向日葵迷路 秋が深まってきた頃――ピドナのトーマスカンパニーでは朝から仕事に追われていた。サラはトーマス社長宛てに届いた手紙を仕分けし、ひとつひとつ宛名を確認していると、フルブライトの名を見つけた。
「トム、フルブライトさんから手紙が来てるわ」
彼女に呼びかけられたトーマスは仕事の手を止めて、サラから手紙を受け取り封を切った。
「前回話し合ったことの進捗報告だな。それと……?」
手紙はもう一枚入っていた。内容を読んだトーマスは苦笑して、サラにも中身を見せた。
「……この前のお礼だそうだ」
「…あぁ、あのひまわり畑のことね」
彼と同じく、サラも困り眉をして笑った。
✼✼✼
――それは夏も盛りの時期のこと、トーマスとサラはウィルミントンに仕事で訪れていた。打倒ドフォーレに向けて、同盟相手であるフルブライト商会と話し合うためである。会談は順調に進み、今後の指針もまとまったところで、彼らは紅茶を飲んで一息つく。この時の雑談で、ウィルミントンでは今年、新たな事業としてひまわり畑を作ったという話になった。
「我がウィルミントンは美しい絵皿などの工芸品で有名だが、それだけではなく、観光にも力を入れようという話になったのだよ」
ひまわり畑と聞いて、その手の話に興味があるサラの目は輝いた。
「一面のひまわり畑なんて、とても素敵ですね!」
サラがそう言うと、フルブライトがにこやかな笑顔でそうだろうと頷き返す。
「そこでだ。観光客第一号として、君たちにひまわり畑を観てもらおうと思うんだが、どうだろうか?」
「良いのですか、俺たちが最初で?」
「君たち、元はシノン村で農業を営んでいたのだろう? 経験者だからこそ、見てもらいたいんだ」
彼の返答にトーマスは、なるほどと頷いた。
「わかりました、その提案をお受けいたしましょう。いいよな、サラ?」
「うん。ひまわり畑、楽しみにしてます!」
二人は笑顔で快諾をし、会談が終わったその足で、三人はひまわり畑に向かった。
フルブライトに案内されてまず二人が驚いたのは、ひまわり畑の広大さであった。
「見事であろう? ここら一帯の土地を商会で買い上げたのだよ!」
ふんぞって自慢気に話すフルブライトの隣で、二人は呆気に取られていた。
「ここまで広いとは、思ってもみなかったな…」
「すごい数のひまわりね…何本あるのかしら?」
見渡す限り満開のひまわりが彼らの前に広がり、時折吹く風が大輪の花を揺らして、三人を歓迎しているかのようだった。
「フフフ…ただたくさん植えただけではない。こんなイベントも企画している」
そう言うと、フルブライトは懐から一枚の紙を取り出し、トーマスに渡す。受け取ったトーマスは紙を広げると、ひまわり畑の地図が描かれていた。
「これは…この畑、迷路になっているのですか?」
「そのとおりだ。来てくれた観光客に楽しんでもらおうと思ってね」
「イベントは観光客が喜んでくれそうですね」
トーマスの隣にいたサラは地図を覗き見て、声を弾ませた。
「楽しそう〜! ワクワクしちゃう!」
「地図に示されたチェックポイントでスタンプを押してゴールへと向かう。いたってシンプルなイベントだ」
スタートはあちらからだと、彼の手の指す方向を二人が見ると、アーチ型の白いゲートが設けられていた。
「ぜひ、体験した感想を聞かせてほしい」
わかりました! と二人はフルブライトに応えると、期待を胸にひまわり畑へと降りていった。
ゲートをくぐると、サラは見上げるほどの高さにあるひまわりに驚いた。
「畑の外からは気づかなかったけど、近づくとどれも大きいのね」
彼女の隣でトーマスは、ひまわりと自分に背丈を比べる。
「俺の顔と同じ高さに花があるな…これだと遠くが見渡せない」
仕方なしと、彼はさっきフルブライトからもらった地図を広げてサラに見せる。
「今、俺たちがいるところはココ。そして目指すチェックポイントが、高台にある白い展望台だ。そこにスタンプ台があるらしい」
トーマスは少し背を伸ばして辺りを見回す。ひまわり畑の奥の方に、それらしきものが見えた。
「あった、アレだな」
「いいな〜トムは。私の背じゃ全然見えない…」
どんなに彼女が背伸びをしても、黄色い花しか視界に入らなかった。
「近くに行けばサラにも見えるさ。地図を頼りにチェックポイントへ行こう」
この壮大な迷路をトーマスは広げた地図を確認しながら、サラは優美なひまわりを見惚れつつ、歩き始めたのだが……お互い気づかないうちに、別々の道に入り、離れ離れになってしまった――
先に異変に気がついたのはトーマスだった。
「この迷路、地図を頼りにしないと難しいな。気をつけないと道に迷うぞ……って、サラ?」
付いてきていると思って話しかけた相手から返事がなく、トーマスは辺りを見回す。ひまわり達が風で楽しそうに揺れるばかりで、とても静かだった。サラがいないと気づいた彼はさぁっと顔が青くなり、来た道を走って戻るも彼女の姿を確認できなかった。
「嘘だろ…? どこではぐれたんだ?」
悩んでいるよりも行動だと考えたトーマスは迷路の入口まで戻るも、結果は同じで……
「サラ!」
とうとう彼は彼女の名を大声で叫びながら探し始めた。
……そんなトーマスから少し離れた場所にて、ひまわりに見惚れて歩いていたサラは一つため息をつく。
「こんなにたくさん、しかも人の背よりも大きく育てるなんて…ウィルミントンの人たち、すごいよね! って、……トム?」
相手が隣にいると思って顔を向けると、背丈の大きいひまわりが彼女を見下ろすだけで、サラは目が点になった。
「え? あれ? もしかしなくても、私、迷子になっちゃった?」
青くなったサラは慌てて引き返すも、順路がわからず、行き止まりに当たってしまう。
「トム……どこなの?」
はぐれてしまった彼の名を呼びながら、サラは闇雲に走り出すのだった。
お互いに自分の名を呼び合うものの、なかなか巡り会えず……何か方法はないかと、トーマスは改めて地図を広げ、あることを閃いた。
「そうだ、この展望台からサラを探せば…!」
地図を頼りに高台の辿り着き、展望台に駆け上る。そこから望んだ景色は、目を見張るほど絶景のひまわり畑が広がっており、トーマスは息を呑んだ。思わず眼下の光景に見惚れてしまうも、ここに登った目的を思い出した彼は、頭を振り項を垂れる。
――ここからなら、サラを見つけられるかと思ったが、考えが浅はかだったか……
サラのトレードマークである黄色いリボンは、ひまわりの花びらに紛れてしまい、彼女を見つけることができなかった。落胆のため息を一つついたトーマスだったが、気を取り直して口から大きく息を吸い込む。そして……
「サラ! 聞こえるか! 必ず見つけ出すから、その場から動かないでくれ!!」
ひまわり畑に大声が響き渡る。すると遠くの方から、わかったわ! と、サラも大きな声で返事があった。
「…畑の奥の方からだな。待っているんだぞ、サラ。今行くから」
場所の見当をつけて展望台から降りたトーマスは、彼女の声がした方へと走って向かった。
はぐれたサラはというと――トーマスの声に返事した後、彼女はその場にしゃがみこんでしまった。
「良かった、トムが見つけてくれるって……」
目印もない場所を走り回った挙げ句、何度目かの袋小路にハマってしまい、もうこの迷路から抜けれられないのでは? と途方に暮れていたところで彼の声がしたのだ。
「……あれ? 涙が…」
それまで張り詰めていた気が緩み、サラの目からポロポロと涙が零れる。頬を流れる涙を指で拭っていると、こちらに向かって走ってくる足音が聞こえてきて、サラは振り返った。
「トム!」
「サラ…! ここにいたのか、良かった」
息せき切って走ってきた彼は、ホッと息を漏らすと同時に座っているサラを抱きしめた。
「ごめんな。地図に集中して気にかけてあげられなくて…」
「うぅん、私も花に見惚れて迷路のことなんて気にしてなかったから…」
ごめんなさいと、涙声でサラはそう言い、抱きしめ返す。
彼女が泣いていたと気づいたトーマスは体を離すと、サラの頬にできた涙の跡を確認して、親指でそっと触れた。
「怖い思いをさせたみたいだな」
「違うの、これは……さっき、トムの声が聞こえて、安心しちゃって…」
サラは自分の頬を触れる大きな手に自分の手を重ね、大丈夫よと微笑む。
彼女の涙が迷子になった恐怖からではないとわかり、トーマスは安堵した。
「そうか…良かった。少し落ち着いてから移動しようか」
「あの…実はとても言いにくいんだけど、ホッとした途端に足の力が抜けちゃったみたいで、歩けるかわからないの」
「立つのも大変かな?」
「どうだろう、やってみるけども……わ!」
そう言ってサラはふらつきながら立ち上がる。だがしかし足が震えてしまい、倒れそうになったところを、素早く立ち上がったトーマスがサラの体を支えた。
「うーん…これは歩くのも難しそうだな」
「ごめんなさい」
「サラが謝ることじゃないよ。この責任は企画したフルブライトさんにあるから。後できっちり責任を取ってもらうよ」
爽やかに笑ってそう言うトーマスだったが、目の奥は笑っておらず、サラは彼が心中では怒っていることを察して苦笑した。
「さて、フルブライトさんのことは置いといて、ここから移動しようか」
一度サラを座らせ、トーマスは彼女に背中を向けてしゃがんだ。
「ほら、サラ乗って」
「え、おんぶ? で、でも、それはちょっと…」
いくらなんでもそこまで子どもじゃないわと、サラは恥ずかしがる。
「だが、足を引きずって歩くよりはマシだろ?」
彼の言う通り、足の様子を気にしながら移動するのは難しい。
「……わかったわ、背中お借りします」
サラはゴクリと唾を飲む。少しふらつきながら立ち上がって、彼の背中に身を預けた。
そしてトーマスは、彼女が背中に乗ったことを確認すると、サラの足を持って立ち上がった。
「わぁ、すごい!」
彼におぶわれたことで、サラの目線がひまわりの背丈より頭一つ分高くなり、感嘆の声をあげた。
「見渡す限り、一面真っ黄色だわ!」
感動して見惚れていると、トーマスがひとつ咳払いをして声をかける。
「楽しんでいるところ悪いけど、動いていいかな?」
「あ…はい! どうぞ…!」
またやってしまったと、サラは決まりの悪い顔をして、慌てて返事をした。
トーマスはゆっくりと動き出し、話を続ける。
「とりあえず、最初の目的だった展望台まで運んであげるよ。そこからの景色も素晴らしかったしな」
「そうなの?! あれ? トム、いつの間にって――あ……」
――私が迷子になった時に??
広大なひまわり畑で、遠くまで声を響かせるために彼は展望台に登ったのだろう。その時の自分を呼ぶ彼の声が、とても必死だったことをサラは思い出し、きゅんと胸が詰まる。
「……どうしたんだ?」
彼女とのお喋りが突然ストップしたこと気になったトーマスがそう問いかけると、サラ彼の後頭部に自身の額をそっと近づけた。
「なんでもないの。ただちょっと、胸がいっぱいで……ありがとうトム」
さっき言いそびれちゃったからと、サラは照れて笑う。するとトーマスはフッと口元を緩ませて答えた。
「どういたしまして」
✼✼✼
二人はそんな夏の思い出を振り返り、トーマスはひとつため息をつく。
「手紙にはアドバイスのおかげで観光客に喜ばれたとあったが、それがなかったらどうなっていたか考えたくもないな」
「迷路をゴールした後、トムってばフルブライトさんを見つけたら、すごい勢いで詰め寄ったものねぇ」
あの時のトムはとても良い笑顔だったけど、あれは少し怖かったなぁとサラはひっそりと思った。
「あのままひまわり畑をオープンしたら、観光客からクレームが入っていただろうしな」
改善されたようで安心したよと、そう言ってトーマスは手紙を閉じた。だがすぐに片付けず、顎に手を当て何か考えだした。
眉根を寄せて考え込む彼の表情が気になり、サラは声をかけた。
「……どうしたの、トム?」
「んーーいや、一つの考えなんだが、これをネタに次の会合で条件を融通して貰おうかと――って、冗談だよサラ」
それまで心配そうな顔をしていた彼女だったが、彼の話を聞いて口を開けて呆気にとられてしまった。
「ねぇ、トム。もしかして、ひまわり畑のことでまだ怒ってたりする?」
「あれから時間は経ったが、まだ少し…。サラはどうなんだ? 嫌な気持ちが残ってないのか?」
「私は……そうね。迷子になるアクシデントはあったけど、この夏の一番の思い出になったから、満足してるかな」
とても素敵なひまわり畑だったしね、とサラは付け加えた。
「ふぅん、そうか……サラがそう言うのなら、この話は飲み込んでおくかな」
「同盟を結んでいても本来はライバル企業だからって、そんなこと考えちゃダメよ」
腰に手を当ててサラはトーマスを諌めると、彼は悪かったよと謝り、二人はフフッと笑い出した。
「サラも言うようになったなぁ」
「これでも秘書ですから、社長の無茶な行動を止めるのも私の仕事です――なんてね。そろそろ仕事に戻りましょ」
私、お茶を淹れてくるわねと部屋から出ていったサラを見届けたトーマスは、座っていた椅子の背もたれに身を預けて、一つ息をついた。
「この夏一番の思い出かぁ…そう言われると何も言えないな…」
……アクシデントのすぐ後で、二人はやっと目的地である高台にたどり着いた。その頃にはサラの足の調子も戻っており、先に彼女が展望台に登り、トーマスは後に続く。眼下に広がる見事なひまわり畑に、サラはわぁ! と感嘆の声あげたが、言葉は続かなかった。そんなサラの様子を、トーマスは少し意外に感じた。
――もっとはしゃぐだろうと思ったが、違ったな。
先程までひまわりに見惚れていた彼女だから、この景色の素晴らしさに浮かれて、お喋りが止まらないだろうと彼は思っていたのだ。
トーマスはサラの隣に立ち、ちらっと相手を見る。サラは両手で胸元を握り、とても穏やかな表情でひまわり畑を見つめていた。まるで目の前の光景を、余すことなく目に焼き付けたいかのようであった。熱心にひまわり畑を見つめるそんな彼女の横顔が、トーマスの心に強く印象が残った――
「そうだな、サラの言う通りだよ。そこはフルブライトさんに感謝しないといけないな」
そう言ってトーマスは、仕事机の引き出しを開けて、手紙を大事にしまったのでした。