運命の人
すっかり忘れていた皮膚を裂く懐かしい痛みに自嘲の笑みが浮かび上がる。昔は痣が残るの当たり前だったな、と握り締めた拳から伝う赤。気付いた新が何か言う前に先にへらりと笑った。
「バンソーコー持ってない?」
手のひらの中心、横に伸びた頭脳線(だっけ?)に被さった切り傷はドクドクと脈打って。隣に並んだ渋面はきちんと手当てした方がいい、とハンカチを結わえ付けて保健室まで付き添ってくれた。
先生は留守だったが、救急箱から消毒液を取り出す新に促されて大人しく丸椅子に座る。手際よく手当てをしながら、一体何をしたんだと第一に訊かれる辺り、周りで噂になってるんだろうな。
「どれだろうな~、嫌がらせなんて心当たりあり過ぎて」
「仁が美人の先輩をひどい振り方したって噂になってる」
「ああソレ。運命なんて反吐が出るって断っただけなんだけど、そんなにひどいか?」
「その結果がコレだろう」
少しは言葉を選べ、と強く握られた指先から手首まで痺れが引き伸ばされるとさすがに涙が滲んだ。靴の中に画鋲やカッターの刃は定番だから回避も出来るが、カバンのファスナーと紐に仕込んであるのは読めなかった。カバンを持ち上げた途端ざっくりきた刃に、そこまで恨むことかと逆に感心する出来だったし。
初めて見た時から運命だと思ってたの、と夢見がちな先輩に告白されたのが昨日の放課後で。運命って何だよ、目を輝かせて説くぐらい素晴らしいものか? そんなにいいモンなら俺が知りたいよ──みたいな内容を言い返した気がする。とにかく運命ってのが俺には駄目だった。こちとら七夕すら無理なんだよ、諦めろ。
短冊の願い事も小指の赤い糸も前世の縁とやらも全部駄目で、頑張って目の前から排除してきたのに、勝手に運命の相手に祀り上げられて逆恨みされても迷惑でしかない。
「ちょっと話しただけなのに運命の相手って何だよ。あの先輩が好きなの俺の顔だけじゃん、そんな人に言われてもなー」
「運命はちょっと言い過ぎかもしれないが、それのどこが悪いんだ」
「顔が好きって言われてお前うれしい?」
「うれしいも何も、外見を含めての賛辞じゃないのか」
包帯がリズミカルに巻かれていく。そんな好意的な意味なら俺もうれしいよ? でも実際は外見「も」じゃなくて外見「だけ」なんだよな。美人だけど面食いな先輩だから俺のこと気に入ったんだろうし。
見てくれだけの運命なんてほしいか? 俺は要らないから突っ跳ねたけど、鈍く光る刃の中には確かに一人が信じた「運命」とやらが冷たく照り返していた。
「新は、」
手のひらに落としていた丸い目が上向く。
「女の子に運命の相手だって告白されたらOKした?」
「知らない人だったらしない」
「つまり知ってる奴だったらいいってことか」
運命なんてそんなモンか。いちいち気にして苛立ってる方がおかしいんだ、でも絶対に受け入れられない。受け入れたら全部運命だって片付けられそうな気がして嫌なんだ。
これまで歩んできた全てと、これから歩む予定が決まってるとか言われたら反吐が出るだろ?
「違う。本当に運命の相手なら逢っただけで判るだろう」
口に出して告げるものじゃない、と再び視線を落として包帯の端を止める細い指。喉が凍る、空気が止まったあの瞬間を思い出して。
新学期、担任の隣に立つ小柄なブレザー姿。逢うべくして出逢った人。たとえるならそれは四月の桜の匂い。
「それなら俺にも解るな」
「そうか」
予感がした。桜の匂いと共にやって来たお前と出逢うのが運命だとしたら、やっぱり俺の居場所はむこうにしかないと。
救急箱に消毒液を片づけている新の背中に、サンキュな、じゃあ帰ろうぜ。と声をかけて立ち上がる。
「もう平気か」
「ああ、手当てしてもらったし大丈夫」
「しばらくは辛いかもしれないがあまり気にするな」
軽い音を立てて背中が鳴る。背中を叩いたのは景気付けか。女の子みたいに小さいなりしててもこういう所は男だよなあ。
ちょっと寄り道してこーぜ、と笑いながら保健室を後にした。
2016.11