思い出を呼ぶ風鈴

　その祭りに長く留まると人間から怪異になる、そう真しやかに伝えられる怪異の祭り。その祭りにずっと行ってみたいと思っていた。怪異を一目、この目で見たくて彼は逢魔ヶ時に学校を彷徨う。
　この祭りのむこうには一体何があるのだろうか。
　紅い校舎の中で少年は不思議な祭りに辿り着く。言い伝え通り、人ならず者たちが蠢く祭りはたくさんの夜店に彩られていた。
「いい品あるよ、ちょっと見てかない？」
　そんな中、そこのおにーさん、と少年に声をかけたのは両目を黒い布で隠した年若い男。手の中でチリン、と風鈴が涼しげな音を立てた。
　紅い祭りの中でそれは鮮やかに耳を揺らした。
　立てかけられた看板にいくつも飾られた風鈴は一様に沈黙を保って、ただの硝子細工のようだ。
　忘れてしまった思い出を一度だけ見せてくれる風鈴だと彼は簡潔に説明し、一つどう？ と手の中のそれを突き出してくる。手のひらに納まる大きさの薄青い透明の風鈴は何かを呼ぶようにチリ、チリンと鳴いた。
「タダでいいよ、気に入ったら今度買いに来て」
　風鈴を押し付けて、また今度と愛想よく目隠しの少年は手を振った。
　もらったはいいものの祭りを散策するには些か荷物になる。取りあえずカバンに仕舞おうと身を屈めると、少年の視界が揺れた。
　チリン、と手の中で風鈴が音を立てると同時に小柄な人影が横に現れた。
　白い狐面にどこか見覚えがある、あれは……たしか文化祭だ。
　高校の文化祭で売っていた手作りの狐の面。その孤面を頭に付けたこの少年は一体誰だろう。気付けば手を繋いで一緒に夜店を回っていた。
　りんご飴を手にした彼は楽しげにずっと笑っていた。その控えめな笑顔がどこか懐かしく、少年の類が緩んだ。
「…………」
　彼が口を開いて見上げたと思ったら不意に手が離れた。そのままひとりで祭りの中を歩いて行ってしまう。
　白い狐面を顔に被った甚平姿を、少年は呼び止めるように手を伸ばす。
「待ってくれ」
　狐面の少年は気付かずに楽しげに体を揺らして祭りの雑踏の中へ消えていく。追いかけようと少年もその中へ飛び込んだ。
　途端に、景色が揺れ動いて少年は立ち竦んだ。
「……あなたは駄目」
　後ろに白いワンピースを着た小さな少女が立っていた、彼女は首を横に振る。
　なぜだ、と少年がいくら尋ねても少女は頭を振るばかりで何も言わない。
　せっかく見つけたのに。少年は思い出した、ずっと彼を探していたのだ。
　彼に一目会いたくてこの祭りに辿り着いた、それはこの世界から「彼」を取り戻す為に。
「……あの子はそれを望んでないから」
「駄目だ、絶対に連れ戻す。心のどこかで俺はずっと納得してなかった、だからここに戻ってきたんだろう」
「あの子が悲しむよ」
「こんな所にひとりにしておけない、あれは俺の……」
「……それ以上は言ったら駄目」
　駄目だよ、ともう一度繰り返して少女の姿は消えた。
　そして気付けば、完全に少年を見失っていた。チリン、と風鈴が風に揺れる。
　おにーさん、と呼びかけられて、少年は俯いていた顔を上げる。
「どうかした？」
　風鈴はどこにもない、目隠しの彼が手にまだ持ったままだ。汗が噴き出るのが判った。
　鬼、と一文字書かれた黒い布で目を覆った彼はにこやかに笑って、どう？ 一つ要らない？ と風鈴を差し出してくる。
　今のは夢か、幻か。
「悪いが遠慮する」
「そう？ 気が向いたらいつでも来てよ、待ってるから」
　肩に羽織ったブレザーを握り締め、風鈴屋の前から少年は踵を返した。それを見送った鬼の怪異の手の中で風鈴が涼しげな音を鳴らした。
　看板に吊り下げられた風鈴がチリン、チリンと次々に揺れ始める。それは祭りから去っていく少年を見送るように鳴り響いて、やがて風鈴は跡形も無く消え失せる。
　さてと、鬼の少年が何事もなかったようにその場を後にする。
　どこかでチリン、と風鈴の鳴る音が聞こえた。

2015.3