誰が為のオシュハク 帝弟 逆行
「そもそも姫殿下が帝位を継承をされても、オシュトル様は姫殿下のものにはならないのです」
突然の白楼閣皇女殿下襲来事件から味をしめた皇女の行啓が幾度か重なった頃。
隠密衆を労う意味での宴会の折、小さな学士は女性陣にそう漏らした。
「それって?」
きょとり、と果実酒を片手にクオンが問う。
既に宴会も終盤、男衆達は半裸状態で上機嫌に転がっている者も多く、女性陣たちはそんな男達を軽蔑の眼差しで見ながら甘味と世間話に花を咲かせていた。
先日のアンジュが彼の右近衛大将に恋をしているという爆弾発言は記憶に新しい。そこから引き起こされた狂言誘拐も。
おかげで隠密衆一同も真夜中に総出で対応する羽目になった。隠密衆の"監督役"である男を筆頭に肝を冷やしたものだ。
ついには右近衛大将オシュトルまで出陣するはめになってしまったその大事件は、アンジュ皇女殿下の改心により一応の収束をみせている。
ネコネはクオンの疑問に答えるように続けた。
「右近衛大将オシュトル様と、それから左近衛大将ミカヅチ様はマシロ帝弟殿下の麾下なのです」
口から出てきた偉大なる名前にぱちりと目を瞬かせる。
東宮、春宮、アンジュ皇女殿下。そして本来は存在しないはずの東宮の対、冬宮マシロ帝弟殿下。継承権を放棄しており独自の宮家を立てているという天上の人、大いなる父。
ヤマトの内情に疎いクオンに、ネコネはそう説明した。
「つまり、ヤマトは右近衛府と左近衛府が帝弟殿下の管轄ってことなのかな」
「左右近衛府への直接の命令権は持っていないのです。近衛はあくまで帝の持ち物。ただ左右近衛府大将だけは、冬宮舎人を兼任しているのです」
「そうなんだ。アンジュ対する鎮守のムネチカみたいに帝弟殿下にも側近を付けているのかな」
ネコネは曖昧に頷く。東宮傅代理のムネチカと左右近衛大将では立場も仕事も違うが、彼らに期待されている役割はあながち間違いでは無い。
「左右近衛大将は帝弟殿下に与えられた数少ない権限のひとつなのです。帝から直接下賜されたものは、姫殿下が帝になろうと帝弟殿下のもの。だから、アンジュ殿下のあれは……」
淡い恋心を思い、ネコネは苦い顔をする。
だがその話を聞いて、クオンを始め隠密衆の面々もやっと納得したことがあった。
そもそも、こんな話になったのもある出来事があったからなのだ。
それはアンジュ狂言誘拐にまで遡る。
余計な知恵を与えてしまったと後悔をしている。アトゥイが読んで聞かせた恋物語の中で、囚われの姫を救いに来た勇敢なる戦士の話に魅せられたアンジュの言をたまたま居合わせた義賊が聞いてしまった。隠密衆が止める暇もなくあれよあれよと連れていかれてしまった皇女殿下に一番初めに呆れた声を出したのは監督役の男だ。
大事になる前にと総出で対応に当たったものの、幼き皇女の暴走は留まることを知らない。すわこのままでは一同全員打首か、と危惧していた頃。致し方なくついにオシュトルが出陣し、その場を取り仕切った事で事なきを得たのだ。
その後オウギに密かに呼ばれた保護者役のムネチカが一通りアンジュへの教育的指導を終え、オシュトルが右近衛府の衛士達を全員帰してしまった後、それは起こった。
最初に気づいたのは先を往くオシュトルだった。濃霧に包まれた森の中で、その場にまるで頭を垂れるように膝を着く。次いでムネチカがはっと息を飲みオシュトルに追従した。
取り残された他の面々は突然のことに右往左往する。
次第に聞こえてくる鈴のような音色にアンジュは目を見開いた。
緊張が支配する森の中で、一際高く鳴った鈴の音と入れ替わるようにその人物は佇んでいた。
突然の出来事に隠密衆は身構える。
その人物は上から下まで全身真っ白な衣装に覆われていた。その顔(かんばせ)は帝同様伺うことは出来ない。
お腹の前で手をゆるりと組み、まるでアンジュたちを待ち構えていたようだ。
背後では彼の人を守るように二人の鎖の巫が控えていた。
鎖の巫を従わせられる存在など、この世にそう存在はしない。
「お、じうえ……」
アンジュが絞り出した声に一同が驚愕に染まる。皇女殿下が叔父上と呼ぶ存在はただ一人。帝に最も近い血を持つ、いと尊き貴人。
それが何故このような場所に。
慌てて平伏しようとした隠密衆を手で制し、帝弟は一目で上質だと分かる面布の奥で口を開いた。
「随分遊んだようだな、アンジュ」
びくりと、肩を震わせる。
「よ、余が悪かったのじゃ!余のわがままで多くの兵に迷惑を掛けてしまった!オシュトルは何も悪くないのじゃ!」
必死の弁解に帝弟はくつくつと笑う。
「叱咤なら兄からたっぷりある。今回はこってり絞られるぞ。方々に迷惑をかけたんだ、今回はちゃんと怒られてこい」
「うっ……」
「……叱りに来たわけじゃない」
後ろで事の成り行きを見守っていた隠密衆は目を丸くしていた。
アンジュが天真爛漫で陽だまりのような人柄なのは置いておくとして、帝と並ぶ高貴な血筋の人物にしては砕けた雰囲気だ。
傍から見ればちょっとおいたをした姪にお小言を言う叔父さんでしかない。
アンジュ、と優しい声が名前を呼ぶ。
先程ムネチカに散々怒られたアンジュは、きっと慰めてくれるのだろうと満面の笑みで返事をする。
「オシュトルが欲しいか」
空気が震えた。
は、とアンジュは空いた口が塞がらなかった。
途端にその場が凍りつく。アンジュは自分が立っているのか、それともひれ伏しているのか分からなかった。
「我が忠臣、オシュトルね」
「そ、それは」
それはつい先程アンジュが口にした言葉だ。
どこかで一部始終を見ていたのだ。アンジュは地面へと目線を落とす。呼吸をするための器官がねじれたかのように胸が苦しい。
「残念ながらオシュトルはお前のものでは無い」
尋常ではない圧力に横で控えていたムネチカも一瞬肩が揺れる。
声音は恐らく笑っているのだろう。アンジュを優しく呼ぶ声で、真逆の言葉が吐き出される。
「もちろん、帝のものでもない」
オシュトルは動かない。ただ天上から降ってくる声を目を瞑り受け止めている。
「それでもオシュトルが欲しいと、お前が心のままに望むのなら」
これが大いなる父なのだと、帝と同じ存在なのだと全身が告げる。
「力づくで奪いに来るがいい」
ひ、と思わず悲鳴が零れた。
「力を示せ、アンジュ。このヤマトを統べる帝は自分なのだと、胸を張って言えるようになれ」
アンジュの口はもう言葉にならない音しか出せない。
「もしお前が帝足り得る存在になった時、それでも本当にオシュトルを欲するというのなら」
アンジュは顔を上げた。
「こちらも全身全霊でもってお前の相手をしよう」
絶対に渡しはしないと、叩きつけられた。
彼が誰のものなのかを理解しろと突きつけられた。
はたして、はたしてアンジュにはそんな存在がいてくれるのだろうか。
ムネチカは八柱将であり、帝の臣下だ。そしてアンジュが焦がれるオシュトルは、目の前の帝弟のものだった。
叱りに来たのでは無いと言った。
これは宣戦布告だ。アンジュは手を出しては行けないものに手を出してしまった。
それをこの優しい叔父はわざわざこんな所にまで足を運んで警告しに来たのだ。
「ははっ」
誰一人声すら発せない場で笑い声が零れる。
「脅かし過ぎたか?だがこれに懲りたら皆に迷惑をかける前によく考えろ」
ぽん、とアンジュの頭に手を乗せ優しく撫でる。
「ムネチカ、苦労をかけるな。これからも厳しく指導してやってくれ」
「……は、勿体なきお言葉」
帝弟は未だ声を発せないアンジュから視線を外し、今度は側で跪いているオシュトルへと視線を向けた。
言葉は無かった。しかしぽん、と肩に手を乗せる。労うように数度肩を叩いた帝弟はそのまま森の奥へと足を向けた。
「お、叔父上!」
アンジュが慌ててその背に声を投げかける。
しかしその声が届くことは無く、帝弟はそのまま濃い霧の中に姿を眩ました。
後に残されたのは呆然とした皇女殿下と、混乱を極めた隠密衆だった。
「あれってそういうことだったのかな」
果実酒の入った器を揺らしたクオンが手を頬に当て思い起こす。
ネコネに帝弟殿下の話を強請ったのはそういう訳だ。
「帝弟殿下は普段祭事の場にもいらっしゃいません。まさか、オシュトル様のためにあの場にお越しになるとは」
はわわ、と酒をまったく飲んでいないはずのルルティエがうっとりとした目で呟く。 何を考えているかは想像に難くない。
「ふうん」
クオンは男衆の方をちらりと見て、意外そうに頷く。
普段飄々としていて清廉潔白品行方正と名高いオシュトルではあるが、権力者の身の内にいるというのは不思議であった。利権や野心などとは程遠いだろうに。
「ふん、何の話をしているかと思えば」
女性陣は慌てて顔を上げる。
そこに居たのは中途半端な変装をしたサッちゃんこと、左近衛大将ミカヅチだ。
先の宴でその正体が露呈したかの御仁は先ほどまでどんちゃん騒ぎをしていたはずだ。だが余程酒が回った男衆たちはミカヅチ一人抜けようとも気にならないのだろう。変わらず聞こえてくる馬鹿騒ぎに女性陣はげんなりした。
ネコネはそんなミカヅチを見てぎょっとした顔で後ずさった。
その反応に苦笑したクオンはやってきたミカヅチとネコネの間に身体を滑り込ませる。手には徳利を持ち、ミカヅチの杯に並々と酒を注いだ。
「まさか左近衛大将が帝弟殿下の舎人までしているとは意外かな」
杯に口を着けようとしていたミカヅチはその言葉に眉を顰める。
「俺はおまけに過ぎん」
「おまけ?」
随分な言い草にクオンは聞き返した。
「殿下はオシュトルを欲した。だが奴だけでは均衡がとれないから帝が左右近衛大将を下賜したのだ」
一瞬の沈黙の後、その言葉を理解して驚きの声を上げる。
「帝弟殿下が、オシュトル様を欲しいって……欲しいって……」
まるで嫁取りかのような言い草にルルティエの心の本が厚くなった。アトゥイはそんなルルティエの手から玻璃腕を取り上げる。
「……ちょっと待つかな。代々近衛大将が舎人をしてるのではなくて、オシュトルとミカヅチが特別に任命されているということ?」
「その通りだ。元々帝弟は自身の臣下を持っていなかった。側付きを、と言われていたのを随分長い間跳ね除け続けたくらいだ。だがオシュトルが右近衛大将になってしばらくして、帝弟がオシュトルを所望した。宮中でも青天の霹靂だった」
それでは先日のアンジュに対する態度の意味も変わってくる。
ただ越権を咎めに来たわけではない。正真正銘己の所有物に手を出されたが故の行動なのだ。
帝弟が側にと望み、皇女殿下から恋慕の情を向けられる。
右近衛大将、オシュトルという男は。
「まるで傾国、かな」
その言葉にミカヅチは高笑いした。可笑しい、腹が捩れて仕方がない。
まさしく、国中から熱い想いを寄せられる傾国の男だ。
「地方の下級貴族の出であるオシュトルだけが側付きとなったのでは他の貴族連中も納得しまい。かといって右近衛府ごとやったのでは継承権を放棄しているにも関わらず、帝弟を担ぎ出したい連中が騒ぎだす。だから貴族の出である俺も含め左右近衛大将だけを舎人することで均衡を保ったのだ」
帝の下には八柱将。そしてゆくゆくはその全てを継承するアンジュ。
そして実権を持たないようにただ舎人として左右近衛大将だけを抱える帝弟殿下。
「つまり帝弟は内政には干渉できないようにしている?」
「その通り。あのお方は政など微塵も興味無かろうよ」
「じゃ、じゃあ本当に帝弟殿下はオシュトル様がただ欲しくて手に入れたのですか?!」
あわわわ、新刊が……。卒倒しかけたルルティエをアトゥイが慌てて支えた。
「帝弟殿下って、……」
クオンの濁した言葉の続きを誰もが容易に想像できた。口が裂けても変わり者などとは言葉できない。
しかしこの歪なヤマトの皇族の有り様はしっかりとこの場に伝わった。
「まったくもって本当に、因果な男だ」
男衆に交じって酒を飲む男と、そばで同じく酔っぱらっているもう一人の男へと視線を向けたミカヅチは日ごろの苦労からくるため息をついた。
あるとき、聞いたことがあるのだ。
どうして帝弟はお前にそこまで執着するのかと。
男であるミカヅチから見てもオシュトルが良い男であることには間違いない。町娘や、貴族の娘から人気であることも頷ける。
実力も折り紙付きで帝からの信が厚いことも、これまで苦労して右近衛大将にまで上り詰めたことも知っている。
だが何故今まで沈黙していた帝弟がわざわざオシュトルを欲しいと望んだのだろうか。
月がきれいな夜、酒が入れば口も軽かろうとミカヅチは己の相棒を見やる。
「置いていってしまったから」
だが返ってきた言葉は想像していたどれでもない。
「は?」
「某が悪いのだ」
杯の淵をなぞり、オシュトルは項垂れる。
懺悔の言葉だった。
「途方もない時間の果てへ勝手に置いてきてしまった。勝手に義を託し、勝手に未来を望み、勝手に神聖視した。それがどれだけ残酷なことかも知らずに」
酔っているから意味が分からないのだろうか。
ミカヅチは目の前の人物が果たして己の対であるのか分からなくなった。
まるで随分と昔からその縁があったかのように語る。そんなはずはない。身近で見てきたミカヅチがそれを一番よく分かっている。
オシュトルはなおも続けた。酒ではない別の何かに浮かされたように。
「だから命の終わりを、」
「何?」
くしゃりと顔歪めて、彼は笑っていた。
「命の終わりを約束しているのだ」
裏設定
マシロ殿下
オシュハク軸で二人の白皇時間軸に突入し、マシロ様になったあと数千年を生きる。
結局存在の消滅という事が叶わず、孤独と虚無から自身の願いを実行する。
大神の権能は半分ほど残っている。早く使い切ってくれよなオシュトル〜!
今世の願いはオシュトルと共に死ぬこと。
オシュトル
自分のためにまさかハクがここまでするとは思っておらず、贖罪のためにハクの命を使い切る約束をしている。
今度こそ同じ終わりを目指して。
ミカヅチ
なんか巻き込まれた……。怖……。