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    yuzunohappa

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    yuzunohappa

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    たんぎゆでおとぎ話、というのを細々書いていたのですが、先が進まないのでできた分だけこちらで供養。でっちあげ異世界ものみたいなもんなので、フィーリングで読んでください。なんで和名そのまま使ってるのかとか突っ込んだら負け(私が)
    元ネタはアラビアンナイト。ハピエンです。

    #炭義
    blacksmithsApprentice

    One and eternal night story その王の暴虐は、近隣諸国に鳴り響いていた。
     かの領国は広く豊かで、また戦も強い。他国に攻め込むことこそまずないものの、攻め込んで領地を削るのに成功した国も数十年なかった。
     だが安定した国ゆえか、領土を治める王はある時から粗暴な振る舞いを見せ始めた。自国の女を攫うように後宮に召し上げ、一度閨を共にすると翌朝には殺してしまうのだ。その遺骸は谷に投げ捨て、遺族の元へ戻ることさえないという。
     その残虐さを自国民はおろか他国の民までが恐れ蔑んだが、強大な軍事力と治世の安定を盾に王は非道を働き続けていた。


     その隣国に、義勇という青年がいた。
     彼は前年に自国で王軍の兵士となったが、以来いくさ働きの機会もなく微禄をただ食むだけの身分である。そんなであるので妻を娶ることもなく、楽しみといえば行きつけの店で好物を食べることくらいだった。
     だがその晩に限って、義勇は珍しく他人の家にいた。部隊長が隊内で家族のいない者を夕餉に招待したからだ。
     宗教上飲酒は禁忌であるが、かつて他教が広まっていたこの地域においては私的な場に限って飲酒も目溢しされている。この時も卓上には酒杯が並び、出された料理も食事より酒肴の色合いが濃いものだった。
     薄暗いランプの下では、部隊長の二人の妻がそれぞれに楽器を奏でている。あやうげに響くセタァルの弦とけぶるような笛の音、そして慣れない酒の匂いは、まだ若い義勇を瞬く間に酔わせていった。
     気づけば宴席は、隣国の王に話題が及んでいた。
     人との会話を得手としない義勇であっても、近頃は寄ると触ると誰もが彼の王の話を口に乗せることは知っている。その領地がすぐ隣とあれば、それも当然のことだった。
    「女を後宮に召し上げるのは王の権利だが、一夜で殺してしまうとはいくらなんでも非道が過ぎる」
     隊の者の一人がそれを言えば、他の者らが「その通りだ」と一斉に呼応した。
    「それも年頃の女ばかりでなく、年端もいかない娘から年増の女まで見境がないと聞く」
    「人の妻まで召し上げ殺したと言うぞ」
    「こんな残虐な王が間近にいるのは耐えられん。いつ自国の女を殺し尽くして我が国の女にまで手を出すか」
     酔いに任せて轟々と吼える部下らを宥めるように、しかしだな、と主の部隊長は切り出した。
    「彼の国は強大で将も兵も強い。悔しいが我が国では歯が立たん。……まともに攻めてはな」
     ならば暗殺だ、と隊兵の一人が声を上げた。
     王族の暗殺は珍しいことではない。臣が王を、弟が兄を、子が親を。それは連綿と繰り返されてきた、王族の血塗られた営みだ。
     だが戦争で討ち入るならともかくも、他国の民が王を弑することなど現実的にできようはずがない。王宮の警護はそれを許すほど緩くはない。
    「……いや、あの王ならば我等でも葬ることができるやもしれん」
     部隊長が顎髭を摩りながらにやりと笑った。
    「策をお持ちですか、部隊長殿」
    「あるとも。見境なく女を召し上げるなら、こちらから送り込んでやればいいのだ。あの王は下賤の女も構わず召し上げていくというではないか。見目良い者を路銀に困った旅人に仕立てて王宮の門を叩かせれば、彼の王は必ず王宮内に引き入れよう。その者に寝首を搔かせればよい」
     おお、と場に歓声が上がったが、内の一人が「ですが」と遠慮がちに空気を破った。
    「彼の王は屈強にて油断ならぬ者と聞きます。並の女、それも見目良い嫋女が大役を果たせましょうか」
     場に満ちた諦めの嘆息に、部隊長は呵呵と笑った。
    「案ずることはない。見目良く腕の立つつわものがおるではないか。それそこに」
     部隊長は顎で義勇の方を示した。それまでぼんやりと一座の話を聞いていた義勇は自分の背後に誰ぞいるのかと振り向いたが、そこには戸口を覆う垂幕があるばかりだった。
    「……それは男ではありませぬか」
     隊兵のひとりが白けたような声を上げ、そこで義勇はようやく部隊長が自分を指したのだと理解した。
    「部隊長、私は」
    「みなまで言うな。お前が見た目にそぐわず豪の者であるのはよく知っているとも。この平時にも鍛錬を欠かさないこともな。さればこそ、俺はお前に彼の兇王の首を獲らせたいのだ。
     またお前は成年を疾うに越えていように、未だ髭も薄く身体つきも細い。顔も踊り子のように玲瓏とした美形ではないか。木綿の長衣の代わりに薄絹のヴェイルでも巻いてマントで身体を覆えば、さぞ麗しい女に見えよう」
     周囲から失笑が漏れ、義勇は酔いも何も醒めた心地で小さく唇を噛んだ。
     成年、つまり精通を迎えたばかりならばまだしも、それから五年以上も経ってこれほど髭の薄い男は滅多にいない。それでも髭を蓄えるのが世の男の倣いであるから一度は伸ばしてみたが、山羊の髭のようだと嘲笑われて結局は剃り落としてしまった。誰から見ても瑕疵のある容貌ではあるが、それをこうまであからさまにあげつらわれたのだ。
     まして酒席のこととはいえ踊り子になぞらえるなど、隊兵らの面前で唾を吐きかけられたに等しい侮辱である。
     剣を抜いてもおかしくない場面であったが剣は家に置いてきているし、そもそも義勇は戦場と鍛錬以外で剣を抜くのを厭う質だ。抗議しようにも口下手なのでどうにもならず、せめて憤りを示そうと席を立とうとすれば、当の部隊長に肩を掴まれ押し留められた。
    「まあ待て。与太話で終わらせるには惜しい話ではないか。彼の王の蛮行を止めた者はまさに神の御意志の実行者とみなされよう。民も諸国も安堵し、気の毒な女もいなくなるのだ」
    「私は男で兵士です。女の装いをするつもりも、暗殺者の真似事をするつもりもありません」
     言ってしまえば生きて戻れる見込みなどない役目だ。軍から正式な命令が下ったならまだしも、酒席の戯言に命を投げ出せるほど酔狂ではない。だが部隊長はどこか野卑な笑いを口の端に乗せた。
    「お前の返答次第では、将軍より正式な命令を下してもらおうぞ。もし成功し生きて帰れば報奨は思いのままだ。有り余るほどの地位も金もすべてお前のものになる」
     馬鹿馬鹿しいと義勇が素知らぬ顔を崩さずにいれば、部隊長は一段声を潜めて義勇の耳に口を寄せた。
    「もしお前が死んだとしても王の首さえ獲れたならば、お前の姉の夫にもそれなりの恩賞が与えられよう」
     それは義勇の弱み、ただひとつの気掛かりであった。
     義勇のふた親は既に亡く、ただひとりの血族である同腹の姉は実家の後ろ盾を失った状態で貧家に嫁いで苦労している。もしこの命と引き換えに、姉を楽にしてやることができるなら。
     そしてとうとう、義勇は首を縦に下ろした。


     半月後。義勇は頭上から爪先まですっぽりと漆黒の布を被り、その布を砂漠の砂埃で汚して隣国の王宮の門前に立った。
     王宮の門は高く、その先に見える宮殿の尖塔は更に高い。美しく幾何学模様が刻まれた門扉はいかにも贅を尽くした風情があり、強大な王権の一端を見せつけていた。
     砂に塗れた厚い布地で口元を覆い、義勇は優美にそびえる広大な王宮を睨み据えた。あの中に残酷無比な悪王と、罪なく殺された数多の女の無念がある。
     義勇はまず門番の元へ寄り、男であることを悟られぬよう喉に手を当てて掠れ声で「お助けください」と訴えた。砂漠を渡るうちに砂塵で喉を潰す者は少なくない。声を出さずに済むよう、そうした状態を装ったのだ。
     二名の門番は顔を見合わせ「どうしたのか」と訊ねてきた。義勇は息ばかりの声で「夫を亡くし姉を頼ってこの先の国まで行かねばなりませんが、路銀がここで尽きてしまったのです」と僅かな小銭ばかりが入った財布を開けてみせた。宿はおろか食事を取るにも事欠くほどの額だ。
     普通の王宮ならば、ここで少しばかりの喜捨をして追い返してしまうだろう。さてどう出るかと義勇が窺っていると、門番の一人がにやにやと卑しげな笑いを浮かべて門の中に入っていった。その場に残ったもう一人も、奴隷女を値踏みするような厭な目で義勇の顔を覗き込んでいる。
     その下卑た視線に耐え兼ね、義勇は頭を覆った布を口元まで下ろした。
     やがて戻ってきた門番が「王陛下のご慈悲により、宮殿内に客人として三日間の逗留を許可する」と義勇に告げた。義勇は深々と頭を下げ、腰を屈めて身丈の高さを誤魔化すように門の中に入った。
    「お水を」
     目前に現れた庭園の広さと美しさについ見入っていると、いつの間にか黒い瞳の美しい少女が水を満たした赤銅のカップを盆に載せて立っていた。深井戸で汲んだばかりのように冷えて甘い水だった。
    「ありがとうございます」
     息ばかりで礼を述べると「喉に良く効く薬がございます。後でお持ちしますね」と少女はにっこり笑った。
     旅人の案内をするのだから下働きの娘であろうが、少女の身上は決して悪いように見えなかった。ばかりかその様子は軽やかに明るく翳りがない。
     これが、女を攫っては殺す王に仕える娘だろうか。義勇は妙な違和感を感じた。
     違和感といえば、中庭を取り巻く回廊のひとけのなさも妙だった。臣下が謁見するのはまた別の建物であろうからいいとして、召使いがこの少女の他にまったく見当たらない。王宮とはこんな閑散としているものなのか。
     だが人が少なければ少ないほど、義勇に与えられた任務の成功率は高まる。万一の罠でなければ、これは好機と取るべきなのだろうと義勇は思い直した。
    「離れの客殿をお使い下さい。人が少ないので行き届かないところもあるかと思いますが、どうかお赦し下さいませね」
    「休む場所をお借りできただけで充分です。王陛下のご深慮に感謝いたします」
     少女はきょとりと目を瞬かせ、それから鈴を転がすように笑った。
    「なんだか、武人のような言い方をなさるんですね」
    「……えっ」
     背が冷やりとしたが、少女は「ご婦人に失礼なことを申し上げてしまってすみません」とからりと言った。
    「よければ粗餐を差し上げたいと王が申しておりましたが、そのご様子では明日になさった方がよろしいでしょうね。お食事は客殿にお持ちしますので、今夜は湯を使ってゆっくりお休み下さいませ」
     丁寧に調えられた客殿に義勇を案内すると、少女は一礼して立ち去った。義勇は瀟洒な絨毯の上で呆然と立ち尽くした。
     俺は今夜の内に王に召し出され、そこで本懐を果たすはずではなかったか。何故客人扱いされ、安穏と客殿で夜を過ごすことになっているのか。
     考えどもどうにも腑に落ちず、義勇は黒布を外し窓の外で砂埃を叩いた。殺すつもりの王の宮殿であっても、この清潔な客殿を汚すのは抵抗があったからだ。


     翌朝、湯を張った盥を持って客殿に飛び込んできたのは、昨日の娘より更に年若い少女だった。
    「おはようございます! 喉の具合はどうですか?」
     明るく屈託ない笑顔に、義勇の表情もふと緩む。だが慌てて喉に手をやり、まだ良くないと表情で示した。声を出すわけにはいかない。
    「あれ、昨日出したお薬効きませんでした? 大抵の人に効くんですけど。もしかしてその砂っぽい覆い布のせいかなぁ。洗っちゃいますから脱いで下さい」
     少女はにっこり笑って手を差し出した。義勇は身に纏った黒布を引き寄せ、ぶるぶると首を振った。これを取り上げられれば体躯から男と知られてしまう。
     少女は不思議そうに首を傾げた。
    「心配しなくても、ここにはあたしとお姉ちゃんしか来ないから大丈夫です! 女だけですもん」
     お姉ちゃんということは、彼女は昨日の少女の妹なのだ。兄弟姉妹で同じ主に仕えるのは、決して珍しいことではない。
    「王陛下は」
     息で言葉を紡ぐと「女の人の寝所に来るわけないですってば」と少女はからから笑った。
    「そう……ですか」
     再びの違和感が義勇を襲った。
     この少女らから見た王は、礼節ある気さくな者であるらしい。それは噂に伝え聞くこの国の王の人物像と全く違う。まさか国を間違えてしまったかと義勇が己を疑うほどに。
    「お客様、おはようございます。朝からこちらの者が騒がしくて申し訳ありません」
     その時昨日の少女が朝食の盆を持って入ってきた。義勇は黙って一礼してから、それでは彼女の言葉を肯定したように見えると気づいて慌てて首を横に振った。姉の方は苦笑した。
    「この子ったら、他国から来て滞在されるお客様が珍しくてはしゃいでいるんです。花子、無理を申し上げないのよ。女同士であっても、人前で覆いを取りたくない時もあるの」
     義勇は密かに赤面した。昨日門前で吐いた夫を亡くしたという嘘が、姉の方には伝わっているのだ。
    「でもお姉ちゃん、この人の喉が治らないのは多分その埃っぽい布のせいよ」
    「でしたらご朝食の後、覆い布をお召しになったまま刷毛で梳いて差し上げましょうね。蒙古国の馬毛で作った刷毛なら、細かい砂埃もきれいに落ちますよ」
     その言葉通り、朝食を終えた頃に姉の方が刷毛を携えやってきた。中庭でされるがまま黒布の砂埃を落とされている内に、少女が「ところで」と切り出してくる。
    「王が今日の夕餉にお招きしたいと申しておりましたが、どうなさいますか? お声もまだ戻られないようですし、お断り下さっても構いませんよ。王には私から伝えますので、どうぞご心配なく」
     義勇は考えを巡らせた。
     客人を迎えて食事に招くのは、貧富貴賤の差なく当然に行われる習慣だ。男性が血族でもない女性を招いたりは通常しないものであるし、相手が喪中とあれば尚更のことだが、それでもこうして滞在を許してもらっている以上顔も出さないというのは非礼に当たる。
     しかし義勇がここに来た目的は、王の客人になるためではないのだ。
    「王陛下はあなた方から見て、どのようなお方ですか」
     この一日足らずで、はっきりと義勇は揺らいでいた。
     明るく朗らかで働き者の娘たち。王宮の外観と異なり華美さはないが、清潔で居心地のいい客殿。客人に対する細やかな気遣い。女を攫って一夜の伽の後に殺すような王が、自宮をこんな雰囲気にしておけるものだろうか。
     彼女は少し首を傾げ、それからはっきりと言葉を紡いだ。
    「王は私どもにとって、とても優しく頼りになるお方です」 
     振り向けば、少女は刷毛を手にしたまま穏やかに笑んでいた。そうか、と義勇は小さく息を吐いた。
    「この有様ではございますが、陛下がお許し下さるならお招きを承けたく存じます。ですがその前に、王陛下にこのご温情のお礼を申し上げたく思うのですが。饗応の席では失礼かと思いますので」
     喩え敵であっても、一度餐食を共にした相手を害してはならないとされている。だがそんな慣習よりもずっと恐ろしいのは、まさに彼女らが慕う王の姿に義勇自身が懐柔されてしまうことだった。それが真実であれ虚偽であれ。
     そして親切で礼節を知る方の王がもし真実であったとしても、おめおめと手ぶらで帰れば義勇自身が命令に背いた罪で処断される。ばかりか、何も知らぬ姉夫婦にまでその累は及ぶだろう。
     もはや義勇には、王の首を獲るほか道はない。ならば刃を鈍らせる前に仕留めてしまいたかった。
     義勇の心中を知るはずもない少女は無垢に微笑み「王に都合を訊いて参りましょう」と応じた。その翳りのなさに義勇の胸はじくりと痛んだ。
     脇腹に紐で括った短刀が、酷く重く感じられた。


     午を少し過ぎた頃、姉妹の姉の方が客殿を訪い「王がお会いになります」と告げた。義勇は覆い布の下で固く拳を握り、少女について客殿を後にした。もうここに戻ることはないだろう。
     砂漠の只中であるのに美しく庭木の調えられた庭園を横切り、当然そこで留められるだろうと思っていた豪奢な謁見の間をも通り過ぎる。薄暗い廊下の行き止まりにある門扉に少女が鍵を差し込むと、扉は水路に添って背高い木と鮮やかな花の並ぶ明るい奥庭へ続いていた。
     庭に面した回廊沿いに、白塗りの壁面を青と黄のタイルで飾った瀟洒な一角があった。だが数多ある扉のいずれも閉じられて使われている気配がなく不思議に思っていると「ここは後宮ですが、王は未だ妃を迎えていないので使うことがないのです」と少女が注釈した。この上余計なことを思うまいと義勇はただ頷くに留めた。
     後宮から更に奥へ入ればそこは王の寝殿であったが、案内の少女はその脇へ入って開け放しの小さな入口の前に立った。
    「王陛下、お客様がお見えです」
     ちらと覗き込んだその部屋は、極めて狭く質素だった。位置からしてもおそらく、王の側仕えを控えさせるための小部屋だろう。
     中には飾り気のない小さな寝台と書記机がある。机の前の椅子には小柄な体躯の男がひとりこちらに背を向けて座り、何かを書き綴っていた。
     机の前にある窓から午後の日差しがいっぱいに差し込み、この侘しい侍従部屋を燦然と照らしていた。その中に在る男もまた木綿の質朴な長衣を纏っているだけにも関わらず、その背は光に眩く輝いて見えた。
     その様子に瞬時見惚れてから義勇ははっとした。案内の少女はいまこの男を王陛下と呼ばなかったか。
     男はぱっと首を上げこちらを振り返った。赤みを帯びた髪色の、まだ少年と言ってもいいような若い男だった。
     明るく優しい、真っ直ぐな瞳をしていた。
    「ごめんなさい、つい集中してしまって。隣国からいらしたお客様ですね? 喉を痛めてしまわれたと聞いていますが、ご様子はいかがですか」
     義勇は反射的に跪きその場で平伏した。少年は慌てたように義勇の前に屈み込んだ。
    「そんなことをする必要はありません! 我が国の民ならともかくも、あなたは他国からいらしたお客様です。お客様は大切にもてなさなければならないって、教典にもあるじゃありませんか」
    「……王陛下」
     義勇が呼び掛けると、少年ははいと頷いて優しげに笑んだ。義勇は顔を覆う布の下で唇を噛んだ。
     何故、何が間違ってこうなってしまったのだ。
     この澄んだ瞳をした少年が、女を攫って残虐に殺すような真似をするものか。あの朗らかで翳りのない少女らが、そんな凶君に仕えているものか。
     だがもう、義勇に引き返すすべはなかった。
    「陛下にはご温情を賜り、御礼の申し上げようもありません」
     義勇は息ばかりの声で考えていた口上を述べた。
     良心の呵責もあと僅かだ。いくら閑散とした宮殿であれ、王が弑されればさすがに警護兵が押し寄せてくるだろう。囲みを破って生還する気概は既になかった。
     その場で討たれるか刑死するかは分からないが、大罪は全てこの身ひとつで負って逝けばいい。
    「もしお赦しいただけるなら、王陛下のご寛大なるお心にあとひとつだけお縋りしたく存じます。お耳に入れて下さるだけでも構いませんので、どうか」
     床に手をつき深々と頭を下げて義勇は乞い願った。王は義勇の前に片膝をつき「お力になれるか分かりませんが、どうぞ何でも仰ってみてください」と労りを込めた声で言った。
    「……できれば、お人払いを」
     このままでは、後ろに立つ親切な娘をも巻き添えにすることになる。「彼女なら」と王は言いかけたが、直ぐさま少女自身が「私は外宮まで下がっております」と一礼して立ち去った。
     とうとうその場には、義勇と少年のふたりだけとなった。
    「お話を伺います。ですが、まずはお立ち下さいませんか。いま椅子を―――」
     王が自らも立ち上がろうとした瞬間、義勇は動きにくい黒布を脱ぎ捨て脇腹に仕込んだ短刀を抜いた。
     少年は思わぬ速さで飛び退って義勇と距離を取り、それから呆然とした表情でいましがた女であった刺客を見た。
    「……男の方だったんですね」
     義勇は我知らず歯噛みした。それは初撃を避けられた悔しさからではなかった。
     自分を殺そうとしている相手にまでもなお慇懃な男への憤りや憐れみ、そして刃を収めることが出来ない弱い己への憎しみだった。
    「俺を討つ理由を聞かせてもらえますか」
     義勇は油断なく周囲を窺った。王と自分の他、近くに人の気配はない。王の背後には質素な寝台と石を積み上げただけの粗雑な壁。そして彼は丸腰だ。
    「女を攫って召し上げ一夜のうちに殺す、その残虐非道の報いと知れ」
     少年は「ああ……」と眉を顰め息を吐いた。
    「確かに俺がしていることで、そういう噂が流れています。ですが」
    「問答無用!」
     この王が、この優しい瞳の少年が、そんなことをしているはずがないのは分かっている。
     だから、問答の必要はない。
     問答など、してはならないのだ。
     短刀を逆手に翳し、義勇は再び王を襲った。王軍兵士たる義勇の得物は本来長剣であるが、これは覆い布の下であってもさすがに持ち込めなかった。
    「こなれていませんね」
     確かに切っ先に捉えたはずの、王の姿がかき消えた。
     馬鹿なと慌てて振り向きかけて、相手の意のまま体勢を崩す愚を悟る。だが時すでに遅く、その一瞬で義勇は後ろ手を掴まれ俯せに寝台に押しつけられていた。
     若さにそぐわない、恐ろしいほどの手練だった。
    「距離を詰めて切りつけるなら順手でなくては。短刀を逆手に持っていいのは、相手を押さえつけてとどめを刺すときだけです。……こんなふうに」
     短刀を手からもぎ取られ、義勇は目を閉じて己の得物が背を破り心臓を貫くのを待った。だがそれはいつまでもやって来ず、代わりに刃物が石の床に落ちる硬い音が聞こえた。
    「何故、殺さない」
    「あなたは暗殺なんてしたことも、学んだこともありませんよね? でも反射速度や身のこなしを見れば、相応の訓練を積んでいることは分かります。
     軍兵、それも王軍の兵士。違いますか」
     的確に言い当てられ、だが首肯することもできず義勇は沈黙した。ですよね、と背後で苦笑する気配がした。
    「身許を明かすわけにはいかないでしょうし、あなたが俺やこの国の民の生命を奪わないと誓って下さるなら俺はそれでいいです。ご家族の元へ帰って……」
    「できるか!」
     義勇は渾身の力で身体を捻り、背後から自分を縫い止める男の顔を睨みつけた。
    「俺が殺すかお前が殺すか、それだけだ。俺に殺されたくないならお前が俺を殺せ」
    「それしかないはずないでしょう! ご自分の生命を何故軽んじるのですか」
     その髪と同じく赤みを帯びた少年の瞳が、思うより間近く義勇を見据えていた。
     悲しみを湛え、なお美しく煌めいていた。
    「下命を果たせず国に戻ったところでどうせ俺は殺される。それならいまここで、お前の手にかかって死ぬ方がいい。……優しい王よ、どうか俺の運命になってくれ」
     後ろ手を縛めていた力が外れ、義勇は寝台の脇に腰を落とし王と向き合った。王は顔を覗き込むように義勇の間近に片膝をついた。
    「あなたの故国があなたを救わないのならば、王の名において俺があなたを庇護します。我が国に留まってください」
    「何故そんなことをする必要がある。俺は国情も知らぬ一介の兵士だ。貴国にひとつの利もない」
     いかに慈悲深い王といえ、刺客を進んで助けようとするなどいくらなんでも度が過ぎる。人質にする価値があるような貴人ではないのだ。
     しかし王は義勇の手をそっと握り、少年らしい曇りない瞳を真っ直ぐに義勇に向けた。
    「できれば俺は、この先を生きるあなたの運命になりたい」
     その真剣な眼差しの、薔薇色に染まった頬の、なんと美しいことだろうか。
     この憐れみ深く輝きに満ちた少年に仕えることができたなら、どれほど幸せだろうか。それでも。
    「……姉が、国にいる。いまは嫁いで子もいるが、早くに親を亡くして俺を育ててくれた同腹の姉だ。俺が他国の王を暗殺しようとしていることなど無論知らない。
     もし暗殺に失敗しても俺が殺されたなら、おそらく姉に累が及ぶことはないだろう。だが憐れみをかけられ生き延びたことが国に知れれば、おそらく姉家族は俺の責に連座させられる。まだ幼い甥姪までもだ」
     目を閉じればいまも、姉の慈愛に満ちた笑顔が目蓋の裏に浮かぶ。最近立ち歩きを始めたばかりの小さい姪とまだ生まれて間もない赤子の甥。貧しいが心から姉を愛している優しい義兄。
     彼らの幸せが壊されずに済むならば、自分の命など安いものだ。
    「姉君のご一家をこちらに逃がすこともできます。表立って俺が人を差し向けるわけにはいきませんし、夜陰に紛れて脱出を図るのに少し時間が必要ですが、幸いあなたがここに来てまだ二日です。暗殺の決行にはまだしばらくの時を要してもおかしくはありません。その間に……」
    「駄目だ。この国の王は女を攫って一夜の伽をさせすぐに殺すと俺たちは聞いていた。だから俺は女の振りをしてここに来たんだ。当然一両日中に成否が出るはずと国は……王軍は考えている」
    「それじゃ、あなたに命令を下した人たちはどうやって詳細を知るのですか? 俺が死ねば宮殿に弔旗が立ちますが、あなたが死んだかどうかなんて外からは分かりませんよ」
     それはまったくその通りで、そこまで考えの及んでいなかった義勇はううんと唸った。王はその様子を見て少し笑い、それから考える様子を見せた。
    「この内殿には限られた者しか入れませんが、客殿を含めた外宮までは家臣や商人が出入りします。おそらくその中に間諜を潜り込ませてあなたの動向を調べるつもりでしょう。それであればこちらにも打つ手はあります。
     あなたが一夜で片をつけることができずここに留まって機を窺っていると、そう思わせるような噂を彼らに流しましょう。そう、例えば―――王はあなたが語る話に夢中で、手を出すことも殺すこともできずにいるとか」
    「俺はこの通りの口下手だ。無理がある」
    「姉君の命がかかっているのだから、出来もしないことを死に物狂いでやっているのだろう。そう彼らが思ってくれればいいんです。多少の無理は彼ら自身が辻褄を合わせて理解してくれますよ」
     大丈夫。そう言い切った少年の力強さに、義勇は小さく感嘆の息を洩らした。そこには確かに人を統べる者の風格があった。
    「……本当に、お前は王なのだな」
    「もしかして、疑ってらしたんですか?」
     義勇の言葉に、彼はどこか愉しげに笑った。


     ここは俺が勝手に執務室として使っているんです。狭い侍従部屋を示して少年王はそう言った。
    「本来王が使う執務室は別にあるんですけど、広すぎてどうも俺には使い勝手が悪くて。これで書棚が入れば言うことないんですが」
     前言撤回だ。やや呆れ気味に義勇は思った。こんな得体の知れない相手にぺらぺらと好き勝手喋るのも未だ敬語を崩さないのも、まったくもって王らしくない。
    「もっと、その、いい部屋を使われては。これだけの宮殿なら、ちょうどの部屋があるはず……です」
     義勇がそう言うと、王は目をぱちくりさせた。
    「どうしたんですか。急に改まって、ぎこちない言葉になってしまって」
    「俺、いや、私は平民なので……他国のとはいえ王陛下に向ける言葉遣いではなかっ……いえ、ありませんでした」
     そもそも軍に在る身なので敬語が使えないはずもないが、この王に対してはどうにも今更といった感が拭えない。なにせ殺そうとして刃まで向けた後なのだ。
     それでも何とか然るべき振る舞いをしようと四苦八苦していると、その様子が余程可笑しかったのか王は口に手を当てて噴き出した。
    「どうかこれまで通りにしていてください。あなたは臣下ではないんですから、俺に畏まる必要など全然ないんですよ」
    「ですが」
    「俺は、あなたが素のままに話してくださる言葉やお声が好きなんです。そうだ、お名前を聞かせて頂けますか」
     ここに来て、門番の兵士にもあの親切な下働きの娘たちにも一度も名乗ることがなかった。名を訊かれなかったせいもあるし、大罪を犯す身で名乗りたくなどなかったせいもある。
     名もない刀のように、容易く壊されて死ぬつもりだった。
     だというのに、この少年に名を呼ばれることを思うとどうしようもなく胸が高鳴った。
    「……義勇、という」
    「義勇さん、きれいなお名前です! 義勇さんとお呼びしてもいいですか?」
    「敬称は要らない。敬語も」
     立場が露わになってなお、そんな丁寧な言葉を使われるのがいたたまれない。だが彼はいいえと首を横に振った。
    「義勇さんは俺より歳上でいらっしゃるんですから、敬意をもって接するのが当たり前です。それに実を言えば、俺は家族や親友以外には誰にでもこうなんですよ。時々叱られますけど」
     ごく質素な風体も相俟って、目前で屈託なく笑っている少年はやはり王には見えなかった。自分を慕ってくれる弟がいればこんなだったのだろうか、と義勇はふと思ったが、ただの身内に対するのとはまた違う感情が己の中に芽生えていることもまた自覚していた。
    「俺の名は炭治郎といいます。できれば役職ではなくて、名前で呼んで下さると嬉しいです」
     少年はきらきらとした瞳で義勇を見上げた。たんじろうさま、と呟くと、様はやめて下さいと赤い顔で否定された。
    「そうはいかない。それにそちらも、俺の名前に敬称をつけているだろう。本来俺はお前を王陛下と呼ばなければならないし、お前は俺を呼び捨てにするべきだ」
    「でも俺たち、もうこの言葉遣いがお互い自然になってますし。呼び方ばかりが食い違ってもおかしいと思うんです」
     しかし。だが。言い合った挙句に結局義勇は彼の言い分を呑まざるを得なかった。少年は見た目よりずっと頑固で、引くことをしなかったからだ。
     軽い足音が廊下から響いてきて、義勇をここまで連れてきてくれた娘が戸口から顔を出した。少女はお呼びですかと言いかけて覆いを取った義勇の姿を認め、息を飲んで立ちすくむ。彼女は自分がここに連れてきたのは女だったと信じていたはずだ。
    「いま俺がここの呼び鈴を引いて彼女を呼びました。禰󠄀豆子、ちょっと様子が変わられたけれどさっきのお客様だ。事情があってしばらく内殿に滞在してもらうことになったから……」
    「炭治郎、待ってくれ。その前に俺はこの人に詫びねばならない」
     義勇は彼の言葉を遮り、少女の前に跪いて深く頭を下げた。
    「見ての通り、俺は男だ。あなた方を謀って宮殿に入り込み、王陛下を害するつもりだった。陛下に慈悲を賜りこうして生きているが、詫びて済まされることではない。いずれ必ず一命をもって償うと誓う。だから、それまで―――」
    「だから言ったでしょ、お兄ちゃん!」
     明らかに自分に向けられたのではない非難に驚いて頭を上げれば、下働きであったはずの娘は腰に手を当て王を睨み据えていた。そして王といえば首を竦め、義勇に小さく「妹です」とばつの悪そうな顔で言った。
    「お兄ちゃんのしてることは正しいけど、そのやり方じゃ恨みを買うのは当たり前だわ。この人が来たのもそのせいなんでしょ?」
    「ああ、うん……」
    「お母さんが言うように、時間がかかっても制度を整えていく方がいいと思うの。それはお兄ちゃん……王様にしかできないことなんだから」
    「……だけどそれじゃ、いま苦しんでる人たちを救えない。間に合わない」
    「それも、分かるけれど……」
     おそらく重要な政の話をしているのであろう兄妹に憚って控えている義勇に気づいたのか、炭治郎が「義勇さんが仰っていた噂に関わる話です」とどこか力なく言った。
    「この国の王は女性とみれば見境なく召し上げすぐさま殺す。そういった噂が流れていることは知っています。他国にまで聞こえているとは思いませんでしたが。
     結論から言えば、確かに俺は人攫いのような真似をしています。ただし女性だけではありませんし、当然その……そういうことをするためでもありません。殺してもいません。俺が人を連れ去るのは、その人を保護するためなんです」
    「保護?」
     炭治郎曰く。この国は昔から、非力で戦争に出られない女や子供、年寄り、病人が軽視されがちな土地柄だった。ばかりか一部には、力なく立場の弱い人々を強者が虐げ搾取するのは当然の権利とする風潮がある。
     先王であった父が在位している頃、炭治郎らきょうだいはそんな世情を知ることもなく暮らしていた。まだ心の柔らかい子どもに世の残酷な様を見せまいとする、親としての配慮だったのだろう。
     だが父親が病を得て急逝し、無垢な少年は突然に苛酷な現実と対峙することになった。
     政務を学ぶ傍ら忍んで見聞した自国にあったのは、穏やかに暮らしを営む民の姿ばかりではなかった。そこには物のように乱暴に扱われる女、家畜のように売り買いされる子どもがいた。
    「お父さんは、お兄ちゃんにはちゃんと何もかも伝えるつもりだったと思う。間に合わなかっただけなのよ」
    「うん、分かってる。父さんは責任を投げ出すような真似を決して許さない人だったから」
     妹の言葉に、兄は寂しげに微笑んで頷いた。
     虐げられる人々を守る法を制定しようとしているが、それは未だ通らない。宮廷にもその風潮を是とする臣下が大勢おり、立法は父王の代から頓挫していたのだ。まして即位したばかりの若年の王が押し通せるはずもなかった。
     なので、彼は無茶をし始めた。父が遺した伝手を辿って宮廷の外に協力者を集め、虐げられている人を見つけては召し上げるという形で匿い始めたのだ。
    「一応宮中で仕えさせるという形をとっていますが、女性は確かに多いですし……そういったことのためにやっていると疑われるのは無理ないです。それも次から次なので……」
    「だから見境なく、それも一夜で殺しているという噂になったのか」
    「はい、おそらく」
     都合よく扱っていた弱者を奪われた者らが、腹立ち紛れにでっち上げの噂を流した可能性もある。だが既に人口に膾炙したいまとなっては、彼らを問い詰めたところでどうにもならない。
    「朝臣たちに事の次第がバレるとまた面倒なことになりますし、保護した人たちは母と弟たちに任せてここから少し離れた場所で匿っています。水場があるので少しは作物ができますし、もう俺たちの援助がなくても暮らせるくらい自立してるんですよ。……とは言ってもここに証拠があるわけではないので、義勇さんに信じて頂けるかは分かりませんが……」
    「いや、信じる」
     義勇があっさりと言ったので、逆に兄妹の方が信じられないとばかりに唖然とした顔を見せた。
    「何故驚く。俺の話をお前は信じてくれたのだから、俺もお前の話を信じるのが道義だ。それに、お前が俺に嘘を吐く益もない」
     実質義勇の身柄はこの王が抑えているのだから、本当は噂の通りだと言われたところで義勇には為すすべもないのだ。それに。
    「何より、俺がお前を信じたい」
     国元で散々聞かされた陰惨な噂より、ただこの目の前にいる澄んだ瞳の少年を信じたかった。叶うことならば、己の命の最期まで。
    「……ありがとうございます。義勇さんが信じて下さって、よかった」
     炭治郎は僅かに目を潤ませて義勇の手を取ろうとし、妹の目を気にしたのか慌ててその手を引っ込めた。
    「その噂を耳になさったことは分かります。ですがそれでどうしてあなたは王を討とうとなさったのでしょうか。まさか義憤ではありませんでしょう?」
     それまで一歩下がっていた妹が、兄を押さえるかのように前へ出て義勇に向き合った。義勇に代わって説明しようと口を開いた炭治郎を目で留め、義勇はここへ来るまでのあらましと姉家族のことを彼女に訥々と話した。決して口達者とは言えない義勇の言葉を少女は最後まで口を挟むことなく聴き、眉を顰めて俯いた。
    「姉のことはこちらの都合です。俺の罪を斟酌する必要はありません」
    「お姉さまのことは心配ですが、ごめんなさい、そうではなくて……。いま私が懸念しているのは、あなたではなくあなたの国が我が王の命を狙っていることなんです」
     一部隊内の酒席から発しただけの話に、たった数日で決行の裁可が将軍から降りるはずがない。禰󠄀豆子と呼ばれた少女はそう断言した。
    「おそらく、刺客を送るのはある程度前から企まれていたことだと思うの。それも王や宮廷が承知していることのはずよ。隣国の王が暗殺されれば自国にも影響が及ぶもの。だから準備を済ませた段階で決行者が選定されて、すぐに遂行命令が出たんだわ。
     酒席で話を出したのは、直接命令を下すことで暗殺に手を汚した王と謗られるのを避けたかったからじゃないかしら。噂を聞いた兵士が自発的に討ちに行ったという形さえとれれば、表向きには非難を免れるから」
    「禰󠄀豆子、それは推測で言っていいことじゃない」
     炭治郎が窘めたが、義勇はかぶりを振った。
    「いや、その人の言うことがおそらく正しい。俺は幾度か、この国の宝が欲しいとぼやく声を祖国で聞いた。これさえあれば我が国もこの国のように豊かになれるはずだと」
     宝、と寸時首を傾げた兄妹だったが、すぐに炭治郎ははっとした表情で義勇を見つめ返した。
    「交易路のことですか」
     同じように砂漠のただ中にある諸国の中で、この国の富は抜きんでている。それはこの国が、遥か東より発し阿大陸あるいは欧州へと至る通行路の分岐を有しているからだ。
     長い旅路を往く商隊は、通り過ぎる国にも旅費として金銭と希少な物品を落としていく。交易路とはつまり、大金の生る木に他ならない。
    「交易路を欲しがっているのは、おそらく俺の国だけではないだろう。それを考えれば、この国の王が暴虐で屈強、油断ならぬ者という噂ももしかすればお前の役に立つかもしれない。少なくとも、侮られずに済む」
    「あ、それは多分俺の父の話が混じっています。もちろん暴虐などではありませんでしたけど、俺の父は実際に強い人でしたから。俺自身はまだ、戦に出たことがありませんし」
     炭治郎が言うに、先王は巨躯の人喰い虎を一刀の元に斃すほどの剣の使い手であったという。護衛の兵士が王のお傍が最も安全と嘯いていたほどだと言うから間違いがない。
    「なるほど炭治郎の身のこなしは先王からの薫陶か。……少し、安心した」
     この少年は強い。それを思い出して義勇は安堵に口許を緩ませた。何故か兄妹がそっくりのぽうっとした顔でその様子を眺めていた。
    「……なんだ」
    「いいえ! それで、あの、えーとなんだっけ、そうだ部屋だ。義勇さんにはしばらく客殿ではなく内宮に留まってもらうことになるから、禰󠄀豆子と花子にどこか一室滞在できそうな部屋を支度してほしいんだ」
     禰󠄀豆子は義勇と兄の様子を比べるかのようにじっと見た。
    「明日ならできますけど、今日はもう夕方よ。お部屋に風通しもできないし、お布団も埃を叩いて日に当てられないわ。ねえお兄ちゃん、それならお兄ちゃんの寝殿で一緒に寝たら。あの大きな寝台なら男性ふたりでもゆっくり寝られるわよ」
    「ええ、え、え!」
    「待ってくれ!」
     当の男性ふたりは同時に悲鳴染みた声をあげた。
    「義勇さんは嫁入りま……いや違うしっかりしろ炭治郎。その、お客様だぞ! 俺と同き……じゃない、同じ寝台に休ませるなんてそんな失礼な!」
    「俺が何をしようとしたのか分かってるのか! 王と同じ部屋で休むなどとんでもない。俺のことは外で鎖にでも繋いでおくのが相当だ。部屋も要らない」
     真っ赤になった兄と真っ青になった元客人の顔を見比べ、禰󠄀豆子は溜息をついた。
    「失礼ですが、義勇さんと呼ばせていただきますね。義勇さんにはまだ、兄を害するお心算がおありですか?」
    「あるはずがない。だが、俺が言うことをあなたがまともに信じるのは間違っている」
     彼女はにっこりと笑った。
    「きっと自覚していらっしゃらないと思いますが、義勇さんはお言葉より表情が雄弁でいらっしゃるのでちゃんと分かるんです。あなたはもう、兄や我が国の敵ではありません。私どもの宮殿で、どうぞ遠慮なくお寛ぎ下さい」
     そう言って深々と頭を下げた後、禰󠄀豆子は炭治郎へと向き直ってじとりと睨めつけた。
    「お兄ちゃん、よくないものが漏れてるわよ。本当にしっかりして」
    「うわあああ……。ハイ、気をつけます……」
     頭を抱えて蹲った兄を後目に「では私は夕食の支度をして参りますね」と言い残し、少女は廊下の向こうへ消えた。 
    「よくないもの、とは」
    「……それは、その、できれば気にしないでいただけると。スミマセン………」
    「いや、出過ぎた。申し訳ない」
     そもそも王族の会話に割り込める筋合いが、義勇にあるはずもないのだ。
     しゃがみ込んで丸い額を膝に押し当てていた炭治郎が、何か言いたげにふっと頭を上げた。だがよく喋るはずの少年の口からその時、何かの言葉が出てくることはなかった。


     やがて内宮の一室に食卓が整えられ、炭治郎のふたりの妹も加わっての晩餐が始まった。義勇にとっては、いつぞやの部隊長の招き以来に人と囲む食事だった。
     改めて紹介された下の妹の花子は、義勇の姿を見て少しばかり驚いた後「なんかおかしいと思った!」と大笑いした。
    「だって女の人にしては随分背も高いし体つきもがっしりしてるんだもの。顔はキレイな人だなーって思ってたけど。でもやっぱり男の人の服着てるとカッコいいなあ」
    「俺は格好良くはない。男らしい顔つきもしていないし髭もない」
    「髭なんてなくていいよ。あのぼさぼさしてるの私嫌い。ねえお兄ちゃんも髭なんて生やさないでそのままでいて。絶対その方がカッコいいもん」
     まだ頬がつるりとしている炭治郎は、それを聞いて苦笑した。
    「花子がどうしてもって言うならそうするけど。でも花子だってもう少しおとなになったら、髭が生えてる男の方がいいって思うかもしれないぞ」
    「そうかなあ。髭で顔半分真っ黒にしてる人より、お兄ちゃんや義勇さんみたいにきれいにしてる人の方がずっとカッコいいと思うけどなあ」
     義勇と炭治郎はそれを聞いて思わず顔を見合わせた。禰󠄀豆子が肩を震わせて笑っていた。
     食事の後にはやたらと広く豪奢な浴室に追いやられ、風呂から上がればコーヒーと焼き菓子の並んだテラスに招かれた。炭治郎はその場に居らず、義勇は囀るようにおしゃべりに興じる禰󠄀豆子、花子と共に据わりの悪い心地で菓子を摘んだ。
     やがて風呂から上がってきた炭治郎がそこに加わり、ささやかな茶会は他愛ない話題で更に賑わいだ。いつもこういったことをしているのかと義勇が問えば、お客様がいらっしゃるから今日は特別ですと炭治郎は悪戯っぽい表情を見せた。
     そして茶会もお開きとなり、義勇は抗うすべもなく王の寝殿に引き込まれた。緻密な幾何学模様と黄金の装飾できらびやかに彩られたその部屋は呆れるほど広く、絹織りと見える薄布の天蓋が幾重にも下がる寝台もまた啞然とするほど大きかった。
     なるほどこれならば男ふたりでも余裕があるなと考えてから、そもそもの用途に思い至って義勇は赤面した。これは王が妻妾と共寝するために大きく作られているのだ。
    「あの、俺も普段はここを使わないです……。いつもは大抵あの執務に使ってる部屋の寝台で休むか、机で寝落ちしてしまっていて」
     炭治郎が弁解するかのような口振りで義勇にそう言った。それはそれでどうなのか。
    「俺は廊下で休ませてもらう。お前はこの部屋に施錠して、自分の寝台でゆっくり休め」
     義勇が踵を返そうとすると、炭治郎は慌ててその袖を掴み「駄目です!」と叫んだ。
    「ちゃんと寝台で休んで下さい。俺が一緒でお嫌でしたら執務室へ行きますから!」
    「そんなわけにいくか。どうしてもと言うなら俺がそちらを借りる」
    「いいえ、義勇さんはお客様なんですから。お客様をあんな硬くて狭い寝台に寝かせておいて、俺ひとりここで休むわけにはいきません」
     一歩も退かぬと言わんばかりに眦を上げた少年に、義勇は小さく溜息をついた。
    「お前は……お前たちは、何か勘違いをしている。俺は客ではない。お前の慈悲で少しばかりの間生き永らえているだけの罪人だ。いずれ、いや、本当はいますぐにも、縄を打たれ斬首されなければならないんだ。王の寝台どころか、本来こんな場所に入ることさえ許されるべきじゃない」
     炭治郎は眉尻を下げ、まるで泣きそうな表情で義勇を見つめた。
    「それはもう罪ではありません。俺がそう決めました」
    「国の基が一存で法を曲げるな」
     この少年、このきょうだいには、どうか健やかな国で生きていてほしい。自分の心に悖ることなく人々を導くことのできる王となり、その優しさのまま幸せに暮らしてほしい。
     たかが一時の情で道を過たせ、この子の未来を汚してなるものか。
     炭治郎はそれを聞いてぎゅっと口を引き結び、拳を握り締めた。
    「曲げます。法で救われない人を法を曲げて助けるのも、王の仕事だからです」
    「それは助けるに値する善い者だけにするべきだ。俺は確かにお前を殺そうとした。罪を犯した」
    「ですから、それは俺がもういいって言ってるんです!」
    「馬鹿を言うな!」
     湧き上がる怒りに任せて怒鳴り据えると、義勇に向けてぴんと張られていた少年の肩がびくりと震え竦んだ。
    「お前はそうやって自分を殺そうとした人間を片端から赦免するつもりか。そんなことをすれば世界中から我先にと刺客が詰めかけてくるぞ。お前の家族も殺され、この国の民は奴婢に落とされる。それでいいのか」
    「そんなことはさせません!」
    「俺を処刑しないということはそういうことだ!」
     どうか分かってくれ。そう義勇は祈る。 
     いずれ打ち棄てられるはずの命なのだ。お前の未来のために使ってもらえるなら、この上嬉しいことはない。
     炭治郎は暫し俯き沈黙した後、突如燃えるような瞳を義勇へと向けた。
    「でしたら……義勇さんの命を俺に下さい。あなたの心も身体も人生もすべて、一度失くしたと思ってどうか俺に下さい。一生かけて、大切にしますから」
     赫い瞳に射抜かれ立ち竦むばかりの義勇の手を掬い取り、炭治郎は屈むようにして恭しくくちづけた。彼の指の思わぬ硬さと唇のやわらかさに、義勇は身体の芯にじわりとした熱が灯るのを感じた。
    「……王が、罪人にこんなことをしては、駄目だ」
    「あなたを愛しています。そうはっきり言わなければ、分かっていただけませんか」
     
    ―――駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。なんでそんなことを言うんだ。
     
    「俺は、男だ」
    「はい。存じています」
    「神の法に背く」
    「仕方ありません。あなたを想う気持ちに嘘はつけませんから」
    「お前が妃を娶って世継ぎを作らなければ、王統は絶える」
    「俺の下には弟妹が五人います。俺が子を作らなくても、誰かが継いでいってくれるはずです」
     柱に掛けられたガラスランプの眩い光を受けて、炭治郎の赫い瞳がきらきらと輝いた。その美しさに捕らえられるのが恐ろしいのに、義勇は彼の手を振り払い目を逸らすことができなかった。

    ―――やめてくれ。どうか。

    ―――だって俺も、お前を愛してしまったんだ。お前のためなら死んでもいいと思うほど、好きになってしまったんだ。

    ―――お前の足枷になど、なりたくないのに。

     ずるりとその場に腰を落としてしまった義勇に、炭治郎は慌てたように自分も膝をついた。
    「すみません、こんなこと急に言われても困りますよね。だけど、義勇さんを助けたい理由が俺にはちゃんとあるんだって分かってほしかったんです」
     俯き何も言葉を発せない義勇を慮ってか、炭治郎は握ったままだった手をそっと離して静かに立ち上がった。
    「俺、外で少し頭を冷やしてきますね。義勇さんはここで休んでください。俺は今夜はもうここに戻りませんから、心配しないで……」
     少年の手を義勇が咄嗟に捕らえ返したのは、半ば本能だった。
     心身のすべてが理性を凌駕し、彼の存在を欲した。
    「行くな。……行かないでくれ」
    「でも、義勇さん」
    「傍にいさせてくれ。いまだけでいいから」
     己の縋る声音に恥じ入って身を縮ませた義勇の肩を炭治郎が抱いた。まだ義勇より細いその腕は思うより力強く、そして燃えるように熱かった。
    「傍にいます。ずっと」
     背に回されたてのひらの温度が、薄い長衣を通して義勇の内側にまで滲み込んでくる。初めて感じたはずの熱であるのに、ずっとこれを探し求めていたような気がした。


     義勇は結局炭治郎に手招かれるまま寝台に上がり、彼の隣に身を横たえた。だがおそろしいほど柔らかい絹張りの寝具も想う相手の高い体温も、義勇の気持ちをざわつかせ眠りから遠ざけていった。
    「眠れませんか」
     ランプの灯を落とした暗がりに、ひそやかな声が響いた。義勇は一瞬否定しようとしたが結局「ああ」と頷いた。
    「俺もです。こんなふわふわの布団にはどうも慣れなくて」
     炭治郎はそう言って苦笑した。
    「お前は王族なのだから、こういった贅沢なものには慣れているだろう」
     この宮殿の門前に立ったときの、気圧されるような感覚を義勇は覚えている。門も仰ぎ見る尖塔もまた庭園も、あまりに優美であまりに豪奢だった。王の権勢なくしてこれほどのものはあり得ない。
    「うーん、うちはそもそもそんなにお金ないんですよ。だから普段は両親もきょうだいも麻の粗布ばかり使ってますし、食事もいつもは平パンと豆のペーストです。この宮殿も維持が精一杯ですね」
    「……王家なのにか?」
     それも貧窮国の王家ではない。近在で最も大きく最も栄えている国の王なのだ。ここに金がないとするなら、一体どこに金があるというのか。
    「確かに国土は広いですけど、荒れ地や砂漠が多いので国民の数は国土に比例しないんです。徴税を増やせるわけでもないので、使うものに使ってとんとんですよ。交易路だって落ちるお金は整備代を賄っていくらか余る程度です。道標はすぐ砂に埋まるし盗賊はしょっちゅう出るし」
    「そうか……」
     義勇は頷いたが、それならばこの絢爛な宮殿や豪華な内装はどうしてあるのだろうかと疑問に思う。彼の言う通りであれば、これほど美麗な宮殿が建つはずがない。
     そんな内心の疑念を汲み取ったかのように「もし眠れなければ、俺の家の話を少し聴いていただけますか」と炭治郎が言った。
    「俺の家は曽祖父の代まで、ここからずっと離れた山の麓に住んでいた石工でした。山の石を切り出して建材に加工し、街の人たちに売っていたんです」
     その曽祖父の代より遡ること百五十年前、時の王太子が隣国との戦争に敗れ近くへ落ち延びてきた。炭治郎の先祖は石切り場を利用して追撃の軍勢から王太子らを匿い、その功によって名ばかりの家臣として封ぜられた。
     とはいえ禄が与えられたわけでも徴税の権利が認められたわけでもないので、一家は変わらず石工として細々と暮らしていた。
    「それが俺の曽祖父の代に、当時の王家に反乱が起きたんです」
     王朝は末期の様相を呈しており、起こるべくして起こった反乱だった。それでも炭治郎の曽祖父は、俸禄も与えない主家に義理立てして王を扶けるべく立った。
     所詮名ばかり家臣で兵のひとりも持たない石工の親父である。反乱軍に出会いがしら突き飛ばされ、それで終わるはずだった。だというのに義侠心ひとつしか持ち合わせのない男の元にはなぜか人が集い始め、王都に入る頃には反乱軍をも凌ぐ軍勢となっていた。
     だが時既に遅く王族はみな処刑され、美しかった宮殿は血塗れの惨状と化していた。
     炭治郎の曽祖父は反乱軍を撃ち破った後に王家の人々を丁寧に弔い、自らの手で宮殿を拭き清めて王都を去ろうとした。しかし旗頭に逃げられては困る人々によって宮殿に押し込められ、心ならず次の王に据えられてしまったのだ。
    「前の王朝はその末期、急激に租税を増やして贅を尽くし始めたのだそうです。この宮殿もその頃のもので……もしかしたらですが、治世の終わりが近いことを感じ取っていたのかもしれません。
     なので、俺は幼い頃から父に言い聞かされました。自分のために、家族のために、それから国の民のために、分を弁えて暮らさなければいけない。俺たちはここを預かっているだけで、元々は石工に過ぎないのだからと。……義勇さん?」
     炭治郎の話をもっと聴いていたいのに、急に目蓋が重くなり意識も途切れ途切れになってくる。炭治郎が焚火の中でぱちぱちと弾ける焔のように小さく笑い、それから温かいてのひらがやさしく額に触れた。
    「いろんなことがあって疲れましたね。ゆっくり休んでください」
     包み込まれるような声が心地好く、義勇はとうとう眠りに落ちていく。意識が途切れるその間際、手よりももっとやわらかいものが一瞬だけ額を掠めた。
    「おやすみなさい、義勇さん。―――あなたに会えてよかった」
     ああ、俺もだよ。だが応える言葉は音になることなく、煌めくような夜に沈んでいった。
     満面の星が宝石を散りばめたかのように輝く、砂漠の国の美しい夜だった。


     翌朝陽が昇るや否や、宮殿の内外を驚くべき噂が駆け巡った。
     曰く、このほど王が引き入れた娘は絶世の美女であるのみならず大層な語り巧者である。王は彼女の物語にすっかり魅せられ、夜毎同衾もせず彼女の話に聴き入っているのだと。
     そしてその噂を裏付けるように、王の人攫いはぴたりと途絶えた。代わりに何も言わず姿を消す者が幾分増えたが、元よりあることなのでそれほど気にされることもなかった。
     ましてある晩に隣国の一家が忽然と消えたことなど、かの王と関連づけて考える者は誰もいなかった。
     
     その娘はいずれ正妃となるはずだ。そう誰もが考えたが、王はいつまで経っても誰とも婚礼を挙げなかった。また王宮に上がった者が王の妻妾らしき姿を目にすることもなく、王の傍に侍るのは常に彼の弟妹とただひとりの近侍のみだった。
     王はこれまでの非道が嘘のように民を慈しみ国に尽くした。崩御のその時には国中が王を惜しみ悲しみにくれたが、王が神の御許へ先立った近侍と同じ墓所へ入ったことを知る者は、王の弟妹の他にはなかった。


     朝臣らの跪拝を背に謁見の間を後にした炭治郎は、人目から完全に逃れたのを確認して後ろに付き従っていた義勇へと振り向いた。義勇や妹らといる時はきらきらと輝くばかりの赫い瞳に、いまははっきりとした疲労が宿っていた。
    「どうでした?」
    「……一筋縄ではいかなそうな御仁ばかりだな」
     姉一家を無事保護した後に、義勇は改めて王の近侍を仰せつかった。王の身の回りの世話から危急の際には護衛までも務める、王に近しく重要な役目である。
     そしてこの日は、義勇が王に間近く仕えるようになって初めての朝議だった。
     百人からいる家臣はみな慇懃だったが、明らかに年若い王を軽んじていた。炭治郎の発議はどれも丁重に棄却され、中には甘言を弄して王の権限を掠め取ろうとする者までいた。
    「俺がまだこんななので、仕方ないところではあるんです。あの人たちの意識が変わるように、俺自身がもっと頑張っていかないと」
     炭治郎は前を見据え、拳を固く握ってそう宣じた。その姿は心強く、また快く義勇の目に映った。
    「ああ。お前なら必ずできるはずだ。……我が王」
     義勇が僅かに微笑みその顔を覗き込めば炭治郎は一瞬にして真っ赤になったが、すぐに義勇の頬に指を置き唇を重ねてきた。
    「こら、執務中は駄目だと言っただろう」
     不埒な少年を引き剥がして苦言すると「だって義勇さんがあんまりきれいだったんです」と意味の分からない抗弁が返ってきた。
    「とにかく、駄目だ。……お前にそんなことをされると、俺の方が務めを果たせなくなる」
     言葉に出せば頬が熱くなり、義勇は炭治郎から背けた顔をてのひらで覆った。炭治郎がそれを見て、朝議の疲れはどこへやらといった風情で嬉しげに笑った。
    「義勇さん、かわいい。大好きです。俺の義勇さん!」
    「こらやめろ、炭治郎!」
     制止しても構わずぎゅうぎゅうと抱きついてくる唯一無二の少年に、義勇はとうとう抗うのをやめた。口先ばかりでどう言ったところで、義勇とて彼のことが愛しくてならないのだ。
     夜寝殿に入るまではもうしない。そう心に決めて、義勇は二度目のくちづけを受け入れた。
     砂漠を灼く太陽は、まだ気が遠くなるほど高かった。

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    yuzunohappa

    MOURNINGたんぎゆでおとぎ話、というのを細々書いていたのですが、先が進まないのでできた分だけこちらで供養。でっちあげ異世界ものみたいなもんなので、フィーリングで読んでください。なんで和名そのまま使ってるのかとか突っ込んだら負け(私が)
    元ネタはアラビアンナイト。ハピエンです。
    One and eternal night story その王の暴虐は、近隣諸国に鳴り響いていた。
     かの領国は広く豊かで、また戦も強い。他国に攻め込むことこそまずないものの、攻め込んで領地を削るのに成功した国も数十年なかった。
     だが安定した国ゆえか、領土を治める王はある時から粗暴な振る舞いを見せ始めた。自国の女を攫うように後宮に召し上げ、一度閨を共にすると翌朝には殺してしまうのだ。その遺骸は谷に投げ捨て、遺族の元へ戻ることさえないという。
     その残虐さを自国民はおろか他国の民までが恐れ蔑んだが、強大な軍事力と治世の安定を盾に王は非道を働き続けていた。


     その隣国に、義勇という青年がいた。
     彼は前年に自国で王軍の兵士となったが、以来いくさ働きの機会もなく微禄をただ食むだけの身分である。そんなであるので妻を娶ることもなく、楽しみといえば行きつけの店で好物を食べることくらいだった。
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