滲む赤色 指先が赤く濡れた。
本土から離れた離島に存在する五社学園では、勉学の他に「神殺し」が義務づけられている。簡単に言えば、神と呼ばれる人外のそれと、命のやり取りを行わなければならない。神は詠手と呼ばれる学生の血のみを喰らい、舞手と呼ばれる学生にしか倒すことはできない。詠手は舞手を補助することが可能で、契約を結ぶことにより舞手の治療・強化を行うことが出来る。
詠手は読んで字の如く、詩を詠むことで強化や防衛、補助を行うことが出来る。その力は想像力に左右される部分がある。
東雲篠は詠手だ。入学して一月も経たない、この戦場に駆り出されたばかりの、大人びた少女である。現在、困ったような顔をして、息を潜めている最中であった。
目の前には詠手でも辛うじて倒せる神が一体、視線を左右させていた。どうやらこちらを探しているようだ。
(……厄介ですね)
借家のアパートに帰りたかっただけなのにと、浅くため息を着く。実戦もほとんど行ったことがない状況で、果たして神を退けられるだろうか。
(一か八かですね。無理ならそれまでだということです)
すっ、という呼吸音。握りしめた符と、小さなナイフ。神の位置を確認して、その場から飛び出す。
神は、ぎょロり、と 目を動かして、こちらの姿を捉えた。小さな体に似合う速度でこちらへ近づいてくる。想定内だ。
「──秋萩の 下葉もみちぬ あらたまの 月の経ぬれば 風のいたみかも」
季節外れの萩の葉が舞った。同時に強い音が耳元で鳴る。自身を中心に撒き起こった風は、勢いをそのままに神を遠ざけていく。
(本来の意味はこのような荒々しい風ではないでしょうけど)
風が強くなったから葉が落ちた、つまり、その風で押し飛ばされるものもいるだろうという考えだった。相手が小さく、それほど強い神ではなかったため、通用したようだ。
「あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らぬ惜しも」
間髪入れずに次の句を詠む。守る対象を月と仮定し、その姿を隠すように半円の結界を生み出す。詩の意味を加味しているため、昼間であればその防御は強まる。
(さてどうしましょうか)
防御に関しては自信がある。だから風で飛ばした神がここへ戻ってきても、──少なくとも夕方までは──耐えられる自信があった。しかし、この状態を保ち続けるのは難しいことも解っている。通りかかる人間がいるという可能性は一切無いと仮定した場合、一人で倒さなければならない。
だが詠手では、神を倒すための威力は弱い。普通に攻撃したところで、効果がないことは目に見えている。
しかし、篠は動じることはなかった。まるでこれも想定内だというように、符と共に持っていたナイフを改めて握り、指先に滑らせる。
紅玉のような赤い玉が指先で膨らんだ。ちゅ、と吸って、その指を符に滑らせる。桜色の符は、暗い赤色を吸い、少し滲ませていた。
「──天雲を」
目線の先には、血の匂いにつられたのか、単に獲物を逃すまいと戻ってきたのか、先程の神が向かってくるのが見える。
「ほろに踏みあだし、鳴る神も」
神は、結界に激突し地面に転がった。当の防御はびくともしていない。安堵しながらも目線はずらさず、句を読み上げる。
「今日にまさりて、畏けめやも」
一線。
目の前が光に包まれた。地鳴りを生み出すほどの衝撃と共に、白い柱が神に直撃する。
「まぁこんなものね」
耳が痛くなるような音に混ざって、篠は呟いた。 出来ればもう少し調整すべきね、と。
ふ、と目線をあげれば、血の匂いに惹かれてやってきた神が数匹、増えていた。
「私の血だって、安くはないんですよ」
困ったように笑って、彼女は次の句も血でしたためる。防御は得意だが攻撃を苦手だ。うまく想像が働かないから。血文字で句をかいてようやく倒すことが出来る。
「神様」という概念が嫌いで、無神論を謳って数年。自身を育ててくれた家に感謝はしつつ、居心地の悪さを感じていたから、離島にある五社学園に入学したのに、ここでも「神」という概念が付きまとう。
(一体いつになったら、私は「神」とかいう存在しないものから解放されるんでしょう)
雷轟を響かせながらぼんやりと、そう思う。
気づけば、指先は赤く濡れていた。鉄の匂いが鼻を掠める。
無に帰していく神と呼ばれる生き物に見向きもせず、指先をそのままに、帰路に着いた。
東雲色のリボンが風に揺れた。