過去ログ25「何故、お前は家族に固執する?」
特定の周波数から奏でられるジリジリという不愉快な音に眉根を寄せたエディが問いかけた。その問いかけた相手は拘束具を着せられた異常者に向けられている。両手足の自由は奪われ、分厚い強化ガラスの内側ではシンビオートが嫌う周波が常に響いている。それを敏感にエディの肌で感じ取った黒いシンビオートがかすかに波打つ。エディは向かい合った男の偏執的で捩じくれた執着心にはもううんざりだった。何度殺そうとしたのか数え切れないほどだ。だが執念深くこの男は生き長らえエディをつけ狙う。パパと吐き気を感じる言葉を選びながら。そんなエディの不快感を察したか、実に嬉しそうにクレタスの口角が上がった。
「血の繋がった家族はアンタしかいないからさ。なあ、“親愛なるパパ”」
その声はスピーカーを通してエディの耳にまで届く。ノイズを含んだその音はざらつきエディの心臓に砂をまぶしたようなむかつきを覚えさせた。シンビオートは時に親子で憎み合い殺し合いに至る習性があるらしい。カーネイジが産み落とした子供、トキシンもカーネイジと敵対した。そしてこの忌々しいヴェノムの息子、カーネイジも。習性と言う言葉だけで終わればまだ感じる嫌悪感も少なかったろうに、エディは人間としてクレタスを嫌悪していた。侮蔑していたし、理解しようとも思えない。こうして言葉を交わしても感じるのはただの不快感と徒労のみだ。
「俺がお前の父親? だとしたら養育費を払わなかったからグレたとでも言いたいか?」
「ああ、そうさ!パパは養育費よりも最高なプレゼントを送ってくれたがよ……。それには感謝してもしきれないぜ」
プレゼントの内容は聞かずとも分かる。不本意ではあったものの、同室となった牢獄の中に産み落としたシンビオートの卵のことを指しているのだ。もしもあの時、シンビオートを受け入れなければ。脱獄をしなければ。エディの選択次第ではカーネイジは生まれることはなかったのだ。それを悔やまなかった日はない。それをよくよく知っているのだろう。一層嬉しそうにクレタスの瞳が残忍に輝く。
「おかげで随分楽しめたぜ。特に、親の前で子供を殺してやるのは……」
強化ガラスにヒビが入らんばかりに拳が打ち込まれた。その拳は強く握りしめすぎて血の気を失い、ワナワナと震えていた。その震えの向こう側のエディの表情は俯きうかがえない。だがその震えだけで分かる。エディは憎悪と後悔に表情を歪ませているのだと。そしてその責任の一つに自分が関与していることに怯えているのだろうと。クレタスは生々しく開いた傷をくすぐるのは大好きだった。そしてエディの傷となれば殊更。
「ガキの断末魔と母親の叫び、パパの耳にも届いだんだろ?”助けてー!””やめてー!”ってよぉ!」
「やめろ!」
強化ガラスにまた拳が打ち込まれた。シンビオートの肉体強化も相まってその一撃はガラスにヒビを入れた。その衝撃で甲高い警告音があたりに響き出す。直に音波を放つ物々しい銃を持って駆けつけることだろう。だがそれまでにはまだ少しの時間がある。強化ガラスに額を強く打ち付ければエディが乾いた唇を開いた。
「お前を虐待してた父親……。もしかしたら正しいかったのかもな」
怒りを噛み殺したエディの声がクレタスの鼓膜を揺らす。その言葉にクレタスは確かに動揺していた。それに気がつくのに遅れをとりエディを静かに睨め付けた。そこに先ほどまでの余裕も残忍さもない。冷たい殺意に凍りついていた。
「俺が本当の父親でもそうするぜ。鞭で叩いて、地下室にでも蹴り込んでやって……」
「テメー……」
エディがようやくのことで顔を上げた。動揺し怒りに支配されゆくクソッタレの殺人鬼の表情を拝む目的だ。涼しげな青い瞳は冷徹だ。路上の腐った生ゴミを見るよりも嫌悪感に満ちている。それがエディの挑発であることに気がつきながらクレタスの灯った怒りは収まることはない。怒りを感じた対象を殺し、優位に立つまでは。怒りのままに舌でも唇でも噛み切り、ヒビの入った部位にこちら側から拳を打ち込めばガラスを破れるだろうか。そうしてエディの首でも切り落としてやればこの胸を満たし出すドロドロの殺意は、ひとときは安らぐだろうか。それほどにクレタスの中に燃え盛る怒りは強い。毎秒ごとに石炭を投げ込まれているかのように殺意は増幅していった。
それをただ静かにガラスの向こう側でエディは観察していた。
「なら、こう言ってやろうか? “可哀想な息子よ、お前は何も悪くない”って具合にな」
クレタスが何に怒り、何に動揺するかを探り確信を得たのだろう。完全に逆転した立場のままにエディはクレタスを挑発し続ける。嫌がらせにしては悪趣味がすぎる言葉選びだったが。
「お前の父親はそうするべきだったんだ。お前を慰め同情し、心中するべきだった」
「何が言いてえ?!」
怒声はスピーカーを音割れさせる。その怒声で余裕を失ったのを確信してエディが拳を緩めた。一方でエディの表情に勝ち誇ったものはない。ただただ呆れ果て肩を落とすだけだ。
「“パパ”がいいことを教えてやろう。 俺は生まれた時に母親が死んだ。そして父親にはネグレクトされて育った」
深い深いため息を肺から絞り出す。その後に続いた言葉は天気のことでも話すように気軽なものだ。
クレタスにどころか自分からこの話を切り出すのは初めてのことだったような気さえしていた。だがエディ自身が驚くほどに何の確執もなかった。声も体も震えない。ただあったままの事実を話すだけだった。
「お前と同じような境遇だ。クレタス・キャサディ」
「……だからなんだ?お前を見習って正しく生きろって説教のつもりか?」
ギシギシと拘束具にベルトが鳴る。今すぐにでも拘束具を引きちぎり、クレタスにとっての“正しいこと”をしてやろうとばかりに。
「お前と俺は違う」
肯定もしなければ否定もしない。クレタスの問いに応えること自体にもううんざりなのだ。この男の望む言葉を与え続けてもそこがない器に水を注ぎ続けるように無意味だ。長年に渡る悪縁によってエディは嫌というほど身に染みていた。
この男の父親でもなければ、家族でもない。その真実を誰よりもお互い理解しているというのに、なぜこうも確執が生まれるのか理解できなかった。
「違わねえさ!テメーの両手だって血まみれだ」
エディはもう答えなかった。今やヒーロー側として認知されている彼はここを出ていこうと咎められることも追いかけられることもない。むしろあの殺人鬼と対話を試みたことを賞賛され労われるのだろうか。そのことを考えれば怒りのマグマや憎悪が沸き立っていく。同じ牢獄にいたときのエディは惨めな負け犬だった。スパイダーマンへの復讐心に囚われた、自分と同じ立場の狂人。だからこそ同室相手に選ばれたというのに今や立派なヒーロー気取りだ。
血の中に巡るシンビオートが怒りに同調して震え上がるのを感じていた。クレタスを拘束し閉じ込める独房に複数人の足音が駆け寄ってくる。その音に掻き消される前に吐き捨てた。
「だから追いかけてやる。テメーが死ぬまで永遠に」