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    pixivにアップしてたの引っ込めたのでこちらに

    #Bloodborne
    #シモルド
    simoldo

    過去ログ16鼓膜を揺らす声があった。
    母を求め泣き叫び続ける赤子の声だ。止め処なくその鳴き声は延々と響き続け、息を吸って一息を置くような音までもがルドウイークの耳に届いていた。
    鳴き声が果たしてがどこから響くのかを調べようにも、甲高い鳴き声は水の中で反響するかのように出所が掴むことができなかった。
    その鳴き声は昼も夜も関係なしに響き続けた。時に頭の芯を揺らすように。脳の表面を逆撫でるように不快に響くその泣き声に耐えきれず、耳を塞いでは髪を掻き毟る。そんな日々が幾夜も続き、泣き声を掻き消す為だけに獣の断末魔を求めた。
    狩りの中に身を置く瞬間だけ暫しの沈黙と癒しが訪れた。
    そしてふと、輝く白刃を獣の血で染め抜いたある夜に気がついてしまったのだ。
    その声は頭の中に響き続けているのだと。
    鼓膜を揺らし、耳に届いた声は一つだけだった。

    「醜い獣憑きめ」



    獣は増え続けていた。
    教会が派遣した狩人も尽き、ヤーナムの市民から集った狩人もほとんど死に絶えた。それより何より、この街の希望が潰える際であることをシモンは知っていた。
    ルドウイークが獣の病に罹ったと知らされたのだ。にわかには信じがたいことだったが、やはりか……と腑に落ちて納得している自分を否定はできなかった。
    父が獣となり、家を失った見窄らしい子供を引き取った獣狩りの夜のこと。あの夜の彼の視線の先、言動、全ての歯車が揃い嵌まり込んだ。ただそれだけのこと。
    彼の命はもう長くはないだろう。今こそ容姿に大きな変貌は見られないようだが、精神的な錯乱は相当だと噂程度に耳にしていた。
    見舞いに行く柄でもない。そもそも、シモンとルドウイークの仲は特別だと言えるものでもない。ただの同期。顔を合わせれば一言二言会話をするような、それだけの希薄な関係性だ。だからというわけでもないが、彼を訊ねようと考えることもしなかった。
    関係性を盾にすれば、幾らでも彼を訊ねない理由は生まれる。しかし本当は恐ろしかったのだろう。彼の虚な視線をまた拝むことも、彼が今や死の淵に佇んでいるということも。
    英雄とも呼ばれた男が病の手に掛かっても、時の流れは止まることはない。また夜は濃い獣の香りを引き連れてやってくる。
    そのことがただただ、腹ただしく胸が引き攣れそうなほどの不快感を感じた。

    静かな夜だった。警鐘も鳴ることもなく、獣の呻き声も奴らの爪が地面を掻く音も聞こえない。獣狩りの夜ではない穏やかな夜は数を減らしていたが、今日は平和な夜だった。しかし夜の街には誰一人姿を見せることはない。
    獣がいないと教会が判断を下したところでそれを鵜呑みにするような市民はもういなかった。いつ誰が獣となり牙にかけようと目を光らせているか分かったものではない。生活音もほとんど聞こえぬような息を潜めた中、シモンは一人いた。
    目的がないわけではない。街の見回りという名目はある。しかし、それよりも明確な理由がシモンにはあった。

    「てっきり、手足を拘束され身動き一つままならぬ生活を送っているとばかり思っていたのだがね」

    獣を追い込むためだけに設けられたかのように、そこには何もない。樹木が数本円を描くように植えられた場所は高い位置にあり街が一望でできた。海を挟んだその遠くには忌まわしい血族の居城も窺える。だがそんなものも今はどうでもよかった。
    住民のいないような聖堂街の外れにシモンの目的とした彼の姿があった。
    本来であれば声もかけず彼の首の後ろに一矢を撃つべきだった。しかしできなかった。そうして代わりに挨拶がわりに声をかけたのだ。
    以前よりやや痩せたその後ろ姿は痛々しい。しかしあの夜と変わらず、白い教会の装束を身に纏いその背中には大剣を背負っていた。
    シモンの皮肉な言葉に微かに揺れたその体は幽鬼のようでありながら力なく、精力の欠片も感じさせなかった。

    「君も、私が患っていると思っているのだろう?」

    掠れた声は今にも靡く風にかき消されてしまいそうだった。
    だが、その声に対して笑みさえ含んで言葉を返した。

    「いいや。……思っていた以上に元気そうで安心したとも」

    錯乱して地下牢送りにされたと伺っていたと皮肉を交えて伝えれば、はは……と力なくルドウイークも笑みを返した。
    しかし焦燥したその顔に落ちた陰りは深く、隈で縁取られた瞳の瞳孔は崩れ出していた。獣の病の前兆であるそれはシモンは見飽きるほどに理解していた。彼が獣と成り果てるまでの時間はそう長くは残されていないということにも。

    「……以前、赤子の鳴き声が聞こえると言っていたが、それはまだ聞こえるのかね」

    ざあざあとこの葉が風で鳴る音が煩わしい。そう問いかけながらシモンは一つの動向も見逃すことがないようにルドウイークの様子を伺っていた。火のないところに煙が立たない。噂もまた同じだろう。獣の病の罹患者たちの多くがそうであったように、何がきっかけで錯乱して襲いかかってくるか分かったものではない。彼だけが特別だとはシモンはもう思わなかった。
    襲い掛かられたとて、真っ向から戦い勝てるものかと自重的な考えが過ぎるも、前線で常に戦い英雄となった男を陰から討つ卑怯な真似は狩人としてできない。
    そもそもの話、自分がここで命を落としたところで誰がその死を悼むというのか。せいぜい彼が聖剣を振るい斬りつけた後、正気を取り戻して後悔することを願うほかシモンはなかった。

    「……」

    ルドウイークが何かを言いかけ、口を閉ざした。その唇は血の気が失せ乾いてヒビが入っている。
    ろくに食事もせず睡眠もとっていないのだろう。血の気も失せた顔はかつての精悍さを失い、枯れ果てる間際だ。
    しかし、今宵に限ってはその瞳は爛々と輝いていた。しかしその輝きの先にはシモンを捉えてはいない。もう二度と目前のシモンの姿を捉えることはないのだろう。そんな不吉を感じさせる輝きだった。

    「そんなものは幻聴だ。耳を傾ける義理などあるまいよ」

    何も言わないのであればさらに言葉を重ねるだけだった。吐き捨てるように重ねた言葉も彼の耳に届くことはもうないのだろう。
    慰めも鼓舞も遅すぎる。
    それを悔やむだけの親密な関係とも言い難かった。
    今となっては何故、彼を英雄様だなんて心にもない言葉で呼び、距離を置いていたのか理解できなかった。彼は決して特別ではなかった。
    こうして面と向かい合い、言葉を交わせば彼がただの一人の人間であることは疑いようもなかったというのに。
    シモンの葛藤を知らずしてか足を引きずるように脇を通り過ぎる。一滴の血も浴びていないにも関わらず、風に乗って香ったのは濃い血の匂いだった。横を通り過ぎる最中、何かを呟いたようだが不明瞭な呟きはシモンの耳に確と届きはしなかった。
    今、何を呟いたのかと問いかけようと振り返った先に目に飛び込んだのは、月光の下で赤く輝きながた散った飛沫だった。
    冷えた頰に触れた血の飛沫は肌に熱を刻みながら染み込むようだった。
    ルドウイークが背中を向けている為、一体何が起きたのか理解が遅れたが、どうやら気配を消して忍び寄る獣がいたようだ。獣狩りの夜ではないとは言え、決して油断ができるような夜ではない。そのことを彼と話している最中忘れていたことに気がつけば心臓が冷たい氷に包まれたようにぞっとした。つんざくような悲鳴が上がるも容赦無くルドウイークの剣は獣の四肢を刻んでいく。
    判断に遅れを取りつつも慌ててルドウイークの前面に回り込み、矢を引こうとした瞬間にシモンの指先がかじかみ動かなかくなった。
    指、どころか心臓までもがまた凍りついた。
    そんなシモンの動揺を気に留めることもなく、ルドウイークの右腕が獲物の腹にねじ込まれる。そこに一切の慈悲を感じさせることさえないまま内臓を抉る。彼の獲物が静止の悲鳴をあげながらルドウイークの腕を掴んだ。だが止まることはなく右腕が引き抜かれれば、生々しい色の腸が湯気を立てながら月の下に晒された。
    ごぷっごぷっと粘り気のある血反吐を吐きながら膝をついて石畳に転がった其れは、狩人だった。
    まだ若く、狩人装束もまだ新しい。ルドウイークの声によって集った市街の狩人であることは見当がつく。不幸にも容赦のない一撃で息絶えることもできなかった狩人は腸を引き抜かれた苦痛にのたうち、悲鳴を上げる。瞳孔が蕩けた瞳に浮かんでいるのは恐怖だった。そして絶望だ。直面した死に怯えながら溢れた腸を掻き集めて這いつくばる。
    ルドウイークは静かに見つめた後、慈悲だとばかりに刃が狩人の首を断った。鞘に納められたような大剣が地面と垂直になるよう振り落とされたのだ。
    鮮血の血溜まりが狩人の断末魔の痙攣と共に大きく広がっていく。ごとりと首が転がる音が一歩遅れて耳に届いた。血や肉の匂いには慣れているとて、今し方直視した現実に吐き気が催した。
    甚ぶるように切り刻まれた狩人の死より、何より。

    「あんた……、何が可笑しい」

    ルドウイークの口元には笑みが浮かんでいた。
    せめて彼が浮かべた笑みが残忍な加虐に酔ったものであれば、まだ理解もできただろう。
    しかし彼の浮かべている笑みはひどく穏やかなものだった。まるで無垢な赤子を抱き上げたように慈悲深く、あるいは安堵に近しい笑みとでもいうのだろうか。
    綻んだ笑みを崩すことなく顔に浴びた鮮血を手の甲で拭う。
    そこで初めてシモンの言葉が耳に届いたように笑みを浮かべた口元を指で撫でた。指に付着した生々しい赤色がなぞった形に筋を残す。

    「ルドウイーク」

    現実味も持たぬまま縋るように彼を呼んだ。獣と人間の曖昧な境目に立ち、その一線を越えようとしているような、そんな錯覚さえ覚えようとしていた。

    「……あんたは狩人だ」

    らしくもなく必死だった。そうであって欲しいという願望のままに口にした言葉が如何に偽善的であるか、シモン自身がよく分かっていた。そしてルドウイークもまた、目前に突き出された偽善的な言葉にふっと笑みが消えた。
    しゃがみこめば、痙攣さえ止まった死体の腕を揃え、転がった首の目蓋を下ろす。こぼれ出た内臓も拾い集めれば丁寧に腹部の中に押し込み、自身の白い外套を彼へと被せた。無残にも自分が殺したというのにその仕草は優しい。
    一方的な惨殺に等しい狩りへの悔恨かあるいは償いか、その真意は深海のように見通せなかった。真意の読めないルドウイークへと静かな怖れを感じた。体温を感じない恐怖心が忍び寄る気配にシモンは静かに息を呑んだ。

    「狩人である前に……私は」

    木の葉の隙間から飛び出した鴉の羽ばたきで掠れた呟きは掻き消された。
    死体に被せられた白い外套に真っ赤な鮮血が染み込んでいく様子を眺めながら、ふらりと足を街の中へと踏み出す。
    それを止めなければ彼と二度と言葉を交わすようなことができない予感がした。不吉な予感こそ外れるものだ。そう思いながらも彼の行手を阻んでしまった。

    「今日は獣狩りの夜じゃあない。……休めるときには身を休めるべきだと俺は思うがね」

    死にたくないのならそうするべきだと、以前なら余計な一言を付け加えても冗談で済んでいた。しかしもう、そんな余裕も猶予もルドウイークには残されていない。彼の足取りを阻むためにルドウイークの前に躍り出れば、剣を握る右腕を制するように指で示した。大聖堂なり自宅なりに戻るように、と。
    その一瞬、ルドウイークから視線を外し飛び立った鴉を視線で追ってしまった。それが間違いだったと気づくのはすぐだった。
    右腕に巻かれた古臭い包帯が音をもなく切れた。はらりと落ち、地面に転がり落ちる前に血が吹き出し雨だれのような音を立てる。一歩遅れてやってきた鋭い痛みに息が詰まり、庇うように右腕を引き寄せた。にわかには信じがたい現状に思考が鈍る。その一撃を刻んだのが目前に立つルドウイークなのだから。
    双方何も言葉を発することもない。ルドウイークが音をもなく長剣を構え、引いた。そうして繰り出された突きはシモンの脇腹を掠める。判断を誤ればその一突きはシモンの鳩尾を貫き命を奪ったことだろう。
    脇腹をかすめただけとはいえ、研ぎ澄まされたその一撃は鋭く重い。窶しらしい擦り切れた服は断ち切られ、そこから覗いた皮膚まで斬られ血を滲ませていた。心臓が腹部と右腕に分かれたようにどく、どく、と脈打ち痛む。
    シモンに二撃を喰らわせた張本人である彼に浮かぶ表情はなかった。しかし、穏やかな水面のように据わった瞳はシモンを獲物として見据えていた。
    何故という疑問はなかった。彼が獣の病を患ったと聞いたときと同じようにやはりかと思うだけのこと。

    「都合がよかったよ。英雄様」

    先手を奪われたとはいえ、シモンにとって都合がよかった。
    獣の病を罹患した者が獣になる前に狩り殺す。それは英雄であるルドウイークとて例外ではなかった。
    聖職者としての地位が高いほどに恐ろしい獣となる。ならば彼こそ人間である内に殺す必要があった。そして彼が先に戦意を向けてくれれば何の罪悪感も感じることはない。殺されそうになったから狩ったまでであるという大義名分に罪悪感を感じる必要はない。
    仮に殺すことはできなくとも、自分が殺されたとて任務を全うしようとしたという意思だけは教会に伝わることだろう。それが評価されるなんて甘い期待はできないが。
    痛みと緊張で乱れる息を飲み込みながらじりじりと距離を測る。弓と長剣であればこちらの方はリーチ的には有利だろう。しかし、弓を引く猶予を彼が与えてくれるとは到底思えなかった。性根は英雄と呼ぶには穏やかが過ぎる程だが、狩りの中で彼はいくらでも無慈悲になることができた。ルドウイークの二面を他人より知るシモンだからこそこの状況が如何に肝が冷えるか実感していた。
    そして間もなく自分が死ぬであろうことに怯えが広がっていく。
    その予感を裏付けるように、長剣を胸目掛けて突き立てようとルドウイークが踏み込んだ。

    「君も、私が獣憑きだと……そう思っているのだろう」

    悲壮な響きには不釣り合いな重たい斬撃だ。串刺しにしようと突き立てた切っ先を躱せば瞬時に刃が翻り、シモンの腹部から胸を切り裂いた。尋常ではない量の血が吹き上がり、一瞬にして視界が赤く染められた。同時にたちどころに意識が遠のくのは幾晩も生き延びた彼の為せる業か。たった一撃で失った血の量とは思えぬほどの大きな血溜まりを眺めながら、足が重くなるのを感じた。先ほど一撃で死ぬことができなかった狩人が如何に不憫だったかを体感しながら、漏れた息を拾うように胸を押さえた。
    鈍い音を立てて弓剣が落ちる。狩りの場で狩人が得物を落とすなど恥知らずもいいところだ。しかしそれを拾うことも、ましてや備えられた刃でルドウイークの喉元を掻き切るなんて真似もできるはずもない。

    「がは……っ、か……はっ……!」

    膝をつき項垂れる。その間にも血溜まりは大きさを広げてやがて、先ほど殺されたばかりの狩人から流れた血溜まりと混ざるのが見えた。やがてそれは巨大な血溜まりはルドウークを囲むように広がり、腐り、彼を苛むのだろう。
    忍び寄る病と共に積み上がる死体の数に苦しみながら、延々とその手を汚し続けることになるルドウイークが哀れだと思った。
    誰も彼を止めることも救うこともできはしないだろう。もしも彼をまだ救える存在がいるのであれば……きっと神しかいない。
    眩み、闇へと吸い込まれゆく意識の中、せめて遺言にでもなるような言葉をと探すも何も出てはこなかった。酸欠で開いた口からは引き攣れた呼気が溢れるばかりだった。

    「誰よりも……私が分かっているとも」

    まさに自分を殺そうとした張本人だというのに、その言葉は悲しげだった。今にも泣き崩れてしまいそうなほどに弱々しく悲観に暮れていた。今更、正気に立ち返ってしまったのだろうか。剣を叩きつけるように地面へと投げつければシモンの体を抱き起こした。

    「どうやら……、尽きに……、見放されているようだな」

    このまま錯乱したままでいれば、獣を一匹殺しただけという認識で済んだというのに。シモンを斬りつける前であれば後悔をすることもなかったというのに。この男はよりにもよって命を奪いかねない一撃をシモンに喰らわせてすぐに正気に立ち戻るのだから不幸だった。
    失血のせいで耳鳴りがひどい。わんわんと湾曲して響く音の中、許してくれという言葉だけが聞き取れた。
    自分の許しなど欲するまでもない地位だろうに、病によって一時錯乱し傷つけてしまったことをシモンへと懇願していた。むしろ英雄と呼ばれるだけの地位であればシモンを殺すべきなのだろう。病の進行がバレぬようシモンを葬り、元の生活へと彼は帰るべきなのだ。
    しかし彼はそうしなかった。

    「……あんたは、人間だよ。誰よりも」

    結局、彼は包み隠さず全てを上層へと報告をした。
    しかし彼は地下牢へ捕縛されることもなく、以前と変わらず狩りへと送り出され最前へと立たされた。以前と全く変わらないと思われたが、周りの目はさらに大きく歪んだ視線で見られるようになった。
    そして、その言葉通り彼は醜い獣となり、悪夢へ囚われた。
    死肉と狂気と腐臭ばかりが漂う、一切の慈悲もない穢れた悪夢の中へ。しかし、そこに僅かな救いはあったのだろう。
    寝息を立てる崩れた顔は穏やかさを取り戻しているように見えた。規則正しく立てる寝息も落ち着いている。
    優しい夢の中に囚われている今こそ、今度こそ、彼を葬ってやるべきなのだろう。だが今回もまた、シモンはルドウイークを殺すことはできなかった。ようやく手にした平穏を奪うだけの権利が自分にあるとは到底思えなかった。それに首だけになってしまった彼が狩人を襲うこともまずできるはずもない。
    第一に放っておいてもいずれ彼は死ぬ。しかしその死は穏やかさに包まれているのだろう。
    ここが狩人の行き着く悪夢であっても、その中に初めて彼は安寧を取り戻すことができたのだ。
    シモンにとって、ほんの少しの救いを感じることができた。
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    pa_rasite

    DONEブラボ8周年おめでとう文
    誰かが見る夢の話また同じ夢を見た。軋む床は多量の血を吸って腐り始めている。一歩と歩みを進める度、大袈裟なほどに靴底が沈んだこの感触は狩人にとって馴染みのものだった。獣の唸り声、腐った肉、酸化した血、それより体に馴染んだものがあった。

    「が……ッひゅ……っ」

    喉から搾り出すのは悲鳴にもならない粗末な呼気だ。気道から溢れ出る血がガラガラと喉奥で鳴って窒息しそうになる。致命傷を負ってなお、と腕を手繰り寄せ振り上げる。その右腕に握るのは血の錆が浮いたギザギザの刃だ。その腕を農夫のフォークが刺し貫いた。手首の関節を砕き、肉を貫き、切先が反対側の肉から覗いた。その激痛にのたうちまわるどころか悲鳴さえも上げられない。白く濁った瞳の農夫がフォークを振り回す。まるで集った蝿を払うような気軽さのままに狩人の肩の関節が外された。ぎぃっ!と濁った悲鳴を上げればようやく刺さったフォークが引き抜かれた。その勢いで路上に倒れ込む。死肉がこびりついた石畳は腐臭が染み込んでいる。その匂いを嗅ぎ取り、死を直感した。だがこれで死を与える慈悲はこの街にはなかった。外れた肩に目ざとく斧が叩き込まれたのだ。そのまま腕を切り落とす算段なのだろうか。何度も、何度も無情に肩に刃が叩き込まれていく。骨を削る音を真横に聞きながら、意識が白ばみ遠のきだした。いっそ、死ねるのであれば安堵もできただろう。血で濡れた視界が捉えるのは沈みゆく太陽だ。夜の気配に滲んだ陽光が無惨な死を遂げる狩人を照らし、やがて看取った。
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