土曜日のレッドサウスストリートの繁華街。
週末の開放感に満ちた人波を、ガストは縫うように進みながら腕時計を確認した。
時刻は午後5時45分。待ち合わせの時刻にはまだ余裕がある。
でも真面目なウィルの事だ、約束の時間より5分前には到着してるだろう。
空はゆっくりと茜色に染まり始めている。アスファルトに伸びた長い影を引いて、ガストは足早に人混みを抜けた。照りつける夏の太陽が地平線近づいても、長い髪を揺らす風は熱を帯びて、頸にじわりと汗が流れた。オレンジ色の夕日を写したショーウィンドウの前で一息つき、ポケットからスマホを取り出す。
待ち合わせ。数時間前に送られてきたメールに書かれた文字を、噛み締めるように確認する。
ウィルと俺が待ち合わせ……。
もしかしたら、夢だったんじゃねぇのか……。
そう思ったら、街に溢れるカラフルな人の群れが、幻のようにおぼつかなく感じられて、ガストはポケットからスマホを取り出し、画面を覗き込んだ。
『今日の待ち合わせ。アキラは遅れるから、6時で大丈夫か?』
用件を伝える簡素な本文と共に、送信者名の欄にはウィル・スプラウトと表示されている。
よし、大丈夫。夢じゃねぇ。
液晶画面に映し出された文字を一文字一文字を念入りに確認して、ほっと安堵の息をついた。
数ブロック先、オープンテラスで夕涼みを楽しむ人で賑わうカフェを曲がれば、待ち合わせ場所はすぐそこだ。
トレーニングの後、慌てて出てきちまったけど大丈夫かな?
よし!髪型はバッチリ決まってる。
服装は……ちょっと堅苦しすぎたか?
と、ウインドウに写し出された姿を念入りに確認しながら、自分を待っているウィルの姿を思い浮かべる。胸の鼓動が早まるのに追い立てられるように、ガストは駆け出すように曲がり角へと一歩踏み出した。
飲食店が立ち並ぶ中、緑の木々に覆われた小さな公園がウィルの指定した待ち合わせ場所だ。
家路を急ぐ親子連れとすれ違い、ゆっくりとガストは公園の中に入る。あたりを見回すと、綺麗に手入れたされた花壇の前のベンチに腰掛けるウィルを姿を見つけた。
待たせちまったかと、早足でベンチへと向かうと、ガストの足音に気付いたのかウィルはゆっくりと立ち上がった。
「早かったな。もしかして走ってきたのか?」
息を弾ませたガストに、少し首を傾げてウィルが尋ねる。太陽とバトンタッチして顔を出した月がウィルの顔を照らし、キラキラ光る金色の髪も、白い頬もやっぱり夢の中のように綺麗に見える。
「ほ、本当にいる…」
「待ち合わせしたんだから、いるに決まってるだろう」
ガストがもらした言葉に、ウィルの顔が怪訝そうに曇る。
「いや、そーなんだけど。なんか……うん。まだ信じられねぇつーか……」
「いいから、行くぞ」
しどろもどろになるガストに構わずウィルはすたすたと公園の出口へ歩き出した。慌てて追いかけるガストはウィルの隣に並び、目的地へと向かう道すがら、こっそりウィルの横顔を眺めては、夢見心地で歩いていた。
ガストの誕生日を祝おうと、アキラが予約してくれた店はレッドサウスのレストランだった。
民家を改装した店内は暖かい照明に照らされ、テーブル席が二席とカウンターのこぢんまりとした店内は落ち着いた雰囲気で、カウンター席では若いカップルが楽しそうにワイングラスを傾けている。
アキラとウィルは子供の頃からよく通っていたらしく、顔馴染みのウェイトレスが、いらっしゃいませと笑顔でガストとウィルを奥のテーブル席へと案内してくれた。
小さなキャンドルが灯るテーブルを挟んで向かい合わせに二人は腰を下ろした。
こんな風に二人きりになるのは初めてではないのに、ウィルと一緒に食事とする思うと、妙に緊張してしまう。
ガストは目の前のグラスの水を飲み干すと、気まずい沈黙を埋めるかのようにしゃべりだした。
「えーと。ウィルは今日オフだったのか?」
「そうだけど、午後からはアキラと一緒に自主トレだ」
「そっか。で、アキラはどうしたんだ?遅れるって言ってたけど」
「ロードワークに出たらレンと一緒になって、二人ともムキになっちゃって、もうひと勝負してから来るって」
「はは、あいつら顔を合わせりゃ張り合ってんな」
「今日はレンも誘いたかったんだけど……」
「ノースのメンバーで祝ってやったんだから、二度も祝う気はない。って断られたんだろ?」
——ちゃんとウィルと喋れてる。
ガストがほっと胸を撫で下ろすと、メニューを持ったウエイトレスが注文を取りに来た。
料理はアキラが来るのを待つことにして、ドリンクを先に注文する。お前の誕生日なんだから飲めばいい、とウィルの勧めでガストはシャンパン、ウィルはミルクティーをオーダーした。
注文したドリンクがテーブルに置かれ、ウエイトレスが厨房へと戻ると、また沈黙が流れる。
目の前のウィルは少し緊張している様子だが、ガストにはこの沈黙は心地良かった。こうしてウィルと一緒にいるだけで嬉しい。
シュワシュワと泡立つシャンパンを口にすると、ゆっくりウィルが子供の頃の話を語り出した。
家族の誕生日に必ずこの店でお祝いすること、この店のデザートはどれも美味しくて来るたびに何を食べようか迷ってしまうこと。
そう話すウィルの楽しそうな顔を見れたことが嬉しいからか、それともシャンパンの酔いが回ったのか、ポカポカとガストの胸が熱くなる。
「今日は来てくれてありがとな」
少し頬を染めてウィルの顔を見つめるガストの言葉に、ウィルは少し迷ったように言った。
「……別にお前を祝いたかったわけじゃない。去年のお前の誕生日に、お祝いに来てた弟分の子達の事を悪く言ったのを謝りたかっただけだ」
「え?」
「お前の事は許せないけど、お前の大事な人達の事を悪く言ったのは申し訳なかったと思ってる。……ごめん」
気まずそうにグラスにささったストローを弄ぶウィルの指先を、ガストはじっと眺めた。
以前ならガッカリしたかもしれない。でも、律儀に自分を許さないウィルの態度の中には、嫌悪の感情だけではない事をガストは感じていた。
「理由はどうあれ、ウィルが俺と一緒にメシに来てくれただけで俺は嬉しいぜ。これをキッカケにもうちょっと仲良くなれたら嬉しいんだけどな」
「これ以上どう仲良くなりたいんだ?」
お決まりのやりとりに、ウィルの顔はいつものように不機嫌になる。
「それ、言ってもいいのか?」
テーブル越しに前のめりになったガストの顔がウィルの目の前に近づいた。キャンドルに照らされたグリーンの瞳がぎらりと光る。
「俺は……ウィルと……」
熱を帯びた視線がウィルの目にじっと注がれる。
こいつは、酔ってるんだ。と、狼狽えながらウィルが目を逸らすと、それを逃がさないかのようにガストのゆっくりとウィルの手へ延びる。
長い指が触れそうなほど近づいた瞬間、勢いよくドアを開ける音が店内に響いた。
「遅くなってわりぃ!」
騒々しい足音と共に、店内に入ってきたアキラの声に、ガストとウィルは我に帰った。
二人揃ってテーブルの上の手をさっと引っ込める。
「アキラ、遅かったじゃないか!」
「しょーがねーだろ、レンのやつが」
並んで座り、親子の様な言い合いを始めたアキラとウィルを眺めながら、ガストはグラスのシャンパンをグイッと飲み干した。
——やべぇ。ちょっと浮かれすぎたか…?
フワフワとアルコールが回り始めた頭で、性急過ぎた自分の言動を反省する。でも、さっきのウィルの顔は満更じゃなかった。様な気もする。
「さ!今日はお祝いだからな!なんでも好きなもん食えよガスト!」
「お、おう。ありがとな」
気まずげなガストとウィルの様子に気づくこともなく、アキラはウエイトレスを呼び、次々と料理を注文している。
「そんなに食べきれないだろ」
と嗜めるウィルの横顔を見つめながら、今夜はアキラが用意してくれた宴を三人で楽しむか。とガストは小さく微笑んだ。