幸せな夢を断つ話 終 たくさんの向日葵の中に、少女と、両親を見た。幼い娘が母に抱かれている。父が姉の手を引いて、隣を歩いていた。両親は笑って、姉と、腕の中の幼子を見ている。
姉が少女に手を伸ばす。
「かよー!」
かよ、と呼ばれた幼子は、自身に向かって伸ばされた手をぎゅっと握り、笑った。
きっと、これは夢なんだと、姉の手を握りしめながら夏宵は思った。
夏宵は確かに幼いかもしれないけど、今は十二歳だ。抱かれるほどの年齢じゃない。それに、彼女の両親はもういない。この記憶から暫く経った後、ふたりを庇って死んでしまったらしい。よく覚えていないのだ。それからは姉とふたりきりだったが、姉は、今年の二月から行方をくらましてしまった。
それに、直前まで夏宵は、五社校内に突然現れた向日葵畑の中にいたのだ。これはおかしい。
そういえば、今出ている神は向日葵の形をしていて、大切な故人との幸せな時期の夢を見せるといっていた。
なるほど、と夏宵はぼんやりと思う。これは、幼い時の夢なのだ、と。家族でいたときを幸せだと思っていたのだろうか。夏宵自身はもう覚えていないのに、両親の夢を見せるのか。
「夏宵」
は、と気がつくとシーンが変わり、目の前には姉の依宵がいた。両親亡き後、依宵とふたりで、当時引き取ってくれた親族が与えてくれた、小さい部屋に座っていた。
「夏宵、次はなにを読もうか。絵本、少なくてごめんね」
申し訳なさそうに依宵は笑う。
「ううん、嬉しい! 私ねぇ、これがいいなぁ」
この場面を、夏宵は知っている。両親亡き後、親戚中をたらい回しにされていたふたりは、ほとんどなにもない部屋で、いつもこんな会話をしていた。
故人との、幸せな、ああ、そうか。これは、姉との記憶だ。つまり、姉はもう。
(お姉ちゃんのことを、私は、とっくに諦めていたのかな。どこかで「もういないのだ」と気がついていたのかな)
わからない。考えたくない。そうだとしても、こんな形で知りたくなかった。自覚したくなかった。
(……お姉ちゃん)
お姉ちゃん、今度こそ一緒に居て。
ずっと、一緒に。
夏宵を呼ぶ声を思い出す。姉のものではない声。クラスメイトや、同学年の友達の声が聞こえた気がした。でも、
(私はお姉ちゃんと一緒がいい)
もう少し、もう少しだけでいい、彼女と一緒にいさせてほしい。ようやく会えたのだから、少しくらい許してほしかった。これが夢でも構わない、だって、彼女がいる。会いたくてたまらなかった彼女がいる。もう、なにも要らない。
「夏宵」
ジリジリと焼けるような暑い日差しのなかをふたりで道を歩いている最中、ふと、思い出したのは、彼の声。
「月待」
思わず立ち止まってしまった。
(……どうして?私はお姉ちゃんと一緒にいたいのに、今、とても幸せなのに)
どうして、と首を捻る。
「夏宵? 疲れちゃったの?」
「……ううん、違うの、お姉ちゃん、違うの、」
……お姉ちゃんと一緒で嬉しいのに、そのはずなのに。
「夏宵、手、繋ぐ?」
依宵が心配して差しのべた手に、夏宵は、自分の手を伸ばすことができなかった。
どうして。
(わからない、わかんないよ、私が取りたい手は、お姉ちゃんの手じゃなかったっけ)
「夏宵?」
お姉ちゃんより大切な人は、いない、のに。
「夏宵」
はっきりとした声に振り向く。
「お姉ちゃ、」
「違う、夏宵。僕を見て」
「……未、ちゃん」
姉と同じ髪型をした、赤いセーラー服の少女。煌めく青い刀身を持って、夜咲未はそこにいた。
「夏宵。夏宵は、ここにいたい?」
「いたい、だってお姉ちゃんが」
突然話しかけてきた赤いセーラー服の少女に、依宵は困惑していた。あぁ、この頃の姉は未のことを知らないのだと、夏宵は思う。
「本当に?」
気にすることなく、まっすぐな瞳で未は問う。
「現実に、会いたい人は、いないの、か?」
言葉に詰まる。会いたい人、お姉ちゃん、お姉ちゃんはここに、でも、他に、私は。
「夏宵は、他に、大事な人は、いない?」
「……わ、わかんない。だって、私はお姉ちゃんが大事で、ずっと探してて、お姉ちゃん以外に大事な人はいなくて」
五社に来てから、暇さえあれば姉を探して土地を歩き回った。夜中でも、休日でも、ただ、彼女に会いたかったから。だから、姉がいるここは、幸福そのもので。
「でも」
「うん」
「私、私ね、また、一緒に、ご飯が食べたい」
そんな「私」を助けてくれたのは。
「お姉ちゃん、と?」
「違う」
そんな夏宵に声をかけてくれたのは。
「おかしいよね、お姉ちゃんはここにいるのに」
この幻覚は幸せなはずなのに。
「私、先輩と、皆と、またご飯が食べたい」
「……夏宵?」
不思議そうに依宵が声をかける。
「ごめんね、ごめんねお姉ちゃん、私、お姉ちゃんに会えて嬉しいけど、でも、この世界でお姉ちゃんと一緒にいられない、きっと心配させちゃう」
何を言っているのかわからないと、首を傾げる依宵に、夏宵は一言
「帰らないといけないの」
そう告げた。
「だ、そうです。月待先輩」
未が、姉妹の間に立つ。目を瞑っていろと、未は夏宵に合図をした。例え幻影でも、見せなくなかった。
「……貴女を、一日に二度、手にかけるなんて、思わなかった」
それでも夏宵は目を反らさずに。
「さようなら、月待先輩」
未が依宵を切り裂くところを、見ていた。
気がつくと、周囲にたくさん向日葵が咲いていて、夏宵の種を未が潰していた。
「夏宵、おはよう。……夏宵?」
夏宵は呆然としていた。依宵が死んでいたことに対する感情もある。しかし、それよりも
(私、お姉ちゃんより大事な人がいるの? でも、他人との交流は一線引いていたはずなのに、どうして)
わからない。
夏の夢から抜け出した少女は、作り物みたいに鮮やかな青空の下、そんな感情に苛まれた。