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「おい、俺が感覚取り戻して最初に見たのほぼ死体のお前だぞ?!」
「それは…何度も謝っただろ!阿絮だって武功が失くなってまで生きるのやだとか言って私のこと置いてこうとしたじゃないか!」
「でも結局置いていったのお前だろう!」
「も、戻ってこれたし」
「師父!師叔!ちょっと待ってください。何でそんな喧嘩してるんですか!」
数日前、何年ぶりかに山からふたりが降り、訪ねてきてくれた。
自慢の師父と師叔を弟子達に紹介するのは誇らしかったが、どう見ても年下にしか見えないふたりを敬う私を不思議そうに見ていた。
私が話す武庫戦記を瞳を輝かせ聴いていた弟子達だが、いざ当人を目の前にするとどう振る舞っていいのかわからないらしく、遠巻きに見ているばかりだった。夢物語の人物が目の前に現れれば仕方ない。
「こいつが木の実食うって言い出すからいけない!」
「え?!阿絮が先に酒を飲むって言ったからじゃないか!」
「……え?…は?そんなくだらない理由ですか?」
「な!師父に向かってくだらないとはなんだ!」
「そんな理由であんなに重たい内容の喧嘩しないでください!!何歳ですか?!ふたりとも、酒も木の実も禁止です。」
「「はぁ?!」」
「口にするのは私を看取った後にしてください。」
「「…………。」」
「まったく!子供みたいに…」
「成嶺。」
「成嶺、手貸して。」
師父と師叔の手が一斉にこちらに伸びて来た。
師父の掌は額に、師叔の指は手首を取り脈を図る。
「お前、どこか悪いのか?」
「脈に特に異常はなさそうだが…」
師父は体のあちこちをさわり始め、師叔は脈に集中したいのか瞳を閉じた。
さっきの喧嘩の勢いは何処へ行ってしまったのか。
「私はいたって健康ですよ!おふたりみたいに浴びるほど酒を飲んだりしませんしね。」
「お前は飲まないんじゃくて飲めないんだろ。」
「そうだぞ、無理に飲まされたりしてないか?」
「無理矢理飲まされるなんてそんなこと、おふたりとも私をいくつだとお思いなんですか?それに私はこれでも江湖で結構名が通っているんです。敬われることの方が多いんですよ」
幼い私にふざけて飲ませたことなど師叔はすっかり忘れてしまったのだろうか。師父だって、あんなに死にそうな鍛練を毎日強いたのに…
ふたりから見つめられ、掴んでいる手に力が込められる。手が少々汗ばんでいるのがわかり、何だか妙な心地になる。
「私が逝くのはまだ先ですから、木の実と酒は当分我慢してください。」
最期の時がいつ来るのかはわからない。
そして、私はふたりを置いて逝く。
穏やかな日々は一瞬で簡単になくなってしまう。そんなことを何度も繰り返してきたけれど、ふたりはずっといてくれる。私が受けるはずだった悲しみも彼等が引き受けてくれる。
申し訳ないようなでもどこか安心できるような、このふたりの不思議な時の流れの中にいると心配しなければならないことが少ないのかもしれない。もしもの時、娘も弟子達も託せるこんな頼り甲斐がある人達はいない。責任ある立場になって護るものが増えていったが思い切り生きることが出来たのはやはりこのふたりがいるからもしれない。
─────大勢の弟子がいるというのに、私はまだまだ甘えてばかりだな。
手を離そうとしないふたりを交互に見れば、瞳が不安で揺れている。動揺を隠すことなど造作もなく出来る人達なのに。
「本当に大丈夫ですから、そんなに心配しないでください。」
甘えてばかりてばかりではあるが、最近はふたりがやたら可愛らしく見えることも増えたなと思う。外見だけでも歳を越えたからだろうか、弟子や子とは違う何とも言い難いあたたかなものが心に広がる。
「取りあえず、こういう場合は師叔が謝っておいてください。」
「えぇなんで私っ」
「あのですね…」
師叔の耳に顔を近付ける。見上げていた師叔に自分が屈んで話すようになったのはいくつの時からだっただろうか。
「師父が酒飲みたいと言うのは癖だと思って無視して結構です。もし師父が真っ先に口にしたいとしたら師叔の料理です。」
「………」
「絶対です。」
「おい、何話してる。」
「阿絮、ごめん。私が全部いけない。」
「おい、成嶺今、何を話した」
「師父、流雲九宮歩を弟子達に見せてあげてくれませんか?」
「おい成嶺」
「師叔が改心しただけですよ~。ほらお願いしますよ師父。」
「そうだよ阿絮、さぁさぁ!」
「何なんだっ」
しつこい師父を弟子達に押し付ける。
弟子達もあの伝説の侠客の流雲九宮歩を見られるとなれば先程の緊張はどこへ行ったのか我先にと群がり、あっという間に師父を取り囲んだ。
「さて師叔は…」
「久しぶりに鶏湯でもつくろうか?」
「え…」
「あの状況じゃ阿絮が鍛練させ始めるだろうからしばらく終わらないからね。」
確かに。師父は面倒見がいい、彼等がせがめばきっと修練してくれるだろう。だがそうなれば最後…地獄の特訓が待っている。
「味見は成嶺がしてよ?」
「もちろんです」
師叔の提案に心が弾む。まさか師叔の絶品鶏湯が食べられるとは思っていなかった。
「私達は成嶺に甘えてばかりだからね。せめてこれくらいは。」
「え…」
「私も阿絮も成嶺に色々頼りすぎだから、昔からずっとだ。」
「そうでしたか?」
「そうだよ。阿絮も成嶺が弟子としていてくれることは幸運だとわかってる。」
思わぬ言葉に驚いて息がつまる。
しつこく懇願した私をしぶしぶ引き受けてくれて、修行を始めるのが遅かった年齢だと何度も言いながらも決して諦めず教えてくれたのは師父で…師父の思い通りの修練など行えたこと覚えがないのに。
「さて、早く仕込みを始めよう!成嶺は鶏をしめておいて」
「……え」
「…まさかまだ出来ないの?」
「師、師叔~」
「えぇ~あの師匠にこの弟子はホントに…武功以外に鍛えるべきところもあるでしょ、まったく…成嶺、こうなったらお前も特訓だ。」
「そ、そんな師叔私もいい歳ですし、ね?」
「何を言ってるの、まだまだ先なんだろ?若いじゃないか!ほら、行くよ」
「師叔~っっ」
内緒と言ったはずなのに、折角の師叔の絶品鶏湯はこれから何杯も何杯もつくるはめになり、師叔直伝の鶏湯(猛特訓の末)になってしまった。
師父にうっかりバレでもしたら大変だっただろうし、弟子達は満足そうな顔をしていたので、まぁ良しとしよう。
────しかし、両腕がこんなに痛いのは何年振りだろうなぁ。
了!