幸福な朝✕世界の終わりに「で、き、たーー!」
サラは居候先のキッチンの石窯からできたてのパンを取り出して、満面の笑みを浮かべた。
こちらに滞在してだいぶ時間は経つが、実家とは勝手が違うキッチンで思うようにうまく焼けず……何度も失敗を繰り返した結果、ついに胸を張れるパンが焼き上がったのだ。
「ん〜〜! やっぱり、できたてのパンの匂いっていいなぁ」
美味しそうな匂いを堪能していると、彼女の弾む声が気になったトーマスがひょっこりとキッチンに顔を出した。
「朝から楽しそうな声がするなぁと来てみたら……できたのかい?」
「うん、そうなの! 私史上、最高傑作のパンよ!」
「それは食べるのが楽しみだな」
「食堂で待ってて! 粗熱を取ったら運ぶから!」
そう言ってまた作業に戻った彼女の背中にわかったと返事をして、トーマスはキッチンから出て行った。
「さぁ、どうぞ! 召し上がれ〜!」
食堂にて準備と屋敷の者が揃い、それぞれ目の前の朝食に手をかける。今日一番の出来であるサラの焼き立てパンを食べた面々は、美味しいと口を揃えて彼女を褒めた。
嬉しい感想を聞いたサラはニコニコとご満悦で、自身もようやくパンを手に取った。丸いパンを大きくちぎり、大好物のラズベリージャムをたっぷりと塗って、口を大きく開け頬張る。
「う〜〜ん! おいしいーー!」
彼女の向かいの席に座るトーマスは、ひと口ずつ噛み締めるかのように食べるサラが微笑ましく、つられてニコニコと笑った。
「サラは本当に幸せそうに食べるよなぁ」
「ふふふ、朝食を最高の時間にするは秘訣があるのよ」
「へぇ、そうなのか? じゃあ、サラが考える幸せな朝の条件を教えてくれるか?」
トーマスの質問に、サラはいいよ! と快く返事をした。
「まずは焼き立てのパンに大好きなジャムでしょ、そして淹れたての美味しい紅茶が必要なの」
サラは確認するかのように一つずつ指差して、最後には紅茶が入ったカップを両手で持ち、口にして喉を温めた。
「はは、どれもサラが好きなものだな」
「そうとも言うわね! でもこの三つだけ揃えてもだめなのよ」
最後にもう一つだけ条件があるの!と人差し指を立てて言うと、興味を持ったトーマスが楽しそうに聞いてきた。
「ほほぅ? それで、その条件とは?」
サラは立てた人差し指を口の前に移動して、頬をほんのりピンク色にさせた。
「それはーー……ナ・イ・ショ♡」
イタズラっ子ぽい仕草でそう言われたトーマスは、あれ? と右肩をがくりと落とす。
「そこまで話しておいて、えらく勿体ぶるじゃないか」
「えへへ、ごめんね。だってこれは私の条件で、トムに当てはまるとは限らないし…」
「そうか? そんなの話してみないと、わからないじゃないか?」
「誘導して聞き出そうとしたってダメよ? その手には乗らないんだから」
サラは腕をクロスさせてバツマークを描くと、トーマスはこれ以上追求せず、この場は引き下がることにした。
「んー、残念だが…仕方ないか。だが、諦めたわけじゃないからな」
「そう簡単に口は割らないわよ?」
「粘り強く交渉するのは、仕事で慣れてるよ。気長にやるさ」
チャンスはいくらでもあるしとトーマスは不敵な笑みを見せると、サラは面白そうにくすくすと笑う。
「毎日、気が抜けないわね! いいわ、受けて立ちます!」
トムがカンパニーの社長だからって負けないんだから! と彼女は啖呵を切ってみせた。
「お、言ったなサラ。じゃあ今度はうまく聞き出せるように、作戦を練っておこう」
そう言ってトーマスは、最後の一口だったパンを食べて紅茶を飲み干し、席を立つ。
「ごちそうさまでした、美味しいパンをありがとなサラ」
「どういたしまして。あ、さっきの話だけど不意打ちで聞くのはダメだからね?」
「わかっているさ。卑怯な手は使わないよ」
じゃあ、これから仕事だからとトーマスが言うと、サラはも椅子から立ち上がる。
「ありがとう、トム!」
行ってきますと言い残して出ていく彼の背中に、サラは笑顔で行ってらっしゃいと見送った。
…朝食が終わり、ひとり食堂に残ったサラは後片付けをしていた。作業しながらトーマスとの会話を思い返して、自然と頬が緩む。彼との間でこういった駆け引きをするのが珍しく、サラの心は浮足立っていた。だがしかし、はたとあることに思い至り、片付けの手を止めた。
もし、彼がまた聞いてきたら……どうするの?という問題である。腕を組んでサラは考えるも、やがて首を振って結論を出した。
幸せな朝にする最後の条件、それは――
「好きな人と一緒に食べることだなんて……そんなこと、まだ言えない」
頬を赤くしてそう呟いたサラは居たたまれなくなり、手早く片付けを済ませて、パタパタと食堂から出て行ったのでした。
朝の仕事が終わり、サラは自分の部屋で淹れたての紅茶を飲んで人心地つく。居た堪れない気持ちをなんとか収めようと忙しく動いた結果、いつもよりも早く終わってしまったのだ。
「はぁ〜…いい天気ーー…」
清々しい気持ちで窓辺から空を眺めて呟いたその時――雲一つない青天を割るかのように、雷光が走る。あまりの光の強さにサラは目を瞑り顔を背けるも、そのまま眩さに飲み込まれ……彼女の手から床に落ちて割れたカップだけが、その場に残されたのだった。
――その日、サラはこの世界から姿を消した。