「きみ」が早期卒業するまでの47時間【一寸の光陰】
郷里の便りを受け取ってからの君の行動は素早かった。
便りを見たのは梅の去り桜の至らぬこの季節に最後の斜陽が射す時分だったが、読み終えるやすぐさま内容を学園長に知らせ承諾を得ると、長く伸ばしていた髪を大人らしく切り揃えた。
翌日、図書室の本と学校の備品はすべて返し、小綺麗な私物を髪と一緒に売り払った。僅かでも急ぎ金が必要になったとはいえ、まともに値がついたのが選りすぐりの品々よりも仙蔵への対抗意識だけで手入れをした髪だったことにどこかさみしく感じた。世は無情だ。
量は減ったがそれでも、5年間集めたガラクタを広げると一人になったばかりの部屋がいっぱいになった。
こういう光景はなにも珍しいことではない。3年生から4年生に進級するときには同級生の半分以上が就職、といっても家業に戻った、が決まって学園を去り、その形見物を君も受け取ってきた。先月も同室相手の私物をほとんど丸ごと受け取った。もうすこし長くいるつもりだったが思いのほかことが早く進んだ。それだけのことだ。
ひととおり店を広げたところで音もなく襖が開いたが、君は戸口に誰が立っているのか正確にわかっていた。
「文ちゃん、オレさ、プロになるからさ、どれでも好きなの、やるよ」
そのおかげで、ずっと練習してきたこのセリフもスラスラと述べることができた。
何があったかなんて、すっかりしっているだろうに君とおなじくいうべきことを何度も復唱しただろうに、文次郎はおきまりの文句をいうための口をポカンとさせている。
「急だな」
「プロの仕事は急に決まるんだよ。あとさ、寒いから入ってきて。戸はしめて」
君に促されて文次郎はようやく部屋に入ったが、なにせ部屋のなかは級友から継いだものや市井にもちだせない忍び道具や半私物の委員会道具や紙くずがいっぱいで、ガラクタを押しどけて座る場所を作ってやると文次郎も
「どこを踏めというのだ」
と小さく文句を言った。
「プロになるったって、学費納めたばっかりだろ。返金システムなんてないぞ」
「先に来てくれたのが文次郎でよかったよ。仙蔵だと、ケンカふっかけちゃって部屋の中もっとめちゃくちゃになっちゃう」
君は傍にどけていた真新しい山鳩色の制服を居心地悪そうに視線を迷わせる文次郎に投げつけた。
「文ちゃんにはちょっと寸足らずかな」
「バカいえ、1寸と変わらんだろう。それくらい直せんでどうする」
「なら、やるから、さ」
君は強がっていった。声が震えそうで長くは喋れない。
「なぁ、事が事だ。できるだけ備えて行ったほうがいいんじゃないのか」
「バカだなぁ。プロはさ、道具を選ばないんだよ」
「そうはいっても、布なんて、ほら、いくらあっても多すぎることなんてないだろう。だって、」
「ここから先はオレ一人で行くんだからさ、一人分の荷物しか運べないんだ」
文次郎は目を伏せ、小さく息を整えると眉を下げて無理矢理に笑みをつくって折り目正しくたたみ直した制服を握った。
「それもそうか。荷物は最小限が鉄則だもんな。なら、もらえるだけ貰っておこう」
君はといえば、愛想笑いもうてなくなっていた。
君にとって郷里からの便りはいつしか不吉な予兆となっていた。
言葉を濁しているが新たな領主との交渉が難航していること、君の忍としての能力を探っていることに気づかずにはいられなくなったからだ。
文次郎も似たようなものらしく、君宛に便りが届くたびに気遣わしげな視線を送ってきた。仙蔵は、ワガママな言い方が癪に触って大喧嘩してしばらく近寄ろうともしなかったからよくわからない。ただ、君に矢継ぎ早に届く便りに気づいていないはずがない。鍛錬三昧で部屋を空けがちな文次郎を寄越したのも仙蔵なりの気遣いだろう。つまらない意地を張らずに謝っておけばよかったのだろうか、しかし、君の自尊心を傷つけた仙蔵こそさっさと謝りに来るべきじゃないだろうか、そうすれば君はこんな風に長くへそを曲げることもなくお約束の皮肉の応報ができたのに。
文次郎の協力で荷物はこまかく仕分けされ、束三文で売り払うにはしのびない思い入れたちがひとつひとつ解体されてゆく。
的に当たるより自分の甲をぶつけた鉤縄の模型は学園に残り縄を変えて、また低学年たちの甲を腫らすであろう、押し込まれて潰れた藤編みカゴは枠に当れば直せるだろう、手遊びに絵を書いたウチワは幸い骨が生きていて、紙を変えたらやっぱり誰かが落書きをして暑さを凌ぐことだろう。同級生たちが置いていった装束をしまいこんでいたこと、しまいっぱなしの手ぬぐいに汗じみとかカビとか虫食いができていたことに文次郎は非難がましい目を向けてきた。だから売り物にならずに残っているのだと言い出せず、いつだったかの肝試しで使った木札を見つけたフリをして大げさに喜んだ。わざとらしい話題転換にも今回ばかりは、しかたないのつぶやき一つで済まされ、生物委員にでもくれてやろう虫や獣の世話になら使えるかもしれん、ということになった。
恥ずかしい点数の答案用紙も学園内でいっとき流行ったフィギアのコレクションも不揃いの駒も算木も収まる場所をみつけていった。
君がいまもっともおそれていることは、戦いのさなかに命を落とすことではない。そして君がいまもっとも憂いていることはもどってこない学費のことではない。
学園の外に待ち受ける非情を知っているから、プロとして忍の道をゆくことへの不安がいまさらに君を苛んでいる。
しかし、恐れることはない。君が望むならば旧友たちは君にさり気なく力を貸してくれる。君が、行きつけの定食屋のテーブルの節にみせかけた暗号に応えたように。君が望みを託して蝶を飛ばせば、あらわれるそれは蜘蛛の糸かもしれない、あるいは鳥虫獣の声かもしれない、それは鹿の肩に刻まれていることもあれば亀の甲羅のときもある。街道におちた山鳥の羽の姿をしているときがあれば。馬糞にまみれていてもおかしくない。大胆にも絵馬に収めるという噂もある。いいや寺の鐘だともいわれている。
どうあれ、忍術学園の卒業生にとって武器は個人の成績にとどまらない。学費さえ収めれば老いも若きも富めるも貧しきも身分を問わずに一介の生徒として膝を並べることにある。人生に深く刻まれた友情こそが、君たち忍術学園卒業生の武器になる。顔見知り同士の殺し合いだなんて、武将にでもやらせておけばいい。
君たちは、戦わずして勝ち逃げ、情報を持ち帰ることを誉れとして生き恥じに甘んじ、影に潜み闇に生きるのだ。血気盛んで戦功に早る君たちには、まだ、わからないことかもしれないけれど。
だから、君の恐れる未来は、友を友と知らず手にかけ永劫の別れに気づかない未来は君がその縁を離さない限り、訪れない。
忍術学園の教えは忍としての心得にとどまらない。忍でなくともひたむきに生き残るためのあらゆる術を君たちに託してきた。プロの道を歩む君もいずれそれに気づくだろう。
片付いていく部屋を他人事のように眺めているうちに、文次郎は反故の一片に至るまで使い道を見出して、欠けた湯呑み壊れた置物ばかりが処分となった。
といっても、用具委員に持っていけばなにかに使うだろうとか、生物委員なら使い古しの布紙でも使っているからいいだろうとか、独楽とか張り子の無事なものは今年の新入生におしつけようとか、的確かつ大雑把だったが。
君の持ち物は忍の基本道具と旅の支度に加えて服と食料を持てるだけ持っていくことになった。
文次郎が
「もっともっていけばいいのに」
というので、
「利吉さんがもって帰っている洗濯物より多くなってしまう」
などと君が言い、そこから、不自然か不自然じゃないかで昔の事まで引き合いに出して揚げ足を取り合って大笑いをした。
君は明日の朝、学園を出ていく。
そして、窮地の郷里でプロデビューを果たす。デビュー戦はきっと親族サービス無料奉仕だろう。そのまま里で就職が決まるのか、他の土地で生きるのかはまだわからない。だが、君が守る縁がいずれ君を守るのだ。
【一寸の光陰】
少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉 已に秋声 (朱憙「偶成」)