約束の木の下で それは六年前のバレンタインデーのこと――
シノン村の集会場の手伝いが終わった帰り道、ユリアンとトーマスはそれぞれ大きさの違うバスケットを持って話していた。
「すごいよなー特別な日だからって、いつもの報酬にプラスしてお菓子だなんてさ」
「毎年の恒例行事で、この日の集会場の仕事を進んでやる働き手もいるそうだ」
「わかるなぁ〜おまけにお菓子も貰えるんじゃ、オレもその日やります! って手を挙げるよ」
そう言ってユリアンはバスケットの中にあったクッキーを一つつまみ、ヒョイッと口に入れて食べた。
「…それにしてもさ、トムとオレが貰ったお菓子、違いすぎてない?」
お菓子の小さな山ができてるユリアンのバスケットに対して、トーマスの方はバスケットが彼の物より一回り大きく、上等なお菓子まであった。
「量はそう変わらないだろう?ただ、大きいものが多くて嵩張るってだ……」
「それだよ! そ、れ!」
ユリアンはトーマスの言葉を遮り、大きめのお菓子をビシッと指差した。
「そのお菓子、トムが本命だって思ってる娘がいるんじゃないの?」
「どうだろうなぁ…流れで貰ったようなものだから、本命かどうかはわからないな」
手紙とかついてない? とユリアンが聞くと、箱を触って確認したトーマスが、なさそうだと首を振った。
「そういうユリアンはどうなんだ?」
「ないね! でもオレはエレン一筋だから! まぁ、今年も貰えなかったんだけどな!」
はっはっは! と笑った後はぁ…とため息をつき、最後はうぅっと片腕で涙を拭く仕草をする。
トーマスはそんな親友の肩に手をポンと置いた。
「泣くなユリアン、また来年があるさ」
「トム、それ全く慰めになってないぞ…はぁ…まぁでも貰えなくても集会場でエレンに会えると思ったんだけどなぁ」
「そういえばそうだな。サラも見かけなかったし、もしかしたら今日はカーソン家が忙しいのかもなぁ」
「そっかぁ…それじゃ仕方がないかぁ」
残念だと話してるうちに、二人はそれぞれの家路へと向かう分かれ道まで来た。
「じゃあな、トム。また明日〜」
「あぁ、またなユリアン」
ユリアンと別れての帰り道。行く手によく知る女の子二人を見かけて、トーマスは声をかけた。
「おーい、エレン、サラー!」
彼の呼びかけに姉妹は立ち止まって振り向き、エレンが大きく手を振って答えた。
「やっほートム、手伝いの帰り?」
エレンは彼の持ってるそれを見て聞くと、トーマスはそうだと頷く。
「さっきまでユリアンと一緒にな。エレンは参加しなかったんだな」
「まぁね…去年手伝った時に、誰よりも多くお菓子を貰って帰ってきちゃってね…今年はパスしたのよ」
胸焼けしちゃったわと言うエレンにトーマスは苦笑する。彼女とそんな話をしながら、会ってから話もせず姉の後ろに隠れてしまったサラが気になって声をかけた。
「こんにちは、サラ。どうしたんだ今日は? 珍しくだんまりして…」
「そうよ。どうしたの、サラ。トムに会いに来たんでしょ?」
後ろに隠れていた妹の背中を、エレンは押して前に促す。するとやっとサラは、恥ずかしながらもトーマスにこんにちはと挨拶をした。
再度挨拶を返したトーマスは、話しやすいように彼女の目線と合わせるべく腰を少し屈める。
「俺に何か用かな、サラ?」
「あのね、トム……!」
それまで下を向き、バスケットの持ち手をもじもじとしていたサラが、意を決して顔をあげる。だがその時、目に入ったバスケットを見て、表情が固まった。
「トム…そのバスケットのお菓子は?」
「あぁ、これはさっき集会場で手伝いをした時に貰ったんだよ。バレンタインデーだからって」
「え……あ、ごめんなさい!」
突然何を思ったのか、サラはトーマスに背を向けて逃げだした。
「え?! サラ? ちょっと!」
隣にいたエレンは妹の行動に驚き、走り出したサラを止められなかった。
「俺が行くよ。エレン、これを頼むよ」
トーマスは持っていたバスケットをエレンに預けて、サラを追いかけた。
「あ、トム! まっ…あーぁ、行っちゃった…」
遠くなった彼の背中を見てエレンは、やれやれとため息をつき、預かったバスケットをベント家へ届けたのだった。
あれからそのまま走り続けたサラは、道端にある大きな木にたどり着く。そこで肩で大きく息をして、背中を木に預けて座り込んだ。膝を抱えて、バスケットからきれいにラッピングされたハートのチョコレートを取り出し、サラは深くため息をつく。
「何やってるんだろう、私……」
十歳になり大人というものを意識してきた彼女は、バレンタインの日に憧れの相手であるトーマスにお菓子をあげようと思いついた。前日から念入りに準備する浮かれようだったが、いざ渡す当日になると恥ずかしくなり、エレンに頼み込んでベント家まで付き添ってもらうことになった。そしてその道中でトーマスに出会ったが、彼の手にあったバスケットを見てサラは逃げ出した。
「……そうよね、トムはみんなに優しいものね」
彼なら自分のものだけを受け取ってくれる、そう思っていた。しかし現実は違い、何を勝手に勘違いしていたのかと恥ずかしくなったのだ。
「どうしようかな、これ…」
このまま捨てることもできず食べてしまおうと、サラは包装を破ろうとした時……
「良かったらそれ、俺に分けてくれるかな?」
聞き慣れた声が頭の上からして、サラは顔をあげると息を呑んだ。
「トム!」
走ってきたのか息を切らしていたトーマスは、ひとつ息をついてからサラの隣に腰掛ける。思わぬ人物の登場でサラはポーッとしていると、ダメかな? と笑顔で聞かれて彼女はハッと我に返った。そんなことない! と首を横にぶんぶん振り、手元にあったチョコを半分に割った。
「どうぞ、トム」
「ありがとう、サラ。いただくよ」
サラは手渡したチョコをトーマスが食べるところを、ハラハラした様子で見守った。
「うん。甘くて美味しいな、これ」
ほんとに? と聞くと食べてみなよと彼に促されて、サラは残ったチョコを一口食べる。口に中に広がるチョコの味に、サラはぱぁっと顔を綻ばせた。
「おいしい!」
「手の込んだお菓子は初めて作ったんじゃないんか? よくできてたな」
「えへへ、そう言ってくれると嬉しい。ありがとう、トム。でも……さっきは逃げ出しちゃってごめんなさい」
サラは正座をして謝り頭を下げると、トーマスは彼女に頭をあげるように言って、笑う。
「気にしてないよ。驚いたけど、そういう時もあるさ」
「渡そうと思ったら、いろいろ恥ずかしくなっちゃって…」
情けないよねとサラが苦笑すると、トーマスは少し考えてから何かを思いつき、手をポンと鳴らした。
「じゃあさ、サラ。練習してみるか?」
「練習って…何を?」
「サラが恥ずかしがらずに渡せるように、毎年この日に練習してみないか?」
「えぇっ!?」
なぜか毎年バレンタインの日に、この木の下でサラはトーマス相手にプレゼントする練習をすることになったのだった。
そんな話から六年が経ち、彼らはどうしているのかというと――?
「はい、トム。どうぞ」
サラはにっこり笑って渡すと、ありがとうと返事したトーマスも笑顔で受け取った。そして彼は貰ったその場で袋を開けて、チョコを半分に割りサラに差し出す。
「どうぞ、サラ」
こちらもお礼を言って、サラは彼からチョコを貰い、二人は木の根元に座り込んだ。彼らは律儀にも毎年同じ日に、この木の下でチョコを渡す練習の約束を守り、最後は分け合って食べてきた。何年も続くとそれが当たり前となり、恥ずかしくて渡せないということはなくなったが……
(気持ちはまったく伝えられないよぉ…)
慣れてきたせいで、本来の目的が達成できなくなってしまった。
サラはチョコを食べながら、ちらっと隣に座る彼を横目で見る。あの頃より大人になってカッコよくなった彼に見惚れつつ、一体相手が何を考えているかはまったくわからなかった。
分け合ったチョコはすぐに食べ終わってしまい、ごちそうさまと言ってサラは立ち上がる。するとつられてトーマスも立って、あぁ、そうだと彼女を呼び止めた。
「来月のお返しの日のことなんだが、カーソン家でなくここで待っていてくれないか?」
「いいけど……どうして?」
「サラに渡したいものがあるんだ」
できれば受け取ってくれると嬉しいなと去り際に笑顔で言われ、頭が真っ白になったサラは、遠くなる彼の背中を見つめるのでした。
お返しの日、当日――サラは約束通り、いつもの木の下にやってきた。
(あんなこと言われちゃったら、期待しちゃうじゃないの…)
最近はお互い忙しくなってなかなか会えず、もんもんとしながらサラは今日まで過ごしてきた。
渡したいものってなにかしら? とそわそわしていること数分、待ち人が現れた。
「やぁ、サラ」
「トム、こんにちは。って、わぁ!」
彼の手の中にあったピンクのチューリップ十二本の花束を見たサラは、張り詰めていた心が一瞬で華やいだ。
「とても綺麗ね…あの、もしかして、コレが…」
「そうだよ、サラに渡そうと思って」
どうぞと笑顔と一緒に渡されて、サラはいよいよ満面の笑みになった。
「ありがとう、トム! こんなかわいい花束もらったの、初めてよ!」
花束を優しく抱えて大事なもののように見る彼女に、トーマスは目元が優しくなる。そしてひとつ息をつき真面目な顔になり、サラと向き合った。
「喜んでいるところ悪いが、サラに聞いてもらいたいことがあるんだ」
「…なぁに?」
サラは笑顔を絶やさなかったが、内心はとても緊張して、声が震えた。
「もう察しはついてるだろうけども、言わせてくれ。サラのことが好きだ。だから……え?」
話の途中でぼたぼたと大粒の涙を流す彼女に、トーマスはぎょっとする。ごめんと謝ろうとすると、サラは違うのと首を振り、指で涙を拭った。
「これは嬉し涙よ。私ね、トムのことがずっと好きだったの。でも……チョコを渡すことはできても、言う勇気まではなくて…」
泣きじゃくっての告白に、言葉の最後はかすれ声になってしまった。
サラの気持ちを聞いたトーマスの表情が緩む。懐からハンカチを取り出し、目から溢れて止まらない彼女の涙を拭いてあげた。
「そうだったのか…だから約束を毎年守ってたんだな」
「うん、やっと言えた…良かった…」
感極まったサラは、花束を抱えたまま一歩進んで、彼の腕の中に飛び込む。
突然の彼女の行動にトーマスは驚いたが、優しく受け止めて頭をポンポンと撫でる。
それから二人は気が済むまで、大きな木の下で寄り添うのだった。
――六年続いたサラの初恋は、こうして春に花開いたのでした。
***
「最初は本当に善意で手伝おうと思ってたんだ。サラが将来、誰かにチョコを渡すことができますようにって」
サラの涙が落ち着いた頃、二人は木の根元に腰掛けて、トーマスは自分のことを話しだす。
「それが変わったのは去年だったな。俺は忙しくなって、前みたいにサラやみんなに頻繁に会えなくなってさ…」
バレンタインの約束も五年目、仕事の合間を縫って待ち合わせの場所に向かいながら彼は考えた。
サラももう十五になり、大人への仲間入りも近い。子供の時の約束をいつまでも続けられないだろう。
彼女が約束を破っても、それは成長した証だから責める気もない――
「もう練習は必要なくなったから、俺の役目は終わったんだと思ってたら…予想に反してサラはそこで待っていたんだ」
それが始まりだよとトーマスが言うと、そうだったのねとサラは笑う。
「それにしても…この場所じゃなくて、いつもみたいにウチに来ても良かったのに」
「サラは結構大胆なこと言うんだな…流石にそれは、段階を飛ばしすぎじゃないか?」
え? なんで? とサラは首を傾げると、トーマスは苦笑して頬を掻く。
「花束を持って俺がカーソン家に訪れたら、娘さんをくださいって言ってるようなものだろ?」
「あ……そ、そうね」
トーマスの指摘でやっと意味がわかったサラは、顔を真っ赤にするのでした。