【夜に咲く一輪華】――――――――――――――
昆虫の完全変態に関する研究
・昆虫はイモムシだった頃の記憶がないらしい。蛹になった時に脳も溶けてニューロンが再配置される。
・連想記憶は引き継がれないが、脳の他の部分に格納された他の記憶は引き継がれている可能性が示唆される。
➡️幼虫の記憶が成虫に引き継がれるかどうかの答えはまだ明確ではない。
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「月が綺麗ですね」の返しにあの答えを返していながらしっかりと手を出している大哥。
この両想いめ、いちゃつきやがって…。
黒と思いを通じあって、幸せになったら存在を保つのが難しくなった雅婷ちゃん。
男になって幸せを守ろうとする。
大哥呼びはあいかわらず。
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紅花山玉蘭 hóng huā shān yù lán
中国原産のモクレンの一種です。6枚の薄いピンクの花びらを持っています。花びらの形が蓮華座に座るお釈迦様の姿に似ている
「仏教の聖花」といわれています。
紅花山玉蘭の開花期間は、当日夜から翌日朝までの半日12時間程度の儚い花である事から「幻の花」といわれます。仏教の聖花とも称されて、花が咲くとバナナのような甘い香りがします。
開花すると、お椀ほどのサイズの花びらが平らに並びます。中央に雄しべと雌しべが柱状に集合します。花は夜だけしか咲きません。わずか2時間で色落ちが始まります。半日しかもたない「幻の花」です。
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丸窓は別名何といいますか?
「悟りの窓」と「迷いの窓」
源光庵本堂には「悟りの窓」と名付けられた丸窓と「迷いの窓」という名の角窓があります。 悟りの窓の円型は「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現しています。 迷いの窓の角型は「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表しています。
悟りの窓とはどういう意味ですか?
悟りの窓は、丸い形の窓で、この丸窓からみた景色が禅の教えを表現しています。 偏見がなく、何にも捉われない、ありのままの自然でおおらかな心を表現していると言われています。 丸い形は禅と円通の心を表しており、大宇宙を表現しているとも言われております。 迷いの窓は、四角の形をしており、そこから美しい景色が見えます。
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円満具足
「円満具足」は「えんまんぐそく」と読み、「すべて欠けるところなく備わっている事」という意味。ちなみに「円満」は仏様の功徳が満ち足りている事で、「具足」は物事が備わって完全な事。幸福なイメージがわく言葉です。
金甌無欠
「金甌無欠」は「きんおうむけつ」と読みます。中国の南朝について書かれた歴史書の「南史」朱异伝にある言葉で、意味は「傷のない黄金のかめのように、完全で欠点のない事」。「国家が強固で、外国の侵略を受けた事がない」という意味も。
十全十美
「十全十美」は「じゅうぜんじゅうび」と読みます。「十全」は少しの欠点もない事で、「十美」は完璧な事。こちらも同じ意味の言葉を重ねた四字熟語です。
尽善尽美
「尽善尽美」は「じんぜんじんび」と読み、意味は「欠けるものがなく、完璧である事」。訓読すると「善を尽つくし美びを尽つくす」となり、「美しさと立派さをきわめているさま」がよく伝わります。
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【重畳】
1 幾重にも重なる事。
2 この上もなく満足な事。 大変喜ばしい事。 感動詞的にも用いる。
あたら‐よ【可=惜夜】
「可惜夜」の意味は、明けてしまうのが惜しい夜の事。
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博士
歴代王朝における、文書の管理や学問の教授を行なった官職。
最高位の学位。
大学の教授職。
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はくぶん-きょうき【博聞強記】
広く物事を聞き知って、よく覚えている事。 ▽「博聞」は広く物知りである事。 「強記」は記憶力の強い事。 「強」は「彊」とも書く。
はくぶんきょうしき(はくぶんきょうし)【博聞彊識】
「博聞強識」とも書く。様々な事を聞き知っていて、その内容をしっかりと覚えている事。
「博聞」は色々な事を聞き知っている事。
「彊識」はしっかりと覚えている事。
***・***・***・***・***・***
――私は、何も残さなくていい。
…残らなくていい。
だって、私がそうあるべきと決めたから。
…だから、悲しまないでアイツらしいと笑って欲しい。
願わくば、あなた達の最後に憶えている表情が笑顔でありますように。
私/俺が望むのは、ただそれだけ。
【夜に咲く一輪華】
――今日は月が綺麗だ。
丸く切り取られた月見窓を眺めながら雅婷は来るとも知れぬ待ち人を待つ。
今日は任務から戻る日だと言っていたけど、この部屋を訪ねてくれるのだろうか。
抑えていても、心が浮き立つ。
「いらっしゃい、大哥」
今日は遅かったんだね、と雅婷が弾む声で言ってくる。
「今日は月が綺麗だよ」
「手が届かないから綺麗なんだろう」
「意外」
「何が?」
「気が利いてる」
それなあに、と甘えて聞いてくる雅婷に手土産の花を渡す黒無常。
「ああ、珍しい物が手に入って」
「いい匂い」
すん、の鼻を鳴らすと甘い香りが薫ってくる。
まだ完全には咲ききらない薄いピンクの花びらは、どこか木蓮に似ている。
「なんて花?」
「紅花山玉蘭」
「ホンホヮ…?」
「夜にしか咲かない幻の花とされている」
花を活ける雅婷の顔にすっと手が添えられて、頬に掛かった髪を払う。
「あああああの、大哥? お花を眺めるんじゃないの?」
折角珍しいものを持ってきてくれたのに。
赤くなって動揺する雅婷には気付かないふりをして顔を引き寄せる。
「ん、そのつもりだったが、待てない」
「――んっ、」
頬に触れるかどうかの薄い唇がそのまま滑って耳を食む。
そして静かにゆっくりと押し倒されるように二人は寝台に横たわった。
――いつの頃からか、ひっそりとどちらからともなく部屋に訪れて肌を重ねるようになった。
「…ん、は…」
ちゅくちゅくと、啄むように睦み合う。
それはさながら触れる事を許す儀式のようで。
互いに衣を落としながら、触れる指先の冷たさが温むまで、身体をなぞる手が止まる事はない。
「ぁ…大、哥…もう、いいよ…」
身体の熱に辛抱堪らずねだっても、欲しいものは与えられない。
「――っ、」
どころか、く、と中で曲げられた指が次の指を呼び込むように蠢いて、雅婷はますます子供のようにむずかった。
「大哥、やだ…意地悪、しないで…まだ、いきたく、な…」
嫌々をするように身体を捩っても、足を閉じる事も身体の芯が痺れるような快楽から逃れる事も出来やしない。
「…んっ、う、うぅ~っ!」
羞恥と敬愛する大兄からのあんまりな仕打ちに涙が溢れて、必死の思いで首に噛み付いた。
「こら、…あぁわかったよ」
宥めるように目蓋に落とされた口付けに騙されるように、雅婷は目の前の男に身体を委ねて、溶けた。
「…大哥、大哥…っ」
雅婷はいつも溺れるように喘ぐ。
もう人間を辞めてから随分と経つけど、まだその頃の感覚が消えない。
食い縛って耐えようとするといつもひどい事をされるので、そうするようにわからせられた。
自分達は妖精で、いくらまぐわっても子を孕む事などない。
それは傷つき続けた雅婷の人生において、ある意味で救いでもあったが、どうあっても満たされぬ黒い孔でもあった。
「…んっ、あ…、大哥、もっと深く…っ」
時々何かから思考を逸らすように痛みを求める雅婷に、今日の黒無常は応じない。
「……大哥?」
行為を中断した黒無常に、とろりととろけた顔を雅婷が向ける。
「匂ってるな」
「え、あたし汗臭い?」
「そうじゃない」
雅婷の首筋に黒無常が顔を埋めた。
ベッド横の卓に置かれた一輪挿しから匂いが静かに降りてくる。
視線を向けると、先ほどまで開ききっていなかった花弁が見事に開いていた。
(綺麗)
「大哥、見て」
月光を浴びて青白く透ける花弁がてんごくのはなのよう、に――?
「うん、綺麗だ」
いつの間にか移動していた顔が白い双丘の頂点のひとつを口に含んでいる。
「ぅ、ん…っ、そうじゃ、なく、――は、」
舌で嬲られるぞわりとした感覚に背をのけ反らせてる間に、やわやわともう片方の山を攻略していた指と、もう一方は歯とで尖りに刺激が与えられた。
「――――っ!」
左右同時の刺激に強ばる雅婷の身体が弛緩するのをみてから、黒無常の顔は胸から腹と次第に下を目指す。
到達した茂みに隠された雅婷の花芯に舌を伸ばそうとするのに気付いて、咄嗟に黒無常の頭を押さえた雅婷だったが、少し遅かった。
「――んっ、だ、だめ…っ」
抗おうとしたが、がっしりとした手で押さえられた脚を閉じる事が出来ない。
「やだっ、あたし、汚いから」
フラッシュバックするように脳裏に過るのは、繋がりを見せ付けるようにして犯してきた何人もの――。
「綺麗だ」
「え?」
「大丈夫、綺麗だ」
淫らな音に、脳髄を犯されるような心地がした。
「……ぁ、…ん…」
足を押さえつける手とは裏腹に、優しく与えられる刺激にふるりと身を震わせる。
「大哥、あたし、また濡れてて…」
終わったばかりなのに更に欲しがる売女、淫乱と罵られた記憶を思い出す。
「いいよ、いくらでも」
黒無常には月光に照らされた白い身体が見えている。
夜に咲く黒無常だけの花。
甘い匂いと体臭に酔うように黒無常が誘う。
「雅婷、続けるか」
「うん、 」
他の誰も呼ばない黒無常の本当の名前。
罰のように痛みを求める気持ちはもうなく、再び優しく揺らされながら雅婷は心から思う。
――ああ、わたしはそれでいい。
何も産み出せない徒花でいい。
翌日、夢見心地のまま目を覚ました雅婷はまだぼんやりとした意識のまま、腕を伸ばして自分の隣をまさぐった。
そこに共寝をしていた男の姿はなく、名残りの消えた冷たいシーツがあるばかり。
(大哥はもう行っちゃったかな…)
おはようを言いたかったのに、昨夜の疲れですっかり寝入ってしまった。
昨日は遅くに帰って来たから、任務の報告だけして、早朝からまた次の任務の打ち合わせをしてそのまま出掛けて行くのだと聞いた。
黒無常やその相棒の白無常ら長兄二人は明王の名代を務められるほどの立場故、幽都に腰を落ち着けて滞在する事は稀なのである。
少なくとも以前は、そうだった。
(でも大哥は出来る限り帰って来てくれてる)
みんなの――雅婷のところに。
自分で考えて頬が赤くなる。
『え? いつ帰ってたの? 私達に挨拶もしないで薄情ね』とは嵐白の言だ。
ちなみに嵐白の顔がニヤニヤしていたのは言うまでもない。
隠しているつもりの二人だが、知らぬは本人ばかり。
そういうところも含めて可愛いと皆が見守る二人なのである。
(昨日はいっぱいしちゃったな)
雅婷が許したのを良い事に、頭から爪の先まで染め上げるように濃厚な夜を過ごした。
身体の奥に残る疼くような痛みを愛しいもののように思って腹を擦ろうとした手を止める。
「………」
それは違う、と戒めるように腕ごと投げ出した身体が白く塗られた天井を仰ぐ。
染みひとつない、雅婷の思い描いていた(そして自分には相応しくないと感じている)完璧な世界。
勿論、金甌無欠なように思えるこの霊域の主である明王が完璧な人物でない事は共に過ごすうちに理解は出来ている。
――だからこそ。
あの方を支える柱の中でも特に脆く弱い自分が瑕疵になる事が許せないのだ。
(…いざという時は生命を懸けてでも)
それではいけないと何度も諫められた。
生き残る事を捨てた先にあるものなど、ただの暗闇に過ぎない。
でも、雅婷はその暗闇の中から見いだされ、やり直す機会を与えられた。
だからこそ、雅婷は意味のある生が欲しかった。
(あ…)
ふと、雅婷の鼻腔を甘い香りがくすぐった。
情事の名残りが薄まり、花の香りが雅婷の心を奪う。
(すっかり終わっちゃったな…)
黒無常の持ってきた紅花山玉蘭という珍しい花は僅か一刻ほどで花の生命を終えるのだという。
色落ちして透明になった花弁は幾ばくかを残して散ってしまっていた。
(折角綺麗だったのに可哀そ…)
花弁を摘まもうとした指先が触れた感触の無いまますり抜ける。
「…え、なんで…?」
武術を仕込まれているのに目測を誤ったかと身体を起こして確かめたその目に映ったものは、
「――ぁ、ああ…いや……」
末端から存在を薄れさせていく自分の手足だった。
「いやあああああああ…っ!!」
「! 雅婷…?」
「おい、待て!」
雅婷の叫びは幽都に残る仲間の耳にも届いた。
真っ先に駆けつけたのは嵐白と阿言。
「雅婷? ねぇ、どうしたの」
「鍵は開いてる?」
叩いていた戸に少し手を掛けて、嵐白が頷く。
「他にも誰か駆けつけてきた。先に入ってて」
「わかったわ」
最低限だけ開けた隙間に身体を滑り込ませて嵐白が部屋に入り、閉まった戸の前をガードするように阿言が身体を移動した。
黒無常が到着したのは、ちょうどそのタイミング。
「今の声は雅婷だな? 何があった!」
わからない、という代わりに首を振った阿言に焦れたように黒無常が阿言を退かそうと手を伸ばす。
「――ど」
「退くのはお前だ」
阿言と黒無常の間に瞬間移動で割り込んだ明王が黒無常を制す。
「――明王様、お」
「ここは私の霊域。何が起こったかは私が一番知っている」
「…存じております」
「お前には仕事があるはずだ。さっさと行って来い」
明王の態度は行き着く島もない。
このままここでぐずぐずしていても尻を蹴飛ばされるだけだろう。
後ろ髪を引かれる思いで旅立つ黒無常を見送って、明王が阿言に向き直る。
「入るぞ」
明王が室内に入ると外界との接触を拒むように布団を被る雅婷を嵐白が抱きしめていた。
「雅婷」
「 …さま、」
「黒無常は仕事に行かせた。ここには来ない」
問いを待つまでもない。
どこか怯えるような声音にそう答えてやると強ばりが解けたのか、何がなんでも見られまいと頑なに閉じていた小山から力が抜けた。
「見せてみよ」
嵐白がそっと布団を捲ると、寝台の上で膝を抱えて小さくなっていた雅婷の指の形はなきに等しく、手足は半ばまで透けていた。
「あぁ――やはり『 』しかけているのか」
(…え、今なんて?)
全く想定していない単語だったので、何を言われたのか頭に入ってこない。
更には泣きじゃくってボロボロの顔で長身の主の顔を見上げると「それは重畳」と素っ気なく言われた。
なんならそのまま立ち去ろうという雰囲気さえある。
「… 待…、 ど、 して…?」
「お前は現世に心残りをして留まっている死霊。成仏する機会があるのなら喜ばしい事ではないか」
突き放すでもなく、ただ当たり前のように告げられる言葉に雅婷は傷付いた。
――为什么?
私は頭から爪の先まであなたのものなのに。
他の誰かによそ見をしたから?
これはちょっと力を得たからといい気になって浮かれていた自分への罰なの?
待って、
――待って!
お願い捨てないで…!
いや違う、これは自分が一方的に傷付いているだけだ。
「嫌…、いや…っ、ちがうの、私はまだ…っ」
世界が明るく拓けている事を、雅婷は人生が終わった後に初めて知った。
楽しい、嬉しい、美味しい、そして愛しい――。
生きている間に得られなかった『知識』を『感情』として育む機会を与えられた。
それらを取り零すまいと、生きて、生きて、生きて――ようやく与えて貰った恩を返せると思ったのに。
「………」
――傻孩子。
明王が呟いた気がした。
「では如何する」
かつて雅婷を現世に留める為に肉の身体を捨て、【死】を【生】に反転させた。
次はどんな対価を払う?
「わた、し…あたし、は――」
身ひとつでやり直した雅婷には財もなく、身分もない。
支払えるものと言ったら今の雅婷を構成するありのままの全てだ。
残せるものは雅婷が雅婷である事を示すほんの少しのエッセンスだけ。
記憶を捨て、陰の性から陽の性へ。
――女から、男へ。
雌雄や生死、相反するものを矛盾なく内包する主の指が陰陽の陣を描く。
焰とは異なる朱金の煌めきが雅婷を少しずつ覆い隠していく。
赤子のように膝を抱えて微睡みながら、雅婷は思う。
…あぁ、私は幸せだった。
「…明王様」
不安そうに成り行きを見守っていた二人がどちらからともなく主に問い掛ける。
「無事に孵るかはわからん。雅婷次第だ」
二人に外に出るように促して、中から強力な封を施す。
「…しばらくの間付き合ってやる」
だから安心しろ、と金色の繭を撫でた。
◇ ◇ ◇
「…雅婷は」
黒無常が帰ってきたのはそれから十日ほどしてからだった。
「黒哥哥、もう帰って来たんですか?」
阿言が驚いたのも無理はない。
黒無常に与えられた任務は通常ならひと月は掛かるものだ。
一週間かそこらで片付けられるとは思えない。
それに普段は自分達を取りまとめる長である事を意識した余裕ある振る舞いをしているのに、今の黒無常の姿は任務を終えた直後にたまに見られるよれよれの姿だ(いつもの数割増しだろうか)。
阿言は区切りをつけて中抜けして来たのだろうと当たりをつけたが、生憎それは自分の追及する事ではない。
(それなら僕は自分の役割を果たそうか)
阿言、と焦れるような物言いにも応じずに「少し話をしましょう」と歩きだす。
「嵐白、ちょうど良かった。一緒に来て」
心配で雅婷の部屋に向かおうとする嵐白も捕まえて、しばし歩く。
雅婷の部屋から遠ざかるルートに来た時に気にするような素振りを見せたがそれも無視して歩く。
美しく設えられた中庭を通りすぎ、訓練場を過ぎた辺りで我慢の限界を迎えた黒無常が早く本題に入れと急かして来た。
「はぁ…仕方ないですね」
ここは個々の私室のある棟からは遠い。
外に近い場所に誘導されて、言外に帰れと言われた黒無常が気分を害するのもわかる。
「白哥哥から多少聞いてはいるようですが、結論からいうとまだ何も解決していません。そして僕達は勿論、黒哥哥にも出来る事はありません」
「それを言う為だけにここまで来たのか。『博聞彊識』が泣くぞ」
「僕に答えられるのは僕が知っている事だけ。わからない事は答えられません」
挑発的な物言いは構わないが、少し落ち着いて貰わないと。
阿言はより効果的な言葉を選ぶ。
「雅婷がああなった原因はあなたですよ」
「!」
これにはさすがにショックを隠せなかったのか、黒無常の動きが止まる。
「…ご存じのように僕達は【死霊】です」
死を覆し、他者の死を喰らって生き延びる事を明王の配下として許されている。
「大哥は何故僕達が選ばれたのかわかりますか?」
大哥――一派の束ねとして答えよと阿言が言う。
「…明王様が、〝素質〟のある者を見出だした」
「そうですね。ではその〝素質〟とは?」
死してもこの世に残り続ける魂の強度?
いや、それだけなら適合者はもっと多いはずだ。
何しろ人間はうんざりするほど数が多い。
「妖精であるあなた達にはわからないかも知れませんが、人間が人間を殺すというのは普通、『禁忌』なんですよ」
つまり、明王は人間という規格から外れた怪物になれる者を選んだ。
「僕と嵐白と雅婷は素質を持って、かつ、想いの強さを認められてここにいます」
〝想い〟――それは禁忌を踏み越えられる原動力。
「死霊である僕達には、それぞれ背負う【業】があります。例えば僕は『知識欲』。そして――」
「私は…」と迷いながら前に出ようとする嵐白を阿言の手が制した。
どこかほっとした様子の嵐白を感じながら阿言は続ける。
「そして雅婷は多分…『愛欲』」
雅婷の不調は満たされない欲が満たされたからこそのもの。
思い残す事が無くなれば、成仏するのは必定。
「あなたがどう思うかは関係なく、明王様はそれを喜ばしい事だと認識しています」
だから――。
阿言が静かに断じる。
「あなたが口を出すのはお門違いです」
◇ ◇ ◇
――今までの自分がドロドロに溶けてまた再構築される。
次の自分に受け継がれる感情はあまり多くない。
何を残すのかと言われて、雅婷は選んだ。
愛される事はもういい。
私はもう充分に満たされた。
だったら次は護られるのではなく、護る側に。
欲しいのは泣かされる事なく抗えるだけの強い身体。
迷わず自分の信念を貫ける心。
…もう、揺らがない。
「…始まったか」
拍動するように明滅を繰り返していた繭が沈黙した。
固唾を飲んで見守っていた面々の前で金色の繭が割れて、少しずつ粒子になっていく。
緩慢に身を起こす身体にまろやかな曲線はなく、代わりにゴツゴツとした肩や腕のラインや、厚みのある逞しい胸板がある。
生まれたてのぼんやりとした瞳が何かを探すように彷徨って、黒無常を見た――ように見えた。
…わたしは、だれ?
わからない、なにもわからない。
身体は動く。
ぼんやりとしながら持ち上げた手が目に入る。
…知らない手だ。
股の間に余計なものがついていて小さく首を傾げる。
おかしい。
でも、確かにこれは自分の身体だ。
自分を不安そうに見つめる、目、目、目――。
――だれだろう?
でも、ダイスキ、ダイスキ、ダイスキ、ダイスキ――、
それしかわからない。
「…気分は? 〝七刀〟」
〝七刀〟
それが自分の名前だと認識して、ようやく自分を認識出来た気がした。
「はじ、め、まして」
耳慣れない声に戸惑いながら意識して笑うと、そこかしこで微かに驚くような声が漏れた。
それから皆が次々と自分の事を紹介しに来てくれた。
大丈夫、ここはとても暖かい。
ほっとして、最後の黒い人を見た時に自然に溢れ落ちた。
「大哥」