文化祭へ行こうsideW
駅前を進み、住宅街を抜けて坂道を登ると、白い校舎が建っている。
いつもは校門前に立った先生と問題児達が、校則違反の制服を巡って火花を散らせているけど、今朝は楽しげな声が溢れていた。
澄み渡った青空からは柔らかい日差しが降り注いで、ぽかぽかと暖かい。
「晴れて良かった」
昇降口の前に立ち、高い空を見上げて呟いた俺の横を、アキラが颯爽と追い抜いていった。
「おい、ウィル。早くしねぇと間に合わなねぇぞ!」
「待ってよアキラ」
振り返って急かすアキラを慌てて追いかけると、俺の背中を、急げと押すように秋風が吹いた。校舎から校門へと続く道に植えられた樹々の葉が、静かに揺れる。陽の光に照らされた銀杏の葉は、少しずつ黄色く色づき始めて、すっかり秋めいてきたな、なんて思いながら階段を降りてアキラの隣に並んだ。
いつもなら始業のチャイムが鳴る時間。グラウンドにはさまざまな屋台が並び、ソースの焦げる香ばしい匂いや、クレープかな? ふんわりと甘い香りが漂っている。
校門には手作りのアーチが掲げられ、そこには大きく書かれた「文化祭」の文字。
今日は百万南高校で、毎年秋に開催される文化祭当日だ。
「あーもうこんな時間だ。早くしねぇと客が来ちまうぜ」
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ」
賑やかな呼び込みの声が飛び交う中を、アキラはずんずん歩いていく。
そんなに急いがなくても……ほら、ちゃんと前を見ないと危ないじゃないか、とハラハラしながら早足でアキラについて行く。しばらく進むと、目的地の屋台の前に到着した。
先に到着していたクラスメートと挨拶を交わし、俺達も準備に取り掛かる。
「よし! それじゃ開店するか」
腕まくりをして、勢いよく放たれたアキラの声を聞いて、わくわくと俺の胸も高まっていく。ぎゅっとエプロンを結んで気合いを入れると、開会のアナウンスが流れ、拍手と歓声が湧き上がった。
「頑張ろうな。アキラ」
「おう! 俺様の特製ホットドッグ。ぜってー完売させるぜ!」
気合の入ったガッツポーズをしたアキラがなんだか頼もしい。
数ヶ月前、クラスの出し物がなかなか決まらないんだ、とこぼす俺に「だったらホットドッグの屋台やればいいじゃねーか」と提案してくれたアキラに改めて感謝する。時々、とんでもない思いつきもする年下の幼馴染は、人を楽しませるアイデアを考え出す天才だ。
熱くなった鉄板の上にソーセージを並べていると、店の前に少しずつお客さんが集まり始めた。
「いらっしゃいませ! ボルテージマックスなホットドッグ食べないと損するぜ」
アキラの大きな声が校庭に響く。それに引き寄せられる様に人が増え、気がつけば店の前には行列ができていた。
「ホットドッグ二つですね。かしこまりました」
アキラの声に負けないように、俺も元気な声を出して、にっこりお客さんへ微笑みかける。
——今日は忙しくなりそうだな。
注文に応える俺の横で、アキラがテキパキと焼き上がったソーセージをパンに挟んでいった。
「ようやくひと段落かな」
やっとお客さんの波が途切れ、ほっと一息しながら時計を見た。針はニ時を回ろうとしている。
お昼を食べる暇もなかったな、なんて思っていたら隣からぐうーっとお腹のなる音が聞こえた。
「はぁー頑張りすぎて腹ペコだぜ」
「アキラのおかげで大盛況だったよ。ありがとう」
「俺のホットドッグは世界一美味えし、呼び込みの天才だからな!」
そう言ってアキラは誇らしそうに胸を張る。褒められた時の子供みたいな態度に思わず笑うと、大成功だな、と満面の笑みが返ってきた。
用意したホットドッグは売れ行きも好調で、夕方前には完売しそうだ。
アキラが手伝ってくれて良かった。
「ウィルに任せるのなんか心配だからな」なんて言ってたけど、学年が違うのに困っていた俺を放っておけないアキラの優しさが嬉しい。
「アキラお腹空いただろ? ご飯食べながら他所も見てきたらどうだ?」
「そうだな。クラスの展示も見てぇし。でも、ウィルも園芸部の方、行かなくて良いのか?」
「もう少ししたら交代の時間だし、アキラ先に行ってよ」
「そっか。じゃ行ってくるな」
そう言ってアキラは校舎へと駆け出した。その背中に手を振って、ふぅと腰を下ろす。
俺もお腹空いたな、とクラスメートが差し入れしてくれたクッキーがあるのを思い出して、一口頬張った。
チョコレートチップがたっぷり入ったクッキーは、甘くて疲れも忘れるほど美味しい。
調理部が販売してるんだよな。カップケーキもあるみたいだし、後で行ってみよう。
そんな事を考えていたら、背後からすいませんと声をかけられた。
「いらっしゃいませ」
慌てて笑顔で振り向くと、そこにはあまり会いたくない顔。
「よう」と右手を上げて立っていたのは、茶色の髪きっちりセットし、濃紺のジャケットを羽織ったガスト・アドラーだった。
「何しにきた」
「何しにきたって、アキラお勧めのホットドッグを食おうと思って」
思わず険しくなった俺の顔を見て、アドラーは少し困った様に眉を下げて言った。
「今日は文化祭だし、他校の生徒は立ち入り禁止だ、なんて言わねぇだろ」
「……」
アドラーの声を聞こえないふりをして、ホットドッグ用のパンを用意する。そんな俺の様子を気にせずに、アドラーは感慨深そうに周りを見回した。
「文化祭か。なんかこの雰囲気懐かしいな」
「転校してそんなに経ってないだろ」
不機嫌な顔のまま、出来上がったホットドッグを差し出すと、それを受け取りながらアドラーはへらりと笑った。
「なぁ、せっかくだし案内してくれよ。ウィル」
なんでお前を案内しないといけないんだ! って俺の抗議の言葉は、店番の交代にきたクラスメート達の「一緒に楽しんできなよ」の言葉にかき消されてしまった。
笑顔で手を振るクラスメート達に見送られ、仕方なく俺は歩き出した。その後をアドラーはホットドッグにかぶりつきながら、なんだか嬉しそうな顔でついてくる。
校舎内を巡る間に、すれ違う生徒たちにアドラーはしきりに声をかけられていた。いつもはガラの悪い不良達も、アドラーを目の前にすると畏まっている。
気がつけば、かつてのクラスメートや後輩達に取り囲まれ笑顔を振りまくアドラーを、俺は遠巻きに眺めていた。
——不良のくせに人望はあるんだな。
壁にもたれ、ぼんやりとそんな事を思っていたら、人垣を抜けたアドラーがこちらにやってくる。
「悪りぃ、あいつらと会うの久しぶりだから、話し込んじまった」
——だったら、あの人たちに案内して貰えばいいじゃないか。
顔を合わせれば、つれない態度を取る俺に、アドラーがやたらと絡んでくる意図がわからない。
——もう、同じ学校の生徒ですらないのに……。
「そろそろ、いいだろ。あとは一人で勝手にまわれ」
「ああ、ありがとな。でも、最後にウィルが世話してる花、一緒に見にいってもいいか?」
すがるような目で言うアドラーの言葉を、俺は断る事ができなかった。黙って頷き、廊下を進む。
校舎の隅にある温室は、人気もなく静まり返っていた。
文化祭で園芸部はフラワーアレンジ教室を開いてる。おそらく部員は皆そちらに駆り出されているんだろう。
軋む扉を開き、誰もいない温室に足を踏み入れる。
「おじゃましまーす」
と戯けたようなアドラーの声を聞きながら、俺はガラスの壁に映った制服姿の俺と私服のアドラーの姿をぼんやり眺めた。
午後の日差しを浴びて、花壇では気持ちよさそうに鮮やかな花を咲かせていた。——今日は忙しくて、水やりに来れなかったんだよな。
蕾が開き始めたコスモス達が心配になってしゃがみ込むと、アドラーが俺の隣に並んだ。
触れられそうで触れられない距離から注がれる視線が、なんだかくすぐったい。
いつもの様にくだらない話をすれば良いのに、アドラーは黙って俺の横顔と花壇に咲いた花を見つめている。
「お前、花なんか興味ないだろう」
沈黙の時間が気まずくなって、つい冷たい口調でそう言うと、アドラーは「バレたか」と小さく笑った。やっぱり、こいつの考えている事はよくわからない。
「でもよ、ここに来んの好きなんだよ」
じっと見つめる俺に向かって、懐かしむ様な目で微笑みながら、アドラーは言った。
「なんか、ここ居心地良いんだよな」
「人が来なくて、サボるには打ってつけの場所だからな」
「それもあるけど、静かで暖かいし、なんかこう、穏やかな気分になるつーか」
「そういえば、勝手に忍び込んで、うたた寝してたよな」
木陰の下で、長い手足を伸ばして眠るアドラーの顔を思い出す。子供みたいにあどけない寝顔を覗き込んだら、頬には殴られた跡が残り、口元には血が滲んでいた。それを見た時の、胸の奥が葉擦れの音の様にざわざわとした感覚が蘇る。
こうやって俺の前にいるアドラーは、たわいのない話をして笑う普通の高校生なのに、学校や町で流れる噂は物騒な話ばかりだ。
——本当のお前はどっちなんだ?
問いかける様な俺の目を、アドラーは不思議そうな顔をして見つめた。
開けっぱなしにしていたドアの隙間から吹き込んだ風が、アドラーの茶色い髪を揺らす。
「はは、ここだとよく眠れんだよ。こいつらも気持ちよさそうにしてるし、やっぱウィルが優しく世話してるからかな」
長い指で青々とした葉をそっとなでながら、若葉色の瞳が優しげに微笑む。思いがけず呼ばれた自分の名前にドキリとして、まじまじと顔をアドラーの横顔を見つめると、少し照れくさそうな視線が返ってきた。
「それに、ここに来れば会えるかなーって思って……」
アドラーが小さく呟いた声に、風に揺られる木の葉の様に心が揺れる。
誰に会いたかったんだよ? そう聞きたくても、聞けなかった。
だって、その答えを聞いて、俺はこいつにどんな顔を向ければ良いのかわからない。
「来週、北高の文化祭だろ?」
真っ直ぐ見つめるアドラーに何を言えばいいのか戸惑い、結局俺は話題を逸らす事にした。なんでもない風を装って、思いの外上ずった声が出てしまった。
「おう、レンは演劇部に頼まれて主役を演るみたいで、頑張ってるぜ」
にっこり笑いながら返事をするアドラーに密かにほっとする。多分、俺のぎこちない態度に、こいつは気づいてる。あのまま、じっと見つめられた、俺は……。
「お前は何をやるんだ?」
「おれ!? 俺は……ウィルみたいな生徒会長サマと違って不真面目な生徒だし……特に、何も……」
動揺してるのを隠そうと尋ねた俺の言葉に、アドラーは驚くほど狼狽えた。
「北高の文化祭は全員参加だって聞いたぞ?」
「う、うん。まぁ雑用係みてぇなもんだし……」
いつもなら軽い調子で、絶対に来てくれよな、なんて言いそうなのに。俺に来て欲しくない理由でもあるんだろうか?
あれこれ考える俺の横で、アドラーはきまりが悪そうに髪をかき上げた。
——こいつのこんな顔初めて見たな。
俺の知らない北高のアドラーは、どんな顔をしているんだろう。花の蕾が開く様に、アドラーをもっと知りたいと思い始めている事に、自分でも少しびっくりしていた。
でも、たまには俺がこいつをびっくりさせてやるのも、いいかもしれない、と思ったらなんだか楽しくなってきて、北高の文化祭は絶対に行こう、とこっそり決めた。
sideG
緑に囲まれた公園を抜けて坂道を登ると、レンガ造りの校舎が建っている。
きっちりと制服を着た学生達が「おはようございます」と挨拶を交わす厳粛な雰囲気に包まれた朝と違い、今朝は賑やかな声が溢れていた。
空はどんよりした灰色の雲に覆われ、今にも雨粒が落ちてきそうだ。
「はぁ〜嵐が来て中止にならねぇかな」
窓の外を眺めて、溜息混じりに呟いた俺の背後から、すさまじい殺気を感じる。
「おい、ガスト。こんなところで何をしている!」
恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは鬼のような形相で立つ生徒会サマ。
「マ、マリオン」
たじろぐ俺の頬を、しっかりしろと叩くように秋風が吹いた。開いた窓から冷たい風が吹き込み、カーテンが揺れる。少しずつ色付いた銀杏の葉に、ぽつりぽつりと雨粒が落ち始めて、やっぱり降り始めたな、なんて思いながら窓ガラスを伝う雨粒を眺めた。
いつもなら始業のチャイムが鳴る時間。校舎の三階の生徒会室には、白いテーブルクロスがかけられた机が並んでいる。
カーテンで仕切られたバックヤードには、焼きたてのクッキーやケーキが用意されて、甘い香りが漂っていた。
窓から見える校門には、手作りのアーチが掲げられ、そこには大きく書かれた「文化祭」の文字。
今日は百万北高校で、毎年秋に開催される文化祭当日だ。
「この僕が考えた模擬店に、客が来なかったなんて事態は許されないんだ。お前もきちんと働け」
「わ、わかってるって」
今にも鞭を取り出しそうなマリオンの剣幕に、思わず怯む。
そんな怖ぇ顔しなくても……、とぶつぶつと呟く俺を、マリオンはじろりと睨みつけた。
そうしている間にも、生徒会室に集まった生徒達はテキパキと準備を進めている。しばらくすると、あっという間に教室の中はカフェへと様変わりした。
「よし! 準備はできているな」
室内を見回して、勢いよく放たれたマリオンの言葉に、どんよりと俺の気持ちは沈んでいく。
窓の外に目をやれば、降り出した雨はザーザーと激しさを増し、傘の花がひとつふたつと校門をくぐり抜けていく。
「おい、なんでまだ着替えていないんだ」
「俺の担当は午後からだろ? 朝からあの服着るのはちょっと……」
もごもごと言い訳をしていると、開会のアナウンスが流れ、拍手と歓声が湧き上がった。
数ヶ月前、他校の生徒と喧嘩をした事を、俺は心底後悔した。しかも、よりにもよってマリオンにその場を目撃されちまうとは……。俺の蹴りが相手の腹にキマったのを眺めて、マリオンは文化祭で生徒会の手伝いをするよう罰則を科した。常に名門校の生徒として恥じない行動を求める生徒会長は、自らが定めた血の掟に反する者へは容赦ない、この学校の支配者だ。
「お前、逃げようなんて思ってたら、分かってるんだろうな?」
「思ってねぇ! ちゃんとやる、真面目にやるから勘弁してくれ〜」
店内に招き入れられた客が、廊下にまで響き渡った俺の悲鳴を聞いてギョッとした顔をした。
気がつけば店内のテーブルは満席状態だ。
——今日は大変な一日になりそうだな。
「じゃあ、俺は外で客引きしてくるな」
背中に刺さるマリオンの鋭い視線から逃げるように、俺は急ぎ足で教室を飛び出した。
あいにくの天気にもかかわらず、文化祭の客足はまずまずのようで、学校見学の中学生や、在校生の家族、近所の住民など、普段、校舎の中では見かけない色んな人達が学校内を歩いている。
昇降口を出ると、すでに傘をさした生徒達が賑やかな呼び込みの声を上げていた。
進学校の北高らしく、英語スピーチコンテストにハムレットの舞台、吹奏楽のコンサートとお行儀よい展示内容に加えて、焼きそば、たこ焼き、わたあめ、チョコバナナなど定番の模擬店も揃っている。
脱出ゲームや占いの館なんて変わった出し物まであった。
こういう賑やかなのは、やっぱワクワクすんな。
そんな事を考えていたら、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
他より頭ひとつ飛び出たビニール傘の下には、毛先がくるんとはねた蜂蜜色の髪、あじさい色のカーディガンを羽織った背中がゆっくり振り向き、遠目からでもウィルだと分かった。
「な、何しに来たんだ!?」
慌てて物陰に身を隠して、ウィルがここにいる理由をあれこれ考える。
しばらく考えて、幼馴染のレンが通ってるんだ。ウィルがうちの文化祭に来たって、おかしくはねぇんだよな、と自分を納得させる。
再びウィルの方に目を向けると、クリームのたっぷり入ったクレープを幸せそうに頬張っていた。
——できれば、ウィルに声をかけたい。
北高ではけっこう真面目にやってるんだぜ、ってアピールしたかったし、あわよくば、俺の気持ちを……。
でも、今日はウィルに見つかるわけにはいかねぇ。とにかく、午後は絶対にウィルに見つからないようにしねぇと……。
呼び込みの仕事を思い出し、控えめに声を出しながら、俺はウィルから逃亡する手段を頭に巡らせた。
呼び込みに精を出すうちに、あっという間に時間は過ぎ、午後のチャイムが鳴り出した。
「交代の時間か」
急いで生徒会室へ戻ると、店は大盛況のようで、廊下にまで入店待ちの列が伸びていた。
教室に入ると、笑顔で客の対応をしていたウェイター姿のマリオンがくるりと振り返った。
「早く着替えろ」と急かされて、慌ててバックヤードに引っ込む。それから渡された衣装に袖を通した。
どうにか着替えを終えて、目の前の鏡に目をやる。そこには、濃紺のワンピースにフリルのついた白いエプロン、いわゆるメイド服を着た俺の姿が写っていた。
頭に白いフリルのついたカチューシャが乗っかっていて、せっかくキマった髪型もこれじゃ台無しだ。
生まれて初めて履いたスカートは、なんだか足元がスースーして落ちつかねぇし、ミニスカートじゃないのがせめてもの救いだ。
こんな格好を知ってる奴に見られたら、と思うと今すぐ逃げ出したい気持ちになる。
がっくりと項垂れていたら、灰色の空がピカッと光り、ゴロゴロと雷鳴が轟き出した。
弟分達には、絶対に来るなってきつーく釘刺しといたから大丈夫だろう。でも、もしウィルが来ちまったら……。
一瞬、不安がよぎったが、確かこの時間はレンが演劇部に駆り出されてステージに立ってるから、ウィルはそっちに行ってるはずだ。
もう、ここまできたらやるしかねぇ!
この日のために、マリオンが衣装のデザインから、カフェメニューの考案と、コツコツと準備していたの思い出す。
あいつなりに文化祭を盛り上げようと頑張ってんだし、なんとか成功させてぇ。
「よし! やるぞ!」
鏡の中の自分に喝を入れて、店内へ向かった。
「ふぅ〜ようやくひと段落だな」
やっと客の波が途切れ、ぐったりと椅子に座り込む。昼から三時のおやつタイムまで、地獄の様な忙しさだったな、と一息ついていたら隣から「よくやった」と労いの声をかけられた。
「用意したメニューはほぼ完売したし、お客様の評判も良かった」
「そっか。しかし、俺みたいなでかい男のメイド姿なんか何が良いんだ?」
「文化祭はお祭りだしな。物珍しいものが喜ばれるんだろう」
そう言ってマリオンは笑った。生徒会サマの満足そうな態度に胸を撫で下ろすと、終了時間まで気を抜くなと厳しいお言葉が返ってきた。
俺のメイド姿は、なんでか知らないが客のウケも良く、他校の女子に囲まれて、記念撮影を頼まれた時には、正直言って焦った。
でも、来てくれた皆が楽しんでくれたみてぇだし、マリオンから課せられたペナルティーもこれでチャラだと思えば、大成功だな。
「マリオン、お前、朝からずっと休憩してねぇんだろ? あとは俺たちに任せて行ってこいよ」
「そうか。それじゃ僕は校内を回ってくる」
「おう、お前も楽しんでこいよ」
そう言ってマリオンを送り出し、給仕へ戻る。
最初は動きづらかったスカートにも慣れたし、カフェでのバイト経験を活かして、最後まで存分にもてなしてやるぜ!
そんな事を考えていたら、すいませんと声をかけられた。
「いらっしゃいませ」
思いっきり営業スマイルを作って振り向くと、そこには絶対に会いたくない顔。
「まだ大丈夫ですか」と遠慮がちに尋ねてきたのは、レンを連れ立ったウィルだった。
「ウ、ウィル!? 何で!?」
「何でって、レンのお芝居も見たし、お茶でも飲もうと思って」
動揺する俺の顔を見て、ウィルは少し呆れた様に眉を下げて言った。
「マリオンに絶対に来いと言われたから、ウィルを誘った」
「……」
ウィルの隣で涼しい顔をして言うレンの声を聞いて、頭を抱える。——レンのやつ、余計なことを。
そんな俺の様子を気にせずに、ウィルは物珍しそうに俺をじっと見つめた。
「アドラー、お前、その格好」
「こ、これは……」
穴があったら入りてぇ。って俺の呟きに「ここに穴はないから、早く案内しろ」と、レンから鋭いツッコミを入れられた。その横でウィルはなんだか可笑しそうに笑っている。
「ふふ、俺に来てほしくなかった理由はこれか」
最悪だ……。一番見られたくねぇ奴にこんな姿を見られて、どんな顔すれば良いのかわからねぇ。
目の前が真っ暗になった俺に、ウィルは今まで見せたことがない満面の笑みを見せた。
「お客さまを案内してくれるんだよな? メイドさん」
悪戯っぽく尋ねる姿に、思わず見入ってしまう。
——ウィルのこんな顔初めて見たな。
「か、かしこまりました。ご主人サマ」
開き直って席へ案内しようと歩き出すと、レンが隣に並び耳打ちした。
「ウィルがお前の事を気にしていたから、連れてきたんだ。感謝しろ」
ウィルが俺の事を気にしてたって何でだ? もしかして、俺に会いたかったって事か?
レンの言葉に頭の中でいろんな想像が渦巻く。
ウィルに詳しく問いかけたいと思ったけど、今はメイドの仕事中だ。
ふわりと翻ったスカートの裾に、何で俺は今日に限ってこんな格好してんだ……と、やるせない気持ちになったけれど、とりあえずウィルが楽しそうなので、まぁいいか。