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    ho_kei_trab

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    ho_kei_trab

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    青春カドモリ♀をやりたかった!!!

    カドモリ♀大学生パロ お姫様なんてくだらない。虐められていても耐え抜けばいつか善い魔法使いが見出してくれるのだとか、呪いで眠らされていても勝手に王子様が迎えにきてくれるのだとか。結婚相手の決まった相手に無言のダンスだけで振り向いてもらうだとか。他力本願にも程がある。
     ならばまだ自身の障害を排すために毒リンゴを寄越した女王だとか正統な取引で必要なものを交換する魔女の方がよほど健全で賢いだろう。
     ジェームズ・モリアーティは幼い頃からそのように冷めた心の持ち主だった。そう吐き捨てるだけの才覚を生まれながらにして得ているからこその感想だったのかもしれない。

     ろくに受験勉強などせずとも国内最高峰の国立大学に主席入学。その後も専門分野、一般教養科目でも上位クラスの成績を収めている。義父は有名な大学教授で蝶よ花よと可愛がられ、何不自由のない生活。
     バレリーナが羨むようなすらりと長い手足をやや高い身長に納め、自身の体格に合う品の良い服に身を包んだ姿は女帝と言っても過言ではない風格を醸し出していた。

    「……ゼミ、全員で?」
    「あ、もちろん嫌ならいいんだけどさ!」

     飲み会なんかに参加している暇があれば本の一冊でも読んでいたい、と思ってしまう。しかし、ただでさえ取っ付きにくいと思われている自分がここで断れば人間関係に悪影響が出るかもしれない。くだらないが、合わせなければ後々何か不都合が出る可能性があった。

    「もちろん、参加させてもらうよ」

     そう愛想よく笑ってコートとマフラーを畳んで置いた。
     しかしアルコールは好きではなかった。最初の一杯だけ乾杯の為に付き合って、それ以降はソフトドリンクで粘り続けている。
     殆ど男子で構成された物理学系のゼミではジェームズの近くに座る権利を得る為に密かに椅子取りゲームが始まっていたが華麗に無視して最低限の雑談に付き合う。
     ゼミ生からだけでなく街を歩いていても秋波を送られたり口説かれたりする事は日常茶飯事。これは美しく生まれたが故の必要コストで仕方のない事だと割り切っていた。
     ただし鬱陶しいものは鬱陶しいので一次会で帰ることにする。

    「ゼムルプスくんもこっち?」
    「ああ」
     カドック・ゼムルプス。名前は覚えていたがあまり話したことのない学生だった。要はジェームズを口説いてきたりジロジロ見たりしてこない相手ということだ。
     派手なピアスを付けて、ロック風のファッションに鋭い目つき。少し怖いが、同じく一次会で帰る彼と一緒に歩いていれば繁華街でも絡まれにくいと思ったので駅まで同行することにする。

    「寒いね」
    「そうだな」
     ただでさえ口数の少ない相手だ。共通の趣味も無さそうなので無難に天気の話や先日出された課題について話す。
     安い居酒屋やキャバクラ等が立ち並ぶギラギラとした通りは苦手で、ぽつぽつと話しながら少し早足で歩く。
     意外なことに彼は真面目な性格らしく、課題へのアプローチは無難かつ着実。驚くような発想はないが、地道に努力する秀才といったところか。

    「なるほどね。私もそろそろ取り掛からないと──」
     その瞬間、ぱちりと何かのピースが頭の中にはまったような感覚が身体を貫いた。
     大脳のシナプスが稲妻のように高速で相互作用し、美しい数式と証明が巻物のように脳内へ展開される。
     急に足を止めたジェームズを二、三歩追い越したカドックが「おい?」と戸惑った声を上げるが、もはやジェームズには届いていなかった。

     出力せずにはいられない衝動に抗えず、その辺の廃ビルの入り口に突然座り込む。白いニットのワンピースが汚れるのにも構わず、鞄からノートとペンを取り出して物凄い勢いで数式を書き始めた。
     昔からジェームズはこうだった。一度集中すると際限がなくて寝食すらも忘れる。特に数学についてはこれが顕著で、成人してからは少しはマシになったがいつでもどこでも証明を始めてしまって友人に呆れられる事もしばしばだ。
    「……!」

     タイルに座り込んでいるせいで底冷えがして、くしゅ、とくしゃみをしたらすぐに温かくなったが、その正体を考える事に割く脳のリソースはない。ガリガリとペンを動かし、ノートを数式で埋めていく。
    「やったぁ!」
     思いつくがままに書き殴った末、万歳したジェームズを迎えたのは振り向いたカドックだった。
    「ぜ、ゼムルプスくん……?」

     彼はいつも通りの顔でその場で立っていたが、時計を見るとゆうに一時間は経っている。その間彼は座り込むジェームズの隣でずっと立っていたのか。
    「待ってくれてたの……?」
    「こんな所で一人で集中してたら危ないだろ」

     彼の指摘は尤もで、こんな酔っ払いやキャッチがふらついている所で脇目も振らずノートに集中していれば痴漢や盗難等に巻き込まれる可能性があった。
     途中で止めるでもなく、帰るでもなく待っていてくれた、というか待たせてしまっていたという事実に顔が赤くなる。しかも、途中から少し温かいと思ったら肩から彼のコートがかけられている。

    「あ、ご、ごめん……」
     親しくもない相手に醜態を晒した上迷惑をかけてしまった自己嫌悪で慌てるジェームズに対して彼は機嫌を悪くした様子も恩着せがましい様子も見せず、ただ「できたか?」と尋ねただけだった。
    「う、うん……」
    「そうか」

     ふ、とその金の瞳が優しく細められる。笑った所なんて初めて見たが、普段よりもその印象はずっと優しくて──心拍数がどんどん上がっていく。
    「帰れるか?」
    「うん……」

     慌てて立ち上がり、コートを返す。彼はジェームズにコートを貸していた間、缶コーヒーで暖をとっていたらしい。その耳元が少し赤い。
    「じゃあね」
    「気をつけて帰れよ」
     駅で反対方向の電車に乗り込んでも、まだ胸の鼓動が治らない。未経験の感情と共にジェームズは赤くなった頬を両手で押さえて座席に座り込んだ。



     下宿に帰って、手も洗わずにベッドに直行する。ぼすん、とそのまま倒れ込むと安作りのベッドフレームが軋むが知ったことではない。
     ジェームズ・モリアーティ。才色兼備、という言葉では納まらない天才。生まれつき何もかもを与えられたような天上人のような存在。また、顔と愛想の良さで誤魔化しているが傲慢かつプライドの高い女性なのは透けていた。
     男女問わず、そういう人間は苦手だった。
     それなのに。

    「なんだよ、あの可愛い生き物……」
     夢中で数式を書いていく横顔は、才女というよりも宝物を見つけた少年のように純真で楽しげで。
     カドックを待たせていた事を自覚した時の少女らしい、どこか幼なげな恥じらいの顔はいつもとの落差があり過ぎる。

     まずい。とてもまずい事になった。

     カドックは溜息をついて枕を力任せに殴った。


    ────


     お姫様なんてくだらない。理想の王子様を待つだけで何も行動しないなんて。巡り会ったとしても花畑に埋もれる草花よろしく声をかけられるのを待つだけなんて。
     欲しいものがあるのなら、好きな相手がいるのならば、親友だろうが恩人だろうが蹴落として手に入れるのが人間だろう。

     子供の頃に読んだ童話にも少女漫画にも全く共感できなかったジェームズは今、十数年越しで彼女達に全面同意している。

    「今日も話せなかった……」

     ベッドに体育座りして、膝を抱え込んで丸くなる。
     ほぼ毎日のように顔を合わせているというのに、あの飲み会の日から一週間、ろくに言葉を交わせていない。自分はこんなに意気地のない人間だっただろうか。

     その代わり、カドックに関する周辺情報ばかり無駄に揃っていく。
     彼女はいない。これは真っ先に確認した。どうやって確認したかは企業秘密だ。
     彼が学食でよく食べているものだとか、好きなバンドだとか、血液型だとか、身長とか体重とか。

     そんな事ばかりが頭の中のメモ帳に溜まっていく。

    「これじゃあストーカーじゃないか……」

     分かっている。雑談の一つでも振ればいい。でも共通の話題なんてほとんどない。あと、目立つ自覚のあるジェームズは相応に自意識が高かった。カドックに興味があるのを周囲に悟らせるのはなんだか恥ずかしい。

     あまり眠れずに早めに家を出て、ゼミの教室に入る。ジェームズは二番目だったようだ。窓際にカドックがぽつねんと座って外を見ている。
     つまり二人きり。邪魔者もいない。今が話しかけるチャンスではないか。

    「あ、オハヨウ……」
    「ああ……」
     少しだけ。天気とか、好きな音楽とか、何でもいい。とにかく会話しないと文字通り話にならない。はく、と息を吸い唇を湿らせ勇気を振り絞ってカドックの方へ向かう。

    「こ、この間考えた数式を見て欲しいんだけど……!」

     ──私の馬鹿!
     あまりにも唐突な声かけに、カドックもきょとんとしている。
     このゼミの専攻は物理学、というか宇宙論だ。数学は物理学と密接に関わっているが、ジェームズが先日書き散らした物はどちらかというと趣味の領域。直接的にはこのゼミの研究と関係がない。

    「僕なんかより、数学科の先生の方がいいんじゃないか?」
    「ッ!」
     案の定、首を傾げられてしまった。そう言われてしまうと無理強いもできずに、肩を落とすしかない。

    「……今日の四限後、二時間くらいなら空いてる」
    「い、いいの!?」
    「アンタの満足できるような聞き手じゃないだろうが」

     無愛想ながらも彼はしっかり頷いて約束してくれた。しかも待ち合わせのためにSNSのアカウントも交換できた。これは思わぬ収穫だ。


     学食のカフェテリア、人気のない隅っこでノートを開く。他にもここで勉強している学生はちらほらいて、その中に混ざって席を取った。

    「この間外で書いた証明をもう少し美しくしたものなんだけど──」

     彼は自分で卑下するほど悪い聞き手ではなかった。
     ジェームズの言っていることはほぼ理解してくれたし、適宜質問もしてくれる。愛想はないが相槌はタイミング良い。だからつい調子に乗って話し続けてしまった。

    「あ……えと、お、面白くなかった、よネ……」

     相手の都合も考えず一方的に好きな事を語り続けるなんて幼児の振る舞いだ。またやってしまった、と自覚した時にはもう全て語り終えていたのだから始末に悪い。

    「いや、勉強になった」

     真面目にそう返されるが、絶対にお世辞の類いだと思って赤い顔のまま首を振る。そうすると「線形代数だからいつか量子論研究で使えるかもしれないだろ」とフォローしてくれた。

    「ゼムルプスく……」
    「カドックでいい」

     柔らかく微笑む顔をぼんやり見つめ返すしかない。

    「言い難いだろ、苗字」

     この後家庭教師のバイトがあるらしく、彼はすぐに席を立ってしまったが授業料だ、とココアを奢ってくれた。
     ぽわぽわしたまま甘くてほろ苦いそれを冷ましながら飲んでいると突然肩に手を置かれた。
    「うわ、り、立香か……」
    「さっきの誰!?」
     今までカドックが座っていた席につき、興味津々でジェームズに迫ってくる赤毛の活発そうな同級生。彼女は同じ高校出身で、学部は違うがたまに遊びに行く仲だ。

     そのまま彼のことを根掘り葉掘り聞かれて、馴れ初めやら今の状況やらを話すことになる。
    「甘酸っぱーい」
     恋愛なんて興味ない、と数学ばかりしていた高校時代のことを揶揄うでもなく立香はきゃあきゃあと少女のようにはしゃいで見せた。
     他人事だというのに何故こんなにテンションが上がっているのか不思議でならないが、ジェームズ本人も言語化した事で少しだけ気持ちの整理がついた。この気持ちは紛れもなく恋心なのだと彼女に観測されたのが良かったのかもしれない。

     その帰り道、駅前のコンビニに寄りたいという彼女に付き合って自動ドアを潜る。その中にいた彼が少し驚いたように立ち止まった。
    「モリアーティ」
    「あ、ぜ、か、かどっ、く……?」

     咄嗟に名字を呼びかけて、名前で良いと言われたのを思い出す。どうにも辿々しい声かけになってしまった。「カドック?」と棚の向こうからひょこりと誰かが顔を出した。
     親しげに彼の名前を呼ぶのは長くて美しい銀髪、ぱっちりと大きな瞳が印象的な美少女だ。背中を嫌な汗が伝う。

    「っ、その子、は……?」
    「家庭教師の生徒だ」
    「初めまして。アナスタシア・ニコラエヴナです」
     礼儀正しく挨拶されて、こちらも同じような返事をする。
     カドックの親の知人の娘で、大学受験のために何教科か苦手な所を教えているらしい。彼らが勉強終わりに飲み物を買いに来た所に自分たちはかち合ったのだ。

     そういうことかとホッとしつつも悟られないよう彼女を観察するのが止められない。だって、どこかのお姫様のような美少女だ。
     ジェームズは自分の美しさには自信があったが男受け、という点では彼女に分があるのは認めざるを得ない。

    「ああいう、可愛くて守ってあげたくなるような女の子の方が良いのだろうか……」

     コンビニから出て、珍しく自信を失ってしまい肩を落として立香に弱音を吐く。

    「そこは人それぞれだと思うけど……」
    「はぁ……髪伸ばそうかなぁ……」

     上がったり下がったり、ジェットコースターのように上下する情緒に振り回されて心臓も頭も保たない。疲れ果てたジェームズに、立香はさっき買った飴を一つくれた。



    「彼女、絶対カドックの事が好きね」
    「はぁ?」
     したり顔で頷くアナスタシアを見下ろして、カドックは盛大に顔を顰めた。
     ジェームズがカドックに、というか自分の利にならない物に関心を持たない性格だというのは見ていれば分かる。
     今日わざわざ話しかけてきたのだって、先日素晴らしい数式を思いついた時にたまたま一緒にいたからという理由にすぎない。
     だからもう話しかけても来ないはずだし、自分からも関わり合いになるつもりもない。……数学について夢中で語る輝く瞳は必死で脳内から追い出す。

    「そんなわけないだろ。向こうにも失礼だ」

     全くもってくだらないが、この年頃の女子はほぼほぼこういう事に関心を持つものだ。そう己に言い聞かせて取り合わずに買い物を続ける。
     そんなカドックに向けてアナスタシアは全く分かっていないとばかりに頬を膨らませた。


    ──

     お姫様なんてくだらない。キラキラ光る宝石も、豪華なドレスもお化粧も、自分が真に美しければ無用の物だ。
     だから流行りなど追いかけない。そんな事をしなくてもジェームズは十分美しいと自覚していたからだ。これは自惚れでもナルシズムでもなく客観的で正確な自己評価だった。
     そう、今までジェームズはファッション誌なんて手に取った事もない。

     ──それで困る事があるとは思ってもみなかった。

     カドックの好みは分からないものの、彼の普段の服装から見るとカジュアルな感じの方が好きなのかもしれない。だから、それらしい雑誌を二、三冊見繕って買ってみた。
     自分に似合いそうな物をいくつかピックアップしようとするが、何が可愛くて何が可愛くないのか、見れば見るほど分からなくなる。うんうん悩んでいると、唐突に肩を揺さぶられた。

    「リリィ! 晩ご飯だヨ!」
    「うわっ!」

     ハッとして振り向くと義父が呆れ顔でこちらを見下ろしていた。年頃の娘の部屋に勝手に入るな、とは言えなかった。おそらく何度もノックされての事だ。
     何についても集中してしまうと周りが見えなくなるのはいつもの事で、放っておけば寝食を忘れるジェームズに義父は慣れている。勉強をしているならしばらく放っておいてくれたのだろうが、ファッション誌と睨めっこしているだけなので声をかけたのだろう。

    「お前がそういうのを気にするの、珍しいネ」
    「あ、ああ……少しは流行りというのも掴んでみようかと思って」
    「……そうか」

     義父は少し何か言いたげに口を開閉したが、結局は何も言わずに食卓につく。少し気まずくてそれを誤魔化す為半分、義父の意見を聞きたい半分でカドックに語った証明について話した。

    「ふむ、なるほどね。では夕食が終わったら講義を始めようか」



     その数日後、立香に呼び出された。
     何か良いことがあったと言わんばかりに含み笑いをする彼女をきょとんと見下ろしていると、鞄から何かを取り出した。

    「じゃーん!」
    「これは……!?」
     ノイジーオブセッション、と書かれたチケットが二枚。このバンド名には見覚えがあった。
    「例の彼が好きなバンドなんでしょ。一緒に行ってきなよ」

     誕生日プレゼント、と言われて押し付けられる。つまりそれは──デートに誘えということだ。何の気無しに立香に伝えたが、まさかこう言う結果を生むとは。

    「え、そ、そんな……どうすれば……」
     声をかけるのすらやっとなのに、そんな大胆なことが自分にできるのだろうか。
    「一緒に練習しよ!」

     真っ赤な顔でがくがくと頷いてジェームズは立香とカフェに入る。そこでみっちりと想定問答を叩き込まれた。


    「君、このバンド知ってる?」
    「! あ、ああ……」
     チケットを見せると少し食い気味に頷く。ここまでは想定内。彼の持ち物にこのバンドのグッズがあったため、ファンなのだろうと予想していたが合っているらしい。
    「友達が行けなくなったらしくて。この間話を聞いてもらったお礼に、どうかな?」

     立香相手に何度も練習した台詞を澱みなく舌に乗せる。とりあえず第一段階はクリアだ。カドックは睡眠不足らしき隈の残る目をぱちぱちと瞬かせた。
    「いい、のか……?」
    「うん、是非。色々教えて欲しいな」
     どうやら予想していたよりも熱心なファンだったらしい。無表情の中に隠し切れない喜色が混ざっている。
     ライブというものに行ったことがないと伝えると、カドックからは荷物を減らして動きやすい格好で来るように言われた。

    「来週の土曜、遅くなるから」
     何故、と尋ねられて用意していた答えを返す。
    「友達に、ライブハウスに誘われて……」
     案の定、どこで何時になるのかなどを矢継ぎ早に訊かれて、それは正直に答えた。かなり心配性で過保護な義父からはあまりいい顔はされないが、もう二十歳過ぎているのだからそれくらいの自由はあるはずだ。

     そんな調子なので男性と二人きりだと言えば過剰に心配されそうだ。つい友達数人で行く、と嘘をついてしまった。
     いつもよりも化粧に時間をかけている娘を、義父は何とも言えない顔で見送った。どうも何か疑われているようだ。


     ライブハウスの前で待ち合わせをしており、カドックは先に着いていた。いつもと似たような服装だが、バンドのグッズTシャツを着ている。
     彼の言う通り、スニーカーとデニムのパンツで来た。周囲の人々も似たような格好をしていたからTPOに合わせられていると思ったが、少し驚いたような顔をされた。

    「……何か、おかしいかな?」
    「あ、いいや」
     なんでもない、と首を振るカドックに鞄からチケットを取り出して渡す。
    「はい」
    「ありがとう。それにしても、よく取れたな」
     ジェームズは知らなかったが、このバンドのチケットは中々取れないらしい。まだメジャーではないが知る人ぞ知る人気バンドで、都市部でライブをすれば瞬く間にチケットは完売してしまう。

    「友達の知り合いが、このバンドの関係者らしい」
    「へぇ」
     何の変哲もない普通の学生に見えて、立香の交友関係は目を見張るものがある。高校時代はそれで何の面識もない相手の数学を教えさせられたりもしたが……今回はそれに助けられたから良しとする。
     チケットを受け取る彼の手元を見る。今日も人差し指にシルバーのアクセサリーを着けていた。細いが骨ばった、男の指だ。たったそれだけのことでドキ、と胸が高鳴る。

    「わぁ……!」

     中に入ると目が回りそうなほど人口密度が高い。だからカドックは動きやすい服装で来いと言ったのだ。
     おそらく前方はおしくらまんじゅうのようになっている。これでも中規模だというのだから、大規模になればどれほどの熱気だろう。

     前方は熱心なファンが集まって大変な事になるから、と初心者のジェームズに気を遣ってかカドックは後方に陣取った。
    「カドック、近くで見たいんじゃないの?」
    「僕は生歌が聞けたら別にいい」
     引き換えたドリンクを片手に二人並んで立つ。周りを見てもそういう人は結構いるようで、こういうのは楽しみ方も様々なのだと理解する。

    『オメーら、声出せよォ!!!』

     ボーカルのハイドが叫ぶとわぁっと客席が沸く。
     一応、ノイジーオブセッションの楽曲については一通り聴いて予習はしてきた。だが、その場での演奏や観客と一体になってのコールアンドレスポンス含めて聞くとまた印象が異なる。

    「ライブって楽しいんだネ!」
    「そうだな」

     ライブの音楽に耳を傾けつつ、カドックをちらちらと見てしまうのは仕方がない。時折目が合って笑いかければカドックも穏やかに目を細める。騒がしいのになんだか二人きりみたいだった。
     夢のような時間はすぐに終わってしまう。会場から出たくないな、とのろのろと歩いていると気遣わしげに顔を見られた。

    「疲れてないか?」
    「大丈夫」

     ぶっきらぼうに見えて優しい彼がやっぱり好きだ。
     ライブの後の高揚感に後押しされて、カドックの服を軽く引く。今ならこの気持ちを言葉にできる気がした。
    「ッ、カドック! あの……わ、私……」

     決死の告白はしかし、車のクラクションに遮られた。
     振り返れば見覚えのある黒塗りのセダンを運転している男と目が合った。車を路肩に停めて、中から長身がすっと立ち上がる。
    「先輩、どうして」
     何の変哲もないジャケット姿だが、近辺を歩いている女性達から注目されるほどの美形。だがジェームズはその内面がとんでもない曲者だということをよくよく知っている。

    「君のお義父さんにどうしてもと頼まれてね。遅くなるからと」
     少々呆れたように腕を組む仕草すらまるで映画のワンシーンのようだ。
     義父が迎えに来れなかったからだというが、義父ではなく彼で良かったと内心胸を撫で下ろす。

    「おや、連れは彼一人かな」
    「あーうん、他の子とは出口で逸れちゃって。もう遅いし現地解散で良いかなって」

     義父に伝えた事と矛盾しないよう適当に言い訳する。隣のカドックは空気を読んで何も言わなかったが突然現れた男に少し戸惑っているようだ。

    「彼はホームズ先輩。私たちの大学のOBで義父の知人だ」
    「カドック・ゼムルプスです」
     礼儀正しく自己紹介するカドックに微笑んで、ホームズは親切にもこう申し入れた。
    「よろしく。方向にもよるが途中まで乗るかい?」
    「ああ、そうしてもらうといい。……少しタバコ臭いけれど」

     ジェームズの口添えもあり、カドックは少し考えてから頷いた。
    「ありがとうございます」
     カドックと後部座席に並んで座る。初対面の相手の車中でリラックスできるような人ではないので、先ほどまでの楽しげな様子は消え去っていた。
     ああ、もう少しで告白できそうだったのに。どうせ遅くなるならもう少し彼と二人きりで話してから帰りたかったのに。
     義父は過保護すぎるとホームズに愚痴を吐く。

    「それは同意だが。まあ、この辺は少し物騒でもあるから」

     あくまで義父の同業者だが、中学生頃からの知り合いで兄のような存在だった。あまり人付き合いが得意ではないジェームズが我儘を言える数少ない相手かもしれない。

    「ありがとうございました」
    「バイバイ」
     ほんの十分程度でカドックは降りていった。
     しっかりとホームズにお礼を言ってドアを閉じる。不自然にならないよう、その姿を視線で追った。ホームズが短く笑う。

    「……君も女の子だったんだね」
     しみじみとした様子で「もうそういう年頃か……」と呟く。短時間の車中だったが付き合いの長い上、人並外れた洞察力を持つホームズにとってジェームズの気持ちを推し量るには十分な時間だっただろう。
    「っ、うるさい!」
     図星を突かれたのが恥ずかしくて、ぷいと下を向く。
    「彼には黙っておいてあげるよ。寝込んでしまいそうだ」
     これは絶対にジェームズの反応を楽しんでいる。人の悪い、フクロウじみた笑顔をバックミラー越しに睨みつけた。


     交差点の向こうへ去っていく車を見送って、カドックはくしゃりと髪を乱してその辺の壁にもたれかかった。ライブの余韻などすっかり消え去っている。
    「はぁ……」
     全く不毛だ。自分で自分が度し難い。

    「なんで、あんな」

     プライドが高くて鼻につく天才だという認識には相違ないはず。なのに。
     初めてのライブで驚く顔、子供のようにはしゃぐ姿は可愛くて仕方がない。一方でタイトなデニム越しに見える整った身体のラインはどうしようもなく即物的な情欲を掻き立てられる。

     無垢な所もあるが基本的には大人びた彼女には歳上で落ち着いたホームズのような男がお似合いな気がした。
     車内での彼女はいつもより自然体なようにも見えて、少し観察しているだけでも甘えられる気安い関係なのだと分かる。自分はそれが無性に悔しくて──つまりはそういう事だ。
     あんな高嶺の花に恋したところで崖から落ちるだけだと分かっているのに惹かれてやまない。カドックはまた大きな溜息をついて帰路へとついた。


    ──

     お姫様なんてくだらない。
     底意地の悪い自分には素敵な王子様なんて現れないのだから。その代わり己の能力で成せない事はなく、愛情も友情もその対価でしかない。

     では、隣にいる王子様が自分の持ち物に興味を持たない場合にはどうすればいいのだろうか。

    「今日のノート見とくか?」
    「お願いします……」

     色々あって結局ほとんど聞けなかった授業のノートを見せてもらいながらちらりとカドックの顔色を窺う。今日の授業で先生が入って来たことすら気付かなかったジェームズに代わりカドックが教室の手配をしてくれていたらしい。

    「お礼にコーヒーでも……」
    「別にいい」

     すげなく断られてしまい、沈黙が落ちる。
     彼はジェームズの才能や容姿、能力に群がらない稀有な存在だった。でも、そんな彼を好きになってしまったら、どうやって気を引けばいいのかさっぱり分からない。
     カドックのノートと教科書を読んで大体理解できたのでお礼を言ってノートを返すが、彼は仏頂面で頷いただけだった。
     あまり機嫌が良くなさそうだ。話しかけられもしなかった時に比べれば距離は近づいたものの、迷惑ばかりかけて呆れられているかもしれない。

     重苦しい空気はしかし、一つ溜息をついたカドックによって終わった。

    「お前、何で数学じゃなくて物理専攻なんだ?」
    「うーん、数学でも良かったんだけど義父が数学教授だから……なんか被るの嫌だなって思って」

     場を和ませるジョークのつもりだったが「なんだそれ」と苦笑いされたので半分くらいは成功したのだろう。
     大学院入学のタイミングで物理学から数学に変えたりその逆をする学生もままいる程に近しい分野だ。好きな方を選べばいい、と義父にもアドバイスされたことから物理の道へ進んだ。

    「それに、研究したいことがあるんだ」

     なんだ、と言いたげな視線に応えて言葉を続ける。

    「星の堕とし方」
    「──」
    「なんてネ」

     言葉を失った彼を見て、ウインクで誤魔化した。
     それは半ば本気の願いだったが、きっと誰にも理解されまい。



     まるで心が二つあるようだった。
     天才は嫌いだ。血反吐を吐く気持ちで毎晩寝る間を惜しんで隈が出るほど勉強しても、そんな凡人の努力など易々と踏み越えていく。
     彼女に惹かれている。気高く美しい女帝の中に隠れた少女のような素顔を見せられる度抱きしめてしまいたくなるのを苦労して堪えている。

     今日も楽しそうに黒板へ数式を書きつける横顔から目が離せなかった。きっと彼女には気付かれないから。
     何の話をしていたのだったか。ノイジーオブセッションの話から、音波やそれを打ち消すノイズキャンセリングの話になり、それが一般式として表せないかという話へ飛んだ。
     チョークで黒板に図を描いていたと思えば、スイッチが入るように数式を書き始めた。そして加速度的に集中していく。
     ここまで能力の違いを見せつけられてしまうと嫉妬するなんて馬鹿馬鹿しい。なのに心にもやりと黒い影が落ちる。汚いやっかみと恋心の間で板挟みになりながら壁にもたれかかり、それを眺めた。

    「うわあ……」
     びっしりと紡がれていく数式に感嘆とも畏怖とも取れない声が漏れ聞こえる。
     ジェームズは他の学生や院生、担当のケイローン准教授が入ってきたのにも気付かず黒板を占領してひたすら数式を書き続けていた。初めてこの癖に直面すればさぞ驚くだろう。カドックもあの時内心途方に暮れていたものだ。

    「モリアーティさん。授業ですよ、モリアーティさん!」
     よく通るその声をジェームズは無視した。いや、本当に耳に入っていないのだ。
    「こうなったら何やっても無駄です。隣の教室空いてるみたいなんでそっちに移動した方がいいと思います」
     困った顔を装いつつも、そこが可愛くて仕方がないのだから重症だ。

     ジェームズが黒板を使い始めた時点で空き教室を確認していたカドックが提案するとケイローンはあっさりと同意して隣で授業する事に決めた。この手の天才型には何度か出会った事があるのだろう。授業も終盤に差し掛かってから恥ずかしそうに後ろから入ってきたジェームズに「お疲れ様です」と声をかけて笑うだけだった。

    「今日のノート見とくか?」

     こんな親切は天才の彼女には不要かもしれない。それでも声をかけたのは単なる下心だ。
     ぱらぱらと教科書とノートを一通り眺めただけで理解したらしい。カドックにとっては帰ってから復習が必要だと思っていた内容だ。落ち着いていた嫉妬心がまた顔を出して彼女にぶっきらぼうに接してしまう。
     彼女には何の落ち度もない。分かっている。
     胸の蟠りを吐き出すように溜息をつき、カドックは話題を変えた。

    ──


     お姫様なんてくだらない。
     私よりも容姿も能力も劣っているくせに、私の一番欲しいものを全て持っている。あんなものは物語の中だけの話だと強がることで背筋を伸ばす。本当は違う事は知っていたけれど見ないふりをする。
     どうせ私に似合う配役は意地の悪い女王、悪の魔女。だから、それらしく振る舞おうじゃないか。
     華々しく星を堕とすなんて、最高の悪だ。

     だが、それを口外すれば頭のおかしい奴だと思われるだけだ。冗談めかしたが、カドックにも変な女だと思われただろう。
     せっかく並んで帰れているのに、沈黙が落ちる。どうやって挽回しようかと考えている間に駅に着いてしまった。

     ジェームズはこちらのホーム、カドックは反対側のホーム。何も話さなくて良いから本当はもっと長く一緒にいたい。後ろ髪引かれる気持ちで「バイバイ」と笑いかける。
     彼はしばらく黙ったままこちらを見ていた。「なあ」と声をかけられて首を傾げる。

    「お前が星を堕とすなら──僕はそれを止めたいよ」

     それだけ言って彼は背を向けて向こうのホームへ行ってしまった。驚きすぎて何の反応もできなかった。
     義父でさえ何かの比喩や冗談と取っていたその言葉に真剣に向き合って真摯で真っ当な答えを返してくれた。真面目で優しいカドックらしい。そんな人だからこんなに好きになってしまったのだ。

    「リリィ、大丈夫かネ?」
    「少し、疲れてるみたい。今日は早く寝るよ」
     口数少ない娘を心配する義父を安心させたくて無理矢理笑顔を作る。
     夕飯の味も分からないまま自室に引っ込こんだ。

    「あー……だめだ。好き……」
     ベッドに腰掛け頭を抱える。日に日に膨らんでいた恋心が、今日で臨界を迎えてしまった。恋で胸が苦しいというのは比喩ではなかったのだと身をもって思い知る。今すぐにでも彼の家に行って好きだと叫んでしまわないと破裂してしまいそうだ。
     明日こそ彼に想いを伝えよう。結果は目に見えているけれど。そう決意して横になったがなかなか眠れない。しかし健康な身体はもちろん休養を欲しており──
    「やばっ」
     寝坊して授業直前に駆け込むような形で教室に入る。だからカドックと話す暇はなかった。彼とはほぼ同じ授業を取っているが、なかなか個人的に話す機会はない。

     チャンスは授業後だが、もたもたしていたら帰ってしまう。
    これまで、表立ってカドックに馴れ馴れしくすると悪目立ちしてしまうと控えていた。
     だが、他人がどうだと言うのだろう。つまらないプライドや自意識なんて何の役にも立たないではないか。
    「っ、か、カドック」
     授業終わり、まだ教室でたむろしている学生もいる中カドックに近寄り声をかける。

    「一緒に、帰らない?」
    「悪い。今日はバイトあるから」
    「そっか」
     大丈夫。まだいくらでもチャンスはある。残念そうな素振りなんて見せずに教室を出た。
     だが途中でマフラーを忘れてしまったのに気付いて取りに戻る。ほんの二、三分のことだったのでカドック含め、まだ教室に数人残っているらしい。何か楽しげに談笑している声が聞こえてきた。

    「絶対モリアーティ、お前狙いだろ」
    「はぁ……お前ら、くだらない事言うな」

     カドックに冷やかしを入れる男たち。やっぱり分かりやすかったな、と顔が赤くなる。だがそんな彼らに向けて、カドックは心底不愉快そうに吐き捨てた。

    「あんな天才の考えてることなんて分かるわけないだろ」

     唇を噛み締める。らしくなくリップグロスを塗っていたのでそれがぐじゅりと滲む。涙で視界が歪んで、とっさに女子トイレに駆け込んだ。
     個室に鍵をかけて座り込む。

    「ひぐっ……うぇ……っ!」

     小学生の頃からジェームズは浮いていた。同級生とは話がまったく通じなくてずっと孤独で。両親には可愛げがないと言われ続けて、彼らの死後に義父の元へ養子に出されるまでずっと自分が嫌いだった。
     義父のもと進学する間にだんだん他人との付き合い方を理解していって、どうにか合わせていけるようになった。
     でも彼なら本当のジェームズのことを理解してくれる、許容してくれるんじゃないか。そんな都合のいい誤解をしてしまっていた。

     化粧が崩れるのにも構わず、ぐずぐずと鼻を啜った。
     落ち着くまで泣いて、乱暴に涙を拭ってからトイレを出る。カドックが立ち尽くしていた。ジェームズが篭っている間待っていたらしい。

    「マフラー、忘れてた」
    「っ……!」

     迷惑なら、嫌なのなら優しくなんてしないでほしい。
     無言のまま引ったくって逃げ出したが、いくらも走らないうちに手首を取られた。




     気丈に睨んでくるものの泣き腫れた瞼が痛々しい。自分のせいだ。
     ジェームズがどこから聞いていたのか分からないが、彼女に関する下世話な話に苛立った末、彼女ごと突き放すような言動を取ってしまったのを深く後悔する。逃げ出す足音を追いかけて、トイレに入った彼女を見送ったが放っておけずにアナスタシアには授業を明日にしてもらうよう連絡した。
     泣かせたまま別れたくなくて、とっさに手首を捕まえるとあまりにも華奢で、なおも逃げようと引く力は弱い。

    「悪かった」
    「す、好きでこんな風に生まれたわけじゃない!」

     ぼろ、と大粒の涙が溢れていく。その言葉の裏にカドックには計り知れない何かがあるのだろう。

    「うん、そうだな。ごめん」

     己の凡人具合を嫌というほど理解している自分と、おそらく対極にいる彼女。お互い、何もかもが異なっていて完全に理解できる日は来ないのかもしれない。
     それでも、この手を離せなかった。

    「迷惑なら……そう言って」
    「そんなことはない、が……」

     少しだけ言葉を選ぶ為に息を止めた。いたずらに傷付けたいわけではない。でも女帝然とした彼女がふとした時に見せる表情はあまりにも無防備であどけなくて。己をわきまえているはずのカドックですら──

    「勘違い、しそうになる」

     どう勘違いするのかを教えるため、折れてしまいそうなほど細い手首から滑らせて指同士を絡めた。びく、と肩が揺れる。柔らかくて小さくて、少しだけ冷たい指は自分と全然違う。
     すぐ振り解かれてしまうと思いきやジェームズは真っ赤になっただけだった。まさか、と思いながらそのまま引くとあっさりと腕の中に収まってしまう。
     今までのあれこれが、カドックだけに見せる顔だとすれば──なんて可愛らしく愛おしいんだろう。
     ぐす、としゃくりあげるジェームズをそっと抱きしめてカドックはその髪に唇を落とした。
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