スミスと味噌汁「ふぅ……」
ハワイの自宅のリビングにて。
つい先ほど、深夜手前の時刻に帰宅したスミスは椅子に深く腰掛けていたのである。欲求に従うならば、ソファに腰を下ろしたかった。否、そのままソファの上で横になりたかった。更に突き詰めれば、スミスは寝室のベッドに横たわってしまいたかったのである。
しかし、今の――普段よりも飲酒量が多かった自分が横になれば、きっと翌朝まで起き上がれないだろう。衣服も脱がず、シャワーも浴びずに。
それはよくないという意思で彼は椅子に腰かけていたのである。机に上半身を預けたい欲望に抗いつつ。
「スミス、大丈夫か?」
カツン、と小さな音。グラスが置かれた音に誘われるように視線を向ければ、自然とそれを持ってきてくれた人物の姿もスミスの視界に映る。イサミだ。スミスが現在、家族として暮らしている一人である。
あとはもう寝るだけだっただろうイサミ。日中は額を露わにする髪型にしている彼だが、夜は異なる。前髪を下ろした姿は普段よりも幾分幼く見えて、その姿がとても可愛らしくて――。
「Thank you, イサミ」
胸に抱きたくなる衝動を押さえて、スミスはコップに手を伸ばす。そのまま一気に水を飲み干すと、彼は大きく息を吐き出すのであった。
「……ちょっと待っててくれ」
「イサミ?」
「ああ、でも無理はするなよ。眠りたいなら寝ちまえ。明日は朝早く起こしてやるから」
スミスの向かい側に座ったばかりだというのに、イサミは立ち上がってしまう。スミスが細めたエメラルド色の双眸で姿を追うと、彼は再びキッチンへと足を運ぶのであった。
――カチッ。
スミスの聴覚が拾ったのは、コンロが点火する音である。
(イサミ、夕飯を食べてなかった……?いや、今日の祝賀会については事前に伝えてたから、違うな。ルルが起きてくる様子はないし……。だとすると、俺の為に……?)
暫くして、キッチンからふんわりと匂いが漂ってきた。
スミスにとっては嗅ぎ慣れなかった香り。最近になって、〝朝〟の象徴となってきた香りである。
「食べれそうだったら、どうぞ」
安心する匂いの効果もあり、意識が眠りに引きずられかけていたスミス。彼はイサミの声にはっとして、再び目前のテーブルに視線を向けるのであった。
ことん、という小さな音。木製の汁椀――スミスがイサミと日本を訪れた時に購入した一品である――が目前に置かれている。汁椀からは湯気と美味しそうな香りが漂っている。
「具は麩しか入ってないけどな」
「Fu」
スミスが汁椀と共に最近使い慣れてきた箸を手に取って、手元を覗き込む。湯気の隙間から汁に――味噌汁に浮かぶ麩が見えて、彼のテンションは確かに上がるのであった。
「厚いやつだ!」
「スミスは手まり麩よりもそっちの方が好きだっただろ」
「Temari Fuも好きだぜ。あっちは、色が綺麗で素敵だ」
「そうか。なら、次の正月には使ってみようか……」
舌を火傷しないように気を付けながら、スミスはゆっくりと汁椀に口を付けるのであった。
飲酒をした体は体温が上がったように感じて、平時よりも暑さを感じていた筈だ。それなのに、熱い味噌汁はすぅっとスミスの体に馴染んで吸い込まれていくのである。水を飲んだとはいえ、一気に酔いは収まっていくのをスミスは確かに感じたのである。
「酒を飲んだ後には味噌汁が良いらしい。俺の父や、兄がそうだったからな」
スミスを見つめる鳶色の双眸。前髪が下りているから、普段よりも幼く見える柔らかな笑顔。
そんなイサミから、彼の家族と同じ事をして貰えているのだと――スミスは、酒でも味噌汁でもない要因で体が熱くなるのを感じた。
「イサミ」
なんだかむず痒くて、嬉しくて。スミスは味噌汁をゆっくりと味わい、手を合わせて「ご馳走様」をした後に改めてイサミの名前を呼ぶのであった。
「ん、何だ?」
「次にイサミが酒を飲んで帰って来た時は、俺が味噌汁を用意しておくよ」
――俺も、イサミに同じことをしてあげたい。
そう伝えると、スミスの向かい側に腰を下ろしていたイサミは僅かに双眸を見開く。
「そっか」
それからそっと眼を緩めて、テーブルの上に手を差し出すのであった。スミスへと向かって。
「楽しみだな」
「だから、今度作り方を教えてくれよ?ちゃんと美味しい味噌汁を食べて貰いたいからな」
「任せとけ」
そっと、テーブルの上で重なり合う二人の手と手。
そんな、ある日の夜の出来事である。