小休止「狗巻君は?」
任務を終え、約束の場所に車を停めて一人待つ伊地知君に声をかける。
「あ、あれ?七海さんとご一緒かと・・・え、あれ?」
真面目な彼は、途端に血相を変えてキョロキョロと辺りを探し始めた。
「・・・やられましたね」
複数の二級呪霊を祓う任務。つい最近、一級に推薦されたばかりの彼は思っていたよりも優秀で、引率の私が手を貸す必要もないまま、予定していた半分にも満たない時間で任務を片付けてしまった。
事後処理のため、私は少しの時間現場に残り、彼には先に車に戻るよう伝えたはずが、どうも戻らなかったようだ。
こういったことは初めてではなかった。
彼は術式に声を、言葉を使うため、普段から語彙を絞っている。相手によって、言葉で伝えなくても問題ないと判断すれば、何も告げずにふらりと居なくなることがあるのだ。
「まあ、狗巻君のことですから、大丈夫でしょう」
あたふたとしている伊地知君を落ち着かせるため、率先して車に乗り込む。
「そ、そうですね、少し車で待ちましょう」
ガチャ、トスッ、バタン。
後部座席に座る私の横に、小柄な少年が乗り込んでくる音で覚醒した。いつの間にか眠っていたようだ。
腕時計を確認すると、17時30分。当初の予定時刻ぴったりだ。
「ツナ」
少年は、何やら大きな紙袋を抱えており、ガサガサと中身を取り出してこちらに差し出した。
「私にですか?」
受け取りながら確認すると、術式のために口元を隠している彼は、目だけでにこりと微笑んだ。
「しゃけ」
コーヒーと、カスクートをふたつ。
いつだったか、この近くにある私のお気に入りの店に、任務帰りに彼を連れて行ったことがあったのを思い出した。
彼は運転席でノートパソコンを開いていた伊地知君にも座席の真ん中からパンの包みとコーヒーを渡し、あたふたと受け取る彼に、にこりと微笑みを投げたあと、最後に自分の分を取り出して、空の紙袋の上に並べた。
「わたしは、戻ってからいただきますね」
そう言って車を出す伊地知君に、既にリスのように頬袋をいっぱいにした彼は上機嫌で返事をした。
ちなみに彼が伊地知君に渡したのはカスクートではなく、うさぎとパンダの形をしていた。
「しゃけしゃけ」
あなたはまだ子どもで、大人に対してこんなことをする必要はありませんよ。
喉まで出かかった言葉を、カスクートと共に飲み込んだ。
去年の冬、夏油傑の企てた百鬼夜行以降、目に見えて呪霊の数は激増していて、その強さも以前とは比べ物にならないほどに上がっていた。
昨日も、その前も、言ってしまえばこの数週間、休みどころか、睡眠すらまともに取れずにいたのだ。
彼は当然それを知っていて。空いた時間にあえて姿を消したのかもしれない。
「このカスクートを食べるのは、久しぶりです。覚えていてくれたのですね、狗巻君。ありがとう」
あっという間にふたつ目のパンを頬袋に入れながら、白いリスは満足げに微笑んだ。
もしかしたら、そんなわたしの深読みとは無縁で、彼はただの食いしん坊なのかもしれない。
あまりに急いで食べ過ぎて、ホットミルクを吸い上げ、むせる少年の小さな背中をさすりながら、ふと自分が、何ヶ月か、もしくは何年かぶりに、微笑みを浮かべていることを自覚した。