芥川は気を病みやすいように言われるし、八方美人の気があったり生真面目であったり負けず嫌いの努力家であったり心当たりはいくらかあるが手の内がバレているだけに清々したものだと自身では考えている。
それよりも気がかりなのは大立ち回りの末ようやく唯一無二の連れ合いに漕ぎつけた菊池の精神状態だった。あれは確かに嫌なことは嫌だというし虚勢を張っても見栄を切る性格ではなく、食うことを至高の娯楽とし睡眠の重要性を理解している。そういう点ではやはり芥川より丈夫な造りをしているのは認めざるを得ない。だが如何せん強欲なのだ。自分1人が我慢すれば他の誰かが幸福を得られるのではないか…というような謙虚で自己犠牲な愛ではない。自分の幸福も手放すつもりはないが隣人もまた幸福であるべきという傲慢さで金の剣権力の盾を大いに振りかざす。
あの思い切りの良さは芥川は逆立ちしたって出てこない類いの勇ましさで羨ましく思う反面、ひどく、不安に駆られるのだ。
作家が、詩人が、あるいは画家や音楽家だって、芸術に携わるの多く者は金銭欲に嫌悪を示す。その原因はいろいろとありすぎて一々挙げていられないが、金や権力を得るごとに責任が生じる。流行作家の発言力とは異なる責任だ。
菊池はなんともない顔をしているが、彼が理想を叶えるために振るう剣はきっと、ひどく、おもい。
せめて隣に立って彼とともに理想を切り拓いて行きたいというのに菊池は芥川を見栄えの良い一等席に座らせるばかりで共謀者に誘いはしなかった。気に病みやすいように言われるが手の内は皆知っているのだから今更気を使ってもらう必要はないというのに、だ。問い詰めれば芥川と菊池では目指す理想が異なるのだと快活に笑った。
芥川が自分のことで慌ただしくしている間にも菊池はだれかの幸せのために金を使うのだろう。存分に褒めてやりたいというのにその金を得るために菊池が味わった苦労に思いを巡らせずにいられない。
彼は今どこに何を見出しているのだろう。やはり隣で、一緒に、戦っていればよかったのかもしれない。