魔羅除霊っ!①その秘術の名は魔羅除霊
噂とは、尾ひれはひれがついて回るものである。
「安倍晴明殿は無敵だ」
「それはそうである。京の大結界を施す天下の最優の陰陽師であらせられるぞ」
陰陽寮は今日も若い陰陽師たちによって盛況だった。それもそうだろう、最高最優の陰陽師と讃えられる安倍晴明の台頭により陰陽師の需要が高まり、内裏に上がらず陰陽師になるという貴族の嫡子が後を絶たないのだ。
才能のある者、才能のない者。少なからずこの陰陽寮にいると云うことは前者であるというわけで、しかし驕らず研鑽に勤しむ者ばかりだ。しかし、そんな彼らもやはり目指すべき人間──いや母方が神狐であるという話もあり人間と呼ぶべきなのか──の噂は口にしたくなるものなのである。
陰陽寮の大広間の手前の廊下で五、六人ほどで集い口々に晴明の話を持ち出す若き陰陽師たちの内一人が、人差し指を立ててこんな話をしだした。
「知っているか。安倍晴明殿は最優の座も飽き足らず新術を編み出したようなのだ」
「なんだって。して、その新術とは?」
「なんでも鬼や怨霊を確実に除霊する術を作ったとか」
「それはそれは……なんと。ぜひ我らにも教示願いたいものだ」
この陰陽師たちの中で一番若い者が弱々しく声を発する。
「しかし我らに教えたとて自在に操れねばどうにもならぬ。晴明殿の霊力は桁違いなのですから。実戦で使えねば源氏武者にまた遅れをとってしまうぞ」
「まあ、まあ。それは我らがどれだけ腕を磨くかによるだろう。いつか晴明殿のように世のため人のため尽くす陰陽師になりましょうや」
扇子を開き上機嫌で宣う、少し歳のいった陰陽師に隣にいた同い年ほどの陰陽師が話を遮った。
「して、その新術を誰か見た者はおらぬのか?」
しん、とその場は静まり返る。誰もが顔を見合わせるが思い当たる節のある者はいなさそうだった。
そこへ。
す、す、と板張りの廊下を音も立てずに、静謐に男が現れた。
目を引くのはその巨躯だ。六尺六寸もある身の丈からは修行で磨き抜かれた身体能力が見え隠れしている。薄緑色の僧衣を纏い、腰まで届く濡羽色の髪はほんの少しくるりと巻いてあり、見るものが見ればそれは呪によるものだと分かった。
つまり、その男は陰陽師であった。それも凄腕の。
男──蘆屋道満はにこりと笑い、口を開いた。
「皆さまお揃いで。その話、拙僧にも聞かせていただけませぬかな」
「いや、その」
突如として陰陽師らは下を向いてもじもじとし始めた。それもそのはず、彼らとこの男、蘆屋道満は違うのだから。
「おや、聞かせられないと? ええ、ええ、やはり法師陰陽師たるもの、皆さまのお手を煩わせるわけにはいきませぬ。これは失礼をいたしました」
と、その場で礼をする蘆屋道満。さらり、と黒髪が肩から落ちて、まるで玉石が川から流れ出たようであった。
陰陽寮に用があったのだろう、蘆屋道満は縁側から足を土に下ろして回り道をしようとする。そんなことは貴族はしない。これが卑しい法師陰陽師のやり方であるといったように、道満は仕様がなさそうに目を伏せて去ろうとした。廊下には貴族たる陰陽師たちがいるのだから、割って入って通る身分ではないのだ。
そこへ、一番年若い陰陽師が声を上げた。
「い、いえ、お待ちを。噂は噂なのですが……晴明殿の一番近くで弟子をされていたのは貴殿だ、道満殿。なのでお尋ねしたい、晴明殿が新しく編み出した新術とは一体何なのか、と」
道満は足を止めて振り返り、きょとんとした瞳をしてその陰陽師を見やる。
「……」
この儂に『貴殿』と敬意を込めて呼ぶのか。道満はすこし、いやかなり驚愕と歓喜の気持ちでもって答えようとしたが、長い睫毛を伏せてしまう。
「いえ、何も。拙僧には何も教えてくださっておりませぬ。拙僧は内弟子でありながら一人前だと自負し出奔した身、秘術を編み出したとて教示してくださるとは思えませぬし、それに」
「それに?」
廊下に立ち尽くすばかりであった陰陽師たちは身を乗り出して道満に迫る。
道満は、ふ、と口元に笑みを浮かべてこう言った。
「……晴明殿であれば、とても美しく清らかな、見るものを瞬かせる素晴らしい秘術を生み出されたのでしょうな」
その道満の笑みは恋の花を愛でるような笑い方そのもので、思わず若き陰陽師たちは、ほう、と溜息を吐いた。
憧れの元師匠。彼を目指して京の都に上がってきた。彼の瞳に止まるのであればなんだってする、そんな気持ちで厳しい修行にも耐え抜いてきた。光り輝く一等星の如き男、それが安倍晴明という男だった。けれども内弟子になればその評価は一変した。彼は身辺整理、つまりは屋敷の掃除や管理がとても、とても──得意、ではなかったのだ(これでも濁して言っている)。品行方正、才色兼備、完璧人間だと安倍晴明のことを思っていた道満はそれはもう驚愕し、困惑しながらもそんな男に懸想しつつあったとはと自分自身に憤った。だが、それでも道満は晴明の元を離れなかった。むしろ甲斐甲斐しく世話をし始めたのだ。掃除や洗濯、炊事はもちろん、晴明がすべきと思わしくない雑用も積極的に承った。もちろん晴明の陰陽術を少しでも勉強して吸収したいという下心が大いにあったが、段々と絆されていったのも必然だったのだろう。
しかし、このままではいけない。儂は安倍晴明を下そうとする志を持つ身、ここで身も心も堕落させてはいけないと思い立ち、朝露の落ちる朝、一人道満は褥を抜け出し晴明の屋敷を飛び出したのだ。
そんな経緯を知りもしないが、まるで恋をしているかのような風貌の道満を見てしまい、若き陰陽師たちは居た堪れなくなって下を向く。それを見て道満は「やはり儂のような卑しい身分の者には顔も見せたくないというわけですか」と思い去っていくのだった。きっと去った後にも悪口を叩いているのだろうと目を伏せながら。
──若き陰陽師たちは道満が去ったと見て口々に言い出し始めた。
「やはり美しい。濡れた射干玉の如き瞳、天女のような長い黒髪。晴明殿の仰る通り、あの麗しいかんばせときたらどこぞの美姫かと思ったぞ」
「だがあの獣のような体躯、長身さでは……我よりも大きいのだぞ」
扇子を持った陰陽師が肘で小突く。
「何も分かっておらぬな。そこが良いのであろう。ああ、あの長身の美男を組み敷くことの何たる至極か!」
ぐっ、と拳を握り力説する扇子の男に、すこし身長の低い陰陽師が話し出す。
「しかし誰にもその肌を暴かれたことのないという話ではないか」
「あの晴明殿にもか? もう手をつけていそうなものだが」
「さあ……お狐さまの閨事情は知らぬ方が良い、だろ、う……」
と、そこへふらりと一枚の紙──人型の形をしている、顔には五芒星をあしらったものが風に揺られてゆっくりと井戸端会議をする陰陽師たちの間を縫うように舞い、そしてどこかへ去っていった
「…………」
たったそれだけで陰陽師たちはすくみ上がってしまった。だってあれは、安倍晴明の式神なのだから。
「わ、我は急用を思い出したゆえ」
「私は厠に」
散り散りになっていく陰陽師たちを尻目に、一枚の式神は「はぁ」と零した。それはまるで大きな溜息のようで、風の悪戯のようで。その場で白い光となって消えてしまったのだった。
冒頭終わり
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