ほのぼの烏詠「こんな所に居られるか! 僕は逃げるから!」
「おい、詠、外は……って、逃げ足だけは早ぇな」
屯所で休んでいたはずだったのに、あの鳥妖怪に攫われたのか知らない小屋に連れ込まれていた。僕は夜に寝ることすらもできないってこと?
眠りから覚めて視界に入るのがこの世のものとは思えない禍々しいくらいに美しい妖怪の顔なんて、びっくりして飛び出しちゃうだろ。
「あんな、あんな……なんであんな顔してんだよお……」
くそっ、顔だけはいいな。あの姿かたちでどれだけの人を化かしてきたんだか! か、顔だけじゃなくて声も体もいいけど……力も強いし……使役出来たらこき使ってやる!
森の匂いがする。ここどこだろう。辺りは視界がはっきりせず、ざくざくと踏みしめる草の匂いは……道ではなく、森の中。飛び出した小屋はわらの寝床だけ置いてあって、あのままだと組み敷かれて酷い目に遭わされる所だった。あの綺麗な顔のついた大妖怪は僕のことを一体何だと思っているんだ。さっさと屯所に戻ろう……。
「……」
高い草を掻き分けて道なき道を歩く。ぶっちゃけ悪手だとわかってはいたものの、気づかないようにしていた。とにかくあいつから逃げれば帰れると思っていたけど、夜の森、しかもここって幻界━━。
(あ、僕死ぬかも)
ぞくぞくと悪寒がはしる。
あやかしの気配がする。恐らく妖怪の領地。やみくもに進み続けて元いた場所に戻れるはずもなく。刀の柄に手をやり気配を探るけれど、ああ、哀しきかな。“多すぎる”。気づいた時は囲まれていた。僕一人で捌ききれる相手だろうか。四方八方から気を感じる。前から来るか、後ろから来るか、張り詰めた空気の中、僕は足を取られた。
「っく!」
地面から素早く生えた蔦に足首を捕まれ、切り落とす前に宙吊りにされる。刀を持つ手も絡め取られ、逆の手でくないを投げるも空を切る。寝巻きのまま連れ去られたことも悪かった。刀と仕込みくないは肌見放さず持っていたのに、僕の命もここまでか。ああ、あのクソ妖怪のせいで。薄暗い森の中、僕の体に植物の蔦が……やけにぬるぬるするけど、これ、植物か?
「んっ!? ちょ、な、どこ」
足首を拘束する蔦とは違う別の縄状のモノが寝巻きの裾から這ってくる。その感触は生暖かく、やけに湿り気を帯びていて、滑りが良く汁気があり……? 嫌な予感がする。僕を殺すつもりではないのか? 宙に吊られたままかと思いきや、足首を拘束していた蔦は器用に僕の両手首を纏め上げ、天地がもとに戻る。前髪がはらりと額に落ちて、頭に登っていた血がじくじく心臓に帰っていくけれど、木の枝より高い場所に吊るされて罠にかかったけもののようだ。
足から草履が脱げ、しばらくのあと地面に落ちるぱさりと音がした。暗くてよく見えないけど、このまま早贄にでもされるのか。キョロキョロ辺りを見渡していると太もも辺りで生暖かいものが動く。一体何をされようとしてるんだ?
寄生タイプの妖かもしれない。両手足を動かそうとしても蔦がきつく絡んで動かせない。もがけばもがくほど絡んでいく。大声を出そうと口を開くと
「もがっ……!!」
口の中にヘビのような太くて生ぬるいモノが飛び込んできた。歯で噛み切ろうとするとうねうねヌルヌル動いて噛み切れない。それに何か、甘くて生臭い、液体が喉に……。
「げっ、げほっ、げほっ!」
***
いつの間にか僕は横たわっていて、涼しい風を受けている。温かな人肌は……。
「目が覚めたか」
霞む視界の中、この世のものとは思えない美しい顔が飛び込んできた。僕、天国に来たのか。
「……天国じゃねえよ」
やけに口の悪い神様……て、この世のものとは思えない顔がそうそう2つもあるものか。見知った、けれど見慣れる事のない整った目鼻立ち。憎々しいほどに色気のある泣きぼくろ、氷のように透き通った薄いろの瞳。ゆるく束ねられた銀色の長い髪は僕の隊服の布地よりも美しい。あの恐ろしい団扇が嘘みたいにふわふわ揺れてそよ風が僕のまつげを揺らした。至近距離で見るには耐えられない大妖怪、烏天狗。
そしてなぜか僕はそいつの、膝の上に寝かされていて、そろりと額を撫でられた。僕の頭蓋骨なんて一捻りだろうに、長い指は何の妖力も纏わず触れてくる。優しい、と勘違いしそうに柔らかく。
「熱い」
「え?」
「詠おまえ、何か口にしたな?」
「え……んぐ」
なんのことかわからず霞む頭を巡らせていると、銀糸が顔にさらりと落ちてきて、口を塞がれる。少しひんやりした唇に。嘘でしょ、こんなタイミングで盛るの!? 僕まだ体が変なのに! いつの間にか腰に回された腕で上体を起こされて、口の中を確かめられる。歯の裏を辿り、上顎をざらりと舐められるとざわざわしてしまう。奥の方まで舌が伸びてきて逃げようとしていた僕の舌が絡め取られる。好きなように蹂躙されているのに、触られた事がない場所を舐められる感覚、ばかみたいに気持ちよくて、マジムカつく……。
「んっ、ふ、んっ……! んっ……!」
妖力で誑かしているんだろうと思っていたけど、何度もこれをやられて気付いてしまった。この妖怪はキスも上手いということに。ほっぺたの裏だとか、舌の付け根だとか、色んな場所を強く、やわく、撫でては離れる。抗おうと喰らいつこうとすれば逃げて角度を変えて今度は唇を甘噛みされる。いっそ食い千切ってくれればいいのに、力加減を知っていて、やけに甘く蕩けさせられる。その間も、お尻の上、背骨を辿られて擦られぞくぞくが加速する。皮膚がざわついていく感じ、これは快感なんだと知った。口を塞がれ鼻で息をしようとすれば、暴れる舌につられて変な高い吐息が漏れる。こうやっていつも僕はこいつに乗せられて流されてしまうんだ。
だって抵抗しても無駄だし、今は僕のほうが不利だし、だって、だって……。
「ん、んぅ……んぅ……ん」
「……」
体が熱くて、なにもかんがえらんない。だって、悪いのはこいつだし。僕は……。
「まっず」
「……ふぇ……?」
急に烏天狗が顔を顰めて、部屋の隅にペッとつばを吐いた。は? ナニソレ、酷くない!?
「何植え付けられてんだ」
何を言ってるのか、理解できないまま見上げると、烏天狗は長い髪をけだるそうにかきあげて自分の着物の袖で口を拭っている。勝手にキスしたのはそっちなのに、汚いものみたいに。普通に傷つくし、高められてドキドキした僕が馬鹿みたいじゃん。
「低級妖怪につけこまれやがって」
「ん?」
「お前の上の口と下の口、俺の妖力で上書きしてやる。ほら尻出せ」
「は……!?!?!?!?」
ま、待って、待って……!?
「僕には下の口とかありませんけど!?」
「口の減らないヤツだな。このままだとココから喰い破られるぞ」
ぐ、と烏天狗の長い指が僕の下腹を押す。押されればぎゅうと、体の奥が甘く疼いた。さっきキスされただけで、こんなに反応するなんて、全部全部こいつのせい、だけ、じゃ、ない、感じ? 低級妖怪……?
そういえばさっき僕、変な蔦が体中を這ってて……今も寝巻が肌に貼りつくくらいベタついていて気持ち悪いし、なんか色んなところがじんじんするし、体が変かもしれない。これって。ぞっとして目の前の妖怪を見ると、形の良い口からとんでもない言葉が吐き出される。
「詠お前触手に襲われてたぞ」
「う、うそお……!?」
「俺の側にいれば襲われずに済むってーのに……ほら、そのまっずい妖気消すぞ」
「う、うそだあ~~~!!!」
そして僕は上の口と下の口から大妖怪の妖気とやらを注入されまくり、謎の低級妖怪の苗床にならずに済んだのでした。めでたしめで……たくなくない!?