トレジャーハントイベント裏 世の中には、いとも容易く他者のパーソナルスペースに入り込むのが赦されてしまう人がいるもので。
たったいま、断りもなく右隣に腰を降ろした大柄な男もその一人。ちなみにその恋人(悲恋であったと聞いている)もまた同様だ。
「よっ、隣いいか?」
座ってから聞く……と思いながらも、先客であったセリスは、どうぞ、とにこやかに応じた。
セリスはかれこれ一時間半ばかり、ぼんやりとこの見晴らしの良い丘で草むらに腰を降ろして、現実世界を限りなく精巧に模した非現実的世界を眺めていた。同じ世界の仲間たちは今日は出払っているが、新しい仲間たちにも目端の効く人が多い。そろそろ心配した誰かが様子を見にきてもおかしくはない頃だとは思っていた。ただ、その役割がこの人だったのはちょっと珍しいな、と興味深く感じたのだ。
それで改めて、隣に座った男をそっと観察する。特殊部隊の最高位の兵士だという。たくましく引き締まった屈強な体躯、鬣のように雄々しい特徴的な黒髪、甘い童顔に似つかわしくない長身。どかっと隣に座って、身体を支えるように、無造作に両手を後方についた彼の、その左の掌はセリスの腰のすぐ後ろ、今にも触れそうなほど近くに置かれている。にも関わらず、不思議なことに嫌な気がまったくしない。
「貴方、女性にモテるでしょう?」
「ん?」
観察を終えたセリスが唐突にそう切り出したので、相手は面食らったようだった。
たとえばセリスの世界なら、物理的にも、心理的にも、こうしてするりと簡単に人の懐深くに入ってしまえるのはロックだ。相手が男性でも女性でも。当の本人はそれについて無自覚だったりする。この世界に来る前も今も、女性との距離の近さを目にする度にギュウッと胃が痛むのを我慢する。ロックに悪気はないからだ。そんなにも距離が近ければ、勘違いする相手も出てくるというものだ。自分も勘違いした一人なのではないかと、セリスはいまだに不安に思う。
反面、いま隣にいるこの男は自分の影響力をよく理解して振る舞っている。特に、女性に対して意図してその能力を発揮することを厭わないようだ。ほぼ初めて話すも同然の異性にこのような距離感を取っても、ネガティブな反応をされた機会がないのであろう。そしてまた、女性を惹きつける術をよく知っている。
同じように(たいそう)女性慣れしているエドガーやセッツァーから、こういう距離の詰め方をされたことはないな、とセリスは気づいた。彼らは、言語・非言語のエクスキューズを挟む間を、少なくともセリスに対しては取ってくれる。もはや性差を感じさせぬほど近しく、血より濃いと言っても過言ではないような縁で結ばれた仲間たちからの配慮を、今さらほんのりと感じて心が暖まる。
男はセリスの不躾な問いに、うーん?と首をひねる様子を見せてから、にやっ、と懐っこい笑顔を見せた。
「まっ、いい女は大好きだな。否定しない」
謙遜も誇張もしない。いきなり訪ねても一晩泊めてくれるような女の子には不自由したことがなかった。
「正直ね」
飾らない言葉に、セリスは吹き出した。気を良くしたように相手も笑う。
「この世界にきて、可愛い子たくさんいて幸せ」
「『彼女』に言っておくわ」
「ごめんなさいやめて」
セリスの反撃に相手は困った顔を作った。お互いに顔を見合わせて笑う。こうして二人きりで会話をするのはほぼ初めてだが、思ったより話しやすい。これなら大丈夫と判断したようだ、男はセリスに切り出した。
「あんたみたいないい女、あいつはよく一人で置いていけるな」
セリスは一瞬、表情を消した。何某か一言言いたくて、ここに来たのだろうとは察していた。何も、今日の話をされたわけではない。仲間たちが散り散りになって、ようやく再会できたあの日の話を、どうやら『彼女』から聞いたのか。
ロックは今日、トレジャーハントをすると言って仲間たちを連れて行ったが、セリスには留守番を厳命した。彼のトラウマがそうさせることを知っているので、セリスも大人しく従った。
「いいの、それでも。そばにいさせてくれるなら」
用意していた答えを返す。もしこれがセッツァーなら、しょうがない女だな、と呆れた顔で、それ以上追及するのをやめてくれる。でも今隣にいるのははセッツァーではない。
「よくない」
セリスの用意した答えに、さらに模範解答を用意していたような速さのレスポンス。
「全然よくないぜ……俺はさ」
きっと話すことはもう決まっているはずなのに、男は言葉を詰まらせた。セリスは彼の表情を覗き込むように見つめた。俯いて、苦悶する様子で、言葉を選びながら絞り出す。
「あの娘を置いて……」
そのあとに続くであろう言葉の重さに、セリスは何も言えなかった。彼は、レオ将軍と同じ。志を、想いを、断ち切られた記憶を持ったままここに呼ばれた。
「あの娘を最期まで守って、決断を見届けて、労って、抱き締めてやれればよかったのに」
結果として親友が演じることになったその役回りは、自分のものだったと男は信じて疑わない。男の後悔を、そして残された『彼女』の想いを、セリスは切実に受け止めた。
そのまま二人は少しの間、隣り合い黙って座っていた。居心地の悪さは感じない。いとも自然に時間が過ぎ去る。しばらくして、この丘へ続く道のりに、小さく人の姿が見えた。セリスには見慣れたバンダナ。ロックだ。物凄い勢いで走ってくる。その必死な様子を見ながら、苦笑混じりに、男が言った。
「あいつはさ、もうちょっと、わかった方がいいと思うよ。愛した女と同じ時を過ごせる、その奇跡を」
セリスは頬を紅潮させて、自分の膝に顔を埋めた。それまで大きな感情の揺れを見せなかったのに、きっと『愛した女』という言葉に反応したに違いない。そのアンバランスさを、可愛いなあ、と男はセリスの頭を無造作に撫でた。心からセリスを応援したくなった。
「いいか、セリス。今から俺の言う通りやれよ。ちょっと耳貸して」
セリスが素直に応じて身体を相手に傾けると、男は左腕でセリスの肩を抱くようにしながら、口許をセリスの右耳に寄せた。
セリスに何事か囁きながら、男は背後の状況を確認した。木々の合間に、人影が見える。もちろんロックだ。あまりの速さに少々引きながら、男はセリスの耳元で続けた。
「さっき教えた通りやれよ。ちゃんと言葉にして引き留めておかないと」
言葉にしなかったが、セリスにははっきりと『あいついつか、あんたのいないところで死んじまうぞ』という言外の意図が伝わった。
「はい」
素直に返事をして頷くセリスに年相応の若さを感じて、もう一度優しく頭を撫でる。
「ねえあいつトレジャーハンターってほんとか?」
みるみる人影が近づいてくる、背後から視線を離さないまま、男はセリスに尋ねた。セリスは首を傾げる。
「? どういう意味?」
泥棒という方が相応しいというならそうかもしれないけれど、とセリスは困惑するが、相手もまた困惑している。
「あんたたちのところの……シャドウ?みたいな。そっちの方が本職なんじゃ……?」
ロックはもうすぐ目の前だ。これほどの殺気を飛ばされたらこっちだって本気でやり合いたくなっちまうというものだ、などと思いながら、男はセリスの手前、闘争心を収めた。
「セリス自身も腕の立つ武人のくせに、アレを感じ取れないのはなんなんだろうねえ」
あんな殺し屋みたいな視線で射抜いてくるほど大切に思うなら。
「できるだけ一緒にいろよ。がんばれ」
男はそう言ってセリスを励ますと、ロックがあと数十メートルまで迫ったところで、立ち上がりその場を離れた。
「な、ちょ、セリス、なんで、あいつと二人で……?」
ロックはセリスの元に辿り着くと、タッチの差でその場を去っていく男の後姿から目を離さぬまま、息も絶え絶えに言葉を発した。遠目から二人は親しげに体を寄せ合い、セリスは肩を抱き寄せられ頬へ唇を寄せられていたように見えた。あの男がそんな真似をするとはにわかには信じ難いが、もしも見たままのことが起こっていたのなら、躊躇なく奴を葬ろうとしている自分にロックは気づいていた。
セリスは座ったまま、じっとロックを見上げた。自分以外の男性と二人きりという状況に、これほどまでに焦って息を切らしながら駆けつけてくれた。セリスはその悦びを押し殺した。一緒にいたいのはロックだけだと。いつでも一緒にいたいのだと。どうしたらそれを、わかってくれるだろう。セリスはそっと、ため息をついた。そして、さきほど教わった通りに言ってみる。
「貴方が、構ってくれないから」
と、その瞬間、セリスの視界がぐるりと転回し、両肩を押さえつけられるようにして仰向けに横たえられていた。
「駄目だぞ」
目の前には拗ねたように目を細めてセリスを睨む、真っ赤な顔のロック。無機質な金属が焔と反応したときみたいな緑色に燃える瞳が、みるみる距離を詰めてくる。
「駄目だからな、絶対」