すと言い放ったディーンに怒りが沸いた。ミカエルに決して渡すものかとカスティエルは刺し違える覚悟で剣を構えたが、天使たちは降りてこなかった。彼らは天界を閉め、一切の関りを断った。
     天使が去ると共にカスティエルの恩寵は少しずつ消え始める。カスティエルはそれでも良いと思った。ディーンの傍にいられる代償としては安いくらいだと。
     しかし、ディーンにとっては違うようだ。
    「天使だった頃の私の方が必要だったか?」
     苦渋に歪めた表情を浮かべながらカスティエルはディーンを見やった。
    「……何を言ってる?」
     ディーンはまだ放心したようにぼんやりと眺めている。
    「ミカエルに器を明け渡せば私はまだ天使でいられると?」
     言い放った言葉にディーンが息を吹き返す。
    「だって、そうだろ! 俺のせいでお前は人間に堕ちた!」
    「人間の私より天使の方が君の好みか!?」
    「は? 何を言ってる!」
     カスティエルはディーンの胸倉を掴み強く壁に押し立てる。痛みで眉を寄せたディーンだったが、声を荒げた。
    「お前は、俺なんかと一緒に堕ちる必要なかった!」
    「それを決めるのは君じゃない!」
     自由意志をくれたのは君だと、叫んだ。顔を近付けると互いの吐息を感じた。このまま口付けても良いかもしれないと、震えるディーンの唇を見つめながら思う。彼の口から天使カスティエルを欲していたと聞かずに済む。しかし震えているのは唇だけじゃなかったと、気付くのは頬を伝う雫を見たからだ。
    「……恩寵を失ったお前が、怪我した俺の傷口に掌を伸ばすたびに……お前が俺に触れるたびに……瞳に影が宿るのを見るたびに、俺のせいだと感じる。だから、ここでは、お前を天使のままでいさせたかった。なのに、お前が俺のことを気にする素振りを見せるたびに……嬉しくて懐かしくて……俺は、またお前を」
     カスティエルは顔を上げた。
     ディーンの瞳は溢れる涙を抑えられず頬を濡らした。
    「ディーン……」
     彼の泣き顔を見たことで、カスティエルは自身がとんでもない思い違いをしていたことに気付いた。掴んでいた胸倉を離してから両手でディーンの頬を優しく包み込む。
    「ディーン、違うよ……私は堕ちたことを悔やんでない。君のせいじゃないんだ……」
     恩寵が枯れたことで自身を不甲斐ないと思ったことはあるも、ディーンの傍にいられることに心底感謝した。役立たずな自分をまだ傍においてくれるディーンにも。
     カスティエルはディーンの涙を拭う。薄く開いたディーンの唇に堪らずキスを落とす。ディーンはまだ夢心地でカスティエルの口付けを受け入れた。無常感に晒されたディーンが翻弄されたまま目を丸める。カスティエルは目を細めた。今でもまだ、そんな顔をしてくれるんだ。そう思うと嬉しかった。サムがルシファーに堕ちた日に、ディーンはすっかり変わってしまったのだと、思っていた。僅かに抱いていた希望も全て打ち砕かれ、怒りと虚無に感情を支配されカスティエルが好きだったディーンはいなくなったのかと。
     しかし、ここにいる。心はずっと奥深くに忘れられていたように。ずっとここにある。ディーン・ウィンチェスターが誰よりも優しくて脆く傷つきやすい人間だと知っていたのに。微笑した後、目を逸らすことなく囁いた。
    「天界か君かを選ぶなら私は、また君を選ぶ」
     ディーンはまだ何か言いたげだったが、カスティエルはすぐに遮る。
    「ただ、もう、こんなことはしないで欲しい」
     他の天使に「イエス」と答える君を見たくないから。ディーンはカスティエルの肩に頭を傾ける。小声で「馬鹿野郎」と唸る声が聞こえた。それがまた可愛くて思わず喉を震わせるほど笑ってしまう。
     周囲の壁が崩れるのが分かり、ジンの毒から解放されることを知らせる。ディーンの根底にある「後悔」が消えたせいだろう。
     
     
    「ディーン!」
     先に目覚めたカスティエルは、しっかり握っていたディーンの手をもう一度強く握りしめながら叫んだ。カスティエルの声に驚いたディーンの瞼が上がると、ヘイゼルグリーンの瞳が生気が宿ったようにこちらを見つめ返す。
    「……キャス」
     ゆっくりと上体を起こすディーンは、まだぼんやりとする瞳を揺らしながら夢の中でしか呼ばないカスティエルの愛称を口にする。その名を聞いた途端、カスティエルは愛おしく彼の頬を包み込むように顔を寄せる。
     意識が戻ったディーンはやけに大人しくカスティエルに身を任せた。距離が縮まるがまま、ディーンの唇にキスを落とす。最初は優しくゆっくりと慈しむ。それから少しずつ激しさを増す。無防備なディーンに保護欲を掻き立てられたカスティエルは、強くディーンの体を抱きしめる。息が続かない口付けにディーンは喉を反らせた。更に逃れて大きく息を吸い込むディーンに迫る。吐息をすら奪う口付けに、カスティエルの肩が強く叩かれた。
    「……っ、キャス!」
    「ディーン……ディーン、君を愛している」
     強く体を抱きしめてディーンの耳元に呟いた。告げるつもりはなかった言葉が自然と零れ、カスティエルもディーンも体を固まらせる。しかし、溢れた感情は止められなかった。ずっと前から確信していた。そして、ディーンが感情を閉じ込めた時からカスティエルもまた己の情を封じた。
     ジンの幻想世界の中で見たディーンは、カスティエルが愛したあの頃と変わらないディーンのままだった。優しくて脆く傷つきやすい勇敢で正義の心を持った愛しい人間。そんな姿を目の辺りにしたら、愛おしさが溢れ出した。
     愛している。と、囁くカスティエルは顔を上げた。ディーンが答えられないことは知っていたし、期待していなかったが目の前にある彼の表情は予想外で、また己を驚かせる。
    「キャ……ス……」
     それは言葉がうまく出てこなくて困っている子どものようだった。顔を赤く染め上げ眉を寄せ本当に困っていた。こんなディーンは初めて見る。カスティエルは嬉しくて目元を緩める。
    「ディーン、大丈夫だよ」
     懸命に言葉を返そうとするディーンを愛おし気に見つめ、頬を包み込んだ。口付けると、素直に応えるディーンも愛おしかった。しばらくこの時間を楽しみたかったが、突然割って入る部外者が現れる。
    「キャス……? 起きたかい? ディーンは無事に――」
     コテージの外にいたチャックが、カスティエルとディーンの会話と物音に気付き、扉を開けた。言葉が途切れたのは二人が熱烈な口付けを交わしていたからだ。ディーンは反応に遅れ、体を硬直させた。すぐさま察したカスティエルはというと、チャックからディーンを隠すように庇う。
    「チャック、ノックしろ!」
    「ゴ、……ゴメン!」
     カスティエルは出て行くチャックを横目で見ながら、顔を俯かせ打ち震えるディーンのことが愛おしくてたまらない。
    「ディーン、今日は本当に可愛いね」
    「……黙れ」
     胸を小突かれるとカスティエルはクスリと微笑んだ。
    「他の連中に絶対見せたくないよ」
     僕だけのものだ。そう呟いて抱き合った。
     誰の目にも触れられたくない。たとえ神にでさえ。
     明日になれば、いつもの冷徹なリーダーに戻るだろうけど、今だけは僕だけのディーンだ。カスティエルは灯火のような僅かな温かさに縋りつく。
    「……愛してる」
     やっと絞り出したか細い声は、必死に繋ぎ止めようとする想いを掬い上げてくれた。溢れる涙を隠しもせず、二人は抱きしめ合う。
     
     

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    あけみ

    PAST2014キャスディン。S4キャスがいる世界に2014ディーンが迷いこんで……??
    ピクブラ投稿作品ですが、お気に入りの話なので、こっちにも投下しました。
    少しでも楽しんでいただければ幸いです。スケベなことはしてないけど、デキてる2014キャスディンです。
    →web拍手http://clap.webclap.com/clap.php?id=cocoapoko
    【SPN】君がいる世界が僕の全て【C/D】 キャンプ・チタクワを拠点にしてから一年が経った頃、コルトの捜索を始め情報を得た矢先ボビーが死んだ事、カスティエルがディーンを庇うように悪魔の襲撃を受け右足を負傷し一カ月動けなくなった事。どちらもディーンを守ろうとしたことで引き起こした出来事だった。
     痛みで気絶したカスティエルを基地まで連れて帰り、目を覚まさない彼にひと時も離れず枕元で佇んでいたディーンは居もしない神に何度も悪態をつく。サムがルシファーに器を明け渡してからドミノ倒しのように悪化する状況に、抵抗も空しくディーンの大切な人たちを次々と奪っていく。
     カスティエルの固定された右足には包帯が何重にも巻かれていた。今回は骨折で免れたが、恩寵が無くなった彼は人間と同じように怪我をすれば動けなくなるし、急所を刺されれば死ぬ。ディーンの傍に居る限り死神に刃を突き付けられているようなものだ。ディーンの傍にいる者は早死にする。そんな話も囁かれていた。
    27373

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     痛みで気絶したカスティエルを基地まで連れて帰り、目を覚まさない彼にひと時も離れず枕元で佇んでいたディーンは居もしない神に何度も悪態をつく。サムがルシファーに器を明け渡してからドミノ倒しのように悪化する状況に、抵抗も空しくディーンの大切な人たちを次々と奪っていく。
     カスティエルの固定された右足には包帯が何重にも巻かれていた。今回は骨折で免れたが、恩寵が無くなった彼は人間と同じように怪我をすれば動けなくなるし、急所を刺されれば死ぬ。ディーンの傍に居る限り死神に刃を突き付けられているようなものだ。ディーンの傍にいる者は早死にする。そんな話も囁かれていた。
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    あけみ

    MOURNINGS12後のS13で戻ってきたカスティエルの話。
    再会したディーンの様子が少しおかしいことに気付くも、カスティエルは自身の気持ちを伏せてディーンと接する。
    愛していると言えたらいいのに 自身の姿に化けた虚無に告げられた言葉はカスティエルの真意を鋭く貫くものだった。
    「戻っても何も得られない。辛いだけだ」
     最も愛するもの、最も欲しているものを知っている、と虚無は笑った。カスティエルの全てを知っていると装う態度は気に入らなかったが、言い得ていた。カスティエルが唯一愛しているもの。ディーン・ウィンチェスターに抱く感情が「愛」だと気付いたのはいつからだったのか分からない。いや、地獄でその魂を掴んだその時からだったことは定めのようなものだ。そして、決して手に入れることはできないもの。カスティエルはそれで良いと思っていた。「愛している」と伝えなくてもディーンの傍にいることは至福な時だと。
     それがいつの頃か傍にいるたびに、その美しい瞳が自身に向けられるたびに、胸が締め付けられるほどの苦しさを味わうようになった。ディーンが向ける情は決してカスティエルと同じものではない。家族で兄弟。それは、ディーンにとって最上級の愛情の形だということは知っている。充分に知っているからこそ、カスティエルは自身の情を伏せることにした。
    1981

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