幸せな夢を断つ話 一 あれほど鮮やかだった世界が、ほんの少し柔らかい色へと変わりつつある。それでも太陽は容赦無く地上を照らしていた。そんな光を反射した、華やかな黄色い花弁が見える。
「一見普通のひまわり畑ですね、綺麗」
小さな少女が呟いた言葉に、隣にいた人物は苦言を呈する。
「校内に、向日葵が咲く場所は、皆無だ。それに、この花の時期は、もう終わっている」
数輪だけなら、花壇で咲いているなら、誰かが種を埋めたのではないかと思うこともできただろう。しかし、二人の視界に映る場所一面に、向日葵は咲いていた。第二グラウンドとテニスコート、そして室内プールが設備されている建物の近く、本来であれは更地である場所に、五メートルはあるであろう大輪の花がたくさん在る。
「高さといい、これは、異常だ。出現場所は、……あぁ、うん。ここで間違いない」
神の出現場所通知を改めて文-Fumi-で確認し、確信を得る。
「この、遅咲きの向日葵畑そのものが、神の仕業、か。花だからと、侮っては、いけないよ。夏宵」
「わかってますよ! 未ちゃん!」
夏宵と呼ばれた少女は、小さな手のひらに力を込めた。
「うん」
そんな夏宵を見て、その様子がなんだか可愛らしくて、未は頭を撫でる。
「気を付けて進もう」
「はい!」
そして二人は、向日葵畑に足を踏み入れた。
五社学園。本土から離れた島に存在するその高校では、生徒達が学業に励むと同時に、『神』と呼ばれる異形を狩っている。神に殺されれば自分達の命もないに等しい。まさに命懸けの学園生活だ。
「この向日葵を、片付けるには、本体を探さないと」
二年の夜咲未は、向日葵の葉を掻き分けながら、躊躇無く進んでいく。
(こんなに、規模が大きいとは。探すにも骨が折れる)
恐らく本体も向日葵の形をしているのだろう。木を隠すなら森の中とはよく言ったものだ。通常の神よりも、探しにくいと感じる。
「ひ、未ちゃん、待ってください……!」
数歩遅れて着いてくるのは月待夏宵、今年入学したばかりの一年生だが、飛び級制度を利用して入学した、十二歳の少女である。
「あぁ、すまない。少し速かったね」
「い、いいえ! 歩幅はしかたありませんから!」
「あ、そうか。手を繋いでいこうか」
未は、そっと手を握った。小さな、子供の手。
「え、えへへ……」
「? どうした?」
「手を繋いで歩くの、お姉ちゃんとしかしたことがなくて。ちょっと恥ずかしいなって」
「……そう、か」
お姉ちゃん、という言葉に、未は少し目を伏せる。夏宵と未の接点は、夏宵の姉にあるからだ。彼女は──。
「!」
「ど、どうしたんです、か……」
未が立ち止まった理由がわかったのだろう、夏宵が目を見張る。
目の前に、数人の生徒が倒れ伏していた。
「神の攻撃 どこから」
「迂闊に動いたら危険だ。夏宵、離れないで」
手を繋いだまま、未は倒れている生徒に近づいた。息はある、が、起きる気配は無い。身体中には周囲の向日葵から伸びた蔦が巻きついている。注意深く生徒を観察すると、その手の甲に、なにかが張り付いているのが見える。
(……種?)
向日葵の種だ。
「これは」
一体なんだと触れようとした瞬間、繋いでいた手に、今までは無かった重みを感じる。
「夏宵」
膝から崩れ落ちた少女の、深い緑の目は閉じられていた。目の前の生徒と同様に、周囲の蔦が絡みつこうと動いている。
そして、繋いでいない方の手の甲に、向日葵の種が埋まっていた。
(どうして、攻撃なんてなかった、のに)
一体いつから、と自分の手の甲を見る。変化はない。
(夏宵を、運ばないと)
小さな体を抱き抱え、数メートル先に移動する。巨大な向日葵に上から覗きこまれている感覚に、苛立ちを募らせる。
夏宵を横たえる。息はしているものの、このままでは先程の生徒達のように、蔦に絡みつかれるだろう。
(……この向日葵畑そのものが、討伐対象である神の領域、ならば)
嫌な予感がした。
自分の手の甲を触っても、なにも感じない。それでも、恐らく。
(ここに足を踏み入れた時点で、僕たちは)
神の術中に嵌まっているのだと。
気づいたときには、もう遅かった。
手の甲に、ギョロリと大きな目がついた種を認識した。目の前の風景がゆらゆらと揺れ、向日葵が浮いている。
そのなかで、鮮やかな赤いリボンが見えた気がした。
「月待、先輩……?」
混乱した頭でその名を呼んだ途端、不意に視界が暗転する。
未はそのまま意識を手放した。