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    ロミオ

    成人女性(昭和生まれの年増オタク)。妄想を書き殴ってはアップします。愛され🎴くん大好き、🎴くん右固定。🔥さんは🎴の左にしか居ない。特に🔥🎴を愛好してます。家族にはオタ秘匿中のため、低浮上であります!

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    ロミオ

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    ※パスワード外しました!教えて下さった方、ありがとうございます!!※

    B'zさんの名曲「Crazy Rendezvous」を煉炭で書きたい!!と前々から思っていたので、今回のWEBイベント合わせで書き下ろしました!
    炭治郎への片想いを拗らせて、真夜中のドライブに強引に連れ出した煉獄先生のお話です。

    Crazy Rendezvous「何考えてるんですか! わあっ、ちょっと!!」
    「少し揺れるぞ!」
     驚きに口をあんぐり開けている竈門炭治郎を横目に、煉獄杏寿郎は楽しそうな笑みを浮かべてハンドルを切る。
    「ちょ、ちょ、ちょ、れ、煉獄先生!?」
    「喋っていると、舌を噛む!」
    「わーーーっ!」
     土曜日の夜十時過ぎ。首都圏の県道とはいえ、この時間なら車の一台もすれ違わない田舎道だ。少し乱暴にハンドルを切り、アクセルを踏み込んでスピードを上げる。法定速度を順守して丁寧な運転を心掛ける「煉獄先生」とは真逆の、スリリングなハンドル捌きで夜を駆け抜ける。
    「先生! 一体どうしちゃったんですか!?」
     パン屋の仕事を終えて疲れの滲む炭治郎の片頬には、拭い忘れた小麦粉がついている。明日は店が休みだけれども、新商品を考える為にバックヤードに残っていた彼を、煉獄は強引に車へ引き摺り込んだのだ。そのため作業場で被るネットは辛うじて外したものの、右胸に「かまどパン」のロゴを刺繍した作業着は着たままだ。出掛ける心づもりなどまるでなかった為、温厚な彼にしては珍しく眉間に皺を寄せている。

    いいぞ、その調子だ。

     煉獄はほくそ笑んでアクセルを踏み込んだ。
    「ちょっ! 先生、スピード出し過ぎです!!」
    「違反を取られたらゴールド免許も台無しだな!」
    「やめて下さい! 先生らしくないですよっ!」
     本当は怒鳴りつけたいくらい、腹を立てているのだろう。大事な仕事を邪魔されたのだ、怒って当然だ。だが炭治郎はグッと怒りを飲み込み、こめかみに青筋を立てたままギリギリと唇を噛み締める。残念だ。ブチギレてこちらを殴ってくるくらいが丁度良いのに。

    ***

     炭治郎は苛々しながら助手席の車窓に張り付き、車の行先を確かめようとしている。
    「どこへいくつもりですか? 店は閉めたけど、裏口の鍵をちゃんと掛けたか自信がないんで、店に戻りたいんですが!」
    「…………」
    「家族に何も言わないで来ちゃったし、スマホもお金も持ってないんですよ、俺!」
    「…………」
    「煉獄先生!!」
     煉獄は答えずに、真っ直ぐ正面を向いたまま黙っている。口の端に載せた笑みは炭治郎の訴えなぞどこ吹く風、むしろ文句を聞くのが楽しいとすら思っているフシがある。これでは如何に文句を言ったところで暖簾に腕押し、糠に釘だ。炭治郎はため息をついて、端正な横顔を睨んだ。こんな煉獄を見るのは初めてである。
     豪快で竹を割ったような性格の煉獄だが、意外に人の機微に聡いところがある。決して相手の嫌がる事はしないし、不用意に相手を傷つける言動をする人ではない。思慮深く大らかで、包容力のある大人の男性。教師になる為に生まれてきたような人格者。ずっとそう思っていた。
     そんな煉獄が唐突に炭治郎を外へ連れ出し、強引に真夜中のドライブに付き合えという。しかも行き先不明、目的も不明。どれほど文句を言っても、ただ嬉しそうにニコニコするばかりで話にならない。

    「本当に……どうしちゃったんですか、先生?」
    「俺はもう、君の先生じゃない!」
    「それは、まあ……そうですけど」
     流れて行く街の灯が空虚なまでに明るく華やかで、車の中に閉じ込められた炭治郎の目を眩ませる。ああ、いつの間にか隣の市まで来てしまった。いや……この道は、このまま行くと……?
    「煉獄先生、この道……えっ、ひょっとしてインターチェンジに向かってます?」
    「正解だ!」
    「正解って……なに考えてるんですか先生! ほとんど誘拐じゃないですか、これは!!」
     ついに声を荒げて炭治郎は怒りを露わにする。
    「その通り、俺は誘拐犯だ!」
    「冗談はやめてください! 高速に乗ってどこに行くつもりですか!? 本当に帰りたいんですけど!!」
     怒りに燃えた目は灰の中の熾火の様に赤々と輝いて美しい。煉獄が形の良い唇の端をキュッと上げて「嫌なら降りるか?」などと軽口を叩けば、炭治郎が真に受けてドアを開けようとするので慌ててドアロックを掛ける。
    「危ないぞ! こんなスピードで飛び降りたら、死ぬ!!」
    「俺、本当に帰りたいんで!」
    「そんなに、嫌か」
     煉獄は赤信号で一時停止して、鮮やかな金朱の瞳で炭治郎をじっと見つめた。薄暗く狭い車内で二人きり、向き合う表情はいつになく真剣だ。先程までの悪戯っぽい笑みは消え失せ、切羽詰まった緊張感に満ちている。少しでも目を逸らせば大切な何かを取りこぼしてしまいそうな気がして、炭治郎は見つめあったまま息を呑む。煉獄は静かに、しかし切ない響きを含んだ甘い声で同じ言葉を繰り返した。
    「……そんなに嫌か?」
    「それは……その……だってこんな、急に……」
    「本当に嫌なら遠慮なく怒ってくれ! 殴ってくれても構わない! 俺に本気の怒りをぶつけてみろ!」
     ずい、と鼻先に顔を寄せて真剣な顔で煉獄はそう懇願する。しかし明日は店が休みだし、特に用事がある訳でも無い。単に戸締りの心配と、スマホも財布も持たない状態が心許ないだけだ。殴ったりするほど怒ったり嫌がる理由もない。
    「いえ……そんなに……嫌じゃ、ありませんけど……」
    「そうか! なら付き合ってくれ、朝が来るまで帰らせないぞ!」
    「えっ、朝っ!?」
     驚きに語尾が裏返り、炭治郎は目を真ん丸に見開いて叫んだ。その隙に煉獄は車をワザと急発進させて、炭治郎を助手席シートにめり込ませる。父の形見だと言っていた耳飾りがカラリと音を立てて、炭治郎の代わりに不満を訴えるようだ。血管が浮いた煉獄の手がハンドルを握りしめて、見えない何かを振り払う様に豪快に車の速度を上げる。
    「センセ! も、やめて下さい! スピード、スピード落として! 先生!!」
    「先生じゃない!」
    「れ、煉獄さんっ!!」
     キキーッと甲高いブレーキ音を立てた割に車はスムーズに停止線で止まり、またもや赤信号を待つ煉獄は完全に面白がっている表情で炭治郎を見る。
    「……何ですか?」
    「杏寿郎と呼ぶのはどうだろうか!」
    「無理です!」
    「なぜだ!!」
    「先生なんで!」
     もう何度、このやり取りをしただろうか。どんなに親しくなっても、炭治郎は決して煉獄を下の名前で呼ばないし、「先生」を外さない。仲良くなりすぎて生徒と教師のラインが曖昧になりかけるたびに、大慌てで線を引き直す。
    「もう君の先生ではない! 卒業して随分と経つだろう!」
    「そうですけど、先生だった方をそんな風に呼べません!」
     炭治郎は首をブンブンと振って、頬を染める。たかが名前の呼び方ひとつに拘るなんて、馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、ラベリングによって意識は変わる物だ。
    「俺はもう、君の先生で居るのを辞めにしたい!」
    「……どういう、意味ですか?」
    「ただの煉獄杏寿郎として、君と向き合いたいんだ」
     煉獄は眉尻を下げて優しく笑った。そうするとまるで、少年の様な無邪気な雰囲気が漂う。この笑顔に炭治郎が弱い事を、彼は恐らく知っているのだろう。こんな顔をされたら、強く突き放す事などできない。ああ、困った。こんな密室で距離を詰められたら、逃げようにも逃げられないじゃないか。
    「うう……何なんですか、もう」
     炭治郎はいつもと違い過ぎる煉獄の様子と、モゾモゾして擽ったい胸の内に戸惑いを隠せない。卒業してから約五年と三ヶ月、再会してから約三年半。今までずっと「気の合う年上の友人」として付き合ってきた筈なのに、何かが変わろうとしている。無意識に震える体は恐れなのか期待なのか。自分自身の気持ちも分からないまま、炭治郎は自分を拘束した張本人が再びハンドルを握る横顔に見惚れた。

    ***

    きっかけは同窓会だった。

     高校卒業後、専門学校にパン屋の仕事にと日々忙しくしていた炭治郎は、旧友から一通のメールを受け取った。友人からの便りには進学の為に生家を離れ学業やバイト、慣れない一人暮らしに奮闘している様子が書かれており、成人式には帰省するので皆と逢えたら嬉しいと結ばれていた。高校三年の時のクラスはとても仲が良く団結していたクラスで、文化祭や体育祭、校内合唱祭などで大いに盛り上がり、楽しい時間を過ごした仲間たちである。炭治郎は今でも当時のクラスメイト達全員と連絡がつくので、これを機に集まれないものかと、せっせと友人達に連絡を取った。元クラスメイト達は炭治郎の声がけに大いに喜び、せっかくなら成人式の後できちんと同窓会を開こう、できれば先生達も呼ぼうという流れになったのである。そういうわけで炭治郎を中心に、地元に残ったメンバー数名が幹事となり、同窓会の準備が進められる事になった。先生達への声がけは発起人である炭治郎に任され、彼はさっそく元・担任の悲鳴嶼行冥へ連絡をした。悲鳴嶼は同窓会への出席依頼を受けて涙を流して喜び、他にも都合がつきそうな先生方への声がけを自ら申し出てくれたのだった。その結果、かつて副担任だった煉獄杏寿郎と生物教師の胡蝶カナエ、体育教師の冨岡義勇が出席者に加わり、同窓会は大いに盛り上がったのである。

     大盛況の同窓会が終わった後、幹事の炭治郎は感謝の気持ちを込めて先生方へ葉書を送った。もちろん同窓会の幹事会名義で葉書を送ったのだが、不思議な事に煉獄から礼状の返信が封書で届いた。しかも宛先は炭治郎個人宛である。封を開けると、授業で何度も目にした達筆な煉獄の字が便箋に並んでいた。内容は炭治郎を始めとした同窓会幹事へのお礼、楽しかった当日の感想から始まり、煉獄自身の近況と、同窓会当日は忙しい幹事の竈門少年と殆ど話せなかった事を残念がる言葉が丁寧にしたためられていた。そしてもし気が向いたならば、近況を送って欲しいとスマートフォンの番号とSNSのアカウントが添えられていた。こんな手紙を送られたら、炭治郎も嬉しくて堪らなくなり、直ぐに煉獄へメッセージを送った。煉獄は意外にも返信をマメに寄越すタイプで、二人はほぼ毎日メッセージを送り合う様になった。卒業後の学校生活、父のパン屋を本格的に手伝うようになった経緯、短期留学の事、家族の事……二人のやり取りは尽きる事なく、次第にSNSではまどろっこしくなって、ついには毎晩電話を掛け合う仲になった。

     会おうと言い出したのはどちらからだったか、今となっては定かではない。お気に入りの歴史小説を炭治郎に貸す為か、或いは一人暮らしを始めて自炊に悩む煉獄へ簡単なレシピを教える為か……そうして本やレシピを口実に、二人はプライベートでちょくちょく会うようになったのだった。
     やがて煉獄は出勤前に欠かさず炭治郎のパン店へ顔を出すようになり、互いの休みが重なる土曜日の夜や日曜日には、あちこち連れ立って出掛けるようになった。まるで歳の離れた、すごく気の合う友人同士のように。

     友人、それが問題だ。

     煉獄は助手席であたふたしている炭治郎を横目でみながら、フロントガラスの向こうの闇を睨む。彼方に赤くともる信号が、煉獄を導くように青へと変わった。再会してから三年半、「煉獄先生」と呼び続ける事に不満を抱きながらも、煉獄は辛抱強くその時を待っていた。炭治郎がかつての教師と生徒という関係を取っ払い、もっと素直に心の内を見せてくれる事を。いや、もっとはっきり言ってしまえば彼の行動や表情の端々に現れる好意、それが意味する物について、二人できちんと究明し、語り合いたいと望んでいた。

     勿論、煉獄の答えは初めから出ている。
     ここだけの話、煉獄は在学中から密かに竈門炭治郎を想っていたのだから。

     竈門炭治郎は入学初日から電車で痴漢を捕まえて駅員に引き渡し、駅前でひったくりを相手に大捕物を繰り広げて警察署に行き、学校正面の交差点で出会ったお年寄りが転んで腰を痛めたので家まで送り届けた。当然入学式には全く間に合わず、炭治郎はクラスメイト達が帰宅する頃に漸く学校へ辿り着いた。息せき切って校門を潜った炭治郎の目の前に、煉獄は腕を組んで立っていた。入学式もホームルームも欠席した一人の生徒に、プリントを渡したり説明をする為に待っていたのである。彼が心ならずも遅刻した理由は、警察からの連絡やお年寄りからの感謝の電話ですでに心得ていた。
    「初日から、遅刻、して、すみま、せん……!」
     全速力で走ってきたのだろう、彼は足りない酸素を喘ぐ様にして吸いこみ、きらきらと汗を輝かせながら頭を下げた。
    「大丈夫だ! 君の遅刻理由については、関係者より連絡が入っている! 次は遅刻に際して予め連絡を入れられる様に、学校の電話番号もスマートフォンに登録するといい!」
    「っ、はい!」
     はぁはぁと肩で息をしながら此方を見上げる少年の煌めく瞳に、煉獄は一瞬で魅了された。それまで自分の人生に「一目惚れ」という浮ついた感情、映画や小説等で描かれる魔法のような瞬間が訪れるとは夢にも思わなかった。どちらかと言えば恋愛感度の鈍い人間であると自認していた為、煉獄は降って湧いたような恋心に面食らった。勿論、煉獄は熟練の教師であるため、相手に気付かれる様なヘマはしなかったものの、内面はいたく動揺していた。炭治郎の細い首、妙に艶かしく揺れる耳飾り、軽やかな足音、胸を温める様な優しい声音、そして赤く熟れた果実のような丸い瞳。その全てが好ましい。
    「恋をすると世界が変わって見えると言うのは、本当の事だな!」
     炭治郎が去る前と後で、世界の色味まで異なって見える不思議さに思わず言葉が漏れる。それをすかさず聞きつけた地獄耳の派手な同僚は、ニヤニヤしながら「煉獄に春がきたってよ」と職員室で吹聴して回り、煉獄は悲鳴嶼や胡蝶カナエの鋭い追求を躱すのに腐心した。
     そして炭治郎が高校に在学中の三年間、煉獄は細心の注意を払って己れの恋心を隠し通した。勿論、例の地獄耳の同僚・宇髄天元や、人の心の機微に聡い悲鳴嶼行冥には煉獄の想いを看破されていたが、生徒達に気付かれる様な事は一切無かった。そして炭治郎の卒業と共に、煉獄の初恋も終わる筈だった。

     しかし恋心は生き延びたのである。炭治郎が卒業後も彼の弟妹達は学内に在学しており、彼らを通して煉獄は炭治郎の近況を少しずつ知る事ができた。専門学校でも多くの友人を作っている事、短期留学で初めて海外に行った事、相変わらず恋人はいない事……何故か聞きもしないのに、彼らは嬉々として兄の事を語りたがる。結果、煉獄は炭治郎に卒業後一度も合わなかったにも関わらず、彼の近況をほぼ正確に知っていた。そして炭治郎が学校を卒業して一年と九ヶ月。遂に煉獄は炭治郎と再会を果たした。……と、言っても同窓会である。幹事の炭治郎は狛鼠の様に当日は座る間もなく働いていたし、ゲストとして招かれていた煉獄も数多くの生徒達に囲まれていた為、視線が数回合ったきり会話一つ出来なかった。それでも一年と九ヶ月ぶりに見た炭治郎は、渇いた大地に降る恵みの雨のように煉獄の心を潤した。彼の外見が愛らしいと元々知っていたが、約二年の月日は彼を以前よりも逞しく精悍にしていたし、それと同じくらい愛らしさも増していた。少し垢抜けて、ちょっとした仕種には色気も滲ませている。弟妹達から恋人は居ないと聞いていたが、好きな人くらいは出来たのかもしれない。言葉を交わす事は出来なかったが、もとより叶わぬ恋心が少しだけ慰められたから良しとしよう。そう煉獄は己れを慰めた。しかしやはり恋心はそこで絶たれることなく、生き延びたのである。

     同窓会が終わった後、出席した教師には幹事一同より礼状の葉書が届いたのだが、その葉書には一通りの感謝の言葉に加えて「当日はあまり話せませんでしたが、お元気そうで嬉しかったです」と末尾に一文添えてあった。その一文を読んだ瞬間、ドキリと胸が跳ねた。記名は無いが、この一文は竈門少年の言葉では無いだろうか。煉獄はそう思い、同じく出席した悲鳴嶼や冨岡の葉書も見せてもらったが、彼らには最後の一文が書かれていなかった。これは、よもや……

    「そうですよ、今どき手書きでお礼状を書くなんてお兄ちゃんらしいでしょ?」
     そう言って、炭治郎の妹はけらけらと笑った。煉獄は礼状を受け取った後、思い切って炭治郎の働くパン屋を訪れてみたのだが、彼は他所のパン屋に修行に出ており不在であった。その代わりに彼の妹である竈門禰󠄀豆子が教えてくれたのだ。
    「お兄ちゃん、同窓会に煉獄先生が来るって大興奮して、前の夜も一睡も出来なかったんですよ。なのに結局、超マジメだから先生の隣に座る暇もないくらい働いちゃって、殆ど喋れなかったってガッカリしてました」
    「ほう! そうか、それは申し訳ない事をしたな!」
     煉獄はそう答えながら、己れの頬が緩むのを感じた。禰󠄀豆子もすでに卒業したとはいえ、元教え子である。色恋に惚けた顔を見せる訳にはいかない……と思いつつも顔が緩むのを止められない。不甲斐なし。
    「あっ! そうだ、先生! 私と写真撮ってくれませんか?」
     そう言って禰󠄀豆子はエプロンからスマートフォンを取り出し、二階にいた弟の茂を呼んで何枚か写真を撮らせた。
    「ありがとうございます! これ、お兄ちゃんに送っても良いですか?」
    「ああ、構わないが……」
    「お兄ちゃん、同窓会で煉獄先生と写真撮りたかったのに、言えなかったってすごく落ち込んでいたんで」
     兄と良く似た朗らかな笑顔で、禰󠄀豆子はスイスイと端末を操作した。彼女が操作しているアプリは、煉獄のスマートフォンにも入っている。煉獄の視線に気づいて禰󠄀豆子は、開いているトーク画面を見せてくれた。
    「あ、ちょうど今、休憩中みたいですね。もう既読になった!」
     煉獄と禰󠄀豆子が並んで写った写真がアップされたトーク欄に、すぐポコン、ポコンとメッセージが表示される。
     -煉獄先生だ! お店に来てくれたんだな
     -良い写真だ! ありがとう!!
     -すごく、嬉しいぞ!

     煉獄が見ているとも知らず、炭治郎からのメッセージが次々に表示される。無邪気に喜ぶ炭治郎の表情が文面からも想像できて、煉獄の口角が更に上がった。

     -禰󠄀豆子が羨ましいよ。俺も煉獄先生に会いたかった

     最後に少し間を置いて、ポコンと表示された言葉に煉獄と禰󠄀豆子は思わず目を見合わせる。
    「あの、先生……良かったら、お兄ちゃんのIDを教えましょうか……?先生にだったら、お兄ちゃんも教えて良いって言うと思うし……」
     こちらを伺うように上目遣いで訪ねる禰󠄀豆子に、煉獄は片手で顔を覆って小さく唸る。正直言って、彼女の申し出は有難い。もし竈門少年の連絡先を知る事ができれば、彼に会う約束を取り付ける事だって簡単に出来る。だが……
    「うむ……いや、やはり辞めておこう」
    「えっ……良いんですか? お兄ちゃんきっと、喜ぶと思いますよ」
    「いや、やはりこういう事は、きちんと自分から彼に願い出たい」
     煉獄はうむ! と自分の出した答えに納得して、購入したパンの包みを受け取った。
     かくして煉獄は炭治郎宛に長い手紙を書き、ようやく二人は連絡先を交換したのである。

     頻繁にメッセージを送り合い、毎朝彼のパン屋で昼飯を購入し、毎晩の様に電話で話す。他愛無い日常のちょっとした事、通勤途中にすれ違うネコ、新しく出来たカフェ、キメツ学園でのちょっとした事件、店先で聞いた町内の噂……二人の会話は尽きる事がない。そして水曜か木曜あたりになると、二人は週末に出かける相談をした。

     -梅雨の季節は紫陽花を観に行くのもいいな
     -先生、梅雨はカビが生えやすいのでお風呂掃除も良いですよ! 俺、良いカビ取り剤持っていきます!
     彼は掃除が大好きで、月に一度は煉獄の家を大掃除しようと隙を窺っている。お陰で煉獄のマンションは、男の一人暮らしにしては綺麗に片付いていて、弟の千寿郎が遊びに来た時など「うちの兄上の部屋とは、大違いじゃないですか!」と、目を丸くしていた。
     炭治郎と過ごす時間が楽し過ぎて、あっという間に三年半経ってしまったが、二人の関係は親しい友人のままだ。だがいくら親しい友人とは言え、こんなに毎週会うものだろうか。休みの度にご飯を作りに来たり、掃除を一緒にしたり、こんなに世話を焼くものだろうか? ……いや、相手が困っているならばするだろう。それが竈門炭治郎という男だ。

     煉獄は何度か二人の関係を深めたいと思い、試行錯誤を重ねた。まず手っ取り早く酒を飲ませてみた。ビール、チューハイ、ワイン、ウイスキーと色々試してみたが、彼はたいへん陽気に酔っ払い、ひどい音程で歌いまくり、そして……パタっと寝落ちする。それはものの見事に突然、許容量を超えた瞬間バッタリと床に倒れて寝てしまうのだ。煉獄は不埒な思いが暴走しようとするのを抑えつつ、毎回なんとか炭治郎を紳士的に自分のベッドへ寝かせて己は悶々とソファで夜を明かした。翌朝ベットを占領してしまったお詫びに土下座する炭治郎を見るのが忍びなく、煉獄は三回ほどでお酒作戦を諦めた。

     次に同僚の宇髄の発案で「スキンシップを多めにとって、なし崩し的にいい雰囲気に持ち込む」という計画を実行する事にした。自称・学園一のモテ男である彼の意見は、参考になるかもしれないと煉獄は考えたのだ。
     まずは自宅で映画を観ようと提案し、隣に座って昨年話題だったホラー作品を観始めた。風呂上がりで冷えるといけない、などと理由をつけて一つの毛布を二人で分け合う。映画が始まって五分、小腹が空いたなとスナック菓子を食べ始めた。炭治郎は初っ端から引き込まれたらしく、画面を食い入る様に観ながらポリポリとお菓子を食べている。さりげなくお菓子を取るタイミングでわざと手を触れ合わせれば、炭治郎は一瞬ハッとした顔でこちらを見て、それからえへっ……と笑って「おいしいですね!」と言った。
     今のえへっ、という笑いはなんなんだ。照れ笑いなのか、単なる愛想笑いなのか分からない。映画のストーリーは早くも不穏な空気が漂い始め、炭治郎は毛布を握りしめている。いつの間にか炭治郎の体はピッタリと煉獄に寄り添い、腰の当たりから肩まで彼の体温をひしひしと感じた。ひょっとして怖いのだろうか? 少し身体をずらして彼が寄り掛かるソファにさりげなく片手を置き、じわじわと自然な形で肩に手を回す。すると炭治郎はいい感じにススス……と、煉獄の胸に身体を預けた。これはつまり……いい感じ、という奴では無いだろうか?少なくとも恋愛感情なしの男二人がとる体勢ではない。煉獄はごくりと唾を飲み込んで、慎重に炭治郎の肩を引き寄せようとした……その瞬間、派手な効果音がギャン!と鳴る。
    「ぎゃーーーっ!」
     画面を見ていた炭治郎が、恐怖に声を上げて煉獄に突進した。その額が勢い良くガンッ!と、煉獄の顎にクリーンヒットする。
    「ぐう……ッ!」
    「あわわわ! すみません! すみません、煉獄先生!!」
     自分の頭突きの威力を知っている炭治郎は、真っ青になって気を失いかけた煉獄を助け起こす。結局その夜は映画も良い雰囲気もどこへやら、氷嚢を顎に当てて横になった煉獄と、すっかり悄気返ってしまった炭治郎は大人しく早めに就寝した。この手の計画は宇随の様なテクニシャンでなければ難しい事を、煉獄は身をもって痛感したのである。

     続いて炭治郎の担任だった悲鳴嶼がネコを使ったアイデアを提供してくれたのだが、煉獄のマンションはペット禁止の為にネコを連れ帰る事ができなかった。しかし折角アイデアを頂いたのだ! と、義理堅い煉獄は代わりにネコのぬいぐるみを買って帰った。成人男性でも一抱えはある大きなネコのぬいぐるみを受け取って、「煉獄先生って意外と可愛いもの好きなんですね」と炭治郎はふんわり微笑んだ。
     ああ好きだぞ、可愛い君がな!……などと言って、彼をぬいぐるみごと抱きしめられたら苦労はない。煉獄は炭治郎が帰った後、フワフワのネコのぬいぐるみを抱きしめながら、悶々と悩んだ。炭治郎は「抱き心地が良いですね!」と、面白がってしばらくこのぬいぐるみを抱いていたので、彼の移り香でも残っていないかと深く匂いを嗅ぐ。その自分の行動が情けなくなって、煉獄はぬいぐるみをそっとソファに置いた。

     その後もあの手この手と作戦を実行してみたが、どうにも上手くいかない。自分の恋愛下手が嫌になる。いや、この場合、炭治郎が手強すぎるのだろうか。炭治郎との友情はとても順調だったが、恋する煉獄の心の中は混迷を極めていた。そこで、それまで黙って煉獄を見守っていた胡蝶カナエが、遂に動いたのである。

    「煉獄くん、良かったらこれ……」

    ******

    「こんばんは! 煉獄先生!」
    「ようこそ、竈門少年。俺も今帰ったところだ。風呂に入ってくるから寛いでてくれ」
     煉獄は炭治郎をリビングに通し、さりげなく風呂へ行くフリをして廊下から様子を伺う。ソファの上に無造作に置かれたそれに炭治郎はすぐ気がつき、ぽすんと腰をおろして無造作にそれを手に取った。それは胡蝶カナエが煉獄に手渡した物、結婚情報誌である。
    「煉獄くん、良かったらこれ……」
    「む! これは所謂、結婚が決まったカップルが購入する雑誌では……?」
    「良いのよ。取り敢えずこれを、炭治郎君の目に入るような所へ置いてみて。煉獄君は何も言わなくていいから」
    「何も?」
    「そう、むしろ何も言わない方がいいわ」
     そう言って胡蝶カナエはふふ、と綺麗に微笑んだ。その笑顔の裏には何やら含みがある様だったが、煉獄は裏をあえて読まないタイプである。やろうと思えば出来るだろうが、自分の性に合わないのだ。

     炭治郎が雑誌を手に取った所を見届けて、煉獄は風呂に入った。一日の疲れをさっぱりと洗い流し、明日の算段をつける。最近は炭治郎の弟妹達も大きくなって店の手伝いが出来る様になり、炭治郎も月に一回ほど土曜日も休みが取れるようになった。なので今日は金曜日の夜だが、煉獄のマンションに遊びにきてくれたのだ。明日は朝から煉獄が車を出して、東京近郊のキャンプ場に炭治郎と行く予定だった。煉獄の母は身体があまり丈夫では無かったので、家族でキャンプに行った事が無かったのだが、たまたまテレビでキャンプ場の特集を観ていた時にそんな話になった。
    「それなら、二人で行きましょうよ、キャンプ! 俺の家は大家族だったんで、旅行といえばキャンプだったんです。ホテルに泊まると高くつきますからね! 煉獄さん、一緒にキャンプへ行きましょう!!」
     そう言って張り切る炭治郎が愛らしくて、煉獄もキャンプをすごく楽しみにしていたのだ。風呂から上がると、炭治郎はまだ雑誌を読んでいた。心なしか表情も、いつもより真剣な気がする。煉獄が二人分の冷たいお茶をグラスに注いでテーブルに置くと、炭治郎は漸く雑誌から目を離した。
    「煉獄先生が結婚情報誌を買うなんて、珍しいですね。あの、ひょっとして結婚の予定とかあるんですか?」
     炭治郎は雑誌を閉じてテーブルの上にそっと置き、ソファの上で正座をして煉獄に向き直る。そして申し訳なさそうに少し頭を下げて言った。
    「俺、煉獄先生がたくさん遊んでくれるのが嬉しくて、毎週遊びに来てましたけど……ひょっとして彼女さんとか、俺が入り浸っていたから家に呼べなかったのでは……?」
    「いない! いないぞ! そう言った類の相手は、全くいない!」
     炭治郎があらぬ方向へ誤解を広げた事に仰天して、煉獄は慌てて訂正する。いや、ここは直ぐに訂正せずに炭治郎の気を揉ませるべきだったかもしれないが、煉獄はそう言った駆け引きを好まない。心の中の胡蝶カナエが「煉獄くん、喋り過ぎはだめよ」と主張するものの、煉獄は思わず「その雑誌は、職場で同僚に押し付けられたものだ」と早々に白状した。
     それを聞いて炭治郎は少しホッとした顔になったが、やがて直ぐに顎に手を当ててモヤモヤと色々考えだしたらしい。眉を顰めて暗い顔をしたり、何かを思いついた様に一瞬パッと明るい顔になったり、かと思えば直ぐに泣きそうな顔になったり……いかん、これは絶対に変な方向へ思考が向かっているに違いない。そう判断した煉獄は、炭治郎に声をかけた。
    「竈門少年。君が何を勘違いしたか分からないが、この雑誌は貰い物だ。ここに俺の意図はまるで無い。誤解させた事は申し訳ないが、この話はこれで終いにしよう!」
    「でも……煉獄先生、そろそろ年齢的に結婚とか考えませんか?」
    「無い! したいと思った時が適齢期だ! 俺はいま君と過ごすのが楽しい! よって結婚について俺が考えるべき事は無い!」
    「そうですか……でも、ご両親や親戚の方々からは、色々と言われてますよね?」
     図星を突かれて、煉獄は言葉に詰まった。そんな事はない、俺の結婚になぞ誰も興味などあるものか! とは言えない。そう言い切ったところで、炭治郎が信じない事は目に見えている。
    「うむ……正直に言おう。確かに親戚からは色々と煩く言われている。だが両親からは何も言われていないし、むしろ俺の好きにしろという話になっている。ただ恋人ができたら、きちんと挨拶に来いと言われているが……」
    「煉獄先生」
     炭治郎は一度視線を下げたが、すぐに背筋を伸ばしてキッと上目遣いに煉獄を見上げた。
    「先生は大変モテるので、結婚はその内とお考えかもしれませんが! こう言うのはご縁だと思うんです。ご縁は求めなければ巡って来ません。待つだけじゃ、ダメなんです!」
    「そうか!」
    「はい! だから、その……俺にかまけて婚期を逃さないよう、あの、俺ももう少し、自重しますので……俺に遠慮などなさらず、良い伴侶を求めて下さい!」
    「なるほど! 君の話は良く分かった! 心に留め置こう!」
    「ハイッ!」
    「だが明日はキャンプ場の予約をしてある! レンタルの予約もある! だからこの話はこれで終いだな!」
    「はい!」
     煉獄は半ば強引に話を切り上げて明日のキャンプに話をすり替えたが、内心は冷や汗をかいていた。こんな事がきっかけで、炭治郎が二人で会う事をやめてしまうのでは無いか。それだけは真っ平御免である。一度は諦めかけた恋とはいえ、今更炭治郎なしの生活にはもう戻れない。戻りたく無い。
     炭治郎はプリントアウトしてきたキャンプ場の予約票や、近隣施設の情報を取り出して、所々マーカーを引いた場所などを嬉々として煉獄に説明し始めた。先ほどまでの会話などケロリと忘れた様に、炭治郎は明日の楽しい過ごし方を色々と煉獄に語って聞かせるが、その大部分は煉獄の耳を素通りしていく。考えても仕方のない事は、考えるな。煉獄は心の中で渦巻く問いを懸命に追い出そうとするものの、それでもなお沸々と疑問が湧き出してくる。

     君は俺の事をどう思っているんだ?
     君にとって俺は何なんだ?単なる母校の教師か?
     ウマが合う年の離れた友人か?それとも……?

     耳に馴染む心地よい彼の声を聞きながら、煉獄は彼のほんのりと色付いた唇を見つめる。俺にとって君はただ一人の相手だが、君にとって俺は数多いる友人の一人なのだろう。本当は知っている。君が敢えて恋愛の話を避けている事を。結婚や恋人といったワードに過剰に反応する事を。そろそろ覚悟を決めなくてはならないのだろう。好きと告白して、この心地よい彼との時間を失うのが恐ろしかった。だがそれは己の我儘に過ぎない。彼の事を思えば、彼の幸せを願うならば、彼の青春を自分などに浪費させてはならないのだ。

     そして煉獄は覚悟を決め、翌週の土曜日の夜に、炭治郎を深夜のドライブへ連れ出したのである。まるで彼を誘拐でもするかの様に、半ば強引に。

    ******

    「ちょっと落ち着いてきたか」
    「まぁ……少しは。何処ですかここは」
    「もうすぐ横浜だ」
     煉獄の言葉にエッ、と声をあげて炭治郎は窓ガラスに飛びつく。窓外には背の高いビルが立ち並び、彼方には大きな観覧車のシルエットが見えた。ビルの手前には黒々とした夜の海が広がり、夜景の灯りを映してキラキラと水面が輝いて見える。
    「よこはま……」
     炭治郎は呆然とした声でそう言い、縋るように煉獄を振り返った。煉獄は無言のまま最寄りのコインパーキングへ車を入れる。エンジンを切って静まり返った車内で、煉獄はじっと見詰める炭治郎の髪をひと撫でして優しく告げた。
    「良ければ少し、歩かないか?」
    「はい……」
     夜の横浜はもうすぐ零時になるというのに、まだ人通りが絶えない。さすが観光地だ。行き交う観光客には外国人も多く、自分がどこか遠い異国に来たような錯覚に陥る。煉獄と炭治郎は潮の香りがする街並みを抜けて、人の少ない道を選んで歩いた。広い公園に辿り着くと、人気の少ない端の方にあるベンチに座り、色を変える観覧車の電飾を遠目に眺める。真夜中の公園は流石に人影も少なく、ちゃぷちゃぷと岸を洗う波の音が耳に心地よい。二人は無言で緩やかな水音に耳を澄ました。
     やがて観覧車の美しいイルミネーションがパッと消えて、賑やかな風景が一気に寂しくなる。観覧車の中央部にはデジタル時計がついており、丁度零時零分を示していた。イルミネーションは零時で消灯してしまうらしい。華やかな輝きを映していた水面も、今は黒く塗り潰された海が寂しげに蹲っているだけだ。煉獄は真っ暗な海に視線を向けたまま、ポツリとつぶやいた。

    「俺は……君が好きだ」

     寂しい夜景に誘われて、今までどうしても言えなかった一言が口をついて零れ出た。いい先生と思われたい、彼の憧れの大人でいたい、ただの友達で構わないから側に居たい。色んな欲が邪魔をして、なかなか口に出来なかった言葉だが、夜の闇が心のハードルを下げてくれたらしい。煉獄はベンチから立ち上がり、炭治郎を見下ろしてもう一度言った。
    「君が、好きだ」
    「……っ」
     炭治郎も勢いよく立ち上がり、煉獄を見上げて口を開きかける。だが、どうしても言葉が出て来ない。炭治郎は苦しげにギュッと目を閉じて首を左右にふり、勢いに任せて叫んだ。
    「俺は……俺は、先生が好きじゃありません!」
     言った途端に、顔が奇妙に歪む。彼は正直者過ぎて、嘘を吐こうとすると顔が歪むのだ。これは周知の事実であった。
    「どうしたんだ、その顔は」
    「イエッ、なんでも……ない、デス」
    「いや、何かあるだろう、その顔は」
    「なんでもないです! こっ……これは、先生が嫌いだって顔です!」
     脂汗を流しながら苦し紛れにそう言って、炭治郎は手で顔を隠そうとする。そうはさせまいと、煉獄は彼の手を捕まえ、押し合いへし合いギギギ……と力比べになった。だがいくらパン屋で力仕事をしているとはいえ、明らかに煉獄の方が体格が良い。あっという間に押し負けて、炭治郎は煉獄の腕の輪の中に閉じ込められてしまった。それでも往生際悪く頭を下げようとする炭治郎の顔を、煉獄はすかさず捕らえて上向かせる。至近距離で見詰め合った瞬間、炭治郎は諦めたように体の力を抜いた。煉獄は漸く大人しくなった炭治郎に微笑みかけ、彼の頬についていた小麦粉をそっと親指の腹で拭う。
    「どうして君は俺が嫌いなんだ。理由は?」
    「えっ? 理由……? 理由って……ええと……かっ、こいい、から……です。いい匂いもするし、声もいいし、すごく優しいし」
    「俺を褒めてどうする」
    「褒めてません! 先生の嫌いなところ、探してます! かっ……顔もハンサムだし、背も高いし、頭が良くて話も面白いし、先生を悪く言う人なんていませんよね、いたら俺が頭突きします!」
    「炭治郎」
    「だめです! そんなかっこいい声で呼んではだめです! いつもみたいに、竈門少年って言ってください」
    「言わない。これから俺は、君を炭治郎と呼ぶことにする」
    「だめです!」
     顔を赤くしてふるふると首を振る炭治郎は、必死に手を突っ張って煉獄を拒もうとする。だが抱きしめた彼の胸がドキドキと高鳴っているのを、煉獄は既に知っていた。
    「君が俺を嫌いだというのなら、きちんと俺を振ってくれ。全く見込みなしだと、恋愛の対象にならないと、そう言って俺を手酷く振ってくれ」
    「ぐっ…………!」
     炭治郎は大きな瞳を苦しそうにすがめて、呻いた。好きに決まっている。炭治郎は零れ出そうになる告白をぐっと飲み込んで、子供のようにいやいやと緩く首を振った。
    「煉獄先生は、幸せになるべき人なんです。綺麗で優しい女性と結婚して、たくさん子供や孫に恵まれて、最後はうんと幸せなおじいちゃんになる人です」
    「炭治郎」
    「だから……だから、俺の事なんて、好きになるわけないんです!」
     吐き出すように叫んで、炭治郎は煉獄の腕を再び抜け出そうと踠く。しかし煉獄の腕は、炭治郎の抵抗も虚しくびくともしなかった。それどころかより一層、炭治郎の身体を引き寄せて密着させる。初夏の温い外気に微かに汗ばんだ身体は、密着するとより濃厚に煉獄の匂いがした。
     ああ、大好きな煉獄先生の匂いだ。温かくて優しい、煉獄先生の……。
     抱きしめられて炭治郎は、自分がどれだけ煉獄を求めていたのかを思い知らされた。薄々は気づいていたけれど、気付きたくなかった。単なる行き過ぎた友情だと思いたかった。だって駄目だ、こんなの駄目だ。俺なんかじゃちっとも、煉獄さんに釣り合わない……!
    「俺は、君がいい。ずっと一緒にいるのなら、君がいい」
    「煉獄先生……!」
    「呼んでくれ、炭治郎。俺の名を。君以外の事なんか全部、どうだっていいんだ。何とかなる。してみせる。だが竈門炭治郎は、この世に一人だけだ」
     煉獄は離れようとする炭治郎を繋ぎ止める為に、必死で腕に力を込めた。彼も同じ気持ちならば、離しはしない。運命の相手じゃないなら、手繰り寄せるまでだ。煉獄は炭治郎の揺れる瞳を捉えて、熱っぽく囁いた。
    「俺が幸せになるべきと言うのなら、君こそ自分の気持ちを素直に認めるべきじゃないか?」
     煉獄の朱い虹彩が燃えるように鮮やかで、瞳を縁取る金は太陽のコロナの様に輝いている。まるで小さな太陽だ。この瞳に灼かれたい。光に惹かれる羽虫の様に、彼の熱に焼き尽くされたい。背筋をぞくぞくと駆け上がる興奮に、炭治郎は唇を噛み締める。
    「俺……」
     見下ろす煉獄の髪が、ぱさりと炭治郎の頬に掛かる。輝く金色の幕の様に、炭治郎の視界を世界から遮断する。過去もない、未来もない。今この世界に二人だけ。
    「俺……煉獄先生が……」
     ずっと自分の中にある気持ちに蓋をしてきた。煉獄の特別になり得ないと、ずっとずっと何度も湧き上がる想いを否定して、すり替えて。いつの日か煉獄の恋愛や結婚によって、この関係は終わってしまうのだと自分に言い聞かせていた。本当はもうずっと、いやとっくの昔から俺は……
    「炭治郎、呼んでくれ」
     頬を包む煉獄の手が、待ちきれぬ様に下唇をゆっくりと辿る。その甘い手つきに、抗うことは不可能だ。炭治郎はツンと鼻の奥が痛むのを感じた。ジワリと目の縁に、涙が滲む。ああ、もう降参だ。
    「俺も……きょ……杏寿郎さんが、好きで……」
     好きです、と言い終わる前にせっかちな唇が覆い被さる。ピリリと電気が走る様に、触れた柔らかい唇が炭治郎の身体を溶かしていく。キスって唇を合わせるだけだと思ってたのに、こんなに甘くてドキドキするものなんだ……! 煉獄が喰むように炭治郎の下唇へ柔く歯を立てれば、甘えたような吐息が炭治郎から漏れた。
    「はっ……ああ……」
    「炭治郎……」
    「もう一度、名前を」
     滑らかな低音で囁かれると、泣きそうなくらい甘い電流が背筋を駆け抜ける。
    「はぁ……、杏寿郎さ……んんっ!」
     今まで友人だと嘯いていた自分が信じられないほど、愛しさが溢れて止まらない。煉獄は好きだ、好きだと何度も繰り返し、言葉の合間をキスで埋め尽くした。炭治郎は余りの興奮に腰が抜けてベンチに座り込み、それでも必死に煉獄を受け入れようと手を伸ばす。煉獄はひとしきり口付けた後、覆い被さるように炭治郎を抱きしめて熱い息を吐いた。

    「すまない……大人げなかっただろうか」
     熱を孕んだ煉獄の瞳が、腕の中の蕩けた炭治郎の顔をじっと伺う。初めてのキスに興奮しすぎた炭治郎は、煉獄の視線に耐えきれず、恥ずかしそうに俯いて「いえ」と小さく答えた。煉獄はその炭治郎の両頬を愛おしげに両手で包み、再び視線を上げさせる。その顔は夜目にも解るほど真っ赤に染まっていた。
    「連れ出す時に、朝が来るまで帰らせないと言ったが……」
     煉獄は野獣が獲物を見定める時の様に瞳を細め、男の色気を感じさせる喉元を上下させる。そして愛おしげに炭治郎の頬に口付け、そのまま耳元まで唇を滑らせて囁いた。

    「帰らせないぞ、やっぱり朝が来ても!」

    (了)
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    Replies from the creator

    ロミオ

    DONE※パスワード外しました!教えて下さった方、ありがとうございます!!※

    B'zさんの名曲「Crazy Rendezvous」を煉炭で書きたい!!と前々から思っていたので、今回のWEBイベント合わせで書き下ろしました!
    炭治郎への片想いを拗らせて、真夜中のドライブに強引に連れ出した煉獄先生のお話です。
    Crazy Rendezvous「何考えてるんですか! わあっ、ちょっと!!」
    「少し揺れるぞ!」
     驚きに口をあんぐり開けている竈門炭治郎を横目に、煉獄杏寿郎は楽しそうな笑みを浮かべてハンドルを切る。
    「ちょ、ちょ、ちょ、れ、煉獄先生!?」
    「喋っていると、舌を噛む!」
    「わーーーっ!」
     土曜日の夜十時過ぎ。首都圏の県道とはいえ、この時間なら車の一台もすれ違わない田舎道だ。少し乱暴にハンドルを切り、アクセルを踏み込んでスピードを上げる。法定速度を順守して丁寧な運転を心掛ける「煉獄先生」とは真逆の、スリリングなハンドル捌きで夜を駆け抜ける。
    「先生! 一体どうしちゃったんですか!?」
     パン屋の仕事を終えて疲れの滲む炭治郎の片頬には、拭い忘れた小麦粉がついている。明日は店が休みだけれども、新商品を考える為にバックヤードに残っていた彼を、煉獄は強引に車へ引き摺り込んだのだ。そのため作業場で被るネットは辛うじて外したものの、右胸に「かまどパン」のロゴを刺繍した作業着は着たままだ。出掛ける心づもりなどまるでなかった為、温厚な彼にしては珍しく眉間に皺を寄せている。
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    ロミオ

    DONE本当は第十回rntn ワンドロワンライお題: 『香水』の為に書いていたお話でしたが、時間的に間に合わず放置していた物を、今日のwebイベントの為に手直しして完成させました!

    大正謎時間 継子IFで煉獄さんも炭治郎も、大きな怪我なくピンピンしていて、しかも両思いです!

    そんな二人のちょっと色っぽい空気の話。こんなタイトルですが、雰囲気だけエッチなお話。キスなので一応、全年齢でございます。
    閨の香り「おはようございます、煉獄さん」
     炭治郎は障子の前に座し、師匠である煉獄杏寿郎に声を掛けた。鬼の噂を聞きつけて東京を離れ一週間、常陸宍戸まで探索に出掛けた煉獄とその継子である竈門炭治郎は、無事に任務を果たして明け方に屋敷へ帰り着いた。夜明け前の薄暮の中、師匠と共に湯で足を洗って下女の作り置いた粥を啜り、仮眠をとった炭治郎は、九時過ぎに起きだして風呂と昼餉の支度を始める。勿論、炎柱邸には家事を担う下男下女が居るのだが、炭治郎たっての希望で風呂の支度と炊事は主に彼が担当しているのだ。
     長い任務の後にはゆっくり湯に浸かり、美味い飯をたらふく食べて欲しい。それは炭治郎の真心であり、こだわりである。炎柱の稽古は噂に違わず厳しく、慣れないうちは稽古終わりに立ち上がれぬほど疲労困憊したものだが、それでも風呂と食事だけは弟子の務めと欠かした事はない。支度を済ませてきっかり十時半、炭治郎は障子越しに煉獄へ呼びかけて、いつもの様に返事を待った。
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