よるのなみだ
熱い吐息は指先を舐めるばかりで、決して牙を立てようとしない。
何ら変わらない「食事」の時間、それがユーリには物足りなくなっていた。
牙を突き立て、血を貪っても構わない──何度ユーリがそう申し立てても、カロルは頑として頭を縦に振らない。
吸血鬼に血を吸われて屍人になった者や、最悪死に至らしめた前例がある限り、カロルの主張は覆らないのだろう。根は臆病だが頑固だから。
「……んっ……う……」
紅く火照った頬を、差し出した指とは反対の手でゆっくり撫でながら聞くカロルの喘ぎ声にも慣れた。
自傷のナイフのひやりとした冷たさも、血の味のするキスも、カロル相手なら全て愛おしい。
愛しいからこそもっと近づきたいと、直に吸血される事を望んでいる。
向かい合うカロルは、流れる血を一滴も零さんとしゃぶりつき、舌をユーリの指に絡ませる。
犬のように。
「ワフ……」
本物の犬(ラピード)は二人から離れた位置で欠伸を一つ掻いている。そのまま地面に伏せて眠る態勢に入ったラピードの耳に、ユーリのくしゃみと酷く焦ったカロルの声が届いた。
「ど、どっ、どうしよう……!!」
ラピードが顔を向けると、血を流したままの主人(ユーリ)は大丈夫だって、としきりに繰り返して落ち着かせようとしているが、カロルは今にも泣き出しそうだ。
途切れ途切れに会話を拾うと、くしゃみをした拍子にカロルの牙がユーリに傷を付けてしまった、らしい。
カロルの白い顔色がますます青白くなっていく。
大丈夫だよ、とユーリはカロルの頭を撫でるが逆効果で、カロルの大きな目玉から透明の粒が零れ出した。
「ユーリ……! 死んじゃやだよ……っ」
「バカ、そう簡単に死んでたまるかって……」
ただのひっかき傷だが吸血鬼の牙が付けた傷だ、どうなるか……予測は三つ。
カロルの同族に仲間入りか、屍人化、命を落とすか。
三つ目だけは絶対にあってはならない。これ以上力ロルを傷付けたくない。
泣きながら指に包帯を巻くカロルの涙を拭って、ロ付ける。
泣かれるのは御免だ。
「ユ……っ」
「……」
血の匂いが混じったキス、慣れた錆臭さに涙の甘ったるい味が加わって、頭がフワフワする。
指が妙に熱い。
カロルの腰に腕を回し、しばらく甘い口付けを貪っている内に頭は治ってスッキリしていた。
*
結果を言えば、ユーリの体に変化は無かった。吸血鬼にも屍人にも成らず、命も落とさなかった。
よかったよかった、とカロルはユーリに縋りついてまた泣き出してしまい、泣き止むまでユーリは黙って頭を撫でていた。
「本当に何ともなくてよかった! ユーリがどうにかなったらボク、ショックで血飲めなくなってたよ」
「そりゃ困るな、これからガンガン飲めるってのに勿体無い」
「……もうコリゴリだよ、しばらくユーリの血は要らない」
「はぁ!? 何言ってんだ、せっかく大っぴらに吸血出来るのに遠慮すんな」
「何それ!? ユーリってはマゾなの? ……ちょっと、ムリヤリ飲ませようとしないで!」
……言いくるめられて、これからもユーリから血(ゴハン)は貰うものの、直接は無しなので結局元のまま。
カロルの吸血に対する畏怖が少し和らいだだけに終わった。
「そうすると、旅の目的は無くなっちまったのか……」
元々、直接血が飲めないカロルをどうにかする為に少しだけ旅に出たのだ。それも今回で一段落付いた様子、もう無理に旅を続ける必要は無い。
「そうだね……住んでた村に戻る?」
「いや……」
「残念そうだね」
「旅に出てみると色々楽しかったからな」
「だったらこのまま続けたらいいよね。ゆっくり気ままに流れる旅もきっと楽しいよ」
「だな。じゃあ、次行くか」
「うん」
出発と同じように手を繋いで君と共に歩こう。
歩き出した二人の後にゆっくりとラピードが続いた。
2013.4