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    yumenoatonew4

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    遠足で遊園地に行く銀八桂のお話。

    空気より軽くて命ほどに重い『空気より軽くて命ほどに重い』


     遊園地が楽しいのは、あくまでも客として訪れた場合である。
     平日とはいえこんな人混みに、まして引率者として三十余名のガキと共に放り込まれるなど、正気の沙汰ではない。やれバスに酔っただの、やれ迷子だの転んだだの。高校生なんてまだまだ子どもだ。はしゃぐあまり周りが見えなくなって、目を離した隙に怪我をする。まったく冗談じゃない。責任を問われるのはいつだって教員だ。
     絶え間なく流れる陽気なBGMの中、銀八は盛大に溜息をついた。遠足という行事は本当に気が重い。生徒の安全に細心の注意を払いつつ、さりとて一般客の迷惑にもならないようにと、羊飼いのごとく学生たちを追いかけて園内を歩き回らなくてはならないし、かと思えば能天気な本人たちは「先生一緒に写真撮ろう」だの「アイス買って」だのと纏わりついてくる始末だ。うるせえ、俺はお前らの命護るだけで精一杯なんだよ!
     と、銀八は向けられるスマートフォンのカメラに死んだ目のままピースを向け、心の中でボヤくのだった。

    「銀ちゃーん、指切っちゃったアル。絆創膏ちょーだいヨ」
    「だーから、銀八先生と呼べっつってんだろ。ったくお前らはよォ、小学生じゃねーんだからもうちっと落ち着いて遊んでくれや…どいつもこいつも絆創膏絆創膏って」
     俺の説教などどこ吹く風。ずいっと突き出された指先に絆創膏を貼ってやると、礼もそこそこに走り去って行く背中。つーか俺、保健医じゃねえんだけど。なんでみんな俺に絆創膏貰いにくんの?担任に絆創膏貼ってもらうの流行ってんの?なんでうちのクラスのやつらこんな生傷絶えないの?
     メリーゴーランドの前に置かれた、塗装の剥げかけた緑色のベンチ。銀八はここを本陣と定めた。荷物を傍らに、大股を開いて腰かけ、腕を組んだまま背もたれに背中を預ける。ここからならジェットコースターに並ぶ生徒たちや、マスコットキャラクターの着ぐるみに写真を強請る生徒たちの様子も一望できる。そしてこちらから一望できるということは、当然向こうからも死んだ目でタバコの代わりにキャンディーを咥える担任教師の姿がよく見えるのだ。

    「あの、先生、少し隣で休んでも良いですか」
    「ヅラくん。どうした、具合悪いの?」
     自由時間も残すところあと一時間ほど、という時分だった。半分話したいだけで寄ってきていた他の生徒たちと違い、どうやらこっちは本当に体調が悪いらしい。蒼白な顔をして頷く教え子を隣へ座らせ、細い首筋に触れる。
    「少し疲れてしまって…すみません」
    「熱は無さそうだな。アレか?乗り物酔いとか?」
    「いえ…あまり人混みが得意ではなくて…」
    「ああ、人酔いね」
     じっとりと汗の滲む額を手のひらで覆ってやると、弱々しく「すみません」と謝る声が聞こえた。
    「謝んなくていーよ。しんどいだろ、先バス戻るか?」
     はあ、と時折苦しげに息を詰める背中をさする。吐くだろうか。一応袋を手渡したら、大丈夫です、とあまり大丈夫じゃなさそうに断られた。
    「……小さい頃、」
    「うん?」
     とりあえず、と横にならせた少年に膝を貸してやりながら、パンフレットでぱたぱたと風を送る。もう暑さは随分和らいだが、それでも陽射しはまだ凶暴だ。
    「憧れてたんです、遊園地。俺、祖母に育ててもらったので」
     さらさらと風に揺れる前髪の隙間から冷却シートが覗く。さすがに病人を看病している間は他のやつらも空気を読むらしく、周りは急に静かだ。
     少年に身寄りがないことは、もちろん書類で知っている。女手ひとつで育ててくれた祖母も小学生の頃に亡くし、その後は施設で育ったらしい。
    「小学生の頃、一度だけこうやって遠足で来たことがあって。ほんと、夢みたいに楽しかったです」
    「ああ。ガキの頃の遊園地って何であんな楽しいんだろうな」
    「ははは。俺…、着ぐるみが配ってる風船あるじゃないですか。わかります?」
    「うん」
     遊園地の定番だな。と笑う。
    「俺、どうしてもあれが欲しくて。でも、そう言ったら同じ班のやつらに笑われました」
    「えっ、なんで?」
    「そんなの小さい子が貰う物だ、って。まあ、そうなんですよね。その時俺、もう小六だったし」
    「……そっか」
     くすくすと笑う少年の、真っ直ぐに伸びた黒髪をそっと撫でる。今まで触れたどんな女の髪より滑らかで清らかなそれは、あっさりと指をすり抜けていった。
    「だから今日、本当はあんまり来たくなかったんです。そういう、ちょっと苦い思い出みたいなのがどうしても過ぎっちゃって」
    「まァ先生も、正直今すぐ帰りてェ」
    「あはは。でも俺、今は来て良かったと思います。先生の膝枕、レアですから」
    「おー、レアだよレア。男に膝貸すのなんて初だね」
    「やった」
     横になって、少しは顔色も良くなっただろうか。だんだんいつもの明朗な調子が戻ってきたように見える。
    「先生もさァ、本当の親父じゃないひとに育ててもらったんだけどね、」
    「へぇ。そうなんですか」
     こんな話をわざわざ他人に、それも生徒にする日が来るなんて。けれども少年は、まるでなんてことないような風に、昨日の夕食のメニューに相槌を打つような軽さで俺の目を真っ直ぐに見上げてくる。
    「何つーか、変わったひとでさ。昔くさいっつーか、若かったんだけどね。でもこういうレジャー施設とかそういうのとは無縁みたいなひとで」
    「浮世離れしてる、ってことですか?」
    「あーうん、そうかも。けど一回だけ、なんか知り合いにチケット貰ったとかで連れてってもらったことあってさ、遊園地」
    「へえ、おめでとうございます」
    「ありがとうございます」
    「それで?」
    「あァそれで、」
     膝に乗っけたままの少年の頭を、猫みたいにゆるゆると撫でる。
    「先生、お化けがこの世で一番嫌いなんだけど」
    「お化けはこの世のものにカウントしていいんですか?」
    「突然そういう核心ついてくるのやめてよ」
    「あはは、すみません。続けてください」
    「その育て親がさ、まだ何にも知らない、いたいけな先生をお化け屋敷に連れ込んでね」
    「あー」
    「そんなん泣くでしょ。五歳かそこらだよ。で、もう嫌だ帰るって大騒ぎ」
    「可愛い頃があったんですね」
    「今でも強引にお化け屋敷連れ込まれたら全然泣いて帰るけど」
    「絶対知り合いだと思われたくないですね」
    「お前のこと迷子放送で呼び出してやるからな」
    「泣いてる先生迎えに行くんですか?トイレ掃除くらい嫌ですね」
    「ひとの涙を便所の水と同列に語るなよ」
     柔らかな頬を抓る。こう軽口を叩くところを見ると、随分と体調は良くなった様子だ。
    「まァそれで。困った育て親が俺の機嫌取るために貰ってきたんだよ。着ぐるみが配ってる風船。赤いやつね。先生、今もそうなんだけど、ガキの頃目の色が赤っぽくてさ。きみの瞳の色ですよ、ってやけに気障なこと言いながらさ」
    「あ…、本当だ、夕陽みたい。きれいですね」
    「そりゃどーも。って、今なら言えるんだけどね、昔は先生も色々あったっつーか、この髪とか、目の色とか、自分が皆と違うのが嫌で堪んなくてね」
    「なんとなく分かります。俺も女みたいだとか、髪の長さとか、散々揶揄われました」
    「ははは、似た者同士だな。だから、先生、その赤い風船が心底憎らしくてな、こんな物要らねェ!って手ェ離しちまったんだよ」
     真っ青な空に消えてゆく赤い風船。その光景は妙に鮮明に、未だに目蓋の裏に焼き付いている。
    「結局そのあとソフトクリーム買ってもらって機嫌は直ったんだけどさ、たまにふと思い出すんだよ。風船くらい貰っときゃ良かったな、って。どうせすぐ萎んじまうんだから、手首にでも括り付けて持って帰って、部屋の片隅に浮かべときゃ良かったなってさ。育て親が死んでからは、特にね」
    「…亡くなられたんですか」
    「大学二年のときにね、病気であっさり。はっきりした治療法もなくてさ。長く苦しまなくて良かったと思ってるよ」
     つまらない昔話だ。けれど少年はじっと聞いていた。単に体調が悪くて動けないだけかも知れないけど。
    「だからねヅラくん。つまり、貰えるもんは貰っとかなきゃいつか後悔するよ」
    「…?」
     はぁ、と、いまいちピンときていない様子の少年をそっとベンチに寝かせたまま「ちょっと待ってて」と声をかける。マスコットキャラクターのぶさいくな白猫の着ぐるみは、わりとすぐに見つかった。

    「はい、これは先生からのプレゼント。と、ついでに先生の分もあげちゃう」
     ふわふわと宙に浮かぶ、青い風船と赤い風船。少年はむくりと起き上がると、その大きな目をぱちくりさせたままそれを受け取る。
    「これ…大人も貰えるんですね」
    「そりゃね。入園料払ってんのは大人ですから」
    「夢がない」
    「ははは。子どもの分だって言ったらくれたよ」
    「幼児連れててもおかしくない歳ですもんね」
    「やめてよ胃が痛くなる」
    「…先生、ありがとうございます」
     くしゃくしゃと笑う彼を、幼児をあやすみたいに抱き締めた。胸の辺りがじっとりと湿る。帰りのバスで他のやつらが羨ましがるだろうな。袋に入らない土産物を持ち帰るのは禁止だが、これは教師の特権だ。割れないように、幼い俺たちにも席を用意しなくては。集合時間を報せるアラームが鳴る。集まってきた教え子たちは、案の定風船を指して私も欲しいアルだとか先生ズルイだとか好き勝手喚き散らす。
    「風船に詰まってんのはなァ、ヘリウムガスだけじゃねーんだよ。それが分からないお前たちには必要ありませーん」
     頭上に広がる夕焼け空。風船は、もう飛んでいない。
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