5月半ば「おかかァッ!!」
突然の叫び声とともに、布団がめくり上げられ、ドタバタと走り去ってゆく気配。
「こんぶ!!いくら、めんたいこ!高菜ァ!!!」
騒がしく支度をする音を聞きながら、傍らのスマホを見る。6時。始業にはまだ時間がある。
あぁ、そうか。あの人今日も朝からの任務だと言っていたな。
いや、まて。そもそも、なんでアンタ俺の部屋で寝てたんですか。しかも昨夜は任務が長引いて日付が変わっても帰って来てなかったのに。のそりと起き上がると、裏返しのまま乱雑に脱ぎ捨てられた制服。袖を戻して整えながらその理由を考える。
以前にも同じような状況で残して行った下着を洗濯してあるのを思い出して、クローゼットから取り出してきて並べた。今脱いだ方の下着は洗濯カゴに放り込む。メガネのマークのワンポイントが入ったTシャツとパンダ柄のボクサーパンツ。洗濯をした方は色違いのパンダ柄のボクサーパンツとTシャツには日本刀のマークが入っている。二年は本当に仲が良いんだな。ほんの少し羨ましく思う。
「大丈夫ですか?何か手伝えることありますか」
「ん!!」
声をかけると、洗面所から濡れた髪を拭きながら、歯を磨きながら、作りつけの小さなキッチンを指差した。
見ればトースターで食パンが焼き上がっていた。
どれだけ時間が無くてもメシだけはちゃんと食うんだよなこの人。食パンだけじゃ腹へるだろ。適当に冷蔵庫にある具材を焼いてトーストにはさみ、テーブルに並べたところで俺のスマホが鳴った。
「・・・はい、伏黒です」
「あ、朝早くにすみません。伊地知です。狗巻術師、そちらにいらっしゃいますか?」
「いますよ。今、準備しているところです」
「あぁ、よかった。昨夜の任務が思ったよりも長引いてしまいまして。1時間ほどの仮眠に戻られたんですが、部屋にいらっしゃらなくて。起きられるか自信がない時は伏黒くんのところに行くと以前お聞きしていましたので、もしかしたら、と」
「そうなんですか」
あの人、そんなこと言ってたのか。電話では平静を装いながらも、何故か心が躍るのを感じた。
「今日の任務は狗巻術師ならそんなに時間もかからないでしょうから、先方には少々到着が遅れることを連絡しておきます。車でお待ちしていますので、気をつけていらしてください、と、狗巻術師にお伝えいただけますか?」
「わかりました」
電話を切ると、すっかり身支度を終えた狗巻先輩が、両手に持ったマグカップの片方を差し出していた。
「伊地知さん、先方には遅れると連絡しておいてくれるそうです」
言いながら差し出されたものを受け取ると、先輩はにこりと微笑んで、もう片方を一気に飲み干し、トーストを掴むと、そのまま部屋を出て行った。
呆気にとられながら、受け取ったマグカップに口をつける。
口の中に広がる、ほどよい苦味、酸味。
俺がブラックコーヒーを好んで飲むと知った時、狗巻先輩がハンドドリップの道具一式を買い揃えてきた。
カタチから入るタイプか。と当時は少し敬遠したものの、意外と研究熱心な彼が淹れたコーヒーは角が無くまろやかで、素直に「美味い」と思った。コンビニのコーヒーが飲めなくなるほどだ。
ただ、ほとんどの場合、淹れた後の片付けは俺がすることになる。
このまま起きるか、二度寝するか。
ぼんやりと考えながら、マグを置いて、とりあえず乱れたベッドを整える。
ふと、枕に残されたあの人の綺麗な白い髪を見つけた。朝日にかざしてみると、キラキラして猫のヒゲのようだ。ヒゲにしては少し柔らかすぎるか。むしろ、あの人自身、気まぐれで、構って欲しい時はニャアニャア騒ぐくせに、そうじゃない時はフッと姿を隠す。まるっきり猫だと思う。俺はずっと犬派を自覚して生きてきたものの、猫も良いかもな。
寒い冬に布団に潜り込んでくる時とか、可愛いだろうな。
そこで初めて、俺はあの人に対して持っている自分の感情を自覚した。