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    mono_gmg

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    mono_gmg

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    大学生ぐだ×バーの店員マンドリカルドな現代パロディ。まだ続く予定
    色々ふわふわしてますがご容赦ください



     一般的な夕食の時間は過ぎ去り、夜の都内が賑わいを見せ始めた頃。中心地から少し外れ、とある物静かな人気の無い通りを一人の若者が歩いていた。その足取りは酒に呑まれた者特有の不安定さは見られなかったが、どことなくふらふらとしていて覚束無い。俯きがちなその背中には彼だけが知っている寂しさが漂っている。
     青年は少し前までは大切な人と親密な時間を過ごしていたけれど、その大切な人と歩む道は今や違えてしまった。互い以上に想いを寄せる恋人が出来た訳ではなく、双方の間にある恋心が冷めた訳でもない。二人の関係に幕を下ろしたのは彼女が静かに呟いた別れよう、の五文字。相手を試すような冗談を告げるような人ではなかった。慌てて表情を窺えば眉を八の字にしながらもしっかりとこちらを見据えていて、長い時間を共にしてきた人の決意を覚ってしまった。切り出されてからたっぷり間を置いてゆっくりと頷く。未練は無い、と言えば嘘になるけれど。提案も憂いも拭い去って彼女を説得出来る自分の姿が思い描けなかったのだ。関係性が一つ消えても大事な友人であることは変わらないから、彼女にほんの少しの罪悪感も残したくなくてなるべく穏やかに笑みを浮かべて言った。今までありがとう、幸せな日々だったよ。静かに凪いでいた筈の青年の心は、彼女が悲しそうにこぼした音によって一変する。
    「……そうやって、何でもないように笑うの、良くないと思うよ」
     その言葉は水面に大きな波紋を広げるように青年の感情を乱した。駅の方面へと歩いていった彼女と別れたのち、行く宛も無いのに未だ街をさ迷い続けている。まだ肌寒い夜風に当たっていたいから、と誰にも聞かれていない言い訳を自分に言い聞かせながら。

    「……、…あれ?」
     何も映していなかった青年の眼が偶然捉えたのは人通りの少ない道に佇む一件のバー。賑やかな通りにあるような華美な装飾は見られず、小さく主張する花の鉢植えと品の良いシンプルな外観は傍らの看板が無ければバーと気付かなかったかもしれない。飲み歩きをするほど酒に強い訳ではないが、抱いた印象に惹かれてバーの扉に手をかける。入口の向こうにはカウンター越しに作業していたらしい壮年の男性が青年の姿を見て微笑んだ。
    「おや、いらっしゃいませ。……初めて来店してくれた方かな?」
    「あ……は、はい。つい気になって……」
     そんなに緊張しなくていいよ。気安い口調なのに不快感は全く感じず、安堵させるような穏やかな雰囲気を受けて少しずつ肩の力が抜けていく。優しい店員さんで良かった、なんて思いながら案内されて席に着いた。手渡されたメニューに目を通すと呪文のような見慣れない文字が並んでいて、客層や相場も調べず店に入った自分の軽率な行動をちょっとだけ後悔した。収入の少ない大学生が来るような場所ではなく、もっと大人な人達が訪れるお店だったのだろう。
    (すごいオシャレなお店だもんなぁ……一応多めには持ってるけど、明日から節約しないとまずいかも……)
    「……もし良ければ、だけど。予算を教えて貰えればそれに収まるものをこちらでチョイスしますよ?」
     予想だにしていなかった提案に思わず青年の口から間の抜けた声が飛び出た。
    「初めての店に勇気を出して来てくれたからには、満足して帰って頂きたいんですよ。見ての通り、今は忙しくないし」
    「すみません、ちゃんと調べもせずに……」
    「確かに、今の時代は事前に色々調べられて便利だけどね。たまたま目に付いた店にふらーっと入るのも良いもんですよ? これはオジサンの戯言ですけどねぇ」
     そう言いながらゆるりと笑みを浮かべる。最初に声をかけてくれた時からこちらの緊張を解いていくような人だと青年は思う。気を張ってぴんと伸ばしていた筈の背筋はいつの間にか弛んでいて、ほどよくリラックスしていた自分に気付いたのだ。
    「……お父さんの言葉ってたまにものすごく名言ですよね。メニューのご相談、お願いします!」
    「はいはい、かしこまりました。……お父さんかぁ……念の為、年齢確認だけさせてね」

     大学生が懸命に背伸びした予算を基準に提案されたメニューは、どれも値段から想像する以上のものだった。調理担当らしき若い店員が出してくれた具材たっぷりのオムレツは夕食を食べ終えた筈なのに勢いよく頬張ってしまったし、これでも一応店長なんですよ、なんて笑いながら壮年の店員が選んでくれたお酒はとても飲みやすい。そのおかげか、普段よりもグラスを空けるスピードが早かったことに青年は気付けなかったようで。気が付けばぐるぐると回る世界の中、腕を枕にしながらカウンターに顔を突っ伏す状態となっていた。
    「うぅぅ……」
    「大丈夫? アルコール追加するもんだから強いのかと思っちゃったけど、止めれば良かったかねぇ……おぉい、ちょっとお客さんの様子見ててくれるかい?」
     知り合いのタクシードライバー呼びつけてくるから。そんな言葉を残して奥に消えていった店長と入れ替わるように、調理場で洗い物をしていた若い店員が手の水気をタオルで拭いながら酔い潰れた青年に歩み寄る。
    「……吐きそうだったら教えて下さい。水ありますけど、飲めそうですか?」
    「ん……み、ず……」
     体の中のアルコールを少しでも薄めればマシになるかもしれない。差し出された水入りのグラスを受け取り少しずつ口に含んでいく。喉の奥は目の覚めるような冷たさを感じるけれど、熱に浮かされたような頭と頬は未だ火照っているようだった。
    「んん……あり、がとう……ござ、ます……」
     僅かにすっきりしたような脳内で不意に思い浮かんだのは、数時間前に別れたばかりの彼女が言い残していった言葉。彼女として最後の余計なお節介かもしれないけど、と前置きしてから告げられたその意味を青年は理解しかねていた。
    「……別れよう、って、言われて……他にどんな顔、すれば、良かったんだよ……」
     恋人でなくなっても大切な人なのだから困らせたくなかった。悲しんで別れるよりも笑って区切りをつけたかった。笑みを浮かべて難しい顔をされる理由が、分からない。
    「……、…フラれたんすか?」
    「うん……今、思えば……何がダメ、だったのかなぁ……」
     酔っ払っているせいか、いつもなら真面目な性根と同様に機能する理性がうまく働かない。さらに良くない記憶は芋づる式のように思い起こされ、昔一学年上の先輩に振り回された記憶も思い出してしまい、滅多に出ない弱音がぽろりと口からこぼれ落ちた。
    「……おれ、どう、したら……好きでいて、もらえ……の、かな……」
     じんわりと熱を帯びていく目頭。押し寄せる負の感情から身を守るように瞼を閉じると、曖昧だった意識が睡魔によって沈んでいきそうになる。
    「……そのままのあんたを認めてくれる人、きっとどこかにいますよ」
     そんな言葉が降ってきたと思えば火照った額にひんやりと冷たい感覚が当たった。けれど同時にひとの温もりも感じられて心地いい。
    「……でも、かのじょ、は……もう……」
    「あー……ならいっそ、男と付き合ってみるとか、どうですか」
     それは一体どういう意味なのか。真意を聞き返す前に青年の意識は睡魔に引きずり込まれ、深い底へと落ちていった。


     *


     時は流れ、夜が明けて陽が沈み始めた夕刻。薄暗くなっていく辺りを照らすように街中の灯りが次々と点され、夜の街はこれから賑わっていくのだろう。そんな街の一部として開店準備に勤しむ店長の前に、全力疾走で息を切らせた青年が姿を現した。
    「ん? 君は昨日の……ごめんね、まだ開店の準備中だからまた後で来、」
    「はっ……あ、あの! すみませんでした!!」
     店長の声は耳に入っていないのか、慌てた様子で謝罪を口にしながら勢いよく頭を下げる。対して突然頭を下げられ要領を得ない店長は疑問符を浮かべながら首を傾げた。
    「えーっと? オジサンは何で謝られるんだい……?」
    「き、昨日酔っ払ってご迷惑をかけて……あと、お支払いがまだ……!」
    「……支払って貰ってるよ?」
     今度は青年が疑問符を浮かべて首を傾げる番だった。
    「確かに泥酔してたみたいだけど、追加分含めて支払いは済んでるし。なんなら呼んだタクシーの料金もちゃんと貰ったって聞いてるよ」
    「……あれ……本当ですか……?」
    「財布の中に領収書入ってない?」
     そう言われて背負っていたリュックから財布を取り出し、中身を確認してみる。記憶が確かである夕食の支払いを済ませた時の残額よりも少なくなっていると気付き、几帳面に纏めてある領収書の類の中には見慣れない『BAR トロイア』と書かれたものが見つかった。
    「……お店の名前って、」
    「『BAR トロイア』ですよ。ついでに店長のヘクトールと申します。よろしくね」
    「あ、よろしくお願いします……オレは藤丸立香って言います」
    「大きな駅の近くにある大学の子でしょ? 昨日年齢確認で学生証見せてもらったからね」
     補足してもらったおかげで朧げだった昨夜の出来事が徐々に浮かび上がってくる。口に合ったことと落ち込んだ気分を払拭する為、奮発して追加のお酒を注文した時に確かに支払っていた。泥酔し気が付いたら自宅の玄関で目が覚めて、アルコールのせいで抜け落ちた記憶が無いまま料金が未払いだと勘違いし、慌てて未だ開店していない店に駆け込んでしまった、とすれば全て結び付く。
    「思い出したかな?」
    「……はい。お騒がせして本当にすみません……!」
    「まぁ、食い逃げされちゃうよりはずっと良いし、善良で真面目なお客さんに来てもらえてありがたいよ。……でも、お客さんが色々いるように、店だって色々ある。支払い済みなのにわざと二重請求してくる店もあるから、酔っていない時でも気を付けなさい」
     その声は第一印象だった穏やかな店長から想像も出来ない程、鋭さを感じた。思わず背筋がぴんと伸びてしまったけれど、次の瞬間にはお客さん相手なのに説教じみたこと言ってごめんなさいね、と気まずそうに頬をかく店長の姿が視界に映り、青年ーー立香は頬を緩ませながらいいえ、と首を振る。
    「営業時間外に押しかけてるので、今のオレはお客さんなんかじゃないです。……支払ったことをきちんと教えてくれる人の、素敵なお店に出会えて良かったと思っていて。また今度、お客として来てもいいですか?」
    「もちろん。いつでもお待ちしてますよ」
     一度礼をして、帰路につこうとする立香は少しだけ考えてから振り返って、店を訪れたらどうしても伝えたかった思いを口にした。
    「お酒と、オムレツ美味しかったです! ごちそうさまでした!」
     そう言って今度こそ駅の方へ向かう立香の後ろ姿を見送りながら、店長は穏やかな笑みを浮かべる。その場に少し間を空けて、出勤したばかりの若者が歩み寄って来た。
    「おはようございます、ヘクトールさん。……なんか嬉しそうっすね?」
    「おはようさん。いやぁ、やっぱり接客業は楽しいな、って思ってね」
     ご機嫌に店内へと戻っていく店長を眺めつつ、状況の読めない店員の青年はひとり不思議そうに首を傾げていた。




     通い慣れた大学から自宅へ帰る電車の中。今日は目的地である最寄り駅の手前で降車し、改札を通って小さな造りの駅を出る。あの日と同じように都心から離れた人通りの少ない道を進み、一見良い意味でバーに見えないお店の扉を開いた。
    「いらっしゃい」
     顔を合わせるのは三度目になる店長に出迎えられるが、今日は先客の人達でそこそこ賑わっているらしい。ひとまず目に付いた端の席に着くと、メニューを手渡してくれた店員と視線が合う。
    「いらっしゃいませ。……メニュー、どうします? 今は店長があっちに掛かりきりでして……」
    「今回は勉強してきたので、自分で選ぼうかと……ありがとうございます」
     前回訪れた時から出来る限り酒の種類を頭に入れて来たので、呪文のように見えていたメニューを視界に入れてもそれなりには判断出来るだろうし、料理やおつまみの類は思いの外大学生の財布にも優しい値段となっていた。緊張し過ぎると周りが見えなくなる癖を何とかしないとな、と心の中で苦笑いを浮かべる。
    「それに、この前ご迷惑をかけてしまったのでしばらくお酒は節度を守ろうかと……その代わり、いっぱい食べに来ました」
    「なるほど。食事の方でも良いんで、決まったら呼んで下さい」
    「あ、実は決まってて……オムレツをお願いしたいんですけど」
     注文を聞いて何故か目を瞬かせた店員は、少し間を置いてからかしこまりました、と背を向け調理スペースに下がって行った。緩みそうな口元を懸命に抑えながら彼が照れていたことを立香は知る由もない。

     それからなるべく度数が低めのお酒を頼み、酔いが回らないよう時々冷水を挟みながら宣言通り多めに注文したフードに舌鼓を打つ。次のメニューを待ちつつぼんやりと店内を眺めていると、店長であるヘクトールと親しげに会話を交わす先客達に視線が吸い込まれた。
    「随分前からの常連さんなんですよ」
     注文していたピザトーストの皿を置きながら店員の青年が教えてくれる。お腹はそれなりに膨らんできた筈だが、トマトソースとチーズの香りに引っ込みかけていた食欲が再び顔を出した。
    「皆さん、仲良いんですね」
    「あー、人によっては良かったり悪かったりもしますが……まぁ店に来る人は大体が店長の知り合いらしいんで。……あ、もちろんそうでない方も大歓迎です!」
     慌てて補足する姿にアルコールでほど良く解れた頬が緩む。同時に声を聞いていて、以前酔い潰れた時に気遣ってくれた店員は彼なのだという確信を抱けた。
    「話変わっちゃうんですけど。あの時は、ありがとうございます。お冷助かりました」
    「あぁ、いえ。酒を飲む場ならあれくら いよくあることですよ」
    「でも……何か、愚痴を聞かせてしまったような気がするので、申し訳ないなぁって」
     いくら接客業とはいえ見知らぬ人の愚痴を聞いて良い気のする人はいないだろう。自分の中で区切りをつける意味も兼ねてすみませんでした、と立香が謝ろうとした瞬間。何故か顔を青くした店員の青年が先に口を開いた。
    「す、すみません……! あの時言った言葉はその、変な意味じゃなくて、えっと……」
    「あの時……?」
     言葉の意図をすぐには察せずあやふやだった記憶を懸命に手繰り寄せる。うっかり出てしまった弱音を吐いて睡魔に負けそうになっていた間際、額にひんやりとした感覚と温かみのあるぬくもりを感じた筈。その時鼓膜に響いたのは確か、優しい励ましの言葉と。
    「……あ、男と付き合ってみる、っていう?」
    「も、もも申し訳ないです失礼なことを……っ」
     カウンターを隔ててなければ土下座してしまいそうな勢いの慌てた様子に落ち着いてください、と必死に宥める。
    「あの時酔っ払ってたし、全然気にしてないです。むしろ、良いアイディアだなって思いますよ」
    「えっ……あ、どっちもいける人、ですか?」
    「うーん、どうなんだろう……今まで女性としか付き合ったことが無くて……でもそんなに違和感は無いし、もしかしたら、どっちともお付き合い出来るのかもしれないですね」
     そもそも女性と付き合ったのは片手で数えられる程度だし、しかも自分から告白した回数はゼロ、即ち皆無だ。青春時代はとある期間を除けば友達と騒いでいた思い出が殆どを占めていて、誰かを好きになり付き合いたいと思った覚えが無く、自分の恋愛対象について深く考えたことがなかった。周りを見ていれば自然に異性なんだろうな、と決めつけてしまっていたけれど。成人に数えられるまで歳を重ねても果たしてそれが正しかったのかどうかは分からない。
    「でも難しいですよね。友達に頼むのは申し訳ないし、本気で相手を探している人には失礼かもしれない……お試しで付き合って欲しいって言われて嫌な思いをさせるのはいやですから」
    「……余計なこと言って、本当申し訳ないです」
    「いえ、店員さんは悪くないです。……振られたのにまだちょっと引き摺ってる自分がいて、たぶん寂しいんだと思います。それに、自分の良くないところが見えてくるかもしれないですし」
     でもその為に付き合うんじゃ、尚更相手に悪いですよね。苦笑いをこぼしつつ、せっかくのピザトーストが冷めてしまうのは勿体無いので戴くことに意識を向ける。立香が伸びるチーズと小さな戦闘を繰り広げている間、カウンターの向こう側で気難しい顔をしながら思案していた店員は、意を決して目の前の青年に向かい合った。
    「……あの、もし、よかったら、」
    「おぉい、ハムのつまみまだかぁ?」
     か細い声を遮るように第三者の声が響く。気が付けば常連客や首を傾げているヘクトールの視線が調理担当の店員へと集まっていて。言葉の内容からして自身が注文に気付かなかった故の状況なのだと瞬時に察する。
    「す、すんませんただいま!」
     顔を青くして慌ただしく調理スペースに戻る青年の後ろ姿を眺めながら、彼は一体何を言いかけたのだろう、という疑問と共に立香はピザトーストを美味しく胃袋に収めたのだった。


     *


     時間はとうに日付を跨ぎ、最寄りの駅では最終電車の時刻が迫り始めた頃。大通りから逸れた道に佇むバーの前にはタクシーが止まっており、店前と車体の間では繁華街にも負けない賑やかな攻防が行われていた。
    「ほらほら、さっさと乗って帰った方が良いですって」
    「なぁ~に言ってんだ、俺はまだまだ、飲み足りねえぜ! 次のボトル、持ってこぉい……ヒック、」
    「……仕方ない、私が付き添おう。支払いは彼にツケておいてくれ」
    「ちゃっかりしてるねぇ。了解しましたっと」
     見事に酔い潰れた一人と顔色の変わらない常連客はなんとかタクシーに乗り込み、静かな道の中へと消えていく。酔っ払いを見送ったヘクトールがやれやれと溜息を吐きながら店内に戻ると、端の席に座っていた立香へと声をかけた。
    「騒がしくてごめんなさいね。今日はお勧めとか出来なかったけど、大丈夫だったかい?」
    「はい。店員さんに飲みやすいお酒いくつか教えて貰いましたし、オムレツ二回も頼んじゃいました」
    「ハハ、それは良かった」
     すっかり仲良くなったみたいで何より、と笑いかけた先の店員は少しだけ照れたように頬をかく。今夜はそれなりに客が出入りしていたので付きっきりとはいかないが、立香の座った場所が調理スペースに近かった為、間が空いた時には雑談を交わしていたのだという。
    「……あ、そろそろ終電の時間だ。名残惜しいですけど、お会計お願いします」
    「はいはい。すまんがレジ頼んでいいかな」
    「了解っす」
     カウンター上の片付けを終えた店員の青年から金額を告げられ、支払いをレジで済ませる。確認で見せてもらった伝票の金額はやはり些細とは言えず、アルコールよりフードに偏らせても頻繁に訪れることは難しい。日々の出費を節約して週に一度来られれば良い方だろう。お釣りを受け取ってごちそうさまでした、と感謝を伝える為に店員の顔を視界に入れて。ふと胃に飲み込んで忘れかけていた疑問が突然頭の中に思い浮かんだ。
    「……あの、聞いてもいいですか?」
    「? はい」
    「さっき会話の途中で、何か言いかけてませんでしたっけ……?」
     常連客の注文で遮られてしまったけれど、あの時彼は意を決して立香に何かを伝えようとしていた。直前までの話題を考えればこのまま知らない振りをするのは少々気が引けてしまう。立香の言葉で明らかに動揺した様子の店員は気まずそうに視線を泳がせるが、やがて観念したように口を開く。
    「……もし。本当に、良かったらの話なんですけど。……同性と付き合ってみるって話、俺に手伝えませんか」
    「……、…へっ!?」
     全く予想していなかった内容に思わず素っ頓狂な声が出た。
    「友達に頼むのも、本気の人を探すのも難しい。なら、事情を知った顔見知りぐらいなら気が楽かと、思い、まして……」
    「で、でも良いんですか? ご迷惑になるんじゃ……」
    「言い出しっぺのなんとか、ってあるじゃないですか。それに、……気を悪くしたら申し訳ないんすけど。俺も昔、当時の彼女に振られて落ち込んだことがあったんで、お客さんの気持ちなんとなく分かるな、って」
     その後、振られたことがトラウマになってしまい色恋沙汰の類から足は遠のいたのだという。恋愛対象こそ異性だと自認しているが事情を知っている為自分は問題無いです、と彼は続けた。
    「……あー、でも……やっぱり俺なんかじゃ嫌ですよね……すみません、聞かなかったことに……」
    「ま、待って下さい!」
     咄嗟に伸ばした手が店員の青年の腕を掴む。その行動に驚いた様子の相手を見てハッと我に返り、謝罪を口にしながら手を引っ込めた。僅かに気まずい空気が漂う中、立香は背負っていたリュックからノートとペンを取り出し、その場で文字を書き始めその部分を破り取った。
    「これ、オレのトークアプリのIDです。……びっくりしたけど、すごく嬉しかった。オレで良ければ、こちらこそよろしくお願いします」
     もし難しくなったらそれは捨てて下さい。ノートの切れ端を手渡し一礼してから立香は店を後にする。呆然としながらそれを見送った青年はしばらく窓の外を眺めたのち、ゆっくりと渡された紙片に視線を落とした。
    「……フジマル、」
     ローマ字で綴られたその音を呟く。初めて知ったその言葉の意味を伴って口の中で転がしてみる。
     己の身にも覚えがある悲しみに沈む青年を、ただ慰めたかっただけだった。振った女にも、ぽろりとこぼれた戯言にも、顔の知らない他人にまで誠実であろうとするその姿に衝撃と感銘を受けて。ほんの少しだけ芽生えたのは力になれたら、という小さな願い。
     その願いがやがて二人の人生を大きく変えていくことを、この時は知る由もなかった。
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     青年は少し前までは大切な人と親密な時間を過ごしていたけれど、その大切な人と歩む道は今や違えてしまった。互い以上に想いを寄せる恋人が出来た訳ではなく、双方の間にある恋心が冷めた訳でもない。二人の関係に幕を下ろしたのは彼女が静かに呟いた別れよう、の五文字。相手を試すような冗談を告げるような人ではなかった。慌てて表情を窺えば眉を八の字にしながらもしっかりとこちらを見据えていて、長い時間を共にしてきた人の決意を覚ってしまった。切り出されてからたっぷり間を置いてゆっくりと頷く。未練は無い、と言えば嘘になるけれど。提案も憂いも拭い去って彼女を説得出来る自分の姿が思い描けなかったのだ。関係性が一つ消えても大事な友人であることは変わらないから、彼女にほんの少しの罪悪感も残したくなくてなるべく穏やかに笑 8950