ハプニングのその後 温泉から出て着替えも終わり、サラは外に出て看板を『使用中』から『空き』に変えた。
「これでいいわね」
「宿に戻ろう。夜遅くなってしまったし」
少し前まで賑やかだった温泉街の灯りが、今じゃ数えるほどになってしまった。
街を抜ける風は冷たかったが、さっきまで露天風呂に入っていた二人の体はぽかぽかと暖かかった。
「長湯しすぎたな…」
「そうね…おかげでなかなか冷えないわね。あーぁ、こんな時こそ昼に飲んだ牛乳が飲みたいなぁ…」
「そう言われると、俺も飲みたくなってきたな…でもこの時間じゃどこの店も閉まってるからなぁ」
「むぅ〜…残念! 今度はいちご牛乳を試したかったわ! トム、次の休みもここに来ようね!」
サラがそう強く主張すると、トーマスはそうだなと同意して頷いた。
「ピドナに戻ったら、早速スケジュールを確認しなきゃね」
絶対にまた来るんだとリベンジを誓う彼女にトーマスは苦笑した。そして彼はふと真面目な顔をしてサラに近づく。
「あぁ、そうだサラ。息巻いてるところ悪いが、またここに来るってことはさ……」
――また、あの露天風呂にも入るのか?
トーマスは言葉の続きをこしょこしょと彼女に耳打ちすると、サラの耳がボッと赤くなった。
「えっ⁉ っと、その、それは……」
しどろもどろになったサラは目を泳がせて、腕の中にあった荷物をぎゅっと強く抱く。
「で、できたら、また入りたいとは…思ってます……」
「……それは、俺も一緒に?」
「えーっと、それは……もう! トム、イジワルだよ! どうしてそんなふうに聞くの?」
わかって言ってるでしょ! と、サラは頬を膨らましてトーマスの腕を片手で軽くぽこぽこと叩く。だがしかし何回目かの時に、その手は彼に抑えられた。
止められてハッとしたサラが顔をあげると、いつもの優しい笑顔でなく真剣な眼差しに、彼女は押し黙ってしまった。
「先に出ようとした時に、あんなこと言ってきたら、イジワルだって言いたくもなるさ」
「あ、あれは、その……トムだったから……」
サラは相手を直視できず、顔を赤くして下を向いてしまう。
「好きな人にしか、あんな頼み事できないもん…」
「……やっと、気持ちを教えてくれたな」
小さくため息をついたトーマスは、掴んでいた手を放し、今度はポンと彼女の頭に手を置いた。
「薄々そうだろうとは思ってたけど、確信はなかったし…このまま曖昧な関係が続けばきっと、……俺はサラを傷つけていたよ」
え⁉ とサラは顔をあげると、トーマスはいつもの優しい顔に戻っていた。
「トムがそういうことをするとは思えないわ」
「その信頼からの油断を利用して、サラに手を出すことだってできるんだよ」
頭を撫でてた手を滑らせて、彼女の三編みをさらりとすくい、トーマスは髪にひとつキスを落とす。
そして熱い視線を送ると、彼女の顔の赤みが増し、口をパクパクさせていた。
「こんなことされたら、俺の気持ちが気になるだろう?」
彼の優しい声に促されて、サラはバクバク言う心臓の音を抑えながら、言葉を紡ぐ。
「と、トムは……私のこと、好き……なの?」
そう聞くのが精一杯だった。
緊張して聞くサラとは逆に、トーマスは穏やかな表情で答えた。
「そうだよ。幼馴染としてでなく一人の女性として、サラのことが好きだよ」
彼の気持ちを聞いたサラは、目からぽろりと涙をこぼす。
「私も、もしかしたら…って思っていたの。でも、違ったらと思うと怖くて……」
二人ともお互いの気持ちは知っていた、けれど本当のことを聞く勇気はなかなか出なかったのだ。
トーマスは彼女の頬に流れた涙を指で拭い、眉毛を下げて微笑んでみせた。
「この関係が壊れてしまうなら、変わらないでいいと思ったけど、それももう限界だな」
涙を拭ったその手を、今度は彼女の前に優しく差し出す。頬に照れを滲ませて、彼はサラに告げた。
「サラ、俺と付き合ってくれますか?」
ずっと待っていた言葉にサラは泣きじゃくるものの、相手の大きな手をしっかりと握る。
そして顔を上げたサラは、視線を合わせて微笑んだ。
「はい……私で良ければ、喜んで」
「うん…よろしくな。……長話して、流石に体も冷えてきたな」
大丈夫か? とトーマスが聞くと、涙が落ち着いてきたサラは、大丈夫と頷く。
「そうね、少し肌寒さを感じるわ。けど……」
手を離した彼女は、トーマスの腕に自分の腕を絡ませて、ピッタリと密着した。
「こうしたら、まだ暖かいでしょ?」
どう? と、得意気な顔を見せる彼女にトーマスはフッと笑う。
「そうだな…充分、暖かいよ」
帰り道に恋人同士になった二人は、仲睦まじく宿へ帰ったのでした。