天に呪舞、地に遊行 真っ赤な天鵞絨の天蓋を先頭にした小さな集団はその容姿の異様さも相まってさながら旧正月の龍の出し物のようであった。
角ある竜。妖艶な蛇とその従者。長い胴をくねらす奇蟲の武侠。可憐な少女と異邦が交わりたる有様に近隣の家々はおそるおそるその行列を眺めている。
しずしずと歩む行列はかつては色とりどりな彩色がなされたであろう階段を登り、厳かな霊廟が見えてきていた。誰を祀った者かは今は誰もが口にする事はない。死人に口はなく、四凶が表玄関に使っているなら尚更だ。今語られるべきはそれが桃や蓮の意匠に彩られた四凶が浄土の一角であるという事だけである。
「まったくそれにしても貴女はいったい何処から来たと言うのです?」
緩慢さと仰々しさすらある歩みに、少し頬を義憤から赤らめたまま口火を切ったのは蕚蓮だ。それにチラと視線をやり、巨軀の女は角を軽く揺らしながら空に浮かぶ蛇にも語りかけるような口調で言葉を紡いだ。
──三方高い霊峯に囲まれた奥地、硬くしなやかな岩々が溶けては固まる火の産まれるところから女は来たと謂う。
生まれ落ちた父母の懐から兄弟と共に陽の当たる地上に出て、それぞれの路を歩んだこと。歩むうちに花の国、東の果て、全てを凍らす地、死に絶えた街などさまざまな地を廻って次なる故郷を探し、武術と医術を極めんとしたこと。美しい思い出を遺すように山を角で削り取っては棚に納めたこと。その様をみた人から「涅石」という号を貰ったこと。
そして今、天に渦巻く蛇の叫びに似た祈りを聞いてこの地に来たこと。
ほとんどお伽話に近い話に一同はさまざまな事を脳裏に巡らせたが、ひとり巴蛇は何か吉兆のような予感を改めて感じていた。竜に限らず、永く生きる瑞獣とは自然そのものであり、大気の陰陽、万物の廻りを象徴するものである。
この涅石の号を持つこの女とて例外ではない。永く生きるという事はそれ即ち呪を否応がなく帯びるという事だ。何かが条理を崩せば、必ずそれを押し流すものが廻ってきて万事を整える。それが今回はこのあっけらかんとした竜だっただけ、まだマシだったのかもしれない。
「しかし、こっからの眺めはいいな。さっきよりその無禮咬とやらに声が届くようだし、蛇のかわいらしい声もよく聴こえる」
「あたしには聞こえないが、涅石ちゃんには何かわかるのかい?」
「患者の声が聞けねぇ医者がいるのか?言語がよしんばわからんでも気の流れ、目鼻の動き、聞いてやる声はいくらでもあんだろ」
「なるほど、それなら分かる気がするねぇ。涅石ちゃん、とはいえボスちゃんに会うんだ。無策じゃないんだろぉ〜?」
「あん?策って何がだ。話すか殴り合うかだ。この街はわかりやすくていい」
「涅石さま、危なっかしいですよそれは!さっきも申し上げたじゃありませんか。饕餮さまは今、とてつもなく機嫌が悪いのです」
「なんだそりゃ、つまりアンタらと同じく"ご機嫌"ってこったろ?何が悪いんだ?」
「ああ、それ多分違うねぇ。涅石ちゃん。文化圏の違いというか〜」
呉越同舟がかしましくも賑やかな祭囃子のようになるのはここな武侠たちの性根が明るいからなのだろう。招きたる厳かな霊廟に似つかわしくないまるで既知の友のような声色はこれから起こるであろう"綱渡り"に期待を持たせてくれる。そんな様に温かみを感じて胸を撫で下ろしながら、四凶のブレインでもある巴蛇は手を叩いて一同を制し口を開いた。
「それなら爺に考えがあるヨ」
「巴蛇様、どうなさるので?」
「なぁに、涅石様は自然体でヨロシ。きっとうまくいくヨ」
その言葉に涅石がその口角をあげたのと、殺気と紫煙が竜を捉えたのは同時だった。振り返るまでもない。この殺気。この泰然とした空気は、まさにこの禁城の主人に他ならない。
──曰く、饕餮なる羊角と大口を有する魔あり。人倫を衛す紋として好まれど、その素質、貪欲に飲食し賄賂を貪るがゆえ、これを饕餮と謂う。
浄土にある血と金を貪る伏魔こそ、この四凶の首魁に相応しく、羅紗で編まれた簾の奥で一団を睥睨する黒目は酷く怜悧で部下に対してすら情を感じさせるものではない。身の丈は涅石のそれには及ばないがピリピリとした空気は、涅石の胸中に興奮を運ぶにはそう時間はかからなかった。この御簾を斬り刻んで終いまで挑みたい。その本能が首をもたげそうになった刻、声が響いた。
「──そのアマを跪かせろ」
空気が凍る。この霊廟に潜む四凶の武侠たちの殺気がその豊かな角に集まった。嗚呼、呉越同舟のなんと脆いことか。饕餮の一声で。たった一声で厳かな禁城は、血と肉は捧げられる修羅場と化す。一方で四六法師は脳裏で予想した。この竜を屠り跪かせるためには、連れ立った玉たる武侠ならいざしらず、この館にいる何人が何十回死に、美しい景観を遺すこの館を血に染めることになるだろうかと。そうなればこの竜と四凶との百日戦争である。冷や汗がその巨体を僅かに滴る。天は蛇の影に燻るものの明るくなりつつある。もうじきに陽も昇るのだ。この戦が起きずにどうにかならないものかと頭の片隅で祈るところもあった。
賽子はまさに振られたと思われたそれを轟音が引き裂く。巨大な薬棚が床にヒビを入れて軋ませながら地に降ろされたのである。それに続いてズゥンと地響きを鳴らしながら竜がその豊かな脚を胡座をかくように組んで控えめな尾を地面に這わした。
「アンタの言うのはこれであってるか?悪いな、生憎アンタらが言う"跪く"姿勢をとれるようにはアタシの脚は生えてねぇからこれで赦せよ」
冷ややかな目を向ける饕餮を前にして不遜を、と斬りかかるものがいないのはその煌めく竜の琥珀色の目が四凶の武侠たちにとって畏怖を与えるものだったからだ。生きる火の産まれる霊峰の息吹。踊りかかろうとする武侠の前にいるのはまさしく峯である。要件を疾く吐けと低く場を制する饕餮のそれとは対照的とも言える。
「アンタに進言しよう。あの蛇は身籠ってるよ。この街が妙なのも多分喰いたりねぇと餓えてるからだ」
「アタシの希望はあの蛇のお産を無事になして、"妙ちきりん"な幕を降ろさせることだ」
蛇の妊娠という初見に動揺の声をあげる者。妙ちきりんという言葉尻に鯉口を切りかける者。怒号や感嘆、さまざまな感情が渦を巻いて天井の蛇はそれにすら悦ぶように身を捩っている。綱渡りだ。死と歓喜の綱渡りが目の前で始まった。巴蛇はそんな鍋で煮立ち始めるヒトの感情を撫で付けるようにヒラと手を挙げて助言をする。その手には例の金塊があった。
「この女、資産なら持っているようです。…このように、大量の原石という形で。この者"1頭"で金山ひとつとみれば採算は取れるかと」
「金山ひとつ…なるほどな。巴蛇が嘘を吐くメリットもねぇ」
ふぅ、と巴蛇は内心固唾を飲む。初手から破局することは防いだようだった。これは益があるという直感を突き通すにはコツが要る。涅石も大人しく、盤の駒運びを委ねてくれているようだった。御簾を挟んで心理の上の碁打ちがはじまる。この盤は、我らが饕餮のためにも勝つ必要が巴蛇にはあった。ただ、人ならざる魔の名を戴く男も一筋縄ではいかない。またひとつ黒い石が盤に投じられるのが見えた。
「だが……テメェを討伐して根こそぎ山ごと手に入れる以上の利益が提示出来んのか?」
「アタシを…アンタたちがか?」
御簾を挟んで竜と魔が見つめ合う。あくまでも、この場は我が物だと示すように山を前にしても堂々として退くことはない。この強さと絶対性こそが四凶を四凶たらしめこの街を桃源浄土となす不文律である。その強さを愛し、その不動の掌に救われた者たちが四凶である。悪徒と罵られようがこの禁城の主人は饕餮でなければならず、たとえ竜であろうともその条理を曲げる無頼漢は殺し尽くさねばならない。
謂わば白い碁石を握ったまま、竜は考えているようだった。盤は簡単に壊れて塵に還る。それが血であれ炎であれ。涅石は合わせた視線はそのままに天の碁石を嬉面を崩さずに置いてみせたのが巴蛇にはありありと見えたようだった。綱が引っ張られ石が置かれる。吉兆を占うような呪いめいた遊行が。
「アンタたちと殺し合うのは楽しいぜ?こんだけいい子が慕ってたくさん集まってるんだから、アンタもきっとアタシを喜ばせる逸材なんだろ」
「ただ、アンタたちとアタシが殺し合っている間にあの蛇はきっと天の果てまで膨れ上がってコトはアンタの望まない方向に転ぶだろうさね。冬籠りに失敗した巨獣といっしょだ。腹時計を治してやらにゃならん」
「脅しのつもりか?」
「ただの医者の見解だ。気に障ったなら謝るぜ」
「くだらねぇ御託は要らん。何をテメェはそれで獲る?何の腹で他所ごとに首を突っ込めると思ってる?」
「アンタの巣を荒らすわけじゃねぇ。アンタの頭上の患者を治すだけだ。アタシはアンタから術者を雇って場所と時間を買い、患者を無事に出産させて暴食をやめさせる。外に出て万里も歩きゃスッキリすんだろ」
「具体的には?」
「この場所でそうさね5日ありゃ済むだろう。術者はアンタが肝入りを見繕ってくれ。アタシの処方に食いついて施術に応じる高さまであの患者を引き寄せたり呼び込める高度までさげたい」
黒と白の碁石が言の葉を石にして重々しく魔と竜の間を飛び交う。両者ともに口が上手いわけでもなくどちらかというと棘があり、無骨で手が先に出る性分である。だからこそ、長きにわたり饕餮の傍にあり言の葉を操って方々とやりあった巴蛇は「自然体を」と涅石に進言したのもある。半ば大博打ではあったが、涅石と呼ばれた竜が伝承に反して刃を重ねるよりも患者だと宣う天上の蛇を優先する気風を見せたのもある。
あるいは信頼を寄せる逢真贋刻郷の女主人をして悪人ではないと言わしめるその気概に賭けてみたくもなったともいう。蓋を開けてみればお互い冷静なものだった。同じような性分だからだろう。必要でない言葉は吐かず、欲しい言葉を吐かせるそれは洗練された拳の打ち合いに等しく、凡人からすれば狂人のそれのように手数が少なく、同じ境地の者からすればこれで分相応であるようだった。
無骨であることを良しとするがゆえに盤は拮抗し、いつでも破局しそうな綱渡りをしながらも、雑技師が魅せ場を肌感覚で知っているように互いに益だけを引き出して盤をもたせている。
コツリと清らかな音を立てて、現実に床を滑らかな光沢のある原石が置かれた音と「谈判结束」という饕餮の明朗な一声で一同が我に返ると盤はちょうど白黒半分で引き分けたように調和が取り戻されていた。
柏手が打たれて、深い闇を湛えた御簾の向こうの男が号令を発する。その様を無禮咬は影を朝日に落としながら眺めて寿ぐように畝っている。天に呪舞、地に遊行。竜と魔の間の戦はかくて間逃れ、陽が昇る。これが吉と出るか凶と出るかはまた別の御噺。