red angel『なんで気づいちゃったんだよ』
光輪が波打つようにうねり、ゆらめく。
子供の頃に見た、恐竜の骨からできたというファイアオパールのように燃え輝く両の翼。白くはないのだな、それも派手好きなコイツらしい、と納得する俺の目の前で、水晶のような涙をロナルドが零し続けている。コツン、コツン、と地面を打つ音に注意を惹かれて見下ろすと、足元が美しく透明な石で埋められつつあった。
『気づかなけりゃ、ずっとお前と一緒にいられたのに』
俺だけに向けられた「お前」。魂を震わせるような喜びと、示唆された結末への拒絶。
いやだ。行くな。消えないでくれ。
ロナルド。
俺はまだお前に——
ピピピピピ——
素早くアラームを切って、起き上がる。
照明を落とした仮眠室には俺のほかに相棒のサギョウがいて、同じく目を擦りながらのっそりと起き上がっている。
「先輩、具合悪いんじゃないですか? さっきうなされてましたよ」
顔を覗き込まれて、思わず額に手を当てる。手が冷たく震えていて、なにもわからない。
「すまん。邪魔だったか」
「僕は平気ですけど、顔色悪いしもうちょっと休んでたほうがいいんじゃないですか? 早退できるならしたほうがいいかも」
枕元に置いたペットボトルの封を開けると、プチプチとプラスチックのねじ切れる音が妙に大きく、耳に引っかかる。ボトルのパールがかったラベルに燃え盛る翼を幻視して水にむせてしまう。
「……そうだな。あと三十分休んでいく」
「無理しないでくださいよ? アンタに倒れられたらまあまあ困るんですから」
「そんなにひどいか」
「ええ、だいぶ。それにしても、先輩って寝言までロナルドさんなんですね」
愛ですねえ、とため息混じりに揶揄されて、頬に熱が集まる。そのまま隠れるようにもう一度布団に潜り込むと、サギョウが音を立てないように出て行った。
ロナルドと恋人になれたのは奇跡だと思った。
言いふらすつもりはなかったが、俺もロナルドも隠し事が苦手な性質だったから、周囲に気づかれるのに三日とかからなかった。なにせ、吸血鬼退治人と対策課のふたりなのだ。現場で顔を合わせることは少なくない。そこでつい先日までの距離感とはまったく違うものを見せられれば察してしまうだろうに。そう文句を言えば、真っ赤になってモゴモゴしてたのはテメーのほうだろ、とあの派手な衣装よりも赤い顔で告げられた。
しかし、こんな時に、こんなところで思い出すなんて。サギョウがあんなことを言ったせいだな、と目を閉じる。
もっと思い出さなくてはならないことがあったはずなのに。
水晶の礫に埋もれ、息がつまる。
翼の広がる音、紅く燃える影。
これでいい。お前の涙に溺れ、その炎に見送られるのなら、それで本望だ。
ただ、最後に見るのはお前の笑顔がよかった、というのはわがままだろうか。まだ何も伝えられていないのに。すまない、俺が不甲斐ないばかりに——
「先輩! 先輩、しっかりしてください!」
掠れた叫び声に目を覚まされて見上げると、街灯のぼんやりとした輝きの向こうに真っ暗な夜空がぽっかりと空いている。さっと差した影に思わず身を竦ませると、僕ですよ、先輩、とさっきよりは落ち着いた声で語り掛けられる。
異様に寒い。そう伝えると、血をかなり失いましたからね、救急車、こちらに向かってるんで大丈夫ですよ、とつとめて冷静な声で告げられた。
「さっきまで仮眠室にいた」
「何言ってるんですか」
「ロナルドは……ロナルドは、どこだ」
サギョウのまだ幼さの残る顔が歪む。やめろよ、なんで、とそんなにわかりやすく動揺するなんて、警察官としてどうなんだ、と頬が緩む。
「少し眠るぞ」
「あっ、バカ、いま寝るんじゃねえ!」
先輩に向かってバカはないだろう。
いつか言ってやろうと思っていたのだが。
それは声にならないまま俺の意識と一緒に暗闇に沈んでいった。
水晶の礫の山をかき分けて、お前がこちらを覗き込む。
まだ泣いている。このままではお前まで埋もれてしまうだろうに。
銀の髪が光輪を反射してきらきらと艶めく。
そうか、それがお前本来の色だったのか。
『きれいだな』
『きれいじゃないよ、俺なんか』
つまらなそうに否定されて、痛みが胸を突き刺す。
そうだ。
俺は、刺された。
あの吸血鬼は仕留められたのだろうか。
きっと無事に捕まえられたのだろう。サギョウだって取り乱して泣く余裕があった。
『俺は、死ぬのか』
『死なない』
赤と緑と橙に輝くものが差し出される。周りをごうごうと取り囲む炎の翼と同じ色だ。操られるように口を開けてそれを飲み込むと、痛みが和らいだ。
お前が顔をしかめながら、その翼からもう一本羽根を引き抜く。
『やめろ。痛むのだろう?』
『いやだ』
抵抗しても無駄だった。
俺は炎を一片ずつ飲み込まされ、その度に命が身体に戻っていくのを感じた。
『帰れなくなるだろうが』
お前は、この世のものではないのだろう?
最初からわかっていた。出会ったその日から。
どうしてわざわざ伝えてしまったのだろう。
お前が天使なんじゃないかと思うことが時々ある、と。
恋人同士のじゃれあいのつもりだったのに、それが冗談だとなぜか自分の中でも否定しきれなくて、恐ろしくなってしまったのを思い出す。
お前はなんと言っていたか。
曖昧に笑って、急になんだよ、と俺を小突いたのだったか。
『俺の帰るところなんて、もうお前の側しかないよ』
最後にもう一雫だけ水晶の涙をこぼしたお前はようやく微笑んだ。
気づけば炎はすっかりなくなり、透明な石礫の隙間から見える真っ白な空間にお前が佇んでいた。埋もれたまま俺がもがくと腕が差し伸べられる。それを掴むけれど、透明な石の山の方が重くて、お前を巻き込んでしまった。必死にお前を押し出そうとしてもより深く深く埋もれてきてしまう。
そうして俺の目の前まで沈んできたお前が、悲しそうにかぶりを振った。
『もう飛べないんだ。ごめん』
俺に羽根を食べさせたからなのか。短慮なバカめ。なぜそんなことをしたのだ。
骨だけが残る翼を撫でてお前を抱き寄せるといつものように体温が混ざり合う。
この場所でふたりで朽ちていけたら、どれだけよかっただろう。世界が終わるその日まで、忘れ去られて。
光輪が輝きを増していく。
俺に目覚めろと呼びかける。
いやだ。お前を置いていきたくない。
ロナルド、頼む。連れていってくれ——
「半田、わかる?」
俺だよ、と覗き込む顔には隈が浮かび、青い瞳を囲む白目は充血している。頭をかきむしっていたのか、髪もぼさぼさにもつれている。
「ひどい顔だな」
ガサガサと乾き切った声に、ロナルドが噴き出した。
「クソッ、元気そうじゃねえか」
手を取られ、慌てて離されると点滴ポールが揺れる。
「あ、ごめん。こっち側はダメだって言われてたのに」
髪の生え際を指がなぞり、頬まで降りていく。
「髭、ちょっと生えてきてる。珍しいな」
ざりざりと撫でられるのがこそばゆい。
「そんなに長く寝ていたのか、俺は」
「四日目だぜ、今日で。もう容体も安定してるからよかったら顔を見にきてやってくれ、って親父さんが」
お袋さんには内緒だってよ、よかったな、と涙声でまず言うのがそれなのか、と笑うと、差し込むような痛みが走る。
「ごめん! ってか、お前起きたんだし、ナースコールしなきゃ」
頭上に伸びる腕を引き留めると、ロナルドが怪訝そうな顔でこちらを見つめる。
「どうした?」
「ロナルド」
聞かないといけない。
いや、あんなのはただの夢だ。死にかけた俺が見た、走馬灯のなりそこないのような悪夢。そうだとわかっていても、口を開いてしまった。
「俺を助けたのは、貴様か?」
「倒れてたお前を見つけたのはサギョウくんだよ。救急車を呼んだのも。俺を呼んでくれたのは、あ、えっと、隊長さんだ」
しん、と部屋の音が消えるような気がした。
部屋が眩しくて、ロナルドの姿が見えない。
「本当のことを教えてくれ」
「俺から言えることは、ほかにないけど」
ふっ、と明るさが元に戻り、ぼろぼろのロナルドがまた現れた。
やはりあれは夢だったのか。
それでも釈然としないのは、痛み止めでぼうっとしているせいなのだろうか。
「それでも、俺はお前に救われた、そんな気がしてならない」
「おっ、ま、まじか……」
馬鹿みたいに赤面する恋人に、あの天使の面影を探す。あれは確かにお前だったのに。
「なんだよ、お前、俺のこと大好きかよ」
笑いながら、ロナルドは目から大粒の涙を溢れさせた。
それは頬を伝って床まで落ちて。
コツン、と音を立ててコロコロと転がっていった気がした。
おわり