dawn 隠れ家の自室の窓から溢れる赤く白んだ空を見た。隣には愛おしい弟ジョシュア・ロズフィールドが眠っている。その姿には、昨日の情事の跡が首筋や胸、下腿に残っている。もちろん俺、クライヴ・ロズフィールド自身の身体にも彼による愛の証が其処彼処に点在している。
思い出すのも辛い十八年前のフェニックスゲートで、俺が殺したと思っていたジョシュアが生きていた。その上メティアの導きとしか思えない再会が出来たなんてまるで夢のようだった。いや実際、もし生きていれば…もしあの敵襲が来なければ…なんて何度も夢にみていた。あの夜…ザンブレク皇国の急襲が実は全て悪い夢で、俺は今暖かい布団の中で明日の稽古の事なんかを考えながら眠っているのではないかと。しかし、そのどれも現実で事実であり、俺はあの日、十五の歳から印を刻まれ、長い間ベアラーとして生きてきた。ジョシュアも身体の石化を見るからに、俺では及びつかないような大変な思いをしてきたのだろう。しかし俺たちはこうして再会した。そして今は会えなかった空白の時間を埋めるように身体を、心を重ねていた。
そんな日々を送っていたとある夜、いつものようにお互いの体温を交じり合わせていた刹那、唇が触れ合う距離でジョシュアは言った。
「兄さんが兄さんじゃなかったら僕はこんなに好きにならなかったかもしれない」
その時はお互いの熱に浮かされていた発言だと思い、さして気には留めていなかった、正しくは情事の頭では気に留める余裕がなかった。しかし、ふと今にして考えるとどうゆうことなのだろうと疑問に思ってきたのだった。
俺はジョシュアが好きだ、愛している、フェニックスの祝福を受けた時から、いやもっと前、ジョシュアがこの世に生まれてきた時から。フェニックスのナイトである俺の全てを持って愛したいし守りたいと思い続けている。だがそれは自分のエゴなのだろうか、押し付けなのだろうか。明け方の脳は嫌なことばかり考える、思い出す。この不安を少しでも拭い去りたく、愛を確かめるかのように眠っているジョシュアに軽くキスをした。
「ん…兄さん…?」
「あ…起こしてしまったか、すまない」
寝ぼけているのか、目を擦ってぼんやりと俺を見る。
「どうしたの…?なにかあった?」
何かあったかと言われると何もない。しかし漠然としたこの虚無感を上手く言葉に伝えることができない。
「いや…なんでもないんだ、なんでもない」
兄の不審な心境を敏感に察したジョシュアは優しくキスをした。
「クライヴ…僕はクライヴの事が一番大切なんだ、どんな些細なことでも知りたい、今何かあったよね?怖い夢でもみた?教えて?」
優しい声色で、優しい言葉で、優しい表情で伝えてきた事で初めて、自分が少し恐怖を感じていたことに気がついた。
しかし、何に
疑問に思うことすらない、分かりきっている、答えはすぐ出た。
毎夜愛を確かめ合っているが、弟は自分のように愛してくれてはいないのだろうか、俺の愛に惰性で付き合ってくれるだけではないだろうか、ということである。
怖くて聞けない、聞きたくない、もし最悪の答えだった場合、俺はどうしたら良いのかわからない。
色んな思いが去来し、ぼんやりした脳でやっと絞り出した答えが、
「いや、本当に何もないよ」
だった。
外はいつの間にか明けていた。
──────
この夜を境にお互いすれ違いながら生活をしていた、と言うよりクライヴの方がジョシュアを一方的に避けていた。毎夜紡がれていた愛の契りは無くなるどころか、出くわしても視線を合わせないようわざと伏目がちにしたり、声を掛けることすら出来なくなっていた。日を追うごとにそれは当たり前になってきて、対面を避けていた兄も徐々にそれが普段通りだと言わんばかりに自然の素振りになってきた。弟も気にはしていたものの、何でもないとピシャリと言われてしまった手前、兄の不可解な意図を感じながらもあえて気付かないふりをしてきた。
それがお互いのためだと思いながら。
毎日愛し合っていたのは夢だったのか、幻だったのか。あの日再会したのは兄さんにとってはやはり迷惑だったのだろうか。いや、兄さんはそんな事を考える人ではない。あんなに愛が溢れている人がそんな事を考えるはずがない。なら何故…?何故今なんだ。
幼い頃からこの思いを秘めていた。フェニックスゲートで離れ離れになってからも、独自でアルテマの動向を探っていた時も一度たりとも兄さんを忘れたことはない。むしろ思いは募っていく一方だった。そしてザンブレクで再会した時は本当に涙が溢れるほど嬉しかった。再会した状況は決して楽観出来る場面ではなかったけれど、遠くから見守るのではなくやはり兄さんと言葉を、心を通わせる事が出来た事は純粋に幸せだった。その後兄さんたちの隠れ家へ行き、心身の傷を癒やしている間に少しずつ、徐々にではあるけれど兄さんと思いを通じ合う事が出来た事は幸運だと思う。話を聞かなくても身体を見れば、兄さんはベアラー時代に良い思い出が無かった事は明らかなのに、それでも僕を、僕の気持ちを包み込むように受け入れてくれた時は本当に嬉しくて泣きそうだった。僕の思いは誰にも言わない、言う必要のない秘めたもので、一生口にする事は無いと思っていたから。
僕はもう兄さん無しでは生きていけない、それ程までに愛してしまった。毎日毎夜、愛を伝えていたがそれでは足りなかったのだろうか、逆に重く感じてしまった?ひとまず話し合いたい、本当の声が聞きたい。それでダメだとしたらまた考えればいい。
ジョシュアは毎夜彼がいるカウンターへ向かった。
──────
それは突然に起きた。
一日の疲れを癒すという訳ではないが、ここ最近習慣になってしまっている夜の一杯。今日もまたいつものようにぼんやりとカウンターでエールを飲んでいた時のこと、突然ジョシュアが隣に来た。
「僕にもエールを」
俺はバツが悪い表情で下へ視線を逸らした。習慣の一杯のきっかけとなったその彼は、エールを少し飲んだところで、
「兄さん、あの夜以来何かおかしいよ」
といきなり核心をついてきた。しかし、言葉の覇気はない。
「何か僕悪いことしたかな?だったら謝るよ、もうこれ以上兄さんに避けられるのは耐えられない」
ハッとして顔を上げてみると、カウンターへ向けているとばかり思っていた顔が、今にも泣き出しそうな苦しい表情でこちらを向いていた。いつぶりだろう…久しぶりに真っ直ぐ見た愛する弟の表情。それがこんな辛い表情だとは思ってもいなかった。クライヴは意を決し、
「そうだな、俺の部屋で話そう」
とジョシュアの頭をそっと撫でた。不意に触れられたジョシュアはそれだけで涙が出てきそうになっていたが、グッと我慢をして兄の提案に従った。
そう、夜はまだ始まったばかりなのだから。
二人はカウンターへエールのジョッキを戻すと、ぎこちない一定の距離を取りつつ部屋へと向かった。
クライヴの自室の扉をガチャン、と閉めたのはジョシュア。閉めた後はシン…と耳が痛いくらいの静けさと、無機質な物だけがただ並べられている簡素な部屋があるだけだった。そんな所に兄弟二人、最初の一言が出てこない。
口籠もりながら声を上げたのはクライヴだった。
「あの…な、こないだのことなのだが…」
ジョシュアに緊張が走る。
「…っ、すまなかった、ジョシュアに心配をかけてしまって…」
「ううん、それは気にしないで…」
「ジョシュアを避けてしまってい…た、ことも申し訳なく思ってい…る」
お互い慎重に言葉を選んでいる事が伺えた。
「理由を教えて?改善出来る事なら努力するよ」
「違うんだ、ジョシュアは悪くない…」
「…じゃあ、なんで?」
当然の疑問にクライヴは観念したのか、理由を消え入りそうな声で語り出した。
「ジョシュアが…ジョシュアが俺を求めているのは、俺の感情に対する同情じゃないかと思って…な」
「⁉︎」
「何それ、僕の兄さんへの愛がそんな風に伝わってたの?」
ジョシュアは自分の意図していない兄の返答に頭が混乱していた。
「僕がどんなに兄さんを愛しているのかわからなかった⁉︎」
突然息が苦しくなった、そう、彼に力一杯抱きしめられたのだ。
「こんなに!こんなに!もう誰にも渡したくない、誰の目にも映したくないくらいなのに‼︎」
顔は伺えないが肩が少し震えている。泣いている…?俺がこんな風に泣かせてしまったのか。
「そうか…ジョシュアも怖かったんだな」
顔を覗き込み額にキスをする。ジョシュアはハッとした表情でクライヴを見つめた。
「何もわからなくてすまなかった、何も知ろうとしないでごめんな、ジョシュアの愛、ちゃんと受け取ったよ、ありがとう」
腰に手を回して抱きしめ返した。
「兄さん…ありがとう…」
二人は改めてお互いの気持ちを確かめ合うように静かな部屋の中で抱き合っていた。。
──────
どれくらいの時間が経ったのだろうか、数分、はたまた数時間、外の景色は漆黒の闇、おおよそ時間を測り得る手段はなかった。
しかし、こうしてお互いの体温、呼吸、匂い、鼓動を感じるのはたった数日なのに、もう何年もなかったかような気がしていた。それくらいお互いの事が大切で大きい存在だったのだと改めて感じた。
「たまには抱き合うのもいいな、お互いの命を感じられる」
「それ、僕も同じ事思った、好きだよ兄さん」
「ああ、俺も愛している」
この身が燃え尽きたとしても。