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    gorogorohuton

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    gorogorohuton

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    8/20、SCC関西にて発行予定の新刊サンプルとなります。
    Twitter(投稿当時の名称)にぽちぽち上げました、短編(手直しあり)の再録+書き下ろしとなります。両思い・両片思い・ifの未来の話が入っています。

    『色とりどりの君たちは、』
    文庫/本文212頁(空白あり)/全年齢/1300円(予価)

    色とりどりの君たちは、(後夜祭)

     夜空に吸い込まれるようにして燃え上がる炎をぼんやりと眺めた。文化祭の最終日の夜である後夜祭の最後はキャンプファイヤーを行うのが恒例だ。特にフォークダンスを踊るでもなく、実行委員会を中心にそれぞれが祭の終わりを惜しみ、最後のひと時を楽しんでいる。
     そういう時に、好きな相手に告白をするというのは何もこの学校に限ったことではないだろう。
    「よ、お疲れ」
    「ああ、お疲れ様」
     ぽんと缶ジュースを投げた。片手でキャッチしてにこりと微笑む。確かオレンジジュースが好きだと言っていた、それも炭酸でないもの。校内の自動販売機コーナーは長蛇の列で、仕方なく近くのコンビニエンスストアへ走った。その苦労を知ってか知らずか、タブを軽く弾いて開けると一気に煽った。一緒になって、スポーツドリンクの缶に口を付ける。
    「クラスの方はいいのか?」
    「あー、なんかみんなでファミレス行くとか言ってたけど、まあいいだろ」
    「焼きそば焼くとこ、様になってたぜ?」
    「うるせー! どいつもこいつも冷やかしにきやがって」
     三井のクラスは外で店を出し、焼きそばとたこ焼きを売った。くじ引きに外れたが為に延々とソバを焼く羽目になり、それを知ったバスケ部のメンバーや徳男、桜木軍団の奴等までやってきた。「おまけしてくれよ」と言った水戸には睨みつつも、少し肉を多めにしてやった。
     木暮も赤木と並んでやってきた。六組は教室で喫茶店をやっていた。赤木は何を着てもゴリラなんだなと思ったままを口にしたが為に、店先でみっともなく喧嘩をしてしまった。それを宥めたのはもちろん木暮だ。喫茶店の店員らしく白いシャツに黒いネクタイ、黒のカフェエプロンを着ていた。
     ウェイター姿の木暮はそれはもうあまりにも格好良く可愛らしかった。あとで一緒に回ろうと言っていたにも関わらず焼きそばが思いのほか好評で、ほとんど休む時間がなくてできなかった。せいぜい、昼食を一緒に取ったくらいだろうか。
    (今度着てみせろって言ったら着てくれねーかな)
     衣装は予算で買ったのだと言っていた。文化祭が済めばそれぞれに持って帰るだろうし、着ようと思えばいつでもできるはずだ。そのままベッドの上に雪崩れ込んだら……きっと木暮は怒るだろうな。
     大きな音を立てて燃えさかる木が弾けた。周囲からは歓声があがる。誰かが気を利かせたのか、流行りのラブソングが流れ始めた。
    「あの、木暮先輩っ」
     声をかけて来たのは後輩の女子生徒だ。二年生だろうか、一人ではなく二人の付き添いがあった。
    「何?」
    「あの、ちょっと……いいですか、お話ししたいことがあって!」
     顔が真っ赤に見えるのはキャンプファイヤーの火のせいではない。それに照らされているが為に、緊張と恥ずかしさで全身を染めているのがわかる。
    (おーおー、モテるこって)
     木暮が実は女子にモテていることに気がついたのは最近だ。目立たないタイプではあるが真面目な優等生で顔はどことなく可愛らしい。おまけに平均と比べれば高い身長に、運動部ならではの体格の良さ。更にはバスケ部の飴とまで言われる気立ての良さに惹かれないはずがない。三井にとっては常識すぎて、それらが端から見れば女子人気に繋がることなのだ、ということを、バスケ部の後輩達に言われるまでわからなかった。
     後夜祭に浮かれて呼び出して、告白をして。それで彼女はいったい、木暮の何になりたいつもりなのだろう。
    「ああ……ごめんな、ちょっと今、手が離せなくて」
    「えっ、でもっ」
    「……ごめんな」
     これで済ませてくれ、と困ったように微笑んだ。モテる男はやることがちげーなと感心するばかりである。
     女子生徒は必死に泣くのを堪えていた。口を開いたら泣いてしまうと思ったのだろう、無言で深く一礼をして駆け足で去って行く。付き添いの友人二人もあとに続いた。その内の一人はちら、と振り返って恨めしげな視線を寄越した。
    「あーあ、恨まれてるぜ、モテ野郎」
    「そう言われてもな……どうしたって応えられないのに最後まで聞くのも結構辛いんだぜ」
    「今ので何人目?」
    「……三人」
    「今の子は結構可愛かったじゃねーか」
    「なんだよ、三井は俺に可愛い子と付き合って欲しいのか?」
     んなわけねーだろと軽く小突く。余裕ぶっていられるのは自分こそが木暮の恋人だという自信があるからだ。もしそうでなかったら気が気でない。自分以外と仲良く連れ立って歩く姿なんて想像もしたくない。
     残念ながら女子達よ。てめーらの大好きな木暮先輩はとうの昔に、この三井寿の恋人になってるんだよ。
     そうやって叫んでしまえたら、どんなにスッキリとするだろうか。
    「叫んでやろうか、後夜祭だし」
    「え、何を?」
    「……いーや、なんでも」
     ぐるりと辺りを見回した。木暮がクラスメート達とも離れて目立たない隅っこで一人で炎を眺めていたのはきっと、自分を待っていたのに違いないと自惚れることにする。
     誰の目もないことを確認して、不意打ちのキスを食らわしてやった。
    (……甘)
     ふわりとオレンジジュースの香りがした。
    「ばか、何やってるんだっ」
    「いいだろ、誰も見てねーよ」
    「浮かれすぎだろ」
    「浮かれるだろ、こーこーせー最後の文化祭だぜ?」
     三井にとっては最初で最後の、恋人と過ごせる文化祭だ。後夜祭などと言わず本当はあと何日だってやっていたい。
     これが終わったらまた、三井はバスケット、木暮は受験勉強と別々に過ごす日々がやってくる。はじめからわかっていた事でも実際にそうなってみると寂しい。授業の合間を縫って顔を見ても一緒に昼飯を食っても、それでもまだ足りない。
     バスケットが一緒にできない。帰る時間だってばらばらだ。今だけ、もう少しだけでも一緒にいたいと思うのは、三井ばかりではないはずだった。
    「このあと、どうする」
    「あんまり遅くなるわけにもいかないけど、そうだな、三井と一緒なら少しくらいは寄り道をしようか」
    「おう」
     キャンプファイヤーは終わりに差し掛かっている。まだ青春がしたりない生徒達がわらわらと集まって、これから湘北生の主張だの盛大な閉会式だのが行われるらしい。後夜祭は自由参加だ、最後まで付き合ってやる必要はない。
     残っていたジュースを飲み干した。行くぞ、と差し出した手を木暮は遠慮がちに取った。皆は最後のひと時に夢中になっている。誰にも見つからないようにして、誰の気にもとまらないまま。
     手を繋いで校庭をあとにした。


    (同じ音を聞きながら)

     窓の外の景色はゆっくりと流れていく。初夏とはいえ日差しが強く眩しく、青々とした空に浮かぶ雲の白さが目に痛いくらいだ。
     電車の乗客は少なかった。ぽつりぽつりと不均等に人が座っている。やけに静かに思えるのは人が少ないからだろうか。電車は不規則に揺れ、時々覇気のない声で車掌が停車駅の案内をする。
     その合間に微かに聞こえてくる音を鼓膜が拾う。片耳ずつにつけたイヤホンからは流行りの曲が流れている。そういったものに疎い性分ではあるが、音楽を聴くのは嫌いではなかった。自分で買うほどのことはなく、クラスメートから借りたり、レンタルショップで目についたものを借りたりしてテープに録音していた。
     聞かして、と言った三井の右耳と自分の左耳からは同じ曲が流れている。片耳だけのせいかいつもより音が物足りない。電車がうるさいわけではない。アウトロのギターソロはほとんど聞こえなかった。それでも、軽快なメロディーと共にボーカルの伸びのあるテノールが心地良く響く。
     大きく電車が揺れる。ぐ、と肩に重みがかかった。
    (……寝てるのか)
     肩に乗った三井の頭を見やる。静かに目を閉じて規則正しく呼吸をしている。いつも皺の寄りがちな眉間は平らかで、口元も柔らかい。そうしていると、同い年の高校生なんだなぁと実感する。
     目的地にはまだ着かない。三井が寝てしまったのなら、参考書を読んでいようか。
     付箋と書き込みだらけの本を開く。バスケットのことだけを考えていたいが木暮はそうもいかず、時間のある時に開くのはやはり受験生向けの参考書だった。細かく記された歴史の流れを見つめる。片耳から零れるメロディーが途切れ、しばらくの無音のあとに次の曲が流れ出した。
    「……この歌、」
     一回目のサビが終わったあたりでぽつりと三井が呟いた。
    「起きてたのか」
    「これ、結構好き」
     明るい曲調に爽やかな旋律、透明感のあるボーカルが儚げな歌詞を歌っている。
    「何の歌?」
    「うーん、ドラマだったかな。三井、こういうのが好きか?」
    「ん……よくわかんねー」
     でもこれはいいな、と目を閉じたままで耳を傾ける。二回目のサビを歌うボーカルの高音(ハイトーン)が、ふわりと優しく抜けていく。
     誰かが窓を開けた。初夏の風に髪を攫われるのが心地良い。
     参考書を開いたまま、読むともなく眺めている。真面目にやらないといけないと思うのに、思考がなんとなくぼんやりとする。
     穏やかに流れていく午後のひととき。流れる風の心地良さと、窓の向こうに広がる青空の眩さ。隣で寝たふりをする三井の重みは愛しく、こっそりと腰に回された手のひらの熱さにじっとりと肌が汗ばんだ。
    (……ずぅっとこのままでいたい)
     吹き抜ける風の爽やかさ。眩しいくらいの空の輝き。青々とした空の色は、電車の中にも青い影を落としていくようで。耳元から流れる何かの主題歌がイヤホンを越えて辺りに満ちていく。
     触れ合った肌の熱さだけがくっきりとしている。目を閉じて、肩にかかる重みに同じようにして体を預けた。
     気怠い声音の車掌が駅名を告げる。
    「三井……三井」
    「ん……」
     いつの間にか本当に眠っていたらしい。目的の駅に着いたのだと揺すってやると、うつろな瞳がしばらく辺りをさまよって、ぴたりと自分に焦点を合わせた。
    「着いたか?」
    「……うん」
     練習帰りに海へ行こうと言った。まだ海開きには早く、その分人が少ない。何がしたいわけでもないけれど、二人で行こうかと電車に乗った。
     片耳ずつつけていたイヤホンがほろりと取れる。付けっぱなしだった歌が滑らかに零れた。
     ぱらぱらと降りて、あるいは乗り込む乗客の隙間をぬっていく。はぐれないようにと触れられた手を取り、人目をはばかることなく握りしめた。



    (三井の誕生日・その一)

    「俺の友達の話なんだけどな」
     そういう話は決まって、言い出した本人の話だ。
     県予選を目前に控えたある日のこと。珍しく、木暮に相談があるといってこっそりと話しかけられた。いつも世話になっている先輩、我らがバスケ部の副キャプテンである。そしてその程度の肩書きに収まる人物ではなく、時に厳しさの過ぎる主将・赤木のフォロー役、バスケ部の飴、縁の下の力持ちとして後輩達からの尊敬と親愛を一身に受けている。
     相談があると言われれば全力で応えてやりたいと、彼の後輩ならば誰もがそう思うはずだ。
     何やら畏まって咳払いをしてから、口を開いた。
    「か……彼氏の誕生日って何をプレゼントしたらいいと思う? ……って、相談されたんだけど」
    「ンフッ……!」
     吹き出すのを堪えようとして失敗した。吹き出した方がまだマシだった。飛び出てきた鼻水を首にかけていたタオルで拭った。
    (か……彼氏? 彼女、だよね?)
    (マジかよ、木暮サン、彼女いるのか)
    (いると思うわよ、先輩って結構モテるから)
     こそこそと囁き合う後輩達の動揺ぶりに気付いていないのか、木暮は目元をぽっと赤らめている。友人の話、とするには少々無理のある反応だ。
    「こういう事は初めてだから、何をあげていいのかわからないんだ。相手の好きなものがわかればいいんだけど……」
    「だったら素直に聞きゃあいーんじゃないッスか、変なモノ送ってもがっかりされるでしょ」
    「そうね、サプライズって意外とウケが悪いんですよ、先輩。いちいち聞かなくても何か思い当たるものとかないんですか?」
    「ああ、そうしたいんだけど……その人とは、なんていうか、ちょっと色々とあって。二年くらいブランク、みたいなのがあるんだ。だから好みと言われても良くわからないし、素直に聞きにくい事情もあって……そう、相談、相談されたんだけど何て答えたらいいかわからないんだ」
     だから教えて欲しい、と頬を染めながら頭を下げた。
    (((な、生々しい……!)))
     恥ずかしがる木暮先輩はなんとなく可愛らしい。しかし、話があまりにも生々しい。どこからどう聞いても百パーセント、木暮自身の話に他ならないと、後輩達は確信した。
    (木暮さんの彼女さんかぁ……どんな人だろう)
    (二年のブランクって何だろう、それからよりを戻したってことよね。私達の知らないうちに大恋愛してたのね……)
    (ちょっと複雑な気分だぜ……)
     木暮といえば、真面目に部活と勉強に取り組む優等生のイメージが強い。そんな彼に紆余曲折を経たような彼女がいるなんて、俄には信じられない。が、きっと本当にいるのだろう。そういう顔をしている。
     きっと木暮にぴったりな、大人しくて真面目な優等生タイプで、どちらかというと清楚な感じの可愛らしい女子なのに違いない。というかそうであって欲しい。その辺の変な女に引っかかるようなことは、絶対にあってはならないと彼の一個下の後輩達は願う。
     ともかく、あの木暮が恥を忍んでこうして頼ってきてくれたのだ。相手が誰であれ、全力で応援するしかない。
    「ちなみに、お相手サンってどんな人なんスか。いや知りたいとかじゃなくて、なんかヒントあるかもだし」
    「そうだな、ひと言で言ったら格好良いかな。昔はもっと自信家でなんていうか、キラキラしてて、眩しくて。とてもじゃないけど近付けないなんて思ってたけど話してみると気さくで良い奴で。でもきっと繊細だったんだろうな、と思うよ。だからあんな事に……いや、それは今は良いよな。ともかく、とっても頼りがいがあってどこか可愛らしくて、すごく良い奴だよ」
    (((ぐ、具体的すぎる……っ!!)))
     というよりは、ただの惚気である。半分は興味本位で聞いたことをちょっと後悔する。
    (あの木暮さんが……)
    (木暮先輩が……)
    (ベタ惚れじゃねーか)
     木暮にここまで言わせるとはどんな人物だろうか。自分達の思い描いていたような楚々とした優等生とはまた違ったタイプのようだが、少なくとも木暮は本気で相手に惚れ込んでいる。真面目なので恋愛事には疎そうだ、と思っていたのは大きな間違いだった。
     意外、というべきか。いや真面目だからこそか。相手のことを一途に想っているのがよくわかる。今はもちろん、その二年のブランクとやらの間も、ずっと。
     後輩達はお互いに視線を巡らせた。うん、と頷き合う。
    「よっしゃ木暮サン! 任せてくれよ、この切込隊長(オレ)に!」
    「リョータはフラれてばっかりだろ」
    「ウッ」
    「アヤコの方が力になれるんじゃない、どう?」
    「もちろん、任せてください先輩っ」
    「ありがとう、三人とも」
     そうと決まればまずは買い出しだろうか。部活が終わったらみんなでちょっと寄り道をしよう。色々と見て回っているうちに良い物が見つかるかもしれない。
     県予選を前にして浮ついている、と赤木には怒られるかもしれない。けれど他でもない木暮の為だ、協力しないわけにはいかない。
     わいわいと盛り上がっていたところに、ぬ、と皆より一回り大きな影が現れた。
    「……おう、何騒いでんだ」
    「三井っ」
     覚束ない足取りで前を横切り、汗だくになった顔を水道に突っ込んでそのまま水を飲んだ。休憩時間だったはずだが、どうやらギリギリまで個人練習をしていたらしい。宮城とアヤコがそれとなく安田を後ろにやった。大丈夫だよ、と安田が小声で言う。
    「三井、復帰したばかりなんだ、あまり無理するなよ」
    「ああ」
     物怖じせず話しかける木暮を見て、流石だと感心した。一年生の頃から知っていて、同学年だからという事を差し引いてもたいした度胸だと思う。
     なにせ、つい先達て不良共を引き連れてバスケ部を襲撃した張本人である。絆創膏が外れたとはいえ、まだ傷は治りきっていない。いくらかつてのチームメイトだったからといって(それもそもそもごく短い期間だ)何のわだかまりもないように話しかけられる木暮を、後輩達は改めて尊敬した。
    「で、何の話」
    「え? ああ、いや……か、関係ないことだよ、三井には」
     ふわりと木暮の頬が色づく。屈託無く話しかけたのは何だったのか、どこかよそよそしく困ったように視線を彷徨わせる。
    (((……ん?)))
     気のせいか、と後輩達は目を瞬いた。
    (……ん、いや?)
     その違和感を逃さなかったのは宮城だ。何故か目の前の元ヤンの男がぼんやりと、頭の中の「木暮サンの彼女(暫定)」の姿と重なる。いやそんなはずはないと頭を振るのだが、どうにもおかしい。
     だいたい、どうして彼女を褒めるのにどうして真っ先に「格好良い」と言ったのだろう。
     もちろん、例えばアヤコという可愛さと美しさに加えて格好良さを持ち合わせた希有なる存在もある。そういう女子が他にいないとも限らない。が、どうしても考えてしまう。
    (二年のブランク……昔は自信家……あんな事)
     可愛らしい等、一部に同意しかねる部分はあるものの、まだヤンキーが抜けていないので柄が悪く、目つきが憎たらしく、ふてぶてしいこの男と重なる。確かに、昔はスタープレイヤーの一人だったのだから眩しかっただろうし、スリーポイントシュートは非常に頼りがいがある。
     だからといって……いや、あまりにも突拍子がない。だいたい、可愛らしさなんて微塵もないだろ、この人に。
    (でもなー……)
     ちら、と安田とアヤコを見やる。二人は気付いていないようだし、思い違いという可能性の方が大きい……と思いたい。
    「あー、木暮サンの彼(カノ)、」
    「゛あ!?」
    「……三井サンは、誕生日に何貰ったら嬉しいッスか」
    「宮城!?」
     そこまで慌てるか、というほどに木暮が慌てふためく。そこでようやく、アヤコと安田も何かに気付いたようだった。
    (((まさか……)))
     動揺する木暮をよそに、練習の疲れでふらつく三井は面倒くさそうに顔を顰めた。
    「なんだよ、もうすぐ俺、誕生日だけど」
    「あっ」
    「なんかくれんの」
     ああ……と後輩達は揃って察した。思い描いていた、慎ましく可愛らしい木暮の彼女の姿は霧散する。代わりに頭の中には目の前のこの、目つきが悪く態度もでかい元ヤン男が現れた。
    「違うんだ、そういう話じゃなくて」
    「俺は貰えるモンなら何もらっても嬉しいけどな……そうだな」
     ちら、と木暮に視線を向けたのを宮城は見逃さなかった。
    「物もいーけど、何かしてもらった方がうれしーよな」
     びくりと体を震わせたのは、怯えたからだろうか。いや、そうでもないなと真っ赤に染まった木暮の顔を見て思った。
    (うっわ……)
    (最低……)
    (木暮先輩、本当にこんな男と……)
     木暮はといえば何も言えずに俯いてしまった。なんなんだよ、と不思議そうにしているのは三井だけだ。
     そのうちに休憩時間が終わる。後半の紅白戦を終えたらいつもより早めに練習は終わりになる。そのあとに皆で買い出しにいこうか、と考えていたのだが。
    「どうしよう、プレゼント見に行く?」
    「いらないんじゃないかしら」
    「そーだな、早く帰って飯食って寝てーわ」
    「あ、お、お前たちっ」
     では、と三人揃って頭を下げて体育館へと戻った。
     木暮がまだ何か言っていたような気がするが、もういいか、と聞こえないふりをした。他でもない木暮が困っているから力になってやりたかったのだ。実はそんなに難しい問題ではなさそうだし、あの様子ならむしろ首を突っ込まない方が良い。
     あとは二人で好きなようにすればいいさと天井を仰いだ。
    「とりあえず、知らないふりをしておいた方がいいよね?」
    「木暮先輩の名誉の為にもね……」
    「木暮サン、三井サンのこと可愛いって思ってるのかァ」
     やめなさい、とアヤコが窘めた。
     三人ともで大きな溜め息をついた。なんというか、自分達の大好きな先輩を横から来た粗野な男にかっさらわれたような気分だ。実際はどうやら一年生の頃からの付き合いのようだが。
     おまけに、惚れ込んでいるのはどうやら木暮の方だ。一体どこが良いのだろう、と疑問しかないが、木暮にとっては格好良くて頼りがいのある、可愛い彼氏なのだろう……そう考えて、三人ともがそれ以上考えることをやめた。
    (((まあ本人が幸せならそれでいいか)))
     そう思うことにしよう、でないとやっていられない。
     体育館では休憩を終えた部員達が集まっている。急いで集合すると、後ろから三井と木暮も走ってくる。何か小声で言い合っているようだが、後輩達は聞こえないふりをした。



    (二年越しの誕生日プレゼント)

     校舎の中でも特に古びている部室棟は相変わらず埃臭かった。いったいいつから掃除をしていないのかわからない程に、隅の方には埃が溜まっている。共用部は当番制で各部が掃除をするはずだが、あまり守られていないようだった。
     とはいえ、各部の部室はそれぞれに掃除されており、意外と綺麗に整頓してある。
     男子バスケットボール部の部室もそうだ。下級生を中心に掃除当番が決まっており、床も綺麗で物も整然としている。それでも、練習のあとの汗臭さだけはひどいものなのだが。
     懐かしさよりもよそよそしさの方が勝った。バスケ部員だけでなく他の部の生徒達の目をも憚って、三井は真っ直ぐに部室へと向かった。その為に五時間目の授業をサボったのだが、今までほとんど授業に出ていなかったのでたいして気にはならなかった。
     こっそりと棟内に入ると、やはりまだしんと静まりかえっている。各部室の照明もついていない。廊下も薄暗いが昼間ならば電気をつける必要もなく、足音を忍ばせてバスケ部の部室に向かった。
     鍵の隠し場所は昔と変わっていなかった。鍵を開けてそっと入る。
    「……チュース」
     もちろん誰もいない。おそるおそる電気をつけると、見覚えのある光景が目の前に広がった。
     変わっていなかった……何も。本棚の月刊バスケットボールは今も誰かが買ってきているらしい。随分と古いものから最新の物までが揃っている。その他にもバスケットの本が並び、他には週刊少年誌の今週号が無造作に置かれていた。ボールやその他の備品は段ボール箱に整然と収められている。
     そして壁に沿って、部員達の個人で使うロッカーが並んでいる。強豪校のごとく一年生から個々に使わせてやれるほど、バスケ部は毎年部員が少なかった。
     三井の頃もそうだった。一年生の数は武石中から何人も入ったこともあって一番に多かったが、二三年生が少なく、結局は全員に個人のロッカーが与えられていた。
    「……」
     スポーツバッグの中を探ると小さな鍵を取り出した。退部届けも出さず宙ぶらりんのまま、鍵も返さないままに持っていた。捨てなかったのは結局のところ、未練があったからなのだろう。
     ロッカーの片付けもしなかったはずだ。けれど、鍵のスペアくらいはあるはずで、中身だって処分されていてもおかしくはない。そんなにたいした物は入れていなかったのでそれは構わないのだが。
     三井のものだったロッカーに名前は書かれていなかった。誰も使っていないらしい。昔よりも更に部員数を減らしたバスケ部は、一年生全員にロッカーを与えてもまだ数が余っているのだ。
    (俺がずっといたら、そんな事にはならなかったのかもしれねー……)
     思わずかぶりを振った。そんな事は考えていても仕方が無い。気持ちを切り替えて、文字通りに心を入れ替えるつもりでいないと、とてもではないが復帰なんてできない。
     おそるおそるロッカーの扉に触れた。ぐ、と引っかかったので鍵がかかっているようだ。
     手にした鍵で扉を開ける、と。
    「……これは」
     ロッカーの中はそのままだった。替えのティーシャツに制汗スプレーの缶。予備のタオル。当時憧れていたアメリカの選手の雑誌の切り抜き。安西先生のそれ。何もかもがそのままの中で、不思議な物が、ひとつだけあった。
     呆然としていると、部室のドアが遠慮がちにノックされた。
    「三井、いるんだろ。入っていいか?」
    「……木暮」
     返事をする前にそっとドアが開いた。こちらを窺いながら顔を覗かせたのは木暮だ。いつも通りに人の好さそうな笑みを浮かべている。口元と頬にはまだ内出血の痕があった。
    「何やってんだ、まだ授業中だぞ」
    「三井の姿が見えたからさ。具合が悪くなったから保健室に行くって言って出てきたよ……授業をサボるなんてはじめてだ、ちょっと緊張するな」
     赤木には気付かれたかも、と小さく付け加えた。
    「今日から復帰だよな」
    「ああ……迷惑、かけて悪かった」
     ゆっくりとドアが閉まる。最初に会ったのが木暮で良かった。二人きりでいても、会話をしていても息苦しくない。どういう顔して部室へ行こうかとか、最初に体育館に入る前にはきっちり謝らないととか、そういう小難しいことがあっさりと解決できるような気さえする。
     不思議だった。正直なところ、木暮も部を辞めていたっておかしくないと思っていた。赤木のいた事が大きいのだろうが、それにしたって同学年が二人きりというのは相当な重圧だったのに違いない。
     一年生の頃よりもずっと大人びた顔を見つめる。体格もぐっと良くなった。身長は三井の方が高いようだが、小柄で細身だった彼とは思えないほどに立派な副主将の姿になっている。
     二年間、地道に努力を続けてきた成果だ。
    「……ロッカー」
    「ああ、残しておいてくれたんだな」
    「鍵が返されていなかったから」
     退部届も出ていなかったし、と目元を緩めた。
    「きっと、また戻ってきてくれるんだって信じてたよ。ロッカーも……何度も片付けようって話しがあったんだ、赤木と。でもせめて俺たちが引退するまではこのままにしておいて欲しいって言ったんだ」
    「そう、だったのか」
    「中、開けてみたか?」
     そのままになっていたロッカー。もう一度中を見てみると、ひとつだけ見覚えのないものがあった。スポーツ用品店の柄の紙袋だがプレゼントのような包装をされている。赤いリボンを留める金のシールには「HappyBirthday」と書かれていた。
    「それ……二年前の、俺から三井への誕生日プレゼントなんだ」
    「え?」
    「開けてみてくれ」
     言われるままに開ける。袋を破らないようにと慎重にシールを剥がした。二年前のものだからだろうか、形を保つ為に使われていたセロハンテープは黄色く劣化していた。
     中に入っていたのは赤いサポーターだった。
    「誕生日、だったんだろ……あの年はちょうど、予選の初日が。そのあとも直接渡す勇気がなくて、こっそりスペアキーを使ってロッカーに入れておいたんだ」
     そうしてそのまま、二年の月日が流れた。木暮達が三井を待っている間もずっと、それはロッカーの中に眠っていたのだ。
    「サイズ、合うなら使ってくれよ。……いらなかったら、俺が使、」
    「いる、使う」
     包装を取ってみると二年前のものだというのに真新しいにおいがした。制服の裾を捲りあげて左膝につけてみる。
     ぴったりだ。なんとなく、じわりと温かくなったような気がした。
    「……よかった」
    「ああ、サンキュ、……木暮」
     眦に滲んだ涙を手の甲で拭った。ふ、と浅く溜め息をつく。
    「ごめん、泣いてる場合じゃないよな。これから、なんだから」
    「……そーだな」
     近づいても逃げないので、そのまま傍に寄った。青い痕の滲んだ口元に指で触れる。また少し、涙を滲ませたので眼鏡を取って拭ってやった。なのにまたじわりと涙を溢れさせるものだから、見ないふりをしてやろうと頭を抱き寄せた。肩に額を擦りつけて、幾度か鼻をすする。すっかり逞しくなった背中をあやすようにとんとんと叩いた。
    「ご、ごめん、三井……みんなが来るまでには、落ち着けるから」
    「おう、好きなだけ泣いとけ」
    「別に、泣いてるわけじゃない、からな」
    「……そうかよ」
     ちょっと赤木に似て頑固になったか、と思う。
     いや、それよりも。
    (格好良くなったな、お前)
     もっとおどおどとして優しいというよりは気が弱かった。昔だったらきっと、三井と対峙して思いをぶつけるなんてこと、できなかっただろう。
     今まで堪えてきたものが堰を切っているようだ。誤魔化すことを辞めたのか、思い切り肩を震わせていた。一頻り涙を流したあとに顔をあげた。目元は赤く、まだ濡れていたというのにもうすっかり頼りになる三年生の顔になっていた。
    「木暮」
    「……うん」
    「ありがとな」
     思い切り笑ってみせた。バスケ部にしたことへの罪悪感、後ろめたさ、そういうものはひとまず全部押し隠した。
     そんなものに囚われてばかりはいられない。これからは前を向いて、全力で走っていかないといけないのだから。
    「ああ」
     木暮もつられたように笑った。
    「おかえり、三井」
    「……ただいま」
     また少しだけ、木暮の目に涙が浮かんだ。



    (IH後、ちどり荘にて)

     数日間を過ごしただけの宿のはずだが、もはや自分の家の一部のように感じていた。固めの布団は丁寧に手入れをされていて寝心地が良く、宿の人達は皆親切で温かみがあった。
     歴史的な勝利を収めた二回戦から一転、三回戦で見事な敗北を喫した湘北高校は明日、この宿を発ち地元の神奈川へと帰る。最後となる宿での夕食は、気を利かせてくれたのか予定よりもいくらか豪華になっていた。
     それぞれに風呂に入りあとは就寝時間と決めた時間を待つばかりで、僅かな自由時間を各々に過ごしていた。
    「赤木のやつ、帰ってこねーな」
    「何かしていないと気が落ち着かないんだろ」
    「また迷子になってるかもしれないぜ?」
     からかうように笑ったがどこか弱々しかった。
     三日連続で過酷な試合をやり遂げたのだ。三回戦目ではスタミナが切れてほとんど何もできなかった事は、三井の中で苦々しい経験となったに違いない。夜になってもいつもの威勢はなく、沈んだ顔で気怠げに欠伸を噛み殺していた。
     目元は散々に泣いたあとが赤く残っている。
    「お前は、」
    「え?」
    「お前はいつも通りだな」
     布団に寝転んだ三井がちらりと視線を寄越した。浴衣がだらしなくはだけていて、逞しい胸元が露わになっている。夕食の前に、ちゃんとしろと直してやったはずだ。
    「そうかな」
    「泣かなかっただろ、試合のあとも」
     寝ている三井の横に腰を下ろした。
    「ほんと、泣かないよなお前……赤木は散々に泣いてたのによ」
    「それは三井も同じだろ?」
    「おーよ、だから、」
     徐に体を起こした。復帰した直後よりも随分と体つきが良くなった。それでもスタミナが追いつかず、限界を超えて酷使した体には相当な疲労が溜まっているのに違いなかった。それでも、チームメイトのことを思ってか平気なふりをしてみせている。
    「お前も泣いていいんだぜ」
     それでも、広げられた腕の中に身を寄せることは躊躇われた。

     ずっと気を張っていた。
     入部した時が一番に良かった。赤木に加えて三井がいる。きっとこれから精一杯頑張って、みんなで全国制覇を目指すんだって、そういう眩しい景色しか思い浮かばなかった。
     気付いた時には、バスケ部は随分と寂しくなっていた。人が減っていくのはあっという間だった。
     同学年は赤木と二人きりになっていた。二年生の先輩からは三年生がいなくなってからいっそう当たりがきつくなった。赤木に直接言えないことを自分にたくさんぶつけられたように思う。
     それでも、春になってようやくできた後輩達に……問題児もいたけれど、彼らに無様な姿は見せられないと、その思いだけで前を向いた。
     感情が走りがちな赤木と周りとの間に入って、後輩達の面倒も見ていた。先輩達から疎んじられながらもめげることはなかった。自分自身の芯をしっかりと持っていれば耐えられた。
     バスケットが好きだから続けたい。そうして、途方もない夢を見続けていたい、いつかは叶うことだと信じて。
     だから、邪魔な感情はいらない。昔を懐かしんではいられない、感傷もいらない。
     どんな時でも俺が落ち着いていないといけないんだ。いつしか、自分自身にそういう役割を課していた。

    「……泣く、とかいうのは柄じゃないからな」
     頼れる人がいなかったんだ。そう言ったら、赤木は怒るだろうか。赤木ほど主将として頼れる男を木暮は知らないが、それでも自分のことなどで彼の手を煩わせたくはなかったのだ。
     自分くらいはしっかりしていないと。例え皆が敗北の涙に暮れたとしても、それを慰めるのが役割なのだ……そう言い聞かせていた。
    「柄じゃないってなんだよ、辛い時や悲しい時は泣いていいだろ」
    「そうも言っていられなかったんだ、だって、うちはもう、俺と赤木がどうにかするしかない、って」
     それは、一個上の先輩達が悠々と引退していったあと。宮城が姿を見せなくなって、不安そうな一年生達をどうにか繋ぎ止めなくちゃいけなかった。
     身の丈以上に無理をしていた中で、木暮なりに身につけた副主将としてのあり方だった。
    「今は俺もいるだろ」
    「良く言うよ、元はと言えば、お前がっ……いや、ごめん」
    「……いーぜ、その通りだし。でもよ、」
     三井の指が伸びてきて眼鏡を外された。ぼんやりとした視界でも彼の顔立ちはよくわかる。
     ぐっと抱き寄せられた。逞しい肩が額に当たる。はだけた胸元も間近にあって、いくらか肌が汗ばんでいることに気がついた。
    「今はお前も、泣いていいと思うぜ」
     そっと背中に手が置かれた。綺麗にボールを操る大きな手だ。この手から放たれるシュートが、ボールが緩やかな放物線を描いてゴールに吸い込まれていく瞬間が、木暮は大好きだった。
     瞬間、感情が堰を切った。
     声を上げていたかどうかは覚えていない。でも、あとから喉が痛いと感じたので泣き声はいくらか出してしまったのだろう。
     三井の胸元に縋るように、浴衣の端を握りしめた。顔を押しつけていた肩のあたりは涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れていく。そんなことにも構わず、幼子がするように泣きじゃくった。
     込み上げてくるのは負けてしまった悔しさばかりではない。三年間、いや六年分の想いが絡み合っていた。もう二度とバスケットができないなんてそんな事はないのに、けれど戻ることのない夏への、あの日々への感傷だ。
     後悔はまったくなかった。嫌な思いも、悔しい思いもたくさんしたけれど何ひとつ悔いることはなかった。たったそれだけで、涙が流れていくほどに清々しさが満ちあふれていった。
     三井はずっと背中や頭を撫でてくれていた。それで落ち着くことができない程に泣いてしまったが、温かな手が触れていると思うと安心して、自分の感情を吐き出せた。
     少し、落ち着いた時に僅かに顔をあげる、と。涙で滲んだ視界の中で、いつになく優しいまなざしの三井の顔が間近にあった。
     ふとくちびるに触れた感触が温かくて優しくて、いっそう涙が溢れた。

     泣き疲れたように膝に伏した木暮の背を、三井はまだ撫でてやっていた。寝息のようなものが聞こえてくるので眠ってしまったのかもしれない。
    「……落ち着いたか」
     遠慮がちに開いた部屋のドアから赤木が顔を覗かせた。
    「帰ってたなら早く入ってこいよ」
    「無理を言うな、そんな雰囲気じゃなかっただろうが」
     顰め面の赤木は、気持ちを整えたいと初日のように外に走りに行っていた。
     入りにくい状況だったのはわかる。落ち着くまで廊下で待っていたのだろうが、一体いつからそうしていたのだろう。
    (見られてねぇよな……)
     そわそわと赤木を見上げると、三井達の前にどかりと腰を下ろした。目を閉じている木暮を見やる。
    「……苦労をかけてばかりだったからな、木暮には」
     本当に良くついてきてくれた、とまた僅かに涙を滲ませた。
    「そうだろうな」
    「お前がいれば違ったんだろうが」
     だから分かってるって、と三井は睨みつけた。自分が、あるいは同学年の誰かがあと一人でも部にいてやれていたら、こんなにも我慢をさせることはなかったかもしれない。
    「立派だった。これほど根性の据わった男を俺は知らん、木暮が副主将で本当によかった」
     そればかりはきっと、他のどのチームよりも湘北が恵まれていたことだったのに違いなかった。
    「……そういうのは起きてる時に言ってやれよ」
    「む……お前こそ、相手の意思も確認せずにああいうのはいかんだろう、セクハラだぞ」
    「はっ!? み、見てたのか……っ」
    「惚れてるならちゃんと言ってやれ、悪いようにはならん、はずだ」
     おほん、とわざとらしく咳払いをした。
     その意味がわかるようで、けれどどうにもあと一歩が難しい。だが他でもない赤木が言うのなら信用できる、かもしれない。
    「わかりました、お義父さん」
    「たわけ、誰がお義父さんだっ」
     振り上げられた拳はすんでのところで止まった。多少の冗談も今夜ばかりは許してもらえるらしい。
    「ただ、遊びだったら承知しねぇぞ。俺だけじゃねぇ、バスケ部全員を敵に回すと思え」
    「なんだよ、おっかねーな! あ、……遊びじゃねーし」
     つーかなんで知ってるんだとくちびるを尖らせた。
     いまいち信用がないのか、皆と同じように泣き腫らしたあとの目でじろりと睨まれた。

     泣き疲れ、三井の膝の上でうつらうつらとしていた木暮は二人の小さな声の諍いではっと目が覚めた。
    (……起きにくいな)
     二人の意地の張り合いとでも言うべきささやかな喧嘩は一年の頃と比べると大人しくなった。けれど木暮にとっては今でもあの頃のような微笑ましさがある。当時はどうしたら良いかわからず慌てるばかりだったが。
     懐かしさに浸りながら、もう少しだけこうしていようと瞼を降ろした。



    (告白)

     外は燦々と夏の日差しが降り注いでいる。放課後ともなればもう夕刻だというのに陽はまだ高く、辺りに漂う熱気と湿気は収まる気配がない。
     こんな日はアイスでも食べないとやってられない、と三井は購買へ寄った。しかし皆も同じことを考えるようで、ケースの中はほぼ空っぽだった。辛うじて残っていたソーダ味のアイスキャンディーとポカリスエットの缶を購入すると、アイスを囓りながら部室棟へと向かった。
     今の時期の部室付近、あるいは体育館や校庭は春頃と比べて人の少ないような気がする。大抵の三年生は夏休みを前にして、大きな大会を終えて引退してしまうからだ。この時期に元気に活動をしているのは主に一二年生で、三年生で残っているのは物好きか、推薦を狙って結果を残そうと足掻いているか。あるいは大会などが関係のない文化系の部活の三年生で、それも数は限られている。
     人気のない渡り廊下を歩いていると、見覚えのある後ろ姿が視界の端に映った。
    「……木暮?」
     背格好でそれとわかってしまう自分に動揺しながら、視線と共に足もそちらへ向いていた。
     木暮らしき人影は部室棟とは別の方向へと向かった。校舎の影になるあたりで、普段から人通りがない場所だ。堀田達とつるんでいた頃はよく気に入らない生徒を呼び出していた場所のひとつで、まさか、の考えが浮かぶ。バスケ部襲撃以降、堀田達はすっかり大人しくなっている。彼らが大人しければ湘北高校はすこぶる平和であり、誰かを呼び出して制裁を加えようなどと考える輩はいない。桜木軍団と呼ばれる一年生達はそういったことにあまり興味がないようだった。
     一体誰が、と焦りを感じながらも、そっと近づく。
     と、
    「木暮先輩が好きです、付き合ってください!」
     か弱い声で大胆な告白が聞こえてきた。ぎょっとして身を竦ませる。危うく口に咥えていたアイスが落ちそうになる。隠れるように校舎の壁に背をつけた。
    「……ええっと」
     聞き慣れた優しげな声がする。やはり木暮だ。もしかしたら後ろ姿は見間違い、呼ばれた名前は空耳かと思ったがそんなはずはなかった。バスケ部副主将、三井にとっては同期のチームメイトである木暮公延、その人だ。
    「ごめんな、俺は君の名前もクラスも知らないんだ」
    「これから覚えてください!」
    「うーん」
     明らかに困っている。ようするに断りたいのだろうと予想してみる。それならすっぱりとはっきりと、そしてさっさと振ってしまえば良い。何をそんなに困ることがあるのだろうか。
    (まさか、実は付き合いたい、とかねーだろうな)
     相手の女子が誰かは三井もわからない。先輩、というからには一年か二年なのだろう。どこの誰かがわからなくとも、例えばとびっきりの美人だったら少しくらいそういう気持ちが芽生えてもおかしくはない。木暮も年頃の男子なのだ。
     もや、と胸が苦しくなる。
    「今はバスケ部が大事な時期なんだ」
    「知ってますっ、試合は見に行きました!」
    「そうなのか、ありがとう」
     おいおい、何言ってるんだこいつ。告白してきた女子に向かって、微妙に思わせぶりな事言ってんじゃねーよ。
    「はいっ、だから部活優先してください。私、彼女になっても邪魔なんてしません!」
    「いや、そうじゃなくて」
     今のはお前が悪い、と心の中で毒ついた。
     何をもたもたとしているのだろう。気持ちに応える気がないというのなら、遠回しにではなくてストレートに断れば良いじゃないか。
     そうしないのは、木暮にもいくらかは付き合っても良い、という気持ちが実はある……のだろうか。
     また、もやもやと胸が苦しくなった。
    「受験もあるから。インターハイが終わっても夏休みはずっと予備校に通うことになってるんだ」
    「それでも良いです。私、先輩の事が一年の頃からずっと好きで……先輩はモテるからってずっと遠慮してたんですけど」
    (木暮ってモテるのか)
     ちょっと衝撃を受けた。しかし、実はバスケ部の中では常識だった。流川が入部したことで霞んでしまったものの、特に学年があがってからの木暮はなかなかの人気ぶりだった。三井が知らないだけである。
    「絶対に邪魔になるようなことはしません、お試しでも良いんです。木暮先輩が私のこと好きじゃなくても良いですから。私を先輩の彼女にしてください!」
     半分泣いているような、切ない叫びだった。
     まるでドラマのワンシーンのようだ。声の感じからいうと溌剌としていて可愛らしく、一途な後輩の懸命な告白は、ブラウン管の向こうならば感涙必至だ。
    (女子ってすげーな)
     自分のことを知らないと言っている相手に、そこまで食い下がれるものなのだろうか。例え恋する相手だったとしても、俺にはできないと三井はアイスを囓った。
     妙に苛立って、胸くそが悪い。きっと、木暮の態度が煮え切らないからだ。
    (バスケ部のこととか持ち出さなくてもよ、断るなら断れよ。そうじゃなくて……付き合いたいなら、)
     その先を考えようとして、やめた。どうにも沸々と、怒りか何か、よくわからないものが胸のあたり、あるいは腹の奥にもやもやと広がっていく。
     早く断っちまえよ、とアイスを囓った。残りひとくちくらいだろうか。苛立ちが募るあまり、ここから飛び出してしまいそうだ。
     最後のひとくちが暑さで溶け始めている。
    「……ごめん」
     心底申し訳なさそうに、木暮がぽつりと言った。胸の中がすうっと晴れていく。
    「俺は好きな人以外とは付き合わない」
    「好きな人、いるんですか」
    「……いるよ」
     女子が可哀想なくらいに大きく息を飲んだ。きっと泣きだしてしまっているだろう。しばらく沈黙が続いたあと、それまでの勢いが嘘のように小さく震える声が「すみませんでした」と呟いた。その場を逃げるように駆け出した彼女は、三井に気付くことなく走り去っていく。ちらりと見えた横顔は大泣きをしていたものの可愛らしい顔立ちをしていた。大胆な告白をしたとは思えないほど大人しく真面目そうで、木暮と並んで歩いたらきっとお似合いだろう。
    (……もったいねーの)
     溶けかけたアイスの残りを舌に乗せると、一気にべろりと舐めて飲み込んだ。爽やかなソーダ味が喉を通っていく。
     木暮が小さく溜め息をついている。足音が近づいてくる。壁の向こうからゆらりと姿を見せた彼もまた、三井に気付かずに通り過ぎようとする。
    「よぉ、モテ野郎」
    「う……わぁっ!?」
     半分は冗談で、もう半分は本気で驚かせようと唐突に声をかける。
     予想以上に反応し、尻餅でもつかんばかりに後ろへ仰け反った木暮は、みるみるうちに顔を赤らめていく。ずれ落ちそうになった眼鏡をかけ直した。
    「み、三井!? どうしてっ」
    「いや、お前が変なとこにいるから、何かなーと」
     食べきってしまったアイスキャンディーの棒を咥えたまま、からかい混じりに笑った。
    「いつから、そこに」
    「あー、まあ、最初から?」
     わざとらしく戯けてみせる。木暮がちょっと苛立ったように眉を寄せた。こっそりとのぞき見されていた、とでも思っているのだろうか。
     別に覗こうとしてしたわけじゃない、それは本当だ。何ならいくらか心配さえしていた。三井にとっての校舎裏とはそういう場所で、まさかあんな甘酸っぱい青春の一幕に出くわすとは思ってもみなかったのだ。
     なんとなくそれっぽく言い訳をしてみるが、木暮は眉間に皺を寄せたまま大きく溜め息をついた。
    「でも結局、全部聞いてたってことだろ」
    「そうなるけど……お前、好きな人いるのか」
    「……」
     何故かじろりと睨まれる。恥ずかしそうに顔を赤らめているのがなんとなく可愛らしい。可愛らしい、なんて木暮相手におかしいのだろうが、時々、いや割と頻繁に、それこそ一年生の頃から三井は木暮のことを可愛い奴だと思っている。
    「ふぅん、誰」
    「言うわけないだろ。……というか、こういう時に断る為の嘘だよ」
    「そうなのか?」
     それにしては迫真の嘘だった。しつこいくらいに食い下がる女子さえ一瞬で黙らせてしまうほどの迫力があった。本当でなかったのなら相当な演技派だ。
    「もったいなかったんじゃねーの、結構可愛かったぜ?」
    「だからなんだよ、今は余計なことしてる場合じゃないだろ」
    「余計なこととか言ってやるなよ、かわいそーだろ」
     思ってもいないことを口にすると、また睨まれた。木暮から告白したのならともかく、告白されたところを見られたことがそんなに恥ずかしいのだろうか。
     無視して歩き出そうとしたのをぐいと引き留めた。ちょうど良い位置に肩があったものだから、強引に顎を乗せてみる。制服のシャツは暑さのせいで、汗を吸ってじっとりとしている。木暮の汗のにおいは不思議と不快ではなくて、気付かれないようにと少し吸い込んだ。
    「何するんだ、暑苦しいだろ」
    「いーじゃねぇか、なあ、木暮先輩よ」
    「ふざけるな」
     振り払おうとするのを顎で押さえつける。そんな邪険にすることないだろ、とくちびるの端を吊り上げた。
    (あの女子の告白には付き合ってやったくせによ)
     断る気だったと言いながら、最後まで彼女の思いを聞いてやっていた。お人好しだからってあんまりだ。
     それなら、このくらいの茶番にだって付き合ってくれても良いだろう。
    「……好きだぜ」
    「は、?」
    「付き合ってくれよ、先輩」
     空が翳る。眼鏡の奥の瞳が驚きに丸くなる。頬を火照らせていた熱が一気に目元を、耳や首を染めていく。触れられるほど間近で仰いだ顔が、あまりにも。
    (……かわいい)
     咥えていたアイスの棒を指で摘まんだ。まだ甘い味が残っているくちびるを軽く舐める。眼鏡を気にしてちょっと顔を傾けて、驚いて薄く開いたままのそこにキスをした。ソーダの甘さがしばらく残るようにと念じながら離れた。
    (何やってんだ、俺)
     してしまった途端に襲ってきた疑問と後悔に顔が火を噴いた瞬間、ばちん、と派手な音がした。少し遅れて頬がじわりと痛み出す。耳の奥まで届いた衝撃で目眩がした。
    「ふざけるなよ!?」
     力一杯に体を突き飛ばされた。よろめいたが倒れなかったのは単純に力と体格の差だ。自分がしたこととされたことに呆然としてしまって、返す言葉が見つからない。言い訳さえも思い浮かばない。浮かんだところできっと、何も言うことはできなかっただろうが。
    「人の気持ちをからかうなっ、誰かを好きになるのは……好きだって思う気持ちは、そんなに面白いか!?」
     真っ赤になった木暮の目には涙が滲んでいた。なんで、と思うけれど理由が見つからない。訳がわからない。
     おかしな事をしてしまったのは自分で、怒られて当然ではあるのだけれど。
     泣き出す前に、木暮は三井を置いて走り去った。目がちかちかする、と空を見上げれば翳っていた陽の光がまた眩く降り注いでいた。
    「……泣くほど嫌だったのかよ」
     ただ、頬が痛い。

    「なんで冗談だと思うんだよ、ばかやろう」



     誰かに告白される事は苦手だった。どんなに好きと言われても応えてやることができない。自分にはもう好きと決めた人がいて、例えその人と結ばれることは決してないのだとしても、彼以外の誰かの気持ちには応えられなかった。
     でも、相手の気持ちはわかる。自分にも恋した相手がいるからこそ無下に断ることができないのは、お人好しなのではなくて自分の弱さだと思っている。

     ほんの少し走っただけなのに、試合の四十分間を走り続けたように息が上がっていた。心臓がうるさいくらいに鳴っていて、苦しくなって胸元を押さえる。
     顔が赤くなるのはどうしたって抑えられない。全身が熱くて汗ばんでいて、深呼吸してもちっとも収まってくれなかった。
    「なんで、あんな……っ」
     思い出すと顔が火照る。触れられたくちびるがじわりと疼く。でも、そう感じるほどに辛くて悲しくて堪らなかった。
    (冗談で、ああいう事ができるんだ、三井は……)
     あんな風にできるのは本気じゃないからだ。好きじゃないから、ああやって揶揄できるんだ。
     堪えきれなくなって涙が零れた。真剣な自分が馬鹿みたいだ。揶揄われているのに、好きのひと言が嬉しくて、冗談みたいなキスに浮かれている。あんなの、キスのうちに入るわけがない。
     それでも、甘かった。仄かに香った爽やかで甘ったるい味がいつまでもくちびるに残っている。
     真夏の空に溶け出しそうな、青いソーダの味だ。



    (ミッチー先生とキミちゃん先生:2)

     教員の一日というのは朝から晩までやることづくしだが、日によっては多少穏やかな時間があることもある。ちょうど今日がそれで、国語科準備室で昼食を終えた木暮は体育館へと向かった。
     穏やかな日といっても予定はあり、今日はマネージャー達のミーティングに参加することになっている。けれどその前にはいくらか時間が空いていた。
     私立らしくいくつかある体育館のうち、強豪校であるバスケット部は専用のものをひとつ与えられていた。
     今日は三井が来なかったな、と思って行ってみると、幾人もの部員達に指導している彼の姿があった。どうやら昼食を返上して個人練習を見てやっているらしい。
    「木暮先生っ! チュース!」
    「チュース!」
     木暮の姿をみとめた部員達が揃って挨拶をする。副顧問を務めている為か、バスケ部員達は皆きちんと名前で呼んでくれていた。流石に体育会系だなと感心する。
    「おう、珍しいな」
    「今日はマネージャー・ミーティングがあるから、顔を出さないとと思って」
    「ふーん……よォし、ちょっと休憩! 五分後に始めるぞ!」
    「はい!」
     すでに汗だくになっている部員達はいっせいに外の水道に走る。顔を洗って汗を絞ったら、体育館の隅で水分補給をする。三井も流れる汗をタオルで拭いて、隅に置いていたスポーツドリンクのボトルを煽っている。ひと息つくとつかつかとこちらへやってきて、
    「……俺に会いにきたんじゃねーのか」
     と小声で囁いた。
    「そんなわけないだろ。というか近い、暑苦しいぞ」
     だいたいこんなところで何を言っているんだと顔を顰めた。じろりと睨むと憎たらしい笑みを浮かべて離れていった。
     本音を言えば三井がそれらしく指導している姿というのは、何度見ても格好良いと見蕩れている。毎日でも眺めたいくらいだが、副顧問という立場でもそう毎度のように練習に顔を出せるわけではない。それは監督やコーチの仕事で、木暮はマネージャーなどと協力して裏方からチームを支えるのが役目だ。あまり見られない、三井のコーチとしての姿を見てちょっと心がときめいたなど……今は絶対に、口が裂けても言えない。
     時計を見るとミーティングまではまだ時間があった。休憩時間のあとももう少しくらいは練習を見学していけそうだ。
    「あっ、キミちゃん先生だ!」
    「お昼なのにお仕事ー? 大変だね!」
     木暮が来ていることに気付いた生徒達に声を掛けられ、「ありがとう」と笑って手を振った。
     バスケ部は強豪だけあって他のスポーツ系の部活と比べても目立っている。部員目当ての女子生徒やスポーツを見るのが好きだという生徒が男女問わず練習を見にやってくる。特に昼休みなどは必ずギャラリーが出来る。館内は部員以外の飲食が禁止されているので、開け放った扉の外に固まって昼食を摂り、終わったらキャットウォークに移動する生徒もいる。
    「おい、俺も仕事してるだろ」
    「ミッチー先生はコーチなんだから」
    「当たり前だよね」
     ちなみに、三井が目当ての生徒もかなりいるようだ。子ども相手のことだし、少しくらいなら良いかと大目に見てやっている。
     体育館の外からコートを眺める。よく磨かれた床を眩い照明が照らしている。弾むボール、床を踏みしめるシューズの音。耳をすませて、目を凝らして見ているだけで心が弾む。
     自分はもう趣味程度にしかやらなくなっている。それも、仕事の合間のことなので時間なんてほとんど取れない。プレイヤーとしてよりも、副顧問としてサポートする時間の方がずっと増えた。
    (……それでも)
     バスケットと関わることができるのは嬉しかった。間近で部員達の成長を見られることも、それはそれで楽しかった。三井のコーチ姿を見ていられることも、そこにちょっとだけ入っている。
    「……おい」
     いつの間にか、ボールを持った三井が目の前にいた。何やらふてぶてしい笑みを浮かべている。
    「1on1やろうぜ、キミちゃん先生」
    「えっ?」
    「まだ時間あるだろ」
     ぽんとボールを放られた。思わずキャッチしたものの、どうしたら良いものかと呆然とする。
    「でも、そろそろ休憩が終わるんじゃ」
    「別にいーだろ、ちょっとくらい」
    「あと俺、普通の上履きだし……」
    「あァ? しょーがねぇな、サイズは二十七で良かったよな? おーい、誰かバッシュ貸してくれ!」
     俄に周りがざわついた。なんだ、とその場にいる全員から注目されてしまい、居たたまれなくなる。その反面、バスケがしたいという気持ちが抑えられなくなった。
     注目されるのは苦手だし、昼休みとはいえ仕事中で、おまけに相手は三井だ。それでも、何日かぶりに触ったボールの感触が嬉しくてたまらない。
     三井がにやりと笑った。
    「おら、さっさとアップしろぃ」
     ギャラリーから悲鳴のような歓声があがる。
    「ヤバイヤバイ! ミッチー先生とキミちゃん先生が試合するって!」
    「みんな呼んでこよーよ!」
    「あんま騒ぐな、怒られるのは俺なんだからよ」
    「それは別に良くない?」
    「……ごめん、俺も怒られるかも」
    「えーっ、わかったー」
     残念そうにしながらも木暮の言うことなら聞いてくれた。三井が不服そうにくちびるを尖らせている。
     靴を履き替えて少し体を動かしてみた。履き馴染みの無い靴だが少々動く分には問題なさそうだ。羽織っていたニットは脱いで、シャツの腕を捲る。ネクタイは丸めてシャツのポケットに入れた。良く体を伸ばしてあたため、改めてコートへ向き直った。
    「ハンデやるよ、オフェンスはお前から。俺はスリーを打たねぇ、得点は一点だけ。で、お前はスリーありで、三点は三点、他は二点でカウントする。そんで、五点先取でどうだ?」
    「すごいハンデだな、お前の方こそ大丈夫なのか?」
    「おー、言うじゃねぇか」
     正直なところ、それだけのハンデを貰っても勝てる見込みは皆無だ。三井は大学のチームで全国制覇を経験している。その功績が認められて卒業後はトップリーグのチームに所属し、大学から合わせて二度も全日本に選出された。現役を引退したのはまだ昨年のことで、実力はほとんど衰えていないはずだ。
     本気を出されたらひとたまりもない。そしてきっと、木暮が相手だからといって手を抜くことはない。
    「キミちゃん先生がんばってー!」
    「ミッチー先生なんかに負けるなー!」
    「おいっ、なんかって言うな! いくら俺でも傷つくぞ!?」
     声援は八割方が木暮だ。三井は面白くなさそうにしているので、最初から本気で来るだろう。
    (奇跡が起きたら勝てるかな)
     いや、そうではなく。嘘でもはったりでも良いから勝つつもりでいこう。
     真正面から三井を見据える。
    「……その方が楽しいよな」
     とん、とボールを手の中で弾いた。

     ……とはいっても、現実はそう優しくない。
    「よっ」
    「あっ!?」
     軽々と木暮のブロックを躱してシュートを決めた。ジャンプ力が高校の頃と全然違う。シュートへのモーションの早さもさることながら、身長差を考慮しても指先さえ当たらない高さをボールが飛んでいく。
    「っしゃ、四点目!」
    「くそっ」
     オフェンスはまた木暮からだ。ハンデのつもりでそうしているのに、すぐにボールを奪われて速攻を決められるので意味が無いような気さえした。さっきのように走って追いつけられれば良い方で、一点目などは身動きひとつ取れなかった。
     完全に息を上げている木暮とは対照的に、三井は涼しい顔をしている。
    「うわぁ……ミッチー先生、大人げなーい」
    「サイテー! キミちゃん先生いじめないでよー!」
    「負けるなキミちゃん!」
    「キミちゃーん!」
    「木暮先生、ファイト!」
     一方的な試合にも関わらずギャラリーは白熱している。いつのまにか人数が倍以上になっていた。八割どころか、何故か今は全員が木暮を応援してくれている。三井は完全に悪者だ。
     可哀想に、と思うが自業自得である。
    「ほら、どうする? もう終わっちまうぜ?」
    「……そうだな」
     勝利にはほど遠い。体力も技術も、高校の頃とは比べ物にならない程に差が開いている。それは当然のことで、差があることを悲観したところでどうしようもない。
     もし逆転の目があるとしたら……
    「スリーは三点、って言ってたよな?」
    「ああ……おっ」
     どのみち、ディフェンスを抜くことだって至難の業なのだ。ならば手はひとつ。
     タン、と軽快なドリブル音をさせながら足元を確認する。線の外側だ。三井は様子見でもしているつもりなのか、ボールを奪いにはこない。
     ならば、と浅く息を整えた。
     三井ほどではないのだろうが、はじめた頃から数え切れないほど打ってきたシュートだ。ある程度は体が覚えている。
     落ち着いて足に力をいれて飛ぶ。手首を返した感触は良かった。けれど、入るかどうかは五分五分か。
    「……やるじゃねーか」
     三井がぼそりと呟いた。彼のように綺麗には決まらなかったが、リングに当たりつつもネットに吸い込まれていった。
    「やった! キミちゃんすごいっ!」
    「すげー! 木暮先生、スリーだっ」
     一斉に拍手が湧き上がる。練習に来たバスケ部の部員達まで盛り上がっている。彼らからすれば、あまり格好良いシュートとは言えなかっただろうに。
    「慕われてるねぇ、キミちゃん先生?」
    「やめろ、その呼び方……ほら、いくぞ」
     部員の一人がボールを拾ってくれる。お礼を言うと「頑張って、先生」と励ましてくれた。今年入ったばかりの一年生だ。
     息を整えて三井と対峙する。同じ手は許してくれないだろう。どこからでも良い、あと一回シュートを決めれば五点先取で木暮の勝利だ。とはいえ、三井もあと一点。
     どうする……と迷ってしまったのがいけなかった。
    「……あっ」
     持ったままだったボールを、ちょいと弾いて奪われた。そしてそのまま振り向き、シュートを決める。スリーポイントライン、ぎりぎり外のはずだ。そこからは打たないと言っていたので油断した。
     体勢はあまりよくなかったが、そこは流石というべきか、見事な弧を描いてリングに入った。
    「なっ……おい、スリーは打たないって!」
    「スリーじゃねーよ、ぎりぎり中」
    「はっ!?」
     改めて足元を見るが……いや、これはなんとも言えない。線を踏んでいたような、いないような。本当に判断が難しい位置からの疑惑のシュートだ。
    「つーことで、五点先取で俺の勝ちだ! あとでなんか奢れよ」
     ははは、と高笑いをしてゲームは終了した。
     なんだか既視感がある。昔、似たようなことをして後輩を呆れさせていなかっただろうか。
     技術も体格も元日本代表にふさわしいものを身につけているというのに、精神面での成長のなさには時々閉口する。普段ならばそんなところも可愛いなどと思うのだが、今この時においてはこの上なく憎たらしかった。
    「うわぁ……三井コーチ、大人げねぇ……」
    「つーか、卑怯じゃねぇ?」
    「えー、どういう事?」
    「コーチはあの外のラインからは打たないって最初に決めてたんだよ、なのにラインの外か中か、微妙な位置から打ったってこと」
    「俺は外だったと思うけどなぁ……」
    「駄目じゃん、ミッチー先生」
    「でもあれで決めちゃうんだからな」
    「フォームも崩れてたのにな、三井コーチはやっぱ凄いよ」
    「でもキミちゃん先生もがんばったよね、格好良かった!」
     ギャラリーはまだざわついている。三井への疑惑はともかくとして、その技術の高さはお遊びのようなゲームでも十分に発揮されていた。そして、そんな彼に果敢に立ち向かった木暮にはたくさんの拍手と共に賞賛が送られた。
    「チッ、またお前が人気者に……っ」
    「あんなことしなければ良かったんだ」
     それでも勝てただろうに、と小さく付け加える。認めたくは無いが、あのシュートがなくともおそらくは負けていた。スリーポイントだって打たせて貰ったようなものだ。
    「いいだろ、もう時間もなかったし」
    「えっ?」
    「ミーティング、いいのかよ?」
     はっと時計を見上げた。昼休みはもう後半に差し掛かっている。ミーティングの開始時間はとうに過ぎていた。
    「しまった、それじゃ!」
    「おう、またやろーぜ……木暮」
     慌ててシューズを脱ぐ。ばたばたと準備をしていると、拳を突き出された。
    (……もしかして)
     コートを眺めるうちに、バスケがしたい、という思いがよぎったのを見抜いたのだろうか。裏方の仕事はやりがいがある。けれど、自分もプレーがしたいという気持ちは常に燻っている。
     自然と頬が緩んだ。
    「今度は正々堂々とな」
    「だから中だったって!」
     こつんと拳を突き合わせる。皆の歓声がいっそう大きくなった。



    (ミッチー先生とキミちゃん先生:4(抜粋))

    「シュート勝負でもするか?」
    「冗談だろ、勝負にならないだろうが」
     いくらなんでも元全日本にそんな無謀な勝負は挑めない。三井からパスを出してもらった木暮は、同じようにスリーポイントシュートを放つ。ふわりと弧を描いたボールはどうにかリングに収まってくれた。
    「木暮先生も上手いですよね」
     部員の一人が声を掛けてくれる。素直に褒められて照れくさくなった。
    「三井コーチと同じように、シューターだったんですか?」
    「うーん、まあ、そう言えるかな。俺はスタメンじゃなかったけどな」
     えっ、と小さく驚く。三井が高校時代に、王者であった山王工業を打ち負かしたことはよく知られている。その高校が弱小校だったことも、なのに同時期のチームから渡米して活躍する選手が複数出たことも有名な話だ。
    「俺たちの高校の時の話は聞いたことあるだろ? みんな凄かったからな……俺は、特にインターハイの時はずっと控えだったよ」
    「三年生の時、ですか?」
    「もちろん」
     三井は他の部員にせがまれてシュートの練習をしてやっていた。「俺らにもバスケさせろよ」とぶつぶつとコーチらしからぬ言葉をぼやいている。
    「……悔しくなかったですか」
    「全然、なんて言ったら嘘になるけどな。でも俺は、あの時のチームが……好きだったから」
     彼は二年生だった。推薦入試でこの高校のバスケ部に入ってきた。中学でそれなりの活躍をした選手だったようだが、どうも伸び悩んでいるようでまだベンチ入りすらしていなかった。おまけに一年生に有力な部員がいる為に、追い抜かれて先にレギュラー入りをされたことに焦りを感じているらしい。
     そういう部員は珍しくなかった。強豪校ならではの悩みなのだろう。
    「チームで勝ちたい。全国で、俺たちのチームが活躍するところが見たい。そういう気持ちの方が大きかったから、悔しい気持ちもあったけどどっちかっていうと誇らしかった、かな。あの時の、湘北っていうチームの一員だったことが」
    「……俺は、そんな風に思えるかわかりません」
    「なんで、同じようになんて思わなくていいんだぞ?」
     三井は諦めたように、いつも通りにシュートの指導をすることにしたようだ。順にパスを出しながら、フォームを細かく見てやっている。三井の指導が良いのかどうかはわからないが、今年のチームは良いシューターが多く育っており全体的に得点力が高くなっていた。
     練習をする彼らを遠くから眺める。ボールの弾む音、シューズが床を蹴り、ネットに吸い込まれていく音。大きな窓から零れる光の中で、眩いほどの光景だった。
    「それは俺の場合だし、君は君でやれるようにやったら良いんだ。レギュラー、入りたかったら練習するしかないし、例えばそれでもなれなかったとしても、一生懸命やらなかったら後悔する。俺だって、控えでも練習で手を抜いたことなんてないぞ。だから悔しくても、後悔したり嫌な思いになったりはしなかったよ」
     三井と目が合った。思い切り腕を振りかぶると、鋭いバスが飛んできた。
    「おう、お前らサボってんじゃねーぞ! 木暮ぇ、お前も練習入れ!」
    「えっ、俺は指導なんてできないぞ」
    「はあ!? 何えらそーなこと言ってんだ、おめぇも練習するんだよ。なんだよさっきのシュートは、舐めてんのか!?」
    「え……ええー……」
     どういうわけだか機嫌を悪くしている。せっかく二人でバスケットをしに来たのに、結局はいつも通りの練習になってしまったことに若干本気で苛立っているらしい。それとて、いつものことではあるのだが。
     何故か部員達に混ぜられて、一緒にシュート練習をすることになった。話をしていた二年生の彼も加わる。高校時代ほどの体力がない木暮は早々に息をあげてしまった。途中で勘弁してもらって、体育館の隅に腰をおろす。
     皆と一緒に練習をする彼の顔つきが、少し和らいでいるのを遠くから眺めた。
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