見つけた、と思った。
桜の花びらが舞い散る中、それにも負けないくらい美しい深紫が輝いて、煌めいて、どうしようもなく惹かれる人だった。
攫われてしまうんじゃ、なんて世迷言を吐きそうになるくらい、強烈に、鮮明に、けれど儚くて。
だから、絶対に、つかまえようと決めた。
よく晴れた日だった。実弥の心とは裏腹に。
この世に生を受けてから二十四年と少しを生きる中で、前世の記憶という眉唾なものを思い出してからは十年ほど。実弥は、一等大切な、前世の、最愛の弟を探し続けてきた。
しかし、そう甘くはないのが人生で。もしくは今世の神もやっぱりクソ野郎なのか。実弥の幸福で生きる意味を取り上げられてから百年以上が経過しても、尚その手に取り戻すことは出来ていない。つまり、今日も全く弟の影も形も見つけられていない、という現状だ。度し難いことに。
さて、実弥の現在地は都内のとある公園、花が咲き鳥が唄うのどかな緑溢れる地だ。家族連れも多く、笑顔ではしゃぐ声が響き、まさに平和そのものの光景。
けれど前述の通り、実弥は探し人のわずかな手掛かりすらも掴めていないのだ。少々やさぐれた気持ちでベンチに座り、項垂れていた。「ママー‼︎ あの人なにしてるのー?」「シッ見ちゃいけません‼︎」というお約束をもらってしまうほど、目立つ有様。ガタイがいい、背も高い、白髪、強面と職質待ったなしの風体で、燃え尽きたように真っ白な某ボクサーのような佇まいでいるため、それはまあ致し方ないのだが。いつものこと過ぎて実弥は全く気付いていなかった。落ち込んでいるのも相まって、さらに。
はあ、と溜息を吐いて、ふらりと立ち上がる。こんな所で座っていても弟は向こうからはやって来ない。あいつだって何の手掛かりも無いところから自分を追いかけてきたのだ、絶対に諦めてたまるものか。それだけは胸に誓っている。
折れそうになる心の指針もいつだって弟だった。笑顔も、声も、擦り切れそうになるまで何度も再生してきて薄れてしまっているけれど、それでも。実弥はゆっくりと歩き出した。
ひらひらと花びらが視界を掠めて、ふと左を向くと、見事な桜並木が続いていた。眉を顰める。
桜は苦手だ。弟の散り際を思い出すから。
けれど、今までそうやって避けてきたから、あえて行ってみようか。気まぐれに足を向ける。ふわ、ふわ、と風と共に髪を撫でていく薄桃色の花弁を受けながら、緩やかに前に進み続けた。日本人の心にでも刻みつけられているのか、桜の中にいるのは、どうしたって嫌いにはなりきれない。
と、突然、今までは心地良いくらいだった風が強く巻き上がり、実弥は思わず腕で塞いで目を瞑った。花びらがぶわりと舞い上がった一瞬の後、何事もなかったかのように収まる。春の風は気まぐれだ。過去には自在に操ってきた相棒に苦笑しながら、ぱちりと目を開けた。
視界に飛び込んでくる黒に、思わず息を呑む。見間違える筈がない。側頭部を刈り上げた特徴的な髪型、すらりとした体躯。何度も何度も夢見てきた姿がそこにあった。
矢も盾もたまらず走り出した。心の中でその名を呼ぶと、くるりと、目の前の男もこちらを向いて、ああ、なんて、……言葉にならない。
はっ、と息をついて、男の前に立つ。無意識のうちに微笑んでいた。まるで蕾が解けるように。すると向こうは、その吊り上がった目をまんまるくして驚いた顔をするものだから、なんだかおかしくてますます笑ってしまった。
なんて言おう、どう言えば、喜びではち切れそうだ。はやる心を押さえながら声をかけた。
「げん、」
瞬間、ガッと右手を掴まれる。
「あなたの笑顔に惹かれました! どうか俺のアイドルになってください‼︎」
――は?
両手でぎゅっと、まるで逃がさないとでも言わんばかりに包み込みながらの発言に、今度はこちらが驚愕する。
陽に照らされて藤色に光る瞳は、まるで宝物を見つけた子供のようにキラキラと煌めいていた。
さて、ここで緩和休題。
この物語は、前世の弟を見つけたと思ったらアイドルにスカウトされて、二人三脚でトップアイドルを目指すことになった男の話だ。
「いきなり失礼しました……!」
突拍子のないことを言って実弥の思考を宇宙へかっ飛ばした犯人は、我に返ったのかパッと手を離した。
あわあわと一歩引いた男は、やはりどこからどう見ても前世の弟だった。照れたように頬を掻いて少し俯きがちな顔。輪郭は以前よりも幾分かシャープだ。覚えているのが十六歳の、少年と青年の間の姿だから少々印象が異なるが。今世も側頭部は癖毛なのか刈り上げられているし、頭頂部に残るしなやかな黒馬の鬣のような髪は、多少短いせいか風に揺れている。
見た目として他に気になるのは、全身を濃いグレーのスーツで覆っている所だろうか。まだ着慣れていないのかどこか初々しい着こなし。けれどその日本人離れしたスタイルで、以前の弟の隊服も洋装だったなと思い出した。
まあ、以前は似合うだのなんだの言う前に、そもそも鬼殺隊を一刻も早く辞めろ、と思っていたのでまじまじと見たことはなかったのだが。今となってはもう少し目に焼き付けておけばよかったと思う。すっきりとしたスーツがあまりにも似合っているので。――なんだコイツ、めちゃくちゃ足なげェな。
ちなみに実弥は、捜索がしやすいようにシンプルなモスグリーンのカットソーと黒のチノパンだ。ファッション性よりも動きやすさを重視した結果である。
「ええと、それで。いかがでしょうか!」
「何がだァ」
「アイドルの話です! あっ申し遅れましたが、俺はこういう者です」
そう言って、あたふたと名刺を取り出してくる。
株式会社藤ノ花プロダクション、アイドルプロデュース部、第三課。
「伏見玄弥……?」
「はいっ‼︎」
今世の玄弥の苗字が『不死川』ではない。それに対して非常にざわついた気持ちになるが、ならばさっさと養子縁組でもしてしまえばいいかと思い直す。判断の速さは今生にも引き継がれている。
そしてここに関してだけは幸いなことに、両親は二人とも存命だ。前世から引き続いてクソな親父がいることは、普段は蹴り飛ばしたいような事実だが。ちなみに、地獄の業火で焼かれたおかげか、妻を愛し過ぎていて子供にはあまり興味がないだけで、暴力は振るわない程度のクソ親父となっている。実弥にとっては充分クソだが。
しかし、アイドルとは。玄弥の目はどうなっているのだろうか。我ながら愛想は無いし、ヤクザの若い衆に間違われるような姿形なのは自覚している。一体この自分のどこを見てアイドルなどと。
「アー……玄弥、俺のどこを見てアイドルになんざスカウトしたんだァ? 正直この見てくれだ。紋々でも入ってんじゃねェかって言われる風体だぞ。アイドルっつうのは、なんかキラッキラチャラッチャラした奴らだろ。俺には難しいんでないかねェ」
「えっいきなり呼び捨て……? あ、えと。そんなことないです‼︎ 俺はこの目で見ました。あなたの笑顔は誰よりも素敵です‼︎ あの笑顔の持ち主のあなたなら、きっとトップを目指せる。そして俺は、その姿をずっと隣で見つめていきたい。だから、だから……‼︎」
心にグッと響く、下手くそだが嘘偽りのない誘い文句。キラキラとした瞳でこちらを見る玄弥に言葉が詰まる。そんな目で見られたのなんて、前世の子供の頃に浴びた「兄ちゃんすげぇ!」という憧れの眼差し以来だ。正直に言って抗える気がしない。
全く困ったことに、この弟の為なら、天使にも悪魔にも、それこそ悪鬼を滅殺する復讐者にすらなれるのが実弥なのだから。
――それなら、アイドルにだって。
「わ、かった。他ならぬお前の頼みだ。……やるからにはテッペン目指すぞォ」
「……ッ、やったー‼︎ あっいけね、名前も聞いてなかった。お名前はなんていうんですか?」
「……不死川実弥だ。呼び方は、そうだな。兄ちゃんと呼んでくれ」
「そんな御冗談を! ……へへ、面白い人ですね、不死川さん。どうかこれからよろしくお願いします‼︎」
全く冗談ではなかったのだが、玄弥が笑っているなら、まあいいか。後々呼ばれるようになれば。今は繋がりを持てたことを喜ぼう。そんなことを考えながら「よろしくなァ」と手を差し出した実弥に、玄弥はますますにっこりと笑って握手で返した。
その日はそれで別れた。せっかく出会えた玄弥と離れ離れになるのは身を切るような想いだったが、こちらとしても準備がある。
まずは、さっさと会社を辞めた。営業職で手取りはよかったが、元々玄弥を探す資金源のために決めた、特に興味のない仕事だったので。貯蓄も大分貯まっている。
家族への仕送りが少々厳しくなることだけは懸念材料だが、両親とも現役で働いているし今のところは問題ないだろう。弟妹達ももう、一番下だって中学生だ。手がかかる年頃はとうの昔。最近では少々寂しいくらいにクールな言動をしている。いつか玄弥にも会わせてやりたい。
おそらく記憶が無いであろうことを思うと、ほんの少しだけ胸に隙間風が入り込む。けれどそんな事よりも、現代を逞しく生きる姿が見られたことを、何よりも嬉しく思う。これから玄弥をそばで見守れるなら、実弥の寂しさなど些末なものだ。
「改めて、藤ノ花プロへようこそ! 大体略してフジハナとか言われてるんだ。俺達の部屋はこっち。着いて来てくださいね」
なかなかに大きなビルだ。見上げると首が疲れるくらいには。一階は全面ガラス張りで高級感のある外装をしている。内装も白と僅かな赤で統一されていて、機能性よりも完全に見た目重視だ。よくある意識高い系の会社のような、恐らく伝手のない人間が足を踏み入れるのは勇気がいるだろう場所。肝が据わりきっている実弥には関わりのない話だが。
あの出会いからしばらく経ち、実弥はようやく身辺を整理して、玄弥と共に所属する予定の事務所へとやってきた。事務所というにはあまりに立派過ぎる建物だけれど。
玄弥は手慣れた様子で受付の女性に声をかけ、入館証を受け取っている。そういえば前世では蝶屋敷の少女達にも顔を赤くするくらいに女性に免疫が無いと聞いていたが、今はそうでもないのだろうか。笑顔でやり取りが出来るくらいなので、仕事としては問題が無い程度なのかもしれない。玄弥の現在は、知りたいことばかりだ。
エントランスには、実弥の知らない人物達のポスターやパネルなどが溢れていた。弟妹達に聞いたら「超有名人じゃん!」と怒られるかもしれない。誰がどんな芸能人なのか全くわからないが。興味は無いので、すいっと玄弥に視線を戻す。にこやかに館内の説明を続けている様を見ているだけで、アイドルになってよかった、と思った。この繋がりが持てたことに感謝が湧き上がる。気が早すぎる話だが。
エレベーターに乗って、五階へと移動する。その中にもポスターがべたべたと貼ってあって、少々辟易したので玄弥を見て癒された。きょとん、と小首を傾げた様が年齢より幼く見える。
――そういやコイツ何歳なんだ。二十代前半だとは思うけどよォ。
「なァ、お前今いくつなんだ?」
「んえ? 俺? 俺は二十二歳ですよ! 新卒でプロデューサーなんて、流石に緊張しちまうんですけどね」
ははっと笑う玄弥に納得する。なるほど。スーツに着慣れていないのが窺えて初々しかったが、実弥より二つ下だったのか。前世よりも年齢が近い。しかし実弥の率直な感想としては『年下でよかった』だ。これは兄としての自尊心に関わるところなので。……まだ兄ではないけれど。
チン、と軽快な音がして、また玄弥の後を着いて歩く。けれど、廊下にはやたらに物が詰まれ、今までの煌びやかだったフロアとは似ても似つかない状態だった。ここだけ何故か倉庫のようになっている。おや、と眉をひそめたのを感じたのか、玄弥は申し訳なさそうに肩を竦めた。
通された部屋は広さこそあれど雑然としていて、ソファとテーブルの周りを少し避けて段ボールが積まれている。ホワイトボードの予定表には“玄弥 スカウト”という文字が並んでいて、他の部分は真っ白だ。
「なぁ、この部屋、随分荒れ果ててんじゃねぇか。事務所っつうより物置だしよォ」
「あー……やっぱ気になりますよね。ごめんなさい、隠してたつもりじゃなかったんですけど、俺落ちこぼれプロデューサーなんですよ」
「落ちこぼれェ?」
どういうことかと問おうとした瞬間、ガタガタと物音を立てて誰かが部屋に入ってくる。
「玄弥ー! 悪りぃんだけど仕事だわ。この書類今日中にまとめなきゃいけなくなって……」
そう言って、抱えていた段ボールからヒョイと顔を出した男は、実弥を見るなり素っ頓狂な叫び声をあげて、腰を抜かしたように座り込んだ。完全に危険な野生動物と会った時の反応である。哀れな書類たちが床に散らばる中、実弥は、その男の顔に既視感を覚えてジッと観察した。
「ひぇ、すみませ、後生ですから堪忍してください……!」
「あ? テメェどっかで見たことあるな。玄弥ァ……こちらの方はァ?」
「あっ俺の上司です! 後藤部長! 仕事できるし優しい人だから尊敬してんですよ」
照れたように笑う玄弥の反応に目の前の男への嫉妬心が浮かぶが、しかし大切な事を確認しなければ。「ちょーっと後藤サンと話してくるわぁ」と後ろ手にずるずると引き摺りながら廊下へと出る。
行ってらっしゃい! という朗らかな声とは裏腹に、手元からはブツブツと阿弥陀経が聴こえている。そんな後藤の様子に眉を顰めながら、突き当たりまで連れ出した。